第21話 女神の盾
七月二十二日。
午前十時三分。
第十階層東部。
「見えます」
斥候が。
声を落とした。
パウエルが。
岩陰から。
奥を見る。
「……」
我々も。
少し遅れて。
その場所へ入った。
◇
最初に見えたのは。
火だった。
小さな焚き火。
一つ。
二つ。
さらに奥にも。
その周囲を。
影が動いている。
ゴブリン。
十。
二十。
数えようとする。
だが。
岩陰から。
また出てくる。
横穴。
その中にも。
何かが動いている。
粗末な柵。
積み上げられた骨。
獣の皮。
食べ残し。
寝床。
ここは。
通り道ではなかった。
巣だった。
「……これ」
後方から。
レオンが覗く。
「全部ですか?」
エドガーが。
前を見る。
「見えてる分だけだ」
「……」
レオンは。
何も言わなかった。
◇
推定。
百五十から二百。
しかし。
その数字は。
地面に残された痕跡から。
割り出したものに過ぎない。
実際に。
何体いるのか。
まだ。
誰にも分からない。
◇
「地図」
パウエルが。
手を出した。
すぐに。
地図が広げられる。
敵を見つけた。
だが。
まだ。
戦わない。
◇
「正面はここ」
ヴェラが。
指を置く。
「左は?」
「狭い。三人が限界」
「右」
精鋭ユニットの斥候が。
別の場所を指す。
「こっちは抜けられます」
「奥へ?」
「多分」
「多分じゃ困る」
「もう一度見ます」
「いや」
パウエルが止めた。
「十分だ」
次に。
ポーターの責任者を見る。
「負傷者が出たら?」
「ここ」
地図。
「二人まで同時に下げられます」
「三人なら?」
「詰まります」
「洞ラバは?」
「ここまで」
「それより前は?」
「担架です」
環境整備員。
「退避場所、広げられるか?」
「ここなら」
「時間」
「十五分」
「十分で」
「やります」
セリアが。
地図を見る。
「奥へ火は撃てません」
「理由」
「煙が戻ります。それと」
天井を見る。
「何が燃えるか分からない」
「了解」
◇
二百体を。
倒す。
その前に。
二百体と。
戦える場所を作る。
戦闘は。
剣を抜く前から。
始まっていた。
◇
午前十時二十一分。
配置が決まった。
正面。
《リレントレス・ウルフ》。
パウエル。
ハンス。
セリア。
選抜された戦闘員。
左。
ヴェラを中心とした。
少数部隊。
右。
《女神の加護》。
精鋭戦闘ユニット。
中央。
予備戦力。
そして。
ハンニバル。
◇
――ハンニバルさん。
「はい」
――前には入らない?
「最初は」
――なぜ?
ハンニバルが。
正面。
右。
左。
三方向を見る。
「最初から一か所にいると」
大盾を。
地面へ置いた。
「そこしか守れないんで」
◇
レオンは。
戦闘部隊ではない。
物流。
今日も。
その位置は。
後ろだった。
「レオン」
「はい」
「水、すぐ出せるようにしろ」
「はい」
「医療箱の上に荷物置くなよ」
「置いてません」
「確認したか?」
「……します」
「しろ」
「はい」
前では。
戦闘準備。
後ろでは。
帰るための準備。
同時に。
進んでいた。
◇
午前十時三十七分。
パウエルが。
剣を抜いた。
「始める」
◇
ヴェラと。
精鋭の斥候。
二人が。
前へ出る。
そして。
戻ってくる。
その後ろから。
声。
甲高い。
いくつもの。
叫び声。
「来るぞ!」
◇
最初に。
飛んできたのは。
ゴブリンではなかった。
「上!」
石。
ハンスが。
盾を上げる。
ガンッ。
一つ。
続けて。
二つ。
三つ。
五つ。
十。
盾。
兜。
壁。
地面。
石が。
次々とぶつかる。
「顔上げるな!」
ハンスが叫ぶ。
その石の向こうから。
ゴブリンが来た。
棍棒。
粗末な槍。
錆びた刃物。
「正面!」
最初の一体が。
ハンスの盾へ。
ぶつかる。
「っ!」
止める。
二体目。
三体目。
「押せ!」
ウルフの前衛が。
盾の横から出る。
一体。
倒す。
「左!」
ヴェラ。
横穴から出た二体を。
狭い場所で止める。
「セリア!」
「まだ!」
セリアは。
魔術を撃たない。
前に。
味方がいる。
◇
十数体。
最初の群れが。
倒れた。
「次!」
パウエル。
すぐに。
また。
声が聞こえた。
◇
