第5話 白城レンは論理(ロジック)で祓う
【特級除霊師 神楽坂 冥 事務所】
窓から差し込む西日が、山積みの古文書や未洗いのコーヒーカップを不気味に照らす。魁斗は袖をまくり上げ、シンクで皿洗いと格闘していた。スポンジを持つ手が、どこか覚束ない。
「……なぁミオ。俺ほんとに弟子なんだよな? 毎日皿洗うか雑巾がけるかしかしてないぞ」
魁斗の肩にちょこんと座り、器用に足を組んでいた幽霊少女ミオは、鼻で笑った。
「はぁ? 何寝ぼけたこと言ってんの。あんたは弟子じゃなくて、ただの『下僕』。家事全般を司る、霊感付きのルンバよ」
「違うわ!! 俺は立派な新人除霊師だ! ……多分」
ソファでゴロゴロしながらポテチを食べていた冥が、欠伸を噛み殺しながら呟く。
「……うるさいわね。ノイズを撒き散らす暇があったら、そのマグカップの茶渋、完全に落としなさい。0.01ミリでも残ってたら、あんたの首を三枚に下ろすわよ」
「ヒィッ! ……分かりましたよ師匠(冥様)!!」
コン、コン。
重厚な事務所の扉から、一定のリズムで控えめなノック音が響く。
「入れ」
冥が面倒そうに言葉を投げると同時に、扉が静かに開いた。
逆光と共に、眩いばかりの純白の光が事務所に差し込む。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
全身を光沢のある白の3ピーススーツで固め、頭にはこれまた純白のシルクハット。
手には、精巧な銀の装飾が施されたステッキを握っている。
まるで古典的な怪盗か、舞台俳優のような浮世離れした姿。
彼は帽子を軽く持ち上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、冥。相変わらず、趣味の悪い部屋だね」
「……誰だこのキザ野郎!?」
魁斗が泡だらけの手を止めて叫ぶ。
「うわ、ナルシスト来た。直感で分かる、こいつめんどくさいタイプ」
ミオが嫌悪感を隠さずに顔をしかめた。
男は魁斗たちを一瞥もせず、流れるような動作で事務所の中へ足を踏み入れる。
その足取りは優雅で、まるでダンスを踊っているかのようだ。
「私は白城レン。君たちとは……そう、生きている『格』が違う側の人間さ」
レンはステッキをクルリと回し、椅子を引かずにそのまま優雅に着席する。
「うざっ!! 初対面で格とか言う奴、100%性格悪いだろ!」
「同意。下僕以下」
レンは冥に向き直ると、椅子から立ち上がり、芝居がかった仕草で彼女の手を取った。
その瞳は真剣で、淀みがない。
「冥。僕と結婚しよう。僕の論理と、君の直感。この二つが合わされば、この国の霊災は完璧に制御できる」
一瞬の沈黙。
「断るわ」
0.5秒。冥は眉一つ動かさず、即答した。
繋がれた手を乱暴に振り払う。
「はやっ!!! プロポーズからフラれるまでがマッハすぎるだろ!!」
「秒殺ウケる。メンタル大丈夫?」
レンはフラれたことなど微塵も気にしていない様子で、再び着席し、優雅に脚を組んだ。
「だろうね。断られることも僕の計算内さ。でも、いずれ君は頷く。それが論理的な帰結だからだ」
「その確率、私の計算ではゼロよ」
レンはステッキの銀の石突で、コツンと床を鳴らす。
その瞬間、彼の周囲の空気が一変した。
キザな道化の仮面が剥がれ、冷徹な理性の瞳が覗く。
「今日は忠告に来た。……『黒祓会』が動いている」
冥が初めて目を細める。
ポテチの袋を置き、背筋を伸ばした。
「……霊を兵器にする、あのイカレた連中ね」
レンはステッキで空中に幾何学的な図形を描きながら説明する。
「兵器化、というのは語弊があるな。彼らの目的は、霊との『契約による完全な運用』だ。霊をただのエネルギー資源として、数値化し、制御する」
「何それ、最悪じゃん。死んだ後まで働かされるとか、ブラック企業よりタチが悪い」
魁斗が顔をしかめる。
「倫理観どこいった。黒祓会って、名前からして真っ黒」
「彼らは霊を『祓わない』。……『使う』」
レンの言葉に、事務所内が重苦しい静寂に包まれた。
レンはステッキを軽く鳴らす。
「言葉で説明するより、見せた方が早い。……ちょうどいい。デモンストレーション用のサンプルがある」
レンが指を鳴らすと、事務所の空間が歪んだ。
幾何学的な光の陣が床に浮かび上がり、それは機械的な歯車と呪術的な術式が複雑に融合した、異様な光景だった。
「なんだそれ!? ハイテク陰陽術!?」
魁斗が驚愕する。
「僕が開発した、霊圧観測及び自動除霊システム『アージス』だ。黒祓会に対抗するために、除霊を『科学』の領域へと昇華させた」
空間の陣から、禍々しいオーラを放つ霊が顕現した。
それは歪な球体の形をしており、中では無数の怨念がうねり、 残留意識が怨嗟の声を上げている。
「うわヤバそう!! 師匠、これ事務所で出して大丈夫なんですか!?」
レンは冷静沈黙。ステッキを構えることもせず、ただ浮かび上がる数値を眺める。
「まず観測。……霊圧:中位。構成:怨念70%、残留意識30%。……弱点:特定の周波数による共鳴崩壊」
「もう意味わかんねえ!! 共鳴とか周波数とか、物理の時間かよ!!」
「ちゃんと説明してくれるタイプの敵だね。ナルシストだけど、仕事は丁寧」
レンはステッキのスイッチを押す。
ステッキから不可視の振動波が放たれ、球体の霊へとぶつかる。
「次に再現。……彼らの波長をコピーし、位相を反転させた波をぶつける。……そして、上書き(リライト)」
ドン!!
