王
翌日、ふたたびパックは城の外壁に立っていた。
ヘロヘロももちろん、一緒である。
きょろきょろとパックはあたりを用心深く見わたした。こんどはだれもいない。
両手にヘロヘロをかかげ、外壁に近づく。
「頼むよ、ヘロヘロ」
そっとささやく。ヘロヘロはうなずいた。
「こんどこそ大丈夫! きっとミリィに会ってくるよ」
さっとパックは両手をふりあげた。ヘロヘロはぴょん、と手の平から飛び出し、外壁にぺちゃりと張り付いた。
ぐにゃりとヘロヘロの身体がひろがり、石組みのすきまに吸い込まれる。
あっという間にヘロヘロは見えなくなった。
ヘロヘロが消えた石組みを見つめ、パックは大急ぎで立ち去った。あとはヘロヘロがうまくやってくれることを祈るのみだ。
城の内部を、ヘロヘロは身体をいろいろ変形させながら忍び込んでいった。
薄くなったり、紐のように長くなったりそれこそ千変万化で、ほんのちいさな隙間さえあれば潜り込んでいく。
しかし城の内部は思ったより広い。広い上に迷路のような通路があちこちに折れ曲がり、最初どこから入ってきたか忘れるくらいである。もっともその点については心配していない。いざとなったら外の見えるどこからか体をにょろりと変形させればすむことだ。
いったいミリィはどこにいるのか……。
ヘロヘロは途方に呉れてしまった。
ふと漂ってくる良い匂いにヘロヘロは気をとられた。
見ると数人の女官が食事を盛ったトレーを手にやってくる。
「どうしたのかねえ、あの娘。今日は何も食べたくないって……」
「あれだよ、パックって男の子が会いに来たろう? あれからだよ」
「ふうん、王さまの婚約者だってのに、もう別の男に色目つかってるんだね! なんてことだろう……」
ミリィのことに違いない!
盆に載った食事にはおおいに気をそそられたが、パックは女官がやってきた方角に進んだ。
数階、階段をのぼるとどうやらそれらしい気配がする。ひっそりと静まりかえった部屋の向こうから、なにやら懐かしい感覚がヘロヘロにひびく。
ここだ!
ヘロヘロはドアの隙間に身体を押し込んだ。
窓際の椅子に腰掛け、ミリィがいた。
ぼんやりと外を眺める彼女は、洞窟で見たときよりすこし大人びて見えた。
「ミリィ……ミリィ……!」
ヘロヘロはささやいた。
ミリィはふりむき、ヘロヘロを認めた。
「あなたは……」
「ぼくスライム。ヘロヘロっていうんだ」
「ええ、知っているわ。この前、パックと一緒に城にきたでしょう?」
「うん、それなら説明する手間がはぶける。ぼく、パックに頼まれてきたんだ」
ミリィは両手をひろげた。ヘロヘロはその手にぽん、と乗っかった。
「そうなの……ドーデン王に聞いたでしょ。あたしたち、婚約したの」
「どうしてさ! ミリィはパックと会う運命なんだぜ!」
「それは……今朝、はじめてあたし知ったの! あたし、だれかに会う運命だとは思っていたけど、それがパックだとは知らなかった。ただ、だれかがあたしを待っている、そう思っていた。ドーデン王に会って、なにかを感じたの。それでああ、運命の人なんだと思ったの」
「なにかを感じた?」
「そうよ。王さまはパックを見て自分の若いころそっくりだって言ったでしょ。そうなの、パックとおなじものを王さまにも感じたのよ。でもパックに比べれば違った。パックのほうが、より強い運命を感じるわ。だからあたし、この婚約は間違いだと気づいたの」
「ふうん、いったい王さまとパック。ミリィにはなにがあるんだろうね?」
わからない……と、ミリィは首をふった。
その表情が内心の苦しみをあらわしている。
「あたしなにかを探しにここまできた……そしてお城で王さまに会って……そのとたん、王さまがあたしこそじぶんの后になるべき娘であると叫んで、あたしはその言葉にびっくりして何もいえないまま、こうなってしまったの。あたしも訳がわからないけど、たぶんそれは王さまも同じだと思うのよ」
「どうして?」
「その日からときどきお会いするのだけど、不思議そうな顔であたしを見るの。なぜ、じぶんは見も知らない娘に求婚したのだろうって顔になるわ」
「ミリィは王さまと結婚するのかい?」
彼女は首をふった。
「そのつもりだったけど、パックに会ってからは……なんだか間違いだったような気がして」
「なにが間違いなんだね?」
ミリィは顔を上げた。
ドアを開き、ドーデン王が立っている。腰に両手をあてがい、すっくと立ったその姿は、まさに王そのものであったが、表情には憂いがあった。
「ミリィ、そちは余の求婚が間違いだったと言うのだね」
ずかずかと歩いてきて、ミリィの側に立った。ミリィは顔をふせた。肩が震えている。
王は膝まづき、ミリィの肩に手を置いた。触れた瞬間、ミリィはひくりと身動きする。
「余はそちを見た瞬間、思ったのだ。そちこそわが后……。なぜなのか、余にもわからん。しかしその気持ちはいまも変わらぬ。どうか余の愛を受けてもらいたい」
ミリィは顔を上げ、ドーデン王を見上げた。その目に涙が浮かんでいる。
「ご免なさい……あたし……どうしてもいまは……」
ドーデン王の額にふかい憂慮のしわが刻まれた。ゆっくりと首をふり、つぶやく。
「余は王である。王というものは、人々の敬愛の的であり模範である。余はいつもそれを心掛けてきた。そちに余を愛せよ、と命ずることはたやすい。しかしそれでは余はただの暴君となる。それは余の本意ではない」
つかつかと窓に近づき、外をながめた。
ぐっと顔をあげ、口を開いた。
「もう一度、余はパックという少年に会いたくなった。かれと話し合う必要を感じるのだ」