第二波。
今度は。
数が多い。
「石!」
盾が上がる。
その下へ。
槍。
「下!」
ハンスが。
盾を傾けた。
穂先が。
兜の横を擦る。
「ハンス!」
「大丈夫!」
盾へ。
一体が。
しがみついた。
「離れろ!」
振る。
だが。
その後ろから。
さらに。
二体。
三体。
後ろのゴブリンが。
前の個体を。
押している。
「押されるぞ!」
ハンスの足が。
半歩。
下がった。
◇
倒れた。
ゴブリンを。
次のゴブリンが。
踏む。
血。
泥。
死骸。
戦場の。
足場そのものが。
変わり始めていた。
◇
「三歩下げて!」
セリア。
パウエルが。
すぐに反応した。
「正面! 三歩下がれ!」
「下がるぞ!」
ハンス。
一歩。
二歩。
三歩。
ゴブリンが。
空いた場所へ。
なだれ込む。
「今!」
セリア。
魔術が。
地面を走った。
炎。
横へ。
広がる。
ゴブリンの群れが。
二つに割れた。
「右!」
パウエル。
前衛が。
割れた一方へ。
入る。
◇
「……」
レオンが。
見ている。
前衛。
ずっと。
憧れていた場所。
だが。
想像していた景色とは。
少し。
違った。
◇
格好よく。
剣を振るう。
だけではない。
息を切らす。
腕を振る。
血で滑る。
盾を持ち直す。
折れた武器を。
後ろへ放る。
「予備!」
「槍!」
後方から。
新しい槍が。
前へ渡る。
「水!」
レオンが。
水筒を掴む。
「これ!」
前から伸びた手へ。
渡す。
空になった水筒が。
戻ってくる。
また。
次を出す。
◇
前衛は。
前衛だけでは。
戦っていなかった。
◇
午前十一時十二分。
戦闘開始から。
三十五分。
「……減ってない」
レオンが。
小さく呟いた。
「何が」
エドガー。
「ゴブリン」
奥を見る。
「こんなに倒してるのに」
また。
影が出てくる。
「減ってない」
◇
十二体なら。
二分十一秒だった。
だが。
二十四体なら。
その倍の時間で終わる。
そうはならない。
人は。
疲れる。
魔力は。
減る。
武器は。
傷む。
足場は。
悪くなる。
負傷者が出れば。
人を下げなければならない。
そして。
敵は。
その間。
待ってはくれない。
◇
「右!」
声。
《女神の加護》。
精鋭ユニット。
盾役が。
前へ。
二体。
受ける。
前衛。
左右。
魔術。
後ろ。
「一人下げる!」
「了解!」
「穴、埋める!」
「入った!」
短い言葉。
配置が変わる。
誰かが抜ければ。
誰かが入る。
一人。
負傷。
治療役へ。
だが。
六人の形は。
崩れない。
◇
一方。
左。
「待て!」
精鋭の前衛が。
一歩。
奥へ入ろうとした。
「そこ駄目!」
ヴェラ。
「床、薄い!」
前衛が。
即座に止まる。
「二歩左!」
「了解!」
移動。
その直後。
ゴブリンが踏んだ床が。
崩れた。
「……危な」
「後で!」
ヴェラが。
次を見る。
◇
《女神の加護》は。
強い。
だが。
この場所を。
知らない。
《リレントレス・ウルフ》は。
大規模戦闘の経験で。
大手に及ばない。
だが。
この道を。
知っている。
◇
同じギルドではない。
同じ訓練を。
受けてきたわけでもない。
それでも。
戦いながら。
互いの足りない部分を。
埋め始めていた。
◇
「抜けた!」
突然。
声が上がった。
右。
三体。
いや。
四体。
ゴブリンが。
戦列の脇を。
抜けた。
向かう先。
物流。
「……!」
レオンが。
腰の剣へ。
手を伸ばした。
「レオン!」
エドガー。
「荷物下げろ!」
「でも!」
「通路空けろ!」
「……!」
レオンが。
剣から。
手を離した。
「洞ラバ! 下げます!」
手綱を取る。
「下がれ!」
荷物を。
壁際へ。
寄せる。
人が通れる。
幅ができる。
「空いた!」
後方にいた。
戦闘員二人が。
そこへ入った。
一体。
止める。
二体目。
盾。
三体目。
ヴェラが。
横から戻ってくる。
「こっち!」
四体。
物流まで。
届かなかった。
◇
「……」
レオンが。
剣を見る。
抜かなかった。
◇
――レオンさん。
「はい」
――剣に手をかけました。
「……はい」
――でも、抜かなかった。
「エドガーさんに言われたんで」
――戦いたかった?
