番外編 ダニエルの物語 その1
*エステルの弟と婚約者の物語です。予定より大分長くなってしまいました。読んで頂けたら嬉しいです!
ダニエルは自分の母親が大嫌いだった。
子供は産んだだけで世話は乳母に任せっきり。永遠に男を惹きつける魅力的な女でありたいと関心を寄せるのは美容とドレスと・・・せいぜい美食くらいか。
しかし、それが『女が大嫌い』につながらなかったのは姉のエステルのおかげだ。
エステルは六歳年下の弟であるダニエルのことを愛情深く面倒みてくれた。
お妃教育で忙しい毎日を送っていたが、まめな彼女はダニエルの食事の世話を焼き、彼に勉強などもよく教えていたのである。
彼女の真面目で清廉な生活を見ているだけで、女が皆、母親のようではないと信じることが出来た。
***
リオンヌ公爵家では早い段階で子供達の婚約者を決める。本人の意向は関係なく、家にとって役に立つという視点のみを重視した縁談である。
長兄のパスカルは同じ派閥の侯爵家の令嬢と婚約し、エステルは王太子の婚約者になった。
だから、父親から『お前のために婚約者を決めてきてやったぞ』と言われた時、ダニエルは期待と不安で胸がドキドキした。
(典型的な政略結婚だろうけど・・・どんな女の子だろう?)
正直言うと期待一割、不安九割といった感じか。
この父親がまともな縁談を決めてくる訳がない。エステルと王太子の婚約を見ているだけで憂鬱になる。
しかし、嫌だと駄々をこねることはない。姉だって望まない婚約者のために頑張っているんだ。
縁談の相手がテニソン伯爵令嬢だと伝えられると、その場に居たパスカルが「順当だな」と宣った。
自分の婚約者よりも家格が下の令嬢はダニエルに相応しいと笑う兄は、まだ十代の癖に利にさといというか、世故に長けていた。良くも悪くも父親に似た性格である。
どうせダニエルには理解できないだろう、と父親と兄は縁談の理由について赤裸々に話し合っている。
どうやら、テニソン伯爵は派閥に入らず中立を貫いているらしく、中立派を自分の陣営に引き入れるための縁談らしい。
ダニエルは八歳だが聡い子供だ。
政略結婚の理由を聞いても動じない覚悟はできている。しかし、シャーロットという相手の令嬢がまだ六歳と聞いて文句を言いたくなった。
(そんな小さい内に将来の結婚相手を決めちまう親ってなんだよ)
それが貴族の常識と言われたらそれまでだが、まだ六歳なら将来の結婚相手に夢を描く年頃だろう。その夢を幻滅させてしまうのが申し訳なく思ったのだ。
だが、そんなダニエルの気持ちを忖度する父親ではない。翌週、ふんぞり返る父親に連れられて行った先はテニソン伯爵家だった。
(テニソン伯爵といえば・・・あれ?何か噂を聞いたことがあったような・・・?)
ダニエルも友人達から噂話を聞くことがある。大抵はどこの令嬢が綺麗だとかそんな程度の話だが、テニソン伯爵家の令嬢もそんな風に口の端に上ったのだろうか?
**
伯爵家では当主のテニソン伯爵が直々に迎えてくれた。思っていたよりも高齢で驚いたが、夫人と死別して一人で娘を育てているという。
この人に六歳の子供がいるんだろうか? という疑問はさすがに失礼なので飲み込んで、表情を引き締めた。
「ようこそお越し下さいました。公爵閣下」
慇懃に迎え入れつつ、テニソン伯爵の表情は硬い。
(あまり歓迎されてないみたいだな)
内心そう思いながらも表面上はにこやかに挨拶をするダニエルに、父親は居丈高に言い放った。
「ダニエル。儂は伯爵と大切な仕事の話がある。お前はシャーロット嬢に挨拶をしてこい」
誰の屋敷なんだ? 厚かましい、と思いつつダニエルは反駁した。
「いきなり知らない男が会いに行ったら驚かせてしまうでしょう。失礼ですよ!」
語気を強めて言うと、会話を聞いていた伯爵が意外そうにダニエルの顔をまじまじと見つめた。
「閣下、本日のご訪問の目的は娘とご令息の顔合わせでございます。仕事のお話はまた別な機会にお願いできますでしょうか?」
テニソン伯爵は腰を低くして懇願している。
傲岸不遜な父親は面白くなさそうに伯爵をジロリと眺めた。
「では、儂がここに来た意味がない。帰る!ダニエル。お前は適当に帰って来い」
本当にダニエルを置いて帰ってしまった。
***
伯爵は恐縮して困惑しているようだ。
「父が無礼な態度で大変申し訳ありません」
ダニエルが頭を下げると、伯爵は驚きを露わにして呟いた。
「ダニエル様は・・・お父上とあまり似ていらっしゃいませんね」
「それは僕にとっては褒め言葉ですね。ありがとうございます」
思わず、というように伯爵が噴き出した。
「まぁ、少し二人で話をしよう」
ダニエルは伯爵の後について歩き出した。
応接室でお茶を飲みながら聞いた話によると、シャーロット嬢は伯爵の娘の子供。つまり、孫にあたるそうだ。
伯爵の娘は若い頃、平民と恋に落ちた。保守的な伯爵はそれを許すことができず、結局二人は駆け落ちしてしまったのだ。書置きに実は身ごもっていたと記されており、伯爵は慚愧の念に泣き崩れた。
