プロローグ 砂の中の鋼鉄
本作は『鋼鉄のレクイエム』を全面的に作り直した新作です。
旧稿をお読みでなくても、ここから問題なくお楽しみいただけます。
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作戦は、十五秒前に壊れた。
超人工知能メーティスを十二時として、六時の方向――背後にあった退避路が消えている。床下から伸びた鋼鉄の触手が石床を抉り、遮蔽物ごと暗闇へ叩き落としたのだ。
『十時、レーザー来る!』
索敵役のアスタの声が飛んだ。
伊織は振り返らず、正面の敵を視界の端に残したまま、床を走る警告線だけを拾う。天井近くで白光が膨らみ、高熱の光条が円形区画を斜めに横断した。
「軍曹、二歩右」
『見えてる』
ONI軍曹は大盾を構えず、後ろにいたエンジェの肩を押した。白光が二人の間を抜け、背後の壁を赤く焼く。
『危なっ。軍曹、回復するから三秒止まって』
『無理だ』
『じゃあ一秒』
『それならいい』
足元へ低い振動が伝わってくる。正面には、巨大な鋼鉄構造体が鎮座していた。
超人工知能メーティス。
『STEEL REQUIEM』の世界を崩壊へ追い込んだ元凶にして、いまだ攻略者のいない最終レイドの主だ。幾重もの装甲板が中央部を包み、その奥に演算核が眠っている。正面から撃ったところで、核を覆う超装甲は抜けない。
開かせるしかなかった。攻略班はそのために何度もここまで辿り着き、そのたびに全滅している。
『三時と九時、中型再起動!』
左右の壁際で、二つの鋼鉄塊が立ち上がった。太い脚に長すぎる腕を持ち、頭部の代わりに光学センサーを並べた中型人工知能兵器が、左右から距離を詰めてくる。
『マッチョ、三時お願い!』
『任せろ!』
砲撃手の脳筋マッドマッチョが担いだ大型砲が火を噴き、轟音とともに一機を吹き飛ばして壁へ叩きつけた。
『よっしゃ!』
『喜ぶの早い。九時まだ生きてる!』
『二発目で消す!』
「撃つな」
砲口が止まった。
『……なんで?』
「弾を残せ」
『俺の仕事を何だと思ってる』
「最後に撃つこと」
わずかな間のあと、マッチョが笑った。
『よく分かってるじゃねえか』
『全周まで十二。十一、十――』
「退避位置」
『いつもの十時――』
アスタの声が途切れた。そこにあるはずだった石柱は、先ほどの触手攻撃で根元から折れ、床を横切るように倒れている。
『……柱、死んでる』
「倒れた方は」
『は?』
「判定」
『残ってる。全周は切れる。でも一発で吹っ飛ぶ』
「一発あればいい」
『やっぱりそう言うと思った! 全員、十時!』
五人が走った。触手が床を薙ぎ、砕けた石が足元を跳ねる。軍曹が最後尾につき、エンジェを先へ押し出す横で、アスタは移動しながら攻撃周期を読み上げていた。
伊織は倒れた柱へ滑り込む直前、メーティスの外装が展開するのを見た。
「伏せろ」
部屋全体が白く染まる。
本体から全周へ放たれた光が倒れた石柱を直撃し、遅れて衝撃が腹の底まで響いた。巨大な柱は亀裂を走らせ、そのまま粉々に崩れたが、その陰にいた五人は残っていた。九時側にいた中型人工知能兵器の方は光に呑まれ、外装を焼かれて沈黙している。
『抜けた!』
アスタが笑った直後、メーティスが動いた。
『――早い!』
三本の触手が、これまでとは違う角度で床へ突き刺さる。狙ったのは人間ではなく、次に使うはずだった退避地点だった。
『学習された。次の移動先、先に潰してきてる!』
同じ攻略を繰り返すほど、逃げ道は減っていく。
『正面、本体攻撃! マッチョ狙い!』
中央構造体の下部が開き、巨大な鋼鉄槍が撃ち出された。本体とは太い金属索でつながっている。