「そりゃ」
少し。
黙る。
「……でも」
――でも?
「俺があそこに立ってたら」
考える。
「後ろの人」
「入れなかったんですよね」
――何もしなかった?
「……」
レオンが。
少し考えた。
「荷物、下げました」
――はい。
「道、空けました」
――はい。
「……じゃあ」
小さく。
笑った。
「何もしてないわけじゃないですね」
◇
数日前。
レオンは。
命令を聞かず。
仲間の元へ。
逆走した。
この日。
剣を抜かなかった。
それもまた。
彼が。
覚え始めた仕事だった。
◇
午前十一時三十六分。
正面。
「ハンス!」
パウエル。
「まだ行ける!」
ハンスの。
呼吸が荒い。
盾を持つ腕が。
下がっている。
それでも。
前を見る。
石。
盾。
槍。
受ける。
棍棒。
弾く。
一体。
二体。
三体。
止める。
「ぐっ……!」
盾に。
何体ものゴブリンが。
ぶつかった。
靴が。
血の上を。
滑る。
「ハンス!」
「大丈夫!」
その時。
「負傷!」
横。
ウルフの戦闘員。
太腿。
血。
「下げろ!」
パウエル。
二人が。
負傷者へ。
手を伸ばす。
だが。
その二人が抜ければ。
正面に。
穴が開く。
◇
戦線が。
初めて。
大きく。
歪んだ。
◇
「中央、補強!」
パウエルが叫ぶ。
その声に。
一人の男が。
動いた。
◇
「ハンス」
ハンニバル。
「まだ行ける!」
ハンスが。
盾を構えたまま。
答える。
「知ってる」
ハンニバルが。
横へ立つ。
「だから」
大盾を。
前へ。
「今、下がって」
「……」
「交代」
ハンスが。
一瞬だけ。
ハンニバルを見る。
そして。
一歩。
下がった。
同時に。
ハンニバルが。
一歩。
前へ出た。
◇
ゴブリン。
五体。
一斉に。
大盾へ。
ぶつかった。
轟音。
「……っ」
ハンニバルの。
身体が。
後ろへ押される。
靴が。
地面を滑った。
一歩。
半歩。
止まる。
上から。
石。
正面。
槍。
棍棒。
大盾に。
次々と。
衝撃が走る。
◇
ハンニバルは。
無傷ではない。
昨日。
二十三階層で。
右肩を痛めている。
「……っ」
盾へ。
槍が当たるたび。
顔が歪む。
それでも。
下がらない。
◇
「右、二歩下げて!」
ハンニバル。
ウルフの前衛が。
二歩。
下がる。
「左、そのまま!」
大盾を。
斜めにする。
押していた。
ゴブリンの群れが。
盾に沿って。
横へ流れた。
「セリア!」
「見えてる!」
そこに。
射線ができた。
魔術。
炎。
ゴブリンの。
進路が切れる。
「前!」
パウエル。
ウルフの前衛が。
入る。
精鋭ユニットも。
反対側から。
押す。
◇
「……」
レオンが。
見ている。
ハンニバルは。
敵陣へ。
突っ込まない。
一人で。
何十体も。
倒さない。
ただ。
そこに。
盾を置いている。
なのに。
「……何が変わった?」
レオンが。
呟いた。
エドガーが。
前を見る。
「道ができた」
「道?」
「見ろ」
◇
負傷者が。
下がってくる。
その横を。
交代の戦闘員が。
前へ行く。
水。
武器。
医療。
人。
全部が。
再び。
動き始めていた。
◇
ハンニバルが。
止めていたのは。
ゴブリンだけではない。
戦線が。
崩れること。
人の流れが。
止まること。
負傷者が。
取り残されること。
その全てを。
一枚の盾で。
押し留めていた。
◇
午後零時十二分。
「右、交代!」
「了解!」
「負傷者先!」
「通せ!」
「急がなくていい!」
「順番に下がれ!」
「左、一歩!」
「そこ開けて!」
ハンニバルの声が。
戦場を飛ぶ。
倒せ。
殺せ。
進め。
その言葉を。
彼は。
ほとんど使わなかった。
◇
崩れそうな場所へ。
移る。
盾を置く。
人を下げる。
戦列を戻す。
また。
別の場所へ。
◇
この日。
ハンニバルが倒した。
ゴブリンの数は。
最も多くない。
だが。
彼が立った場所から。
誰も。
取り残されなかった。
◇
午後零時四十八分。
ゴブリンの勢いが。
初めて。
弱くなった。
「奥へ逃げる!」
ヴェラ。
数体。
十数体。
巣のさらに奥へ。
逃げていく。
「追うか!?」
戦闘員。
「追うな!」
パウエル。
即答だった。
「でも!」
「目的は殲滅じゃない!」
ハンニバルも。
奥を見る。
「行かなくていい」
盾を。
下ろした。
「ここは取れてます」
◇
魔晶樹までの。
輸送路。
その確保。
それが。
この日の目的だった。
◇
午後一時七分。
戦闘終了。
環境整備員が。
前へ出た。
ここから。
彼らの仕事が始まる。
死骸。
巣。
糞。
食料の残骸。
崩れた柵。
危険な横穴。
戦闘員達が。
座り込む横を。
鋸。
斧。
荷車。
消毒薬が。
前へ運ばれていく。
◇
戦いが終わった。
だから。
道を。
仕事へ戻す。
◇
午後一時二十二分。
暫定集計。
確認された。
ゴブリン。
二百体前後。
討伐数。
百四十体以上。
残存数。
不明。
負傷者。
複数。
死亡者。
ゼロ。
◇
――パウエルさん。
「はい」
――今日、一番重要な数字は?
