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愛する人

 磐井さん宅を辞した僕らは別れて帰途についた。両親と妹は実家へ、僕と燐太郎さんは僕のマンションへ。兄さんはといえば、花梨を送っていくという。高校生時代、二人は特に仲良くもなく、険悪でもなく、ごく普通の友達という関係性だった。けれど、その後、花梨がアイドルになってから再会して連絡を取り合うようになったというのだから、それなりに気が合うらしい。楽しそうに会話をしながら兄の車に乗り込む二人を見送って、僕は燐太郎さんとともに駅へ向かった。

 二人で休日の昼下がりの電車に乗り込む。平日の通勤時間に比べれば空いている部類の車内は、しかし、座席に座れるほどの空き具合ではない。二人してつり革に掴まりながら、僕は横目で燐太郎さんをうかがった。彼は車窓を流れていく街の風景をぼんやりと眺めている。その横顔に、先ほどわざわざ自分のために両親の元へやって来た彼の必死な様子をそっと重ねた。

 大人でスマートだと思っていたけれど、存外、泥臭いところがある。そういうところが好ましくて、やはり惹かれるものを感じた。

 と、燐太郎さんが僕の視線に気づいたのか、顔を上げて窓ガラスに映る僕と目を合わせた。

「なに? 見惚れてた?」窓ガラスを見つめたまま、燐太郎さんが呟く。

「そういうわけでは」

「嘘だよ。そうだったらいいなと思っただけ」

「僕も嘘です。見惚れてました。――まさか、付き合ってないのに、いきなり親に挨拶しちゃうなんて、格好よすぎだなって」

「必死だったんだよ。君を守りたかったし、君の前でいい格好したかったし」

 おどけた口調でそう言われて、胸の奥から熱いものがこみあげてくる。この人にはかなわないなと思って、ちょっとだけ泣きたくなってしまった。もちろん、電車の中で涙を流すわけにはいかないから、口をへの字にして堪える。

 そのとき僕の家の最寄り駅に到着して、二人して下車した。他の乗客はせわしない様子で、改札へ向かって歩き出す。僕はぼんやりとホームに突っ立ったまま、動きだす機会を失ってしまった。初夏の午後のホームは光に満ちて、佇む僕らの間を軽やかに風が吹き抜けていく。行こうか、と燐太郎さんに優しく声を掛けられて、僕はぎこちなく歩き出した。ギクシャクした足取りで、駅を出て自宅のマンションへの道を辿る。燐太郎さんも黙って僕の隣を歩いてくれた。

 そうして、家の近くの公園が見えてきたとき。このまま家に帰るのかと思ったら、何だか胸が重いように感じられて僕は足を止めた。

「……鋭利君?」

 燐太郎さんが僕の顔をのぞきこむ。僕は頭を上げて彼の目を見つめた。

「あの……。僕、あなたが好きです」

「え? 何、急に。今なの?」

「だって、今、言わなければ燐太郎さんは僕を送り届けたからって帰ってしまうかもしれないから」

「まぁ、そうだけど……。えっと、告白の話に戻るなら、俺がご両親に挨拶したからって、無理しなくてもいいんだよ?」

「そうじゃありません。あなたには立派な番がいて、華やかな世界に居場所があったから、諦めなければと思っていました。……でも諦められない。やっぱりあなたが好きです。たとえ、あなたといることでメディアに報道されたり、不倫だと批判されたり、SNSに拡散されることがあったとしても――世界を敵に回したって、あなたの傍にいたい」

 そんなこと言うつもりはなかったのに、気づけばひどく熱烈な告白をしていた。けれど、いったん口をついて溢れ出たそれは、もはやなかったことにはできない。取り戻す気なんてさらさらなかった。世界を敵に回したって。それは賭け値なしに今の僕の本心だったから。

 挑むように燐太郎さんの目を見据えていると、彼は目を細めて笑った。

「そんなに睨まないで」

「睨んでません。僕はただ真剣なだけで」

「分かってる。鋭利君がまだ俺を好きでいてくれて、嬉しい。――俺も君が好きだよ」

 燐太郎さんはやんわりと僕の手を取った。手を繋ぐというよりは先導するように、彼は僕の手を引いうちのマンションに向かって歩き出す。初夏の風が僕らを茶化すようにまとわりついて、緩やかに吹き抜けていった。







 ――二年後。

 僕は元の会社を退職した後、結局、自力で転職先を見つけることができなかった。メディアに露出して、会社にまで取材が来たり、メールや電話での嫌がらせのきっかけになったからだろう。これでは都内での転職は無理だろう。その頃には燐太郎さんも傍にいない状態になっていたため、いっそどこか地方で仕事を探すかと迷ったものだ。

 だが、幸いにもリョウスケが音楽制作会社を立ち上げていたため、僕は彼の誘いで彼の会社で働くことになった。今は社長であるリョウスケの秘書という形で、彼の仕事を補佐している。

