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グリッチワーカー~歪んだ理のその先で、独り世界の綻びを繕う~  作者: かんぱく


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第45話 解釈の不一致

通路の突き当たりに、扉があった。

扉、と呼んでいいのかわからない。棚と同じ金属素材でできた、壁と一体化した構造物だ。

継ぎ目が走っているから開くのだとわかる。取っ手はない。代わりに、中央に小さなスロットが一つ、埋め込まれている。

春山はフィルターで確認した。スロットの奥にデータの流れがある。ここを通って、さらに先へ続いている。


ライカが扉の表面に手を当てた。

「開くんでしょうか」

「分かりません」

「じゃあ、試してみましょう」

ライカが魔力を手のひらに集めようとした。

春山はそれを手で制した。

 「魔力残量が少ない状態で使わない方がいい」

「でも他に開ける方法が」

「あります」


春山はメニューを開いた。オーバーレイを展開する。スロットの構造を確認する。

鍵ではない。認証だ。何かを入力することで開く仕組みになっている。入力を求めているのはデータだ。特定の形式の。

春山はアイテム欄を確認した。圧縮袋の中身を順に検索する。魔石。欠片。採取したデータの断片。

作業台に並んでいた三つの欠片が、頭をよぎった。

持ってくるべきだったか。いや、あれは先人が置いたものだ。むやみに動かすべきではない。

別のアプローチを探した。オーバーレイでスロットの認証形式を解析する。要求しているデータの構造が見える。ATRAの識別子を含むバイナリ列。特定のヘッダを持つもの。

春山は所持している魔石の一つを取り出した。コンテナでの解析作業で読み取った、ATRAの識別子を含む石だ。スロットに差し込んだ。


かすかな音がした。

継ぎ目が光を帯びた。青白い光が一瞬走り、扉が内側へ開いた。

「開いた」

ライカが言った。


「今、何をしたんですか」

「鍵を使いました」

「鍵?」

「説明が長くなります。後で」


ライカが春山を見た。また保留した顔だ。

しかし今回は何も言わなかった。扉の向こうを見ていた。




部屋だった。

棚の通路より天井が低い。広さは、南港の大型物流倉庫のワンフロアに近かった。数千平米はあるだろう空間の壁の三面に、棚とは異なる構造物が並んでいた。横長の台に、無数の端子が規則正しく配置されており、端子と端子の間を、細い管が走っている。管の中をデータが流れているのが、フィルター越しに見えた。

天井から床まで、垂直に走るケーブルに似た構造物が、等間隔で立っている。その根元が台の端子に接続されている。ケーブルの表面は黒く変色しているものが多いが、中には交換されたばかりのように、変色の少ないものもある。

春山は一本に近づいた。表面を確認した。接続部の金具が、他のものと素材が違う。交換されている。しかも一度ではない。複数回、丁寧に付け替えられた跡がある。


壁際の台に、小さなパネルがあった。


MAINTENANCE LOG

CABLE UNIT 14-C REPLACEMENT

CYCLE : 00731

STATUS : COMPLETED


別の台にも、また別の台にも。パネルが、いくつも貼られている。

CYCLEの数値が上がっていく。棚の通路で見たものより、新しいものもある。


部屋の中央に、他とは異なる構造物があった。

高さは天井に届きそうなほどだ。幅も奥行きも、人間が両腕を広げた程度はある。

直方体に近い形状だが、表面が複雑な層構造になっている。薄い板が何十枚も、わずかな隙間を空けて積み重なっている。板と板の間に、細い管が通っている。冷却のための構造だ、と春山はすぐに判断した。

表面の各層に、端子が格子状に並んでいる。密度が高い。棚のスロットとは比べものにならない。端子と端子の間を走る溝が、複雑な樹形図を描いている。分岐して、合流して、また分岐する。一層ごとの構造が、隣の層と微妙に異なっている。同じ設計図を使い回しているのではなく、それぞれが役割を持って作られている。

