ここはどこなの?
鮎川詩織は、冬が好きだ。
呼吸するたびに肺を貫くような鋭い冷たさも、しんとした静けさも、雪が積もっていて歩きにくい道路も――何もかもが好きだ。
雪に埋もれた自分の町は、余計な色がなくてシンプルに見える。
一年中、ずっと冬ならいいのに。
極端だけれど、詩織はそう思う。
「ほらほら、お母さんお父さん! 行くよー!」
玄関の扉を開けて、準備が遅い両親に声をかけた。
居間にいる二人から「はいはい、ちょっと待っててね」と返事が返ってきた。
今日は一月一日。
時刻は午前0時を過ぎたところだ。いつもは早く寝なさいと叱ってくるお父さんもお母さんも、この日だけは夜更かしを許してくれる。
しかも、これから初詣に行くのだ。
青色の耐水性コートに、白い耳当て、もふもふの手袋をはめて外に出る。
ちらちらと雪が降っていた。キレイだなーと、初雪に初感動した。初外出でつまずいて、初転びをしてしまう。
詩織は心の中で、なんにでも『初』という言葉をつけて、一人楽しんでいた。
内向的な性格で、他人と話すことは苦手だけど、ちょっとした楽しみを見つけることは得意だ――詩織は自分のことをそう思っている。
できればいつも笑顔でいたい。
あと三か月もすれば中学生になるけれど、こういった些細なことで笑わなくなってしまうのかな。
それとも、どれだけ年齢が上がっても自分はずっとこんな感じの性格なのかな、なんて考える。
「ごめんごめん。お待たせ」
支度のできたお父さんとお母さんが、玄関から出てきた。
両親に挟まれる形で並び、近くの神社に向かう。
白く埋もれる町の真ん中にあって、神社だけは活気づいていた。
立ち並ぶ屋台にはたくさんの人が並び、鼻やほっぺたを赤くしながら、寒いねと笑い合っている。
夏祭りのように下駄の音も虫の声も聞こえないけれど、集まった人たちの体温が感じ取れるような、ほのかな熱気が漂っている。
「ねえ、なんか買おうよ! クレープとタコ焼き買おう!」
「お参りしてからな」
詩織がせがむと、お父さんがそう答えた。
「深夜に食べると太るよ」
お母さんがぼそっと言った。
詩織は聞こえないフリをしたけど、結局笑ってしまった。
鳥居の近くでは、ごうごうと焚火が燃え上がっている。
暖を求める人が集まり、火に向かって両手をかざしている。
オレンジ色の光が積もる雪に映えていて、誘蛾灯に引き寄せられる虫の気持ちが少しだけわかった。
ああ、キレイだな。スマホを持ってくればよかった。
クラスメイトが焚火に当たっているのが見えたので、詩織は少し顔をうつむかせた。
焚火を素通りして、お手水に向かう。
まずは手袋を外して、口と手を洗った。肌を切るような冷たさに、思わず悲鳴を上げそうになった。
その後、お父さんお母さんと三人で鳥居をくぐって、お参りをするための列に並んだ。
今年は何を願おうかな。
やっぱり、友達が欲しいです、とか?
詩織はどうしても集団に馴染めない。
いじめられているわけじゃないけど、特に親しい友人もいない。
他人と仲良くなる方法がわからないのだ。
一匹オオカミでもいいやと思えるほど強くないし、一人でいたいわけでもない。
ただ、友達が欲しい。それがどうしようもなく難しい。
考えていると、急に風が吹いた。いや、風というよりも突風だ。
雪が舞い上がって猛吹雪となり、辺り一面を覆い隠したのだ。
とっさに両親の腕をつかもうとしたけれど、無理だった。
「お父さん? お母さん?」
吹きつける雪から守るために、右手を顔の前で広げた。残った左手をレーダーのように振り回したけど、両親どころか誰ともぶつからない。
おかしい、前後に人が並んでいたはずなのに。
しばらく耐えていると、始まったときと同じように、唐突に猛吹雪が止んだ。
顔の前で広げていた右手をゆっくりと下げていく。
しっかり見る前から、何かがおかしいと頭の中が危険信号を発している。
音が聞こえてこない。他の人のささやき声や笑い声がまったくない。
視界が開けてきたので、詩織はぐるりと辺りを見回した。
焚火の炎も、屋台の光も見えない。鳥居も神社もないし、お父さんもお母さんもいない。
それどころか人っ子一人、見当たらない。
――生き物の気配がまったくない。
常緑樹の杉や檜、赤松が、合わせ鏡のように四方八方どこまでも続いている。
無味乾燥な樹木の牢獄――いや、降り積もる雪とあわせて、雪林の牢獄だ。
見上げると、樹木の枝が重なって空にふたをしていた。
枝は雪の重みで垂れ下がり、まるで疲れ果てた人のよう。
そんな枝と枝の間を縫うように、筋となった夜光が降り注いでいる。
この明るさからしてたぶん満月かな。
積もる雪が月光を反射していて、部分的に青白く輝いている。
私は夢でも見ているの?
詩織はまずそう考えた。
ベタだけど、頬をつねったり引っ張ったりしてみる。痛いだけで何の成果もなく終わった。
「誰かいませんかぁ……?」
小さく声を出してみたけど、これじゃあ一メートル先の人にだって聞こえない。
今は恥ずかしがっている場合じゃない!
「誰か! いませんかー!?」
次は大きな声を出してみた。
詩織がお腹の底から絞り出したせいいっぱいの声は、それでも積もる雪に飲まれて、あっという間に消えてしまった。
雪は音を吸収する。
その後も何回か大声を出してみたけど、なんの反応もない。
喉に冷たい空気が張りついて、けほけほと咳をしてしまった。
途方にくれてその場にしゃがみこみたかったけど、雪が積もっているからそれもできない。
カカシのように突っ立ったまま、頭を抱えるしかない。
……こういうときって、どうすればいいんだっけ。
山で遭難した場合は、登るか、その場で救助を待っていた方がいいけれど。
でもここはどこなの?
さっきまで詩織がいた神社じゃない。
オズの魔法使いのように、突風で異世界に連れてこられてしまったみたい。
いやいや。『みたい』じゃない。
ここは本当に異世界かも。
そうでなければ、いきなりこんな場所に迷い込んでしまったことの説明がつかない。
もしここが本当に異世界なら、この場で救助を待っていても無意味だ。
かといってどこに行けばいいの?
東西南北、道はない。
闇雲に動いても、雪に囚われ、土の養分となるだけだ。
動かなくても同じ結末だろうけど。
詩織はそこまで考えて、あまりの恐怖に背筋が震えた。
「あれ? 寒い……」
さっきまでは感じていなかった寒さが、するすると体の中を駆けめぐる。
厚手のコートが何の意味もなかった。
どさり、と音がした。
「誰?」
音のした方に視線を向けた。
少し先で、雪がこんもりと山盛りになっている。そこから何本か、茶色い枝が突き出ているのが見えた。
どうやらあの辺りの枝が雪の重みに耐えきれなくなり、枝葉ごと雪を落としたらしい。
なんだよ、こんなことで驚かせて。
もう一度、どさりと音がした。
「まったくさあ。止めてよね――」
独りごとを言いながら、音のした方に視線を向ける。何かがいた。