「散れ」
マッチョが右へ跳ぶが、槍の軌道がわずかに追った。そこへONI軍曹が横から飛び込む。
『軍曹!』
『叫ぶな』
軍曹は盾を正面には向けず、槍の側面へ斜めに大盾を押し込み、そのまま身体を捻った。
ほんの数度、軌道が変わる。
鋼鉄槍はマッチョを外れて床へ深々と突き刺さり、代わりに軍曹が弾き飛ばされた。
『ONI軍曹――戦闘不能』
「軍曹」
『通したぞ』
伊織は短く顎を引き、倒れた軍曹ではなく、その結果を見た。
床へ刺さった槍は金属索を張りつめさせ、メーティスの巨体をわずかに左へ引いている。装甲の噛み合わせも、さっきまでとは違っていた。
状況は悪くなった。
『軍曹に回復――』
エンジェが言いかけて、止める。
『IORI、そっちかなり削れてる。回復入れる』
「マッチョに」
『え?』
「俺じゃない。マッチョを戻せ」
『でもIORI、次もらったら落ちるよ』
「砲撃が要る」
一拍置いて、エンジェが答えた。
『……了解』
淡い光がマッチョを包む。
『ありがとよ、エンジェ』
『高いからね、それ』
『ゲーム内通貨だろ』
『気分の問題!』
床へ警告線が走った。
「エンジェ、右!」
『分かってる!』
だがエンジェは動かない。マッチョの体力が、まだ戻りきっていなかった。
「切れ」
『あと一秒!』
「エンジェ」
『これで――満タン!』
回復光が消え、エンジェが右へ跳ぶ。
白光の方が速かった。
『地獄のエンジェル――戦闘不能』
焼けた床だけが残る。
『あとで請求するからね』
「了解」
『そこ素直なんだ』
マッチョの体力表示は、最大まで戻っていた。
『正規ルートだと核露出まであと二工程。人数足りない。これ無理だよ』
動けるのは、IORI、アスタ、マッチョの三人だけだ。
伊織はメーティスと周囲を見渡した。軍曹が残した槍、左へ引かれた本体、閉じた超装甲、マッチョの残弾、そしてアスタの干渉手段。予定していた攻略手順はもうないが、使えるものはまだいくつか残っている。
「アスタ。本体の左だけ止められるか」
『完全停止は無理。二秒なら』
「十分」
『またそれ言う』
「マッチョ」
『おう』
「開いたら撃て」
『それしかできねえよ』
伊織は銃を構え、まだ装甲の奥にある核ではなく、左側の駆動部を撃った。与えた損傷は小さいが、迎撃対象が伊織へ切り替わり、一本の触手が軌道を変える。
「今」
『入れる!』
アスタの干渉で本体左側の駆動だけが止まり、右側は動き続けた。
メーティスが床の槍を回収しようと、金属索を巻き上げる。だが槍は石床へ深く噛み込んだまま動かず、代わりに、左を止められた本体の方が引き寄せられた。
巨大な構造体が捻れ、胸郭状の超装甲が噛み合わなくなる。
隙間が開いた。
『出た!』
「マッチョ」
『待ってましたあ!』
大型砲が咆哮した。同時に、伊織を狙っていた鋼鉄触手が大きくしなる。
「マッチョ!」
『見えてる!』
マッチョは砲撃を止めなかった。横薙ぎの触手に身体を吹き飛ばされながらも引き金は落ち、砲弾が超装甲へ突き刺さる。
『脳筋マッドマッチョ――戦闘不能』
爆煙の奥で、核はまだ生きていた。それでもマッチョの一撃は超装甲の一角を大きく抉り、閉じ始めた外殻に歪んだ隙間を残している。
『……俺、仕事した?』
「した」
『ならいい』
『装甲が閉じる。次の正規露出まで持たない』
残ったアスタが言った。
「何秒」
『だから無理だって』
「何秒」
一瞬の沈黙があった。
『中型全部こっちに釣る。標的再計算を噛ませて、装甲閉鎖を〇・八秒遅らせる。それが最後』
「できるのか」
『俺を誰だと思ってんの』
「アスタ」
『略すな。✟堕天使アスタロト✟だ』
「長い」
『知ってるよ!』
