その2 持ち帰られた魔王
※修正などに関して、活動報告を書きました。
一読いただけると嬉しいです。
勇者オリヴェルは、王都に屋敷を持っている。
屋敷とはいっても、一人住まいなのでそんなに大きくはない。二階建てで、庭がついている洋風の邸宅だ。一人で住むには少し大きいが、利便がいいので購入した。
基本的に掃除もオリヴェルが行うが、勇者という職業上家を空けることが多いので、定期的に掃除は短期のメイドなどを雇ってこなしてもらっている。
そんな独り寂しかった彼の屋敷なのだが――。
今日から、魔王が一緒に住むこととなりました。
◇ ◇ ◇
白を基調にしたリビングは、華やかなオリヴェルとは対照的にどこか落ち着いた空間として整えられている。窓から差し込むたくさんの光がなければ、寂しい室内だったかもしれない。
大きなテーブルと、ソファ。柔らかなそれはどこまでも体が沈み込んでしまいそうで、セシリアは不安になる。
「…………」
柔らかいソファに座らされている魔王セシリアは、ちらりと横目で鼻歌を唄いながら紅茶の準備をしているオリヴェルを見る。
いったいどうしてこのようなことになってしまったのだろうか……。
――私は、殺されたはずなのに。
勇者に大きく切られ、とても熱く苦しかった記憶が蘇る。セシリアは、なぜ自分がこうして生きているのかわからない。
確かなのは、勇者に殺されたはずだという記憶なのだけれど――今のセシリアには、傷どころか傷跡すらない。綺麗な肌が、あるだけだ。
「紅茶はレモンとミルク、どっちがいい?」
「…………」
オリヴェルの問いかけに、しかしセシリアは答えない。
重い沈黙が流れるかと思いきや、オリヴェルは気にする様子もなくセシリアの横に腰を下ろす。
「俺のオススメは、ミルクかなぁ。君に似合いそうな気がするんだ」
何も話そうとしないセシリアに、オリヴェルは好きに話しかける。ミルクを選んだのは、セシリアには淡い色が似合うと思ったから。
別に自分の好みだからということもない。そもそもオリヴェルはストレート派なので、どちらが美味しいというようなことを言う気はないし気にもしない。
「あと、ケーキ。最近できたばっかりのお店でね、人気なんだって」
にこにこと笑い、「パーティメンバーが教えてくれたんだ」と話す。
「ああ、そうだ。自己紹介がまだだったね。俺はオリヴェル。一応、職業は勇者かな」
「…………」
「君の名前を、教えてくれる? 魔王――なんて呼び方じゃ、味気ないだろう?」
「…………ここは、どこ?」
自己紹介をする勇者――オリヴェルに、しかし名を名乗ることはせずにセシリアは場所を尋ねる。
それに気分を害した様子もなく、彼は「俺の家」とナチュラルに返事をする。つまりそれは、ここが魔王城ではないということだ。
それどころか、勇者の家。セシリアにとったら、敵の本拠地だ。
もちろんそんなことはとっくに理解していたけれど、いざ言われてしまうと動揺してしまう。
オリヴェルが仲間の制止を振り切って使った高級エリクサーは、虫の息だった瀕死のセシリアを綺麗に癒した。すぐに目を覚ますことがなかったので、オリヴェルが自分の屋敷へ運んだのだ。
こう聞くと人助けをしたいい人という印象を受けるが、もちろんそんな事実はない。可愛いセシリアに一目惚れをして、意識がないのをいいことに無理やり連れ去ったのだ。
なので、セシリアが目を覚ましたのは、今現在座っているソファの上だった。
「……どうして、私は生かされているの?」
ぎゅっと、体育座りのようにソファへ乗り上げ丸くなるセシリア。首を傾げるようにして、揺れる瞳をオリヴェルへ向ける。
自然と上目遣いになるセシリアを見て、オリヴェルは自分の心臓がドキドキするのを感じた。今まで何人もの女性に言いよられたことはあるが、このようなことは一度もなかったから。
――可愛い。
そう思うと、体は自分の意志など汲まずに自然と動く。隣に座る魔王にそっと手を伸ばして、まずは綺麗な髪に触れる。
びくりと、魔王の体が揺れた。
「……?」