構造物の最上部から、太いケーブルに似た管が数本、天井へ向かって伸びていた。天井に空いた穴を通って、さらに上へ続いている。棚の通路に走っていた管と、同じ素材だ。

ただ、溝の中に光はない。層の端子も、管の接続部も、何一つ反応していない。

これだけの規模の構造物が、完全に沈黙している。


春山はフィルターを展開した。

部屋全体のデータの流れが、この構造物に向かって集まっていた。棚の通路から来る流れ、壁のケーブルを伝う流れ、天井の管から下りてくる流れ、すべてがここへ向かっている。

しかし手前で止まっている。入力は来ている。出力がない。受け取ったデータを処理して先へ送り出すはずの何かが、ここで機能を停止している。

構造物の側面、腰の高さあたりに、焦げた跡があった。一箇所ではない。層をまたいで、複数箇所に広がっている。

過負荷がかかった痕だ。一度ではない。繰り返し、限界近くまで使われた跡がある。冷却のための管の一部が、熱で変形して潰れている。




ライカが部屋の中央に立っていた。

壁の構造物を順に見ていた。端子、ケーブル、パネル。春山が作業の痕跡を追いながら動き回っている間、彼女はその場で、空間全体を見渡していた。

「ねえ、春山さん」

「はい」

「これって、魔法と関係があるんですか」


春山は手を止めた。振り返った。

ライカの顔は、怒っているわけでも、混乱しているわけでもなかった。

ただ静かに、答えを求めていた。配信のときの顔でも、ユウリやセイラと話すときの顔でもない。剥き出しに近い、素の顔だ。

「関係があると思います」

「どんなふうに」


春山は少し考えた。どこまで話すべきか。いや、今は話せるだけ話した方がいい。

この部屋にいる間は、二人しかいない。


「魔法と呼ばれているものは、このシステムが外部に出力している信号だと思っています」


ライカがゆっくりと瞬きをした。

「信号」

「はい」

「魔法が、信号」

「私の理解では、そうです」


ライカは少し黙った。壁の構造物を見た。端子と管と、交換されたケーブル。それからもう一度、春山を見た。


「じゃあ、私たちが毎日使ってる魔法は、全部ここから来てるってこと」

「ここを経由して、ということだと思います。根幹はさらに奥にあると考えています」

「根幹」

「はい」

「それが、あの構造物の心臓みたいなやつですか。さっきの広い場所にあった」

「中継点だと思います。心臓に近いのは、もっと先にあるはずです」


ライカが息を吐いた。深い息だった。

「私、ずっと魔法って、自分の中から出てくるものだと思ってた」

「そう見えるように設計されているんだと思います」

「設計」

ライカが、その単語を口の中で転がすように繰り返した。




しばらく、沈黙があった。

春山は中央の構造物に向き直り、フィルターで解析を続けた。

データの流れが止まっている原因を探る。接続の断絶か、物理的な損傷か。焦げた跡の範囲を確認する。端子の損傷は表面だけで、内部の接続は生きている可能性がある。物理的に交換が必要な部品があるかどうか。今の手持ちで対処できるかどうか。

「ねえ」

ライカの声が、少し変わっていた。


「それって、どういうことですか」

「どういうこと、とは?」

「私たちが生まれる前から、誰かがここを直してた。魔法はここのシステムから来てる。探索者も、ダンジョンも、全部この機械の中にある」

「今の段階では、そう理解しています」

「じゃあ」

ライカが言葉を詰まらせる。

「私たちは、何なんですか」


春山は答えなかった。

答えを持っていないわけではない。持っている。

ただ、その答えを口にすることと、ライカがそれを受け取ることの間に、距離がある。


ライカが続けた。

「私、今まで思ってたんです。ダンジョンって、試練の場所だって。探索者が強くなるために、世界が用意してくれた場所だって。聖域に近づくほど、自分たちが選ばれた存在だってわかる、そういう場所だって」