一人娘を溺愛していた伯爵は必死で二人の行方を捜したが何年も見つけることができなかった。
数年後、ようやく見つけたのは二人の墓だった。若い二人は慎ましくも幸せな生活を送っていたが、事故で亡くなってしまったという。
彼らには赤ん坊だった娘がいて孤児院に引き取られたと聞き、伯爵は息せき切って孤児院を訪ねた。娘はもう三歳になっていた。
その娘がシャーロットだが、彼女は孤児院で酷い扱いを受けていたらしい。栄養不足で痩せ細り、体中傷や痣だらけだったという。
伯爵はすぐにシャーロットを引き取り、正式に養女にした。
シャーロットは伯爵の娘に瓜二つで、諜報の情報からも孫であると確信していたが、うるさい親族が『孫なんかじゃない!偽者だ!』などと騒ぎ出したために、問答無用で正式な養女にしたのだ。
しかし、シャーロットは心を閉ざしてしまっていた。まったく口を開かず、常に無表情で感情を見せることがない。人形のように一日中黙って座っているだけだ。
「私はもう年だ。シャーロットを一生面倒みてくれるような頼りになる婚約者を探していた。・・・が、彼女の様子を知って婚約に同意するような貴族はいなかった。リオンヌ公爵はそんな弱みをついて近づいてきたんだ。ダニエル君が婿養子になりテニソン伯爵家を継げば、ここはリオンヌ公爵の派閥に入る。中立派を自陣に引き入れることが彼の目的だ」
口惜しそうに伯爵は拳を握りしめた。
「そんな政治的な理由のためにシャーロットを結婚させたくはなかった。だから断るつもりだったんだ。だが・・・先週、私は君の姉君、エステル嬢にお会いしてね。王宮で助けて頂いたんだ」
思いがけない名前が出てきてダニエルは純粋に驚いた。
「姉上が?」
「ああ、貴族の子女は五歳になったら王宮で女王陛下のお目通りを願うという慣習がある。シャーロットは事情が事情なので待ってもらっていたが、もう六歳だ。先週王宮に連れて行ったんだが、はぐれてしまってね。知らない場所で怖くなって隠れていたらしい。困っていたところ、エステル嬢がシャーロットを見つけて連れてきてくれた」
「ああ、姉上は毎日のように王宮に行くので、よく迷子を見つけると言っていました」
「そうらしいな。女王陛下が『またか!』と仰っていた」
ダニエルが頷くと伯爵は言葉を続けた。
「シャーロットは誰とも・・・私ともほとんど口をきかないし、誰かに懐いたことなんてないんだが、エステル嬢のドレスの裾を離そうとしなかった。だから、陛下との謁見の時も一緒に付いてきてくれて、シャーロットをさりげなく庇って恥をかかないようにしてくれたんだ。さすが王太子の婚約者でいらっしゃると感心した。とても、あの公爵の娘とはとても思えない・・・っあっ、失礼した」
「いえ、僕も全く同感ですよ」
ダニエルが苦笑いを浮かべると、伯爵がこの日初めて明るい笑顔を見せた。
「エステル嬢と話をした時に、君のことを大層褒めていた。自慢の弟だと誇らしげに胸を張っていたよ。その姿がとても印象的でね。だから、婚約の前に君に一度会ってみたかったんだ。エステル嬢の人を見る目は確かなようだね」
優しい微笑みを向けられて、ダニエルはお尻がむず痒くなった。あまり褒められ慣れていない。
しかし、次に問われた質問にダニエルの顔は真剣になった。
「君は、仮にシャーロットと結婚してテニソン伯爵家を継いだ場合、リオンヌ公爵の派閥に入るつもりかい?」
「いえ、僕は派閥とか好みませんし、父とも気が合いません。だから・・・入らないと思いますね。父がどう思っているかは分かりませんが」
正直に言うと伯爵は嬉しそうに何度も頷いた。
「ダニエル君、君はシャーロットとの婚約をどう考えている?もし、結婚して彼女を生涯守ってくれるなら、君のために出来る限り力を尽くそう。何なら他に側室を持ってもらっても構わない。シャーロットはいずれにせよ妻としての役割は果たせないだろう。だから・・・」
不穏なことを言いかけた伯爵をダニエルは思わず睨みつけてしまった。
「・・・愚かなことを言わないで下さい。僕は側室なんて持つつもりはありません。それよりもお嬢さんが幸せに暮らすために、彼女が好きになれる人を探す方が先決じゃないですか?僕は・・・幼い頃から政略結婚をする覚悟はできていました。それでも、縁があって結婚するからには妻になる人を裏切らないようにしようと思ってきたんです。でも、お嬢さんは違う。恋をして結婚できるかもしれないじゃないですか?どうか、結婚を彼女の生活保障のように考えないで下さい!」
大人相手に随分エラそうなことを言ってしまったとダニエルはすぐに後悔した。
「申し訳ありません。失礼な言い方をしてしまいました」
ダニエルは頭を下げる。
「いや。君が言っていることは正しい。ただ・・・シャーロットに恋をすることができるかどうか、私は疑問に思う。一度彼女に会ってみてくれるかい?」
真剣な顔で問われてダニエルはゴクリと喉を鳴らした。