オリヴェルがとった行動の意図が読めず、セシリアは困惑する。その手は髪を経て、そっとセシリアの頬へ触れる。まるで壊れ物を扱うような優しい手つきなのだが、彼女はそれに気付かない。
「私を――殺しますか?」
真っすぐにオリヴェルを見て、セシリアがはっきりとした声で告げた。
それに驚いたのは、当のオリヴェルだ。大きく目を見開いて、まじまじとセシリアの顔を見る。殺すなんてとんでもないと、心で思いながら。
「そんなことしないよ」
「なぜ……? では、人質か、生け贄か」
「それも違う。ああでも、そうだなぁ……。うん、やっぱり違う」
ここで殺されないということは、自分には何らかの価値があるのだろうとセシリアは考えているのだろう。
魔族との取引や、召喚魔法の生け贄など、魔王というその身は利用価値が高い。
膨大な魔力を有しているから、おそらく最上級の素材になるのだろうとセシリアは考えたのだ。
しかしやっぱり、現実はそうではない。
オリヴェルが言いよどんでしまったのは、単に自分が独占したいからという理由だ。それはある種自分への生け贄だなと、そう思ってしまっただけ。
――私はいつか、殺される。
それはセシリアの中で、確定事項だった。もちろん、オリヴェルの中では非確定事項だ。
悩んでいると、オリヴェルが再びセシリアに問いかける。傾げた首に、さらりとダークレッドの髪が揺れた。
「名前は、教えてもらえないのかな?」
「…………」
――名前を知って、どうする気?
自分の体を素材として使うのであれば、別に名前なんて知らなくても問題はないはずだ。セシリアが視線を逸らすと、オリヴェルは仕方がないと肩をすくめる。
そのままセシリアの隣に腰を落ちつけ、可愛い耳へと唇を近づけた。
「そう。なら、可愛いからハニーとでも呼ばせてもらおうかな?」
「セシリアです。セシリア・フルスティ」
蜜のように甘くハニーと耳元で囁かれて、セシリアは背筋に冷や汗が伝う。すぐさま自分の名前を名乗り、なんだか怪しいオリヴェルから距離をとるためにソファの端へ移動した。
「セシリアかぁ、うん。可愛い名前だ」
「…………」
無事に名前を聞けたことに、オリヴェルは満足気に微笑んだ。何度も口の中で「セシリア」と反芻して、愛しい人の名前を噛み締める。
幸せだと、大声で叫びたいとすら思った。
「っと、そうだ。ほら、紅茶を飲んでケーキも食べて。可愛いセシリアのために準備したんだ」
先ほど用意をしたケーキを進めるが、セシリアはそれに口を付けようとはしない。
しかしそれならば、オリヴェルにとって好都合だ。フォークでケーキを一口サイズに切って、セシリアの口元へと持っていく。
戸惑うセシリアをよそに、オリヴェルはそれはもう嬉しそうに「あーん」と言って微笑む。思わず頬が引きつってしまったセシリアは、「……遠慮します」と言うのが精一杯で。
「だーめ。お腹だって、空いているでしょう? ほら、口を開けてごらん?」
「あ、やめ……んぅ」
フォークを持たない左手をセシリアの顎に添えて、優しく口を開かせる。その隙間にケーキを入れて、遠慮していたセシリアの口を塞いだ。
顔をしかめつつも、押し付けられてしまえばケーキを食べるしかない。大人しく口に含んで、もぐもぐと食べた。甘くて美味しい生クリームたっぷりのケーキが、実は大好だった。
美味しさに、思わず笑みがこぼれてしまう。
「――っ!!」
そんな可愛い笑顔にノックアウトされてしまったのは、もちろんオリヴェルだ。口元を押さえて、幸せそうにケーキを食べるセシリアを見る。
可愛い! 可愛いかわいいカワイイ!!
何度可愛いと言っても足りないぞと、オリヴェルは息を荒くする。この衝動をどうしたらと思いながら、必死に冷静を装う。
いっそこのまま食べてしまいたいほどに、セシリアは可愛いのだ。
オリヴェルはこのままだと暴走してしまいそうで、慌てて違う話題を用意する。
「……ああ、そうだ。セシリアの部屋や、服を準備しないといけないね。あいにく、この家には女性が使えそうなものは何もないんだ」
「…………えと」
――私に、部屋や服?
