第43話 剥き出しのサーバー室
最初に動いたのは、春山だった。
膝の痛みを確認して、立ち上がった。骨に異常はない。打撲の範囲だ。
ライカが隣でゆっくりと立ち上がった。着地の衝撃が残っているのか、立ち上がりながら膝を一度押さえた。埃を払いながら、周囲を見渡している。
「……広い」
「そうですね」
ライカが天井を見上げた。
天井まで届く棚が、壁に沿って並んでいる。青白い光の中で、無数のスロットが整然と配置されている。棚の表面に、古い魔力回路の残骸と同じ素材が細い筋状に埋め込まれている。光を失って灰色に変色している。
ライカが棚の前まで歩いた。スロットを見上げた。見上げたまま、しばらく動かなかった。圧倒されている。
「……貯蔵庫みたいですよね、ここ」
「そう見えます」
「でも魔石の貯蔵庫じゃないと思う。何かを、並べて保管している感じ。まるで」
ライカが少し止まった。
「……誰かの記憶を、棚に並べているみたい」
春山は何も言わなかった。
答えが、出なかったわけではない。出すべきかどうか、判断がついていない。
ライカが春山を見た。
「違いますか」
「……今はその段階ではありません」
「その段階、というのは」
「私の主観を混ぜるべきではないので」
ライカが少し眉をひそめた。
答えてもらえなかった、という顔だ。
しかし問い詰めなかった。足元の魔石の欠片を1つ拾い上げて、手のひらに乗せた。
「それにここ、誰かが来たことがありますね」
「そうだと思います」
「この欠片、ずいぶん古い。角が全部丸くなってる」
「ずいぶん前に訪れたんでしょうね」
ライカが欠片を床に戻した。
「さっきから気になってたんですけど」
ライカが肩を軽くすくめた。寒さだ。
「春山さんってどうやって分かるんですか。セイラたちの場所とか、ここの構造とか」
「スキルの副産物みたいなものです。メニュー画面を重ねて使っているうちに、周囲の状態が見えるようになりました」
「それって、普通の使い方じゃないですよね」
「そうかもしれません」
「もっと詳しく聞いていいですか」
「今は空間の確認を優先させてください」
ライカが口を閉じた。納得した顔ではない。保留した顔だ。
春山は棚に近づいた。
最も近いスロットを確認した。黒い矩形の物体が収まっている。表面が滑らかだ。手で触れた。冷たい。金属ではない。ダンジョンの素材に近いが、加工されている。
フィルターで内部を確認した。
データが流れている。微細な信号だ。スロットから信号が出て、棚の筋状の素材を通って、空間全体に伝わっている。
「触らない方がいいですか」
ライカが後ろから言った。
「今のところ反応はありません」
「今のところ、ていうのが気になりますね」
ライカが棚の足元を見た。
魔石の欠片が散らばっている箇所が、他にもある。風化して角が丸くなっている。
「行きましょう」
ライカが言った。
「もっと中を見たい」
春山はライカを見た。
怖がっているようには見えない。疲弊しているが、立ち止まる気配がない。
2人は奥へ向かって歩き始めた。
空間は、想定より広かった。
歩いても、歩いても、棚が続いている。壁が見えない。天井が見えない。
棚と棚の間の通路を歩きながら、春山はフィルターで空間の範囲を確認し続けた。
通路の幅は、2人が並んで歩けるくらいだ。棚と棚の間隔が均一だ。配置が計算されている。通路を作るために、棚が並べられている。
ライカが肩を丸めながら歩いている。冷気が床から伝わってきている。魔力が枯渇している状態では、体温の維持が難しくなる。
「あの」
ライカが立ち止まった。
「ここ、見てください」
棚の一角に、他とは異なるスロットがあった。
空だ。
スロットの中に、黒い矩形の物体が入っていない。空のスロットが、3つ並んでいる。
春山はフィルターで確認した。
信号が来ていない。この3つのスロットには、データが流れていない。他のスロットからの信号が、この箇所だけ迂回している。
「取り出された」
とライカが言った。質問ではなかった。断定だった。
「そう思います」
「中に何かが入ってた跡がある」
ライカがスロットの内側に手を入れた。