「ゼロです」
――討伐数ではなく?
「死人」
即答だった。
「それがゼロ」
――百四十体以上を討伐しています。
「それは」
パウエルが。
環境整備が始まった。
通路を見る。
「帰ってから数えればいいです」
◇
――ハンスさん。
「はい」
盾を持っていた。
左腕には。
冷却用の布が巻かれている。
――ハンニバルさんが入って、何が変わったんですか?
「全部ですね」
――全部?
「……説明しづらいな」
ハンスが。
少し考える。
「俺は」
自分の盾を見る。
「来た攻撃を止めてるんです」
――はい。
「あの人は」
離れた場所にいる。
ハンニバルを見る。
「来る場所を決めてる」
――決める?
「盾で押してるように見えるでしょう」
――そう見えました。
「違うんです」
ハンスが。
首を振った。
「敵を」
「俺達が処理しやすい場所へ流してる」
――それが《女神の盾》?
「……」
ハンスが。
少し笑った。
「俺に聞かないでくださいよ」
◇
――ハンニバルさん。
「はい」
大盾。
いくつもの。
新しい傷が増えている。
――《女神の盾》と呼ばれる理由が、少し分かった気がします。
「そうですか?」
――仲間を守るから?
「……」
ハンニバルが。
少し考える。
「守れてるなら」
盾を見る。
「それでいいです」
――英雄とは、何ですか?
「知らないですよ」
――ハンニバルさんは英雄です。
「そう呼ばれてるだけです」
――では、今日。
――何をしていたんですか?
「今日?」
――はい。
ハンニバルが。
周囲を見る。
負傷者。
医療。
死骸を運ぶ。
環境整備員。
荷物をまとめる。
ポーター。
そして。
少し離れたところで。
エドガーに怒られながら。
荷物を運ぶ。
レオン。
ハンニバルが。
笑った。
「仕事ですよ」
◇
――レオンさん。
「はい」
――ハンニバルさん。
――どうでした?
「凄かったです」
――何体倒した?
「……」
レオンが。
考える。
「分かんないです」
――そこじゃない?
「……はい」
少し。
黙る。
「俺」
――はい。
「英雄って」
前を見る。
「一番強い人だと思ってました」
――違った?
「強いですよ」
すぐに。
答えた。
「めちゃくちゃ強いです」
――では?
「でも」
少し。
考える。
「一番」
ハンニバルを見る。
「周り見てた気がします」
◇
前衛になりたい。
十九歳。
レオン。
その気持ちは。
今も。
変わっていない。
ただ。
前しか。
見えていなかったことに。
この日。
初めて。
気付いた。
◇
午後二時十一分。
撤収準備。
「相変わらずだな」
ハンニバル。
エドガーが。
荷物を固定しながら。
振り返る。
「何が」
「帰り」
ハンニバルが。
洞ラバ。
負傷者。
荷物。
並び始めた隊列を見る。
「綺麗だった」
「俺は運んでただけだよ」
「それが」
ハンニバルが。
少し笑う。
「一番面倒なんだろ」
「……」
エドガーは。
答えなかった。
少し離れた場所で。
レオンが。
二人を見ていた。
◇
英雄になった男。
前線を離れた男。
そして。
前線を目指す。
十九歳。
同じ戦場を見て。
三人が。
見ているものは。
少しずつ。
違う。
◇
《リレントレス・ウルフ》。
創設三年目。
七月二十二日。
初めての。
大規模共同討伐。
死亡者。
ゼロ。