 リョウスケがしている音楽プロデューサーというのは、依頼先と交渉したり、コミュニケーションを取ったりして、どんな楽曲がいいか、どのように売り込んでいくかなどを総合的に指揮する役割だ。リョウスケの会社には作曲家が数名、所属しており、楽曲そのものの制作は彼ら彼女らが担うことになる。

 今は昔より音楽を売って利益を得ていくことが難しい時代になりつつあるようだが、社長としてのリョウスケは上手く立ち回っている方だと思う。きっとリョウスケの性格的に、音楽制作を取りまとめるという役割が向いているのだろう。

 僕はどちらかと言うと、決められた作業をコツコツやる方が性に合うタイプなので、今の仕事はいつまで経っても慣れない感じがする。それでも、懸命に働いて気づけばもう二年間が過ぎていた。

 二年間の間に、いろんなことが変わった。妹の愛莉は大学院で研究を続けている。なんでも論文が海外の学会で認められたとかで、海外の大学からうちで研究しないかと誘われているようだ。

 兄はといえば、国内の病院を辞めて、婚約も破棄されたその後、これで自由になったとばかりにボランティアに登録して、海外の田舎の無医村に派遣されていた。しかも、昨年からは大学で初等教育について学び終えた花梨も兄と同じ村にボランティアとして派遣されて、学校の運営に携わっている。元はといえば婚約者同士だった二人だが、日本を離れて地位や金銭とは関係ない場所で地道な仕事をするのが性に合っているらしい。二人からは頻繁に村の患者さんや子どもたちと撮影した写真や動画が送られてくる。見るからに過酷な環境だが、それでも動画や写真に切り取られた二人はすごく生き生きとして楽しそうだ。

 ――海外かぁ……。

 リョウスケの指示で、空港へと車を走らせながら僕は思う。兄や花梨から遊びにこないかと誘われているが、今の仕事は忙しく、なかなか海外へ旅行する時間が取れない。音楽の流行は目まぐるしく、次から次へと制作依頼が舞い込んでくる。多忙なリョウスケを補佐して、ときには彼の意を受けて作曲家たちに伝えたりして。リョウスケだってときには仮歌まで歌ったり、楽曲制作の助けまでしているが、僕の仕事も多岐に渡る。

 流行り廃りが目まぐるしい今の世の中で、流行に影響を受ける仕事をしているのだから、これも仕方がないことなのだろう。

 燐太郎さんは、二年前、リョウスケがシンガポールの会社と共同で音楽を制作する事業を始めたことから、現地で作曲家として仕事をしている。僕も忙しいが、彼も慣れない土地で苦労しているようで、お正月に一度、帰国したきりだ。恋人と会えないと病むなんてことは流石にないけれど、通話やメールで送られてくる楽曲を通して燐太郎さんと常に接しているけれど、少し寂しくはある。おまけに、あまりにも会わって恋人らしいことをしていないので、恋愛経験値がゼロに戻っていそうで少し不安でもある。

 空港に到着して駐車場に車を停めた僕は、ロビーへ入っていった。待つこと三十分――電光掲示板に僕の待っていた飛行機が着陸したと表示される。

 僕は搭乗口へ向かった。そこで待っていると、乗客らしき人々がぽつりぽつりとゲートから出てくる。

 その中に、燐太郎さんの姿があった。今は伸びた髪を首の辺りでひとつに結んでいる。重たげな荷物を持った彼は、僕を見て目を丸くした。

「鋭利君……」

「はい」

 燐太郎さんは驚いた表情のまま歩いてきて、僕の前で立ち止まった。

「リョウスケが迎えを寄越すって言ってたけど、社長秘書の君が来るとは思わなかったよ。たとえリョウスケが行けと言っても、公私混同だからって君が拒否するかと……」

「残念ながら、他に人がいなくて」僕はそこで悪戯っぽく笑ってみせた。「それに、二年も離れていたんだから、これくらいは公私混同でもいいかなって――」

 次の瞬間、荷物を投げ出した燐太郎さんが僕を抱きしめる。彼の首筋から、僕の好きな甘い匂いがした。香水ではない、彼自身の匂い。僕は宥めるように彼の背中に左腕を回しながら、右手でそっとうなじに触れる。二年前、許されたそこは滑らかだ。いくらアルファとオメガでも、現在では噛み痕が残るほど強く噛むことはないのだから、それは当たり前のこと。それでも触れて確かめたくなるのは、燐太郎さんと恋人になって分かった僕の癖のようなものだ。アルファの独占欲なんて忌々しい――高校生の頃からずっとそう思ってきたけれど、何だかんだで最近はそういう自分を受け入れられるようになった。

 燐太郎さんと接するとき、僕らはオメガとアルファではなくて、燐太郎さんと僕なのだと思えるようになったから。

 だから、目の前の恋人を抱きしめて素直に言う。おかえりなさい、と。あなたが帰ってきて嬉しい、と。





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