「……冷たい。最近無くなったって感じじゃなさそうですね」
「長い時間が経っていると思います」
「誰かが取り出したんでしょうか」
「分かりません」
ライカが空のスロットから手を引いた。腕を胸の前で組んだ。寒さだ。
「棚の足元の欠片と、空のスロット。同じ人が来た痕跡ですかね」
「可能性はあります。同じかどうかは、分かりません」
「ずっと前に、ここに誰かがいた」
ライカが棚の通路を見渡した。
「その人は、何をしに来たんでしょう」
「……今は分かりません」
「春山さんも、分からないことが多いんですね」
「そうかもしれません」
「でも、分かることもある。その判断はどこでしてるんですか」
春山は少し考えた。
「今話すべきことと、今話すべきでないことを分けています」
「私には話せないってこと?」
「今の段階では、ということです」
ライカが春山をしばらく見た。
怒っているわけではない。何かを測っている目だ。
「……そうですか」
ライカは言った。
「進みましょう」
2人はまた歩き始めた。
通路を曲がった。また棚が続いている。
通路を曲がった。また棚だ。
3度目に曲がったとき、前方に変化があった。
棚が途切れている。
通路の先が、開けている。
2人は歩を速めた。
棚の列が終わった先に、広い空間があった。
中央に、何かがある。
棚より大きい。棚とは形状が違う。床から生えるように立っている、単独の構造物だ。
高さが5メートルほどある。幅も広い。表面が複雑な形状をしている。棚の素材と同じ金属に近い素材だが、表面に無数の細い溝が走っている。
溝の中に、古い魔力回路の素材が埋め込まれている。こちらはまだ光を持っている。青白い光が、溝の中を流れている。脈打つように、リズムを持って流れている。
ライカが立ち止まった。
しばらく、何も言わなかった。
構造物の前に立って、溝の中を流れる青白い光を見ていた。
「……心臓みたい」
小さな声だった。
「ここから、先に続いています」
春山は言った。
「終点ではない」
「どこに続いてるんですか」
「さらに深い方向です」
「あの黄金の壁の奥が、これだったんですね」
ライカの声に、感情の色がついていた。怒りでも悲しみでもない。何かが崩れていく感触に近い声だ。
「春山さん」
「はい」
「ここって、ダンジョンとは別のものですか」
春山は少し考えた。
「ダンジョンと、何らかの関係があると思います」
「関係がある、というのは」
「今の段階で言えるのはそこまでです」
ライカが春山を見た。
「また、今の段階ですか」
「はい」
ライカが構造物に向き直った。
青白い光が、溝の中を流れ続けている。
「……奥に行きましょう」
「いえ、今は待ってください」
ライカが振り返った。
「なんでですか」
「通信が途絶しています。外との接続が切れている。体力の消耗もある。今すぐ奥に進む前に、この空間の構造を把握する必要があります」
「把握して、どうするんですか」
「ここがどういう場所かを理解した上で動く方が、何かあったときに対処できます。闇雲に奥へ進んで引き返せなくなるより、今いる場所を確認してからの方がいい」
ライカが少し考えた。
「……上には戻れますか」
春山は正直に答えた。
「今すぐは難しいと思います。上がどういう状態になっているか、もう少し確認が必要です」
「しばらくここにいるということですか」
「可能性はあります」
ライカが構造物の光を見た。
「……分かりました。何をすればいいですか」
「今は私が空間の構造を記録します。ライカさんは体力を温存してください。魔力残量が低い状態で無理に動くと、この空間で何かあったとき対処できなくなります」
ライカが頷いた。
構造物の近くの床に腰を下ろした。膝を抱えた。冷気が床から伝わっているはずだが、構造物の光が少し温かく見えた。
春山はフィルターで、棚の配置と通路の構造を記録し始めた。
データの流れの方向。構造物の位置。空のスロットの場所。棚の足元の魔石の欠片の分布。上方の座標の状態。
全部を記録する。
外に出られるかどうかは、まだわからない。しかし、ここにいる間にやれることはある。
保守員の仕事は、現状把握から始まる。




