謎の男
鋭いアイスウルフの牙。
魔物に食い散らかされて、死ぬのか。
「……!!」
フォリアは目を閉じ、唇を噛み、体に力を入れていたが、その牙が身体に刺さることはなかった。代わりに、生暖かい液体が降り注ぐ。
疑問に思い、目をゆっくりと開けようとしたその瞬間だ。凄まじい轟音が響いた。
「!!」
そして、頭上に感じる龍力。
それだけで、押しつぶされてしまいそうなプレッシャーだ。
(何が起きてるの!!??)
そのプレッシャーに耐えきれず、フォリアは頭を抱え、うずくまる。
聞こえるのは、何か光線を放つような音。
そして、魔物の悲痛そうな叫び。どさどさと何かが倒れていく音。
永遠に続くと思われた「攻撃」も、段々と収束していく。
音が小さくなり、頭上の凄まじい龍力も段々と小さくなってくる。
時間にして数秒。しかし、渦中の彼女にとって、相当長い時間であった。
その間、ずっとうずくまり、震えていた。
「はぁ……はぁ……」
全力疾走でもしたかのように肩で息をし、フォリアはゆっくりと頭を上げる。
「嘘……でしょ!?」
衝撃だった。
そこで見たのは、あれだけいた魔物が全て倒されているという、信じられない状況だった。
そこら中から、血と肉が焼け焦げた臭いが発せられている。そして、臭いの発生源であろう魔物は、漏れなく煙を上げて転がっている。これは、炎龍の力だろうか?
先程自分に降りかかった生暖かい液体は、アイスウルフの血液である。
「どう……なってる……の……?」
目視で確認できる範囲では、動ける魔物は存在していなかった。
フォリアは、ゆっくりと立ち上がる。膝が震えているが、なんとか立てる。
と、突然、背後から声を掛けられた。
「……無事か?」
「!!」
彼女は慌てて飛び上がり、剣を握るために腰に手を置く。しかし、剣がないことに気づき、表情を曇らせる。
(吹き飛ばされたんだった……!)
呼吸を整え、両手を頭上にゆっくり上げる。そして、目線もそちらに移す。
「何してんだ?お前……」
「え……」
フォリアが見たのは、前髪一部だけ垂らし、あとはバックに流している男。
額には鉢巻。年齢は若いと思うが、団長よりは少し上かな?と思う。
服装は厚手のコート。雪国だし、当然か。
……この男が、やったのだろうか。
「別にテメェをやろうとは思ってねぇよ」
「え……」
目の前の女性がなぜ、手を挙げたまま固まっているのか理解したようだった。
それを聞き、フォリアはゆっくりと手を下ろす。
彼女の警戒心が解けたのを確認した後、その男は魔物の死体の海を眺める。
「……全く……すげぇな」
「…………?」
少しだけ男の言葉に引っかかりを覚えるフォリア。
今の「すげぇな」は、魔物の数に対して?それとも、短期間に「これ」が起こったから?イマイチ流れが分からない。
だが、言及できる立場ではない。目の前にいる彼が、バージルたちが動いている理由である可能性だってあるのだ。
初回の群れを鎮圧したであろう、超強力な龍力者。
「それ、魔物の血か?テメェのじゃないよな」
「えぇ……ありがとう……」
へた、とフォリアは腰を下ろした。安心で、全身の力が抜ける。
改めてその男を見る。今は非龍力状態だが、威圧感を感じる。
先ほどの凄まじい龍力により、そっちに意識が引っ張られていることも考えられるが。
「一人か?」
「いや、騎士団の皆が……」
騎士団、という言葉に、男の手が止まる。
「……騎士団だと?まさか、お前もか?」
『お前もか?』の時、その威圧感が増した。
「は……いや、いいえ……ちょっとあって、『個人的』に一緒に居る状態です……」
嫌悪感からかは分からないが、下手に騎士団関係者と名乗るのは命を縮めると瞬時に判断したフォリア。誤魔化せたかは不明だが、半分嘘の半分本当を伝えた。
「……そうか」
男は自分から視線を反らす。
威圧感が少しだけ小さくなる。どうやら、許されたらしい。
(今の威圧感……何者なの?)
明らかな威圧感の上昇。
警戒はしているのか、それが下がった状態でも、身体が緊張している。
本能的に、身体が「これ以上関わるな」と警戒信号を送っているのだ。
「アタシはフォリアです。あの、アナタは?」
「……………レユーズ。ただの通りすがりだ」
名前を聞いただけなのに、長かった沈黙。
やはり、普通の龍力者ではない。レユーズという名前も、本名かどうか怪しいレベル。
「……そう……ですか……」
気になる。しかし、偽名かどうか判断なんて、彼女にはできない。
しかも、もう一度名前を聞くのも、難しい。
何か言おうと口を開くが、言葉が出てこない。
それに気づいたのか、レユーズは重ねて言う。
「……これ以上関わらねぇ方が身のためだぜ。フォリアちゃんよ。オレとテメェじゃ、文字通り、『世界』がちげぇ」
声色が変わり、重々しい雰囲気になる。
彼の言う『世界』とは、どういう意味なのか。狭い『世界』で生きてきたフォリアには、想像がつかない。
と、レユーズの背後から口笛のような音が聞こえた。
「……そろそろ行くか。ここで見聞きしたことは忘れな。知らねぇ方が幸せなこともある」
レユーズはそう言い残し、場を去ろうとする。
「待って!皆が雪の下なの!全部忘れるから、皆を助けてください!!」
男は足を止め、振り返る。
その顔は、「本当だろうな?」と見定めるように厳しかった。
「……!」
まともにその顔を見てしまい、背筋に寒気を走らせるフォリア。
「……五人……か」
そして、数秒の沈黙の後、男は人差し指を何回か動かした。そしてすぐ、背後から音がする。
「!!」
振り返ると、雪に埋もれていたはずの五人が雪の上に転がっていたのだ。
埋もれていたであろう穴も開いている。
遠目から、しかも触れずに救出したのか。こちらは数も言っていないのに、全員を。
「ありがとう……!!約束するから……!!」
レユーズに礼を言いながら振り返るが、男はもう居なかった。
足跡を少し辿ってみるが、あるところでパッタリとそれが消えていた。
最後の足跡は、雪が少し沈んでいる。跳躍した跡だろうか。
「…………?」
フォリアは空を見上げるが、人影は見えない。
何とも、不思議な時間だった。
(でも、夢じゃないのよね)
緊張の嵐だったが、いざ終わってみれば、最高のスパイスとなっている。
(ありがとう。レユーズ。最ッ高な時間だったわ)
フォリアは興奮で身震いしながらも、皆を起こすために駆け寄るのだった。