壁を見ながら話していた。春山の方を向いていない。

「でも違うってことですよね。ここは試練の場所じゃない。魔法が出てくる機械が、地面の下にあっただけで。選ばれた存在とか、聖域とか、そういうのは全部」


「全部ではないかもしれません」

春山は言った。

ライカが振り返った。


「全部じゃない?」

「このシステムが何のために作られたのか、私にはまだ分かっていません。選ばれた存在でないとも、言い切れない。今見えているのは構造の一部です」

「でも魔法は信号で、ダンジョンはこの機械の一部で」

「そう見えています」

「それのどこが全部じゃないんですか!」


ライカの声が硬くなっていた。怒りではない。何かを守ろうとしている声だ。春山にはそれが何か分かった。

「私が見えているのは、表層です。このシステムを作った存在が何を意図していたか、それはここからだけでは読み取れない」

「意図があったとして、何が変わるんですか」

「変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。だから今は判断しません」


ライカが春山を見た。少しの間、その目が何かを測っていた。

「……春山さんって、感情がないんですか」

「そんなことはないと思います」

「でも今、私すごく嫌なことを言われた気がして、でも春山さんは全然揺れてない」

「嫌なことを言おうとしたわけではありません」

「分かってます」

ライカは言った。

「分かってるけど」


続きが来なかった。

ライカが壁に背を預けた。腕を組んだ。目が、天井の低いところを泳いだ。

春山は彼女を見た。

配信の中で見る橘ライカではない。スペクタクル社のAランク探索者でもない。20歳の、今まで信じていたものの輪郭が、急に変わり始めた人間の顔だ。




「春山さんは、怖くないんですか」

ライカが問いかける。声のトーンが戻っていた。攻めているのではなく、純粋に聞いている声だ。

「何がですか」

「ここが全部機械だって知って、魔法が信号だって知って。そういうの、怖くないですか」


春山は少し考えた。

「怖いとは思いません」

「なんで」

「知らなかったときより、知っている方が対処できます」

「でも知らなかったときの方が、きれいだったじゃないですか」

「そうかもしれません」

「そうかもしれない、で済むんですか」


春山は端子の表面から目を離さなかった。

「私には最初から、きれいに見えていませんでした。ダンジョンに入った最初の日から、欠陥が見えていた。だから怖いという順番が、ライカさんとは違うんだと思います」

ライカが少し黙った。

「欠陥が見えていたのに、それでも来てたんですか。ずっと」

「仕事でしたから」

「最初から」

「……最初は、そうです」


ライカが立ち上がり、春山の隣まで歩いてきた。中央の構造物を見上げた。

「今は」


「今は」

春山は繰り返した。


「終わらせた方がいいと思っています」

「終わらせるって、どういう意味ですか」

「正確にはまだ分かりません。このシステムが今どういう状態にあるかを把握してからでないと、何をすべきかが見えない」

「把握して、何かできるんですか。春山さんが」

「やってみます」


ライカが春山の横顔を見た。春山は構造物を見ていた。

「さっきも同じこと言いましたよね、それ」

「そうですね」

「根拠はあるんですか」

「今のところ、ありません」

ライカが小さく笑った。笑い声ではなく、息が漏れた、という感じの。


「最悪の答えですね、それ」

「そうかもしれません」

「でも」

ライカは続ける。


「なんか、信じられる気がします。根拠はないけど」

春山は返答しなかった。

ライカが中央の構造物に視線を向けた。沈黙したまま天井まで伸びる構造物を、目で辿っていた。


「これ、壊れてますよね」

「だと思います」

「直せますか」

「まずは調べてみます」


春山はメニューを開いた。オーバーレイが展開される。端子の損傷範囲の詳細を確認する。内部の接続状態。データの流れの詰まっている位置。

通路の奥で、かすかに空気が動いた。

さっきより、熱が強い。


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