すぐに殺すわけではないということを、とりあえず理解した。
「今はまだ何もないけど、荷物が増えれば部屋があった方がいいだろう? それとも、俺と一緒の部屋でいい?」
「部屋の準備をお願いします」
スパンと効果音が付きそうなほど爽やかに、セシリアは即答した。今までのスロウペースが嘘のようだなと、オリヴェルは苦笑する。
一緒の部屋なんてとんでもないと、さすがにセシリアも思ったのだ。そして徐々に、この勇者は変態なのではないかと考えるはめになっていくのだ……。
「残念。家具も質素なのしかないから、セシリアの好みに合わせよう。好きなものはある?」
「……いいえ。一人で眠れれば問題ありませんので、そのままでいいです」
ふるふると首を降って、「いらないです」と言うセシリア。
しかしそれでは、オリヴェルが楽しくない。可愛らしい、レースをたくさん使った部屋こそが似合うだろうと思っているのだから。
そんなに遠慮しなくてもいいのに、と。残念に思う。
――それなら、俺が整えてあげればいいか。
可愛い部屋に可愛いセシリア、最高以外の何物でもない。
セシリアが何も言わないのだから、こちらで不自由がないように用意してあげればいい。
何があればいいかと考えて、脳内で必要なものをリストアップしていく。家具、衣装、コスメ、それから雑貨。
壁紙も可愛いものに張り直して、床も材質がいいものに変更するのも忘れてはいけない。バルコニーには花をたくさん植え、セシリアが落ち着ける部屋を提供したい。
入り用なものが多いので、しばらくは忙しくなりそうだ。
――ああ、夜になったら一緒に星を見るのもいいね。
「素材もデザインも妥協できないから、オーダーメイドかな……」
足りないものがあれば、自分で素材を取りに行くという手だってある。ドラゴンが必要ならば、ドラゴンを狩に行けばいい。
ただ、それだと時間がかかるか。繋ぎで使う既製品は早めに購入しないといけないなと、段取りを脳内で整えていく。
そんな阿呆なことを考えていると、かちゃりという音がオリヴェルの耳に届く。
セシリアが紅茶に手を伸ばして、それを一口飲んだのだ。
「……冷めてしまっては、勿体ないので」
「うん。美味しいでしょう?」
「こぼすといけないので、あまり近寄らないでください」
じわりじわりとソファで距離を詰めていたことに、どうやらセシリアは警戒していたらしい。端まで逃げてしまったがために、逃げ場がなくなってしまったのだ。
せめて手に飲み物を持っていれば、無茶な接近はないだろうと考えたらしい。そんなところも可愛いのだと、オリヴェルは顔を手で覆って声にならない声をあげた。
――なんだかこの勇者、変……?
間違いなくこの勇者は変態なのだが、セシリアはそれを断言出来ずにいる。なので、せめて距離を置けるようにしてみたのだ。
紅茶を飲みたかったという、小さな本音もあるけれど。それはオリヴェルに知られないように、そっと心の奥底にしまっておく。
オリヴェルは、「ケーキも美味しいから、たくさん食べてね」と微笑む。
さらりと揺れるダークレッドの髪と、セシリアを見つめて離さない青い瞳。整った顔立ちは、女性を甘やかすという行為がとても似合う。
「…………ありがとう、ございます」
小さな声でお礼を告げて、セシリアはケーキにも手を伸ばすことにした。
そんな控えめな姿が可愛くて、オリヴェルは抱きしめたい衝動にかられる。――が、セシリアの手にはやっと口を付けてくれたケーキがある。
せっかく良好な関係への一歩だというのに、食べるのを邪魔するのははばかられる。残念と思いながら、オリヴェルはセシリアが美味しそうに食べるのを見るにとどめることにした。
というか、見ているだけでもオリヴェルは幸せいっぱいだ。セシリアが動いているだけではなく、その小さな口でケーキを食べてるのはとても可愛らしい。
「何か欲しいものがあったら、すぐに言ってね…………セシリー」
「……セシリア、です」
自然を装って愛称で呼んでみたオリヴェルだが、すぐさま訂正の言葉を受ける。
普通の会話はなかなか返事をしてもらえないのに、こんなときばかり返事が早い。
しかし、そこがまた可愛くて仕方がないと……オリヴェルは、にやけてしまうのを止められそうになかった。
ああ、これから毎日が楽しくなる。