その4 新しい生活:前編
セシリアに用意された部屋は、オリヴェルが言っていたようにシンプルな部屋だった。
しかし、二階の角部屋で、日当りはとてもいい。窓辺に座ってお昼寝をするには、ちょうどいい部屋だなとセシリアが思ってしまっていたのは、いつもそんな生活をしていたから。
「業者の手配はしたから、明日にはある程度整うよ。ちょっと不便だけど、もう少しだけ待ってね」
「別に、このままで問題ないです」
「駄目。可愛いセシリアの部屋が、こんな何もないところなんて俺が耐えられない」
俺のお姫様なんだから、可愛く着飾ってとオリヴェルは笑う。
――いったい、何を考えてるの?
この勇者の思考が、まったく読めない。セシリアは小さくため息をついて、「もう休みますから」と告げる。
「そうだね、夜更かしは美容によくない。女の子は冷え性になりやすいって言うし、ちゃんとあったかくして寝ないとね」
そう言いながら、オリヴェルはベッドメイクをして部屋を暖める。さらりと使われた魔法は、ゆっくり部屋の温度を上げてセシリアを眠りへと誘っていく。
「そのネグリジェも可愛いし、ずっと見ていたいな」
「…………」
やることはスマートなのに、どうして喋ると途端に変態っぽくなってしまうのだろうか。そういうことは、人間の女の子に言うべきだろうとセシリアは思う。
「ほらほら、ベッドに入って。それとも、俺のベッドで一緒に寝たかった?」
もちろん大歓迎だと微笑むオリヴェルに、「寝ます」とだけ告げてセシリアはベッドへ入る。その様子をにこにこ眺めるオリヴェルに嫌な顔を向け、セシリアは早く出て行ってくれとため息をついた。
◇ ◇ ◇
ピチチチと、窓の外から鳥のさえずりが聞こえてセシリアは自然と目が覚めた。
「……朝、ですね」
疲れが溜まっていたために、勇者の家だというのに熟睡してしまった。不覚だと思いつつも、過ぎてしまったことは仕方がない。
簡素な作りではあるが、上質なシーツは肌にとても心地がよい。ベッドから降りて、いつの間にか用意されているもこもこのスリッパをはく。
今は何時だろうと部屋の中を見回してみるけれど、時計が置いてなくてわからない。
「……とりあえず、顔を洗いましょう」
セシリアが与えられた部屋は、メインの部屋と、寝室。そして小さな洗面所がついている。残念ながらお風呂はないけれど、屋敷にある広い浴室を使うことができる。
タオルや歯ブラシなど、入り用なものはすべて用意されていた。水で顔を洗ってふわふわのタオルで拭く。歯を磨いて支度は完了なのだが、着替えがないことに気付く。
着ているのは、昨日いつの間にか用意されていた可愛らしいネグリジェだ。
すぐに用意出来るのがこれしかなかったと、オリヴェルが申し訳なさそうに言っていたのを思い出す。これしか? と、首を傾げてしまったセシリアは悪くないはずだ。
オリヴェルとしては、既製品でごめんね……ということなのだが、そんな意図がセシリアに伝わるはずもなく。
――私が着ていた服は……戦いでボロボロになってしまった。
なので、もう袖を通すことはないだろう。それに、今まで魔王が身に付けていた服を勇者が返すとは思えない。特になんの仕込みもしていないが、防御力に優れたマントだ。
父の形見であったため、少し寂しかったが……仕方がない。己を鍛えずに、あっさり勇者に負けてしまった自分がいけなかったのだから。
今は前向きに、今後をどうするか考えるしかない。
「……クローゼット?」
ふいに、寝室のクローゼットが目に入る。
もしかしたら、予備用の服が何かしら入っているかもしれない、夜着のまま過ごすよりはいいかもしれないと思い中を確認する。
「………………?」
そこには、数着の服があった。
しかも、女性用だ。
「どうして?」
この屋敷に、女物の服はないと言っていたのに。