鈍い衝撃音と共に、歪な球体は跡形もなく霧散した。
完全消滅。残滓すらも残っていない。
「すげええええ!! マジで一瞬じゃん!!」
魁斗が素直に感嘆の声を上げる。
レンはシルクハットを軽く直しながら、ドヤ顔を浮かべた。
「これが“科学的除霊”だ。感情や根性に頼らない、再現可能な論理の勝利さ」
冥が、ソファから立ち上がり、レンを見下ろす。
「遅いわね」
レンは挑戦的な笑みを返す。
「精度が違う。君の除霊は一瞬だが、それは君という例外的な存在にしかできない。汎用性がない」
「私は一瞬で終わらせる。……それで十分」
「私は“再現できる形”で終わらせる。それが次の犠牲者を減らす論理だ」
二人の間に、バチバチとした火花が散る。
レンは、チラッとシンクにいる魁斗を見る。
「で、そこの彼は? 君の趣味じゃないね。ただの一般人だろ」
「ゴミよ」
「ひどっ!! 俺、弟子なんですけど!! 一応頑張ってるんですけど!!」
「的確。下僕としてすら機能してないし」
レンは、冥の言葉に納得したように頷き、魁斗を完全にスルーした。
「興味ないな。……無駄なデータは、僕の思考を鈍らせる」
「完全スルーかよ!! 俺だって除霊師だ、見とけよ!!」
レンが装置を起動解除しようとした、その瞬間。
空間が再び歪んだ。
さっき消えたはずの球体の霊が、霧散した霧から再生成されるように、元の姿を取り戻した。
レンが初めて驚愕の表情を浮かべる。
「……!? ありえない。データ上では、完全に消去済みのはずだ」
冥が目を細める。
「残滓じゃない。……“再生成”されてる。それも、より強固に」
顕現した霊の中心に、禍々しい紫色の“契約印”が浮かび上がっていた。
「……なるほど。これが黒祓会の『契約』か」
レンは冷静に、再測定を開始する。
霊は事務所内を無差別に破壊し始めた。
レンはステッキを構え、再解析を開始。
「条件が変化している。……霊圧が跳ね上がり、構成物質が怨念から未知のエネルギーに置換されている」
冥が刀を抜き、一閃。
霊の一部を斬り裂くが、斬られた場所は瞬時に再生する。
「面倒ね。……再生速度が、私の斬撃を超えている」
魁斗は慌てふためく。
「無理無理無理!! 俺、どうすればいいんだよ!! 皿洗いで手、泡だらけだし!!」
「下僕がんばれ。あんたの役目は、敵の注意を引いて、師匠の盾になることよ」
レンの放つ振動波も、冥の斬撃も、再生を遅らせることはできても、完全な勝利には至らない。
霊が、魁斗に向かって突進してきた。
「……ケ、イヤク……ズミ……」
「知らねえよそんなの!! 俺の契約は皿洗いだけだ!!」
追い詰められた魁斗は、無自覚に、泡だらけの拳をそのまま霊に向かって叩きつけた。
ドン
純粋な衝撃音と共に、霊は、何の前触れもなく、一瞬で、完全に、この世から消滅した。
沈黙。
事務所内が、静寂に包まれた。
レンは呆然と立ち尽くし、ステッキを落としそうになるのを必死に堪えた。
「……は?」
「え? 普通に……殴ったら消えたけど?」
魁斗は自分の手を見つめる。泡が少し飛び散っていた。
レンは初めて、魁斗に対して、恐怖にも似た、深い興味を抱いた。
「今、何をした? 僕の論理も、冥の直感も通じない霊を、ただの一般人が、なぜ……」
冥は、鞘に刀を納めながら、静かに笑った。
「だから言ったでしょ。こいつはゴミだが、例外よ。論理では測れない、神様の消しゴム」
レンは魁斗を、上から下まで、穴が開くほど見つめる。
「……面白い。……非常に面白い」
レンはシルクハットを深くかぶり直した。
「冥」
「何よ」
「その男、危険だ。彼の存在は、霊災のバランスを崩しかねない」
冥は、レンの言葉を無視し、ソファに戻った。
レンはステッキを鳴らし、扉に向かう。
「そして忠告だ。黒祓会は、もう動いている。君の弟子も、標的になるだろう」
去り際、レンは振り返り、冥に笑みを向けた。
「また会おう。論理的な帰結として」
扉が静かに閉まる。
「なんだったんだあいつ……。結局、プロポーズしに来ただけか?」
「めんどくさいタイプ。ナルシストだし、理屈っぽいし。でも、下僕よりは使えるかも」
事務所には、再び騒がしい日常が戻ったが、その中には、黒祓会という、暗い影が差し込み始めていた。