壁面の砲門が順番に発光していく。アスタが残っていた干渉手段をまとめて叩き込むと、先ほど沈黙した中型人工知能兵器までが再起動し、光学センサーが一斉にアスタへ向いた。
『よし。全部こっち見た。再計算入る』
「アスタ」
『〇・八だ、IORI。外すなよ』
「了解」
複数方向からレーザーが交差した。
『✟堕天使アスタロト✟――戦闘不能』
戦場で動いている味方は、伊織一人になった。
声はまだ聞こえる。だが、もう誰も撃てないし、走れない。回復も、砲撃も、干渉もできない。
メーティスが、閉じかけた超装甲の奥へ核を隠そうとしている。今撃っても通らない。
伊織は照準を外した。
メーティスが何を考えているかなど分からないし、読む必要もなかった。床へ刺さった槍は、まだ抜けていない。装甲を閉じながら金属索を回収するなら、左へ引かれた巨体は右へ戻る。その動きに、マッチョが抉った外殻もついてくるはずだ。
壊れた機械でも、重さまでは消せない。
伊織は銃口を少し右へ送った。
『IORI、そこじゃ――』
誰かが言いかけた時、メーティスが槍を引き抜いた。
拘束を失った巨体が右へ振り戻される。閉じるはずだった装甲は、アスタが残した〇・八秒だけ遅れていた。マッチョが抉った隙間が正面へ流れてきて、その奥から演算核が現れる。
伊織が先に置いた照準の中へ、向こうから入ってきた。
引き金を絞る。
一発の銃声が、広いボス部屋に乾いて響いた。
弾丸は隙間を抜けて核へ届き、超人工知能メーティスは動きを止めた。巨大な鋼鉄構造体が軋みながら沈んでいく。
数秒の静寂。
それから、通信が爆発した。
『っしゃあああああ!』
『やった! 本当にやった!』
『世界初だぞ!』
『最後だけ全部持っていきやがったな、IORI!』
マッチョが笑っている。
「そこまで運んだのはそっちだろ」
『聞いた? 軍曹。今の録音しといて』
『してない』
『使えねえ軍曹だな!』
『次は助けんぞ』
『待って。これ打ち上げどうする? 今日?』
『今それ聞く!?』
『世界初だぞ。やるだろ!』
笑い声が重なった。伊織もようやく息を吐き、口元をわずかに緩める。
その時、一粒の砂が目の前を転がった。
石床の上だった。
「……砂?」
『IORI?』
答えるより先に、仲間の声が消えた。通信が切れたのとは違う。そこにあった音だけが、途中から抜き取られたように消えたのだ。攻略結果も、戦績も、報酬も表示されない。
足元の割れた石には、細い溝が何本も走っていた。長い年月、水が流れ続けなければできないような摩耗だった。
こんなものがあっただろうか。
風が吹き、砂の一粒がまた転がる。この区画に、風の演出はない。
円形の床と三本の石柱。その見慣れた輪郭へ、別の景色が薄く重なった。
砂。青い空。崩れた石。
機械に囲まれていたはずの空間の向こうに、乾いた大地が透けている。どちらが遠く、どちらが近いのかが分からなくなった。
次の瞬間、足元の感触が消えた。
◇
最初に戻ってきたのは、痛みだった。
東伊織は両手を地面につき、肺に入った空気を咳と一緒に吐き出した。掌へ細かな砂粒が食い込み、日差しを吸った地面の熱が皮膚へ伝わってくる。口の中までざらつき、咳をするたびに乾いた喉がひりついた。
HUDはない。通信も聞こえない。メーティスの巨体も、人工知能兵器も、レーザーに焼かれた壁もなかった。
顔を上げると、見覚えのない荒れ地がどこまでも続いていた。風が砂を転がし、その向こうから獣らしき低い鳴き声が響いてくる。
伊織は身体を起こしながら周囲を確かめ、ほとんど無意識に腰へ右手を伸ばした。
指先が空を切った。もう一度確かめる。
銃は、なかった。