しかし、よく観察をしてみるとその服はセシリアのサイズにぴったりだった。この世界の女性は、平均身長が一六〇センチ以上。自分は一五二センチと、小柄なことを自覚しているため不思議に思う。
もちろんこれは夜中のうちにオリヴェルが用意したものなのだが、セシリアはそんなことを知りはしない。
すやすや寝息を立てて眠るセシリアの横で、勇者がせっせとクローゼットに服をしまっていたなんて誰が想像できただろうか。
「でも、この姿よりはいいかな?」
クローゼットから一着取り出して、着替える。
どれもレースをあしらって作られた可愛らしいタイプの服で、自分には似合わないだろうとため息をつく。もう少しラフな服装がいいのにと思ったけれど、贅沢を言える身分ではない。袖を通した服は贅沢品であるが、セシリアはそのようなことを気にはしない。
膝丈のスカートは、後ろの腰部分に大きなリボンが付けられている。半袖の服には、柔らかい毛糸で編まれたカーディガン。
手の甲がすっぽり隠れてしまう袖口からは、指が少し覗くくらいだ。
まさかオリヴェルが綿密に計算をして袖の長さを調整したなんて、セシリアは考えもしない。
「……なんだか落ち着かない」
姿見に写るセシリアは、とても可愛い女の子だ。
残念なのは本人にその自覚がないことだが、そこがまた純粋で可愛くもある。
「……あ、髪の毛が少し焦げちゃってる」
おそらく、昨日の勇者――オリヴェルとの戦いで焼けてしまったのだろう。
よく見ないと気付かないほどで、だいたい二ミリくらいだろうか。洗面所で簡単に切り、セシリアは満足気に微笑む。
「……これからどうしよう」
――部屋から出ていいのかな?
いかんせん、屋敷でどのようなことをしろと言われているわけではない。セシリアは首を傾げて、しかし部屋にいても仕方がないと思いそっとドアを開けた。
本当は一日部屋に閉じこもっていた方がいいのだろうけれど、セシリアのお腹が空腹を訴えたのだ。もし何か食べ物があれば、少しほしいと思う。
「……?」
廊下に一歩出ると、何やら階下から大きな音がしている。
やはり大人しく部屋にいた方がいいかと思ったところで、オリヴェルが階段を上がってきて顔をだした。
「おはよう、セシリア。よく眠れたみたいで、よかった」
「………………おはようございます」
昨日と変わらない笑顔で、オリヴェルがセシリアを呼んだ。
「よかった、ちゃんと着てくれたんだね。それに、髪の毛、少し切ったんだ。うん、とっても可愛いよセシリー」
「…………セシリア、です」
髪の毛は、二ミリしか切っていません。
なんて、心の中で思うもセシリアは何も言わない。
「残念。今、セシリア用の家具を運んでもらっててね。可愛いのを用意してもらったから、きっと気に入ると思う」
「…………はい」
――どうして、殺す予定の私にいろいろとするのだろうか?
「私を、殺さないんですか?」
通常よりも、はっきりと言葉が出た。少し驚いた様子のオリヴェルは、静かに「そんなことはしないよ」と言う。
「せっかく助けたのに。ああ、本当、肌に傷が残ることがなくてよかった」
「…………」
例えエリクサーを使ったとしても、勇者の攻撃だ。その傷を綺麗治すことはもしかしたら難しいかもしれないと、オリヴェルはどこか不安だった。
「……傷は、ありません」
「うん。よかった。ごめんね、痛かったでしょう?」
「……いいえ。私は魔王で、貴方は勇者です。謝ることなど、ありません」
「でも、可愛いセシリアに傷をつけてしまったことは後悔してるんだ」
もう治っているし、戦いでのことなのでセシリアは気にしていない。
オリヴェルが「可愛い肌が守られてよかった」と微笑んだ。
セシリアは、やっぱりまったくもってオリヴェルの考えがわからなかった。
何やらセシリアのために、階下ではいろいろと行われているらしい。魔族とは違い、殺す人間をもてなす流儀が人間にはあるのだろうかと首を傾げる。
よく理解できないけれど、とりあえずセシリアは頷いてリビングへと下りた。