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グリッチワーカー~歪んだ理のその先で、独り世界の綻びを繕う~  作者: かんぱく


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第25話 沈黙の報酬

スペクタクル社のビルは、梅田の高層ビル街にあった。


43号線から阪神高速に乗り、大阪市内へ向かう。窓の外を、大阪湾が流れていく。

春山は普段この道を神戸のブローカーへ向かうときに使う。今日は逆方向に、街の中心へ向かっている。

ビルの地下駐車場に車を入れた。

型落ちの軽自動車が、輸入車と高級セダンの間に停まった。走行距離は20万キロをゆうに超える。補修テープの貼られた内張り。駐車場の蛍光灯が、くすんだ車体を白く照らしていた。


エレベーターで最上階へ向かいながら、春山は今日の方針を確認した。

聞く。答えない。情報を出さない。本田が何を求めているかを把握してから、こちらの立場を決める。

それだけだ。




案内された部屋は、昨夜本田が使っていた解析室だった。

3面の巨大モニター。中央のモニターには何も映っていない。本田が窓際に立っていた。


「来ていただいてありがとうございます」

「……用件を聞かせてください」

「座ってください」

テーブルを挟んで、2人が向かい合った。


本田がタブレットを操作した。中央のモニターに、映像が映し出された。

昨日のIブロック。ライカの広域魔法が炸裂する瞬間。5機のドローン映像を同期させた、あの2.5秒だ。


「見ていただけますか」

映像が再生された。

エフェクトが広がる。春山の輪郭が、0.3秒消える。エフェクトが収まる。春山が元の位置に立っている。

春山は映像を見た。

自分が何をしたかは、わかっている。問題は、この映像が本田にどこまで見えているかだ。

映像が止まった。


「春山さん」

「はい」

「あなたはこの瞬間、エフェクトの範囲内にいた」

「そうです」

「無傷だった」

「そうです」

「セイラの計算によると、あの範囲内で生存できる確率は0%です」

「そうですか」

「そうですか、で終わりですか」

「他に何と言えばいいかわかりません」


本田が少し考えた。

「春山さん、私はあなたを責めているわけではありません。管理局に報告するつもりもない。今日ここに来ていただいたのは、単純に確認したいことがあるからです」

「どういった確認ですか」

「あなたは、何ができるんですか」

春山は答えなかった。


本田が続けた。

「Eブロックでイレギュラー個体に孤立した。個体は消えた。あなたは無事だった。管理局は自然消滅と記録している。昨日の映像では、物理法則上あり得ない生存をしている。Cブロックの回収記録は、不自然なほど最適化されている」

本田がタブレットを置いた。


「点を繋ぐと、一つの線になります」

「どういう線ですか」

「あなたは、このダンジョンの何かを、通常の探索者とは全く異なる方法で理解している。そしてその理解を使って、通常では不可能なことをしている」


春山はしばらく黙った。

本田の分析は、正確だった。しかし正確であることと、全てを把握していることは違う。

「……仮にそうだとして」

春山は口を開いた。

「あなたは、それを知って何をしたいんですか」


本田が少し、表情を動かした。

「率直ですね」

「時間が惜しいので」

「そうですか」


本田が立ち上がって、窓の外を見た。梅田の高層ビル街が、昼の光の中に並んでいる。

「私が求めているのは、攻略の成功です。スペクタクル社にとって、ダンジョンはコンテンツです。視聴者が求めるのはライカの活躍であり、困難の克服です。しかしダンジョンが深くなるほど、予期しない事態が増える。Eブロックのイレギュラー個体も、昨日の中間個体も、私の想定を超えていた」


本田が振り返った。

「あなたのような人間が側にいれば、その想定外を埋められる可能性がある」

「……私を、保険として使いたい、ということですか」

「保険、という言葉が正確かどうかはわかりませんが、概ねそうです」


春山はテーブルの上で手を組んだ。

本田の求めていることが、はっきりした。

ライカたちが対処できない事態が起きたとき、春山に処理させる。表向きは「随行清掃員」として現場にいる。しかし実際には、本田の手札として機能させる。

問題は、それが春山にとって何を意味するかだ。


「条件を聞かせてください」

本田が少し目を細めた。


「条件、ですか」

「あなたが求めることに応じるとして、私は何を得ますか」

「随行料の増額は可能です。Hブロック以上のエリアへの定期的なアクセス権。管理局からの干渉を、私の側でブロックします」


管理局からの干渉をブロックする。

春山は、その一点を聞いた瞬間に、値踏みを始めていた。


金の話ではない。

Gブロックへの強制配置。スーツの男の定期確認。ルートを変えるたびに発生する不合理な制限。管理局の干渉は、春山の仕事を何度も止めてきた。ダンジョンの構造を読み、最適なルートを見つけ、清掃区画を誰よりも効率的に完了させる、その一連の流れを。

深層へ行くほど、ダンジョンの構造は複雑になる。処理の重さが増す。バグの発生率が上がる。そのぶん、「読む」価値がある。


管理局が引いた「立入禁止」の線は、春山にとって仕事の途中で打ち込まれたアクセス制限と同義だった。正当な権限のない管理者が、ログの途中でシャットダウンをかける。それ以上のものではない。


「管理局をブロックできる根拠は何ですか」

「弊社は管理局の主要スポンサーです。直接的な介入はできませんが、特定の清掃員への過剰な割り当て変更について、正式に異議を申し立てることはできる」

「記録が残りますね」

「残ります。しかし、管理局があなたに対して行っていることも記録に残っています。どちらが先に動くかの問題です」


春山は少し考えた。

本田の提案は、構造として合理的だった。春山には「管理局からの保護」が得られる。本田には「想定外への対処能力」が得られる。利害が一致している。

しかし、リスクがある。

本田に何かを見せるたびに、本田の把握する情報が増える。今は「何かができる」という認識だが、見せ続ければ「何をどうやってできるか」まで把握される。そうなれば、利用される側の立場が弱くなる。


「一つ、確認させてください」

「どうぞ」

「あなたが望んでいるのは、攻略の成功であって、私の秘密の解明ではないはずだ」

本田が少し止まった。


「……続けてください」

「私が何をどうやっているかを、あなたは知りたいと思っている。しかし、そこまで知る必要はない。結果が出れば十分なはずです。秘密の解明を条件に加えるなら、この話は終わりです」

沈黙があった。

本田が窓の外に視線を移した。梅田の高層ビル街が、昼の光の中に並んでいる。その景色を見ながら、何かを計算している気配があった。


「……わかりました」

本田が口を開いた。

「プロセスは問いません。結果だけを求めます」


あっさりと引いた。

しかし春山には、その「引き方」が気になった。本田はここまで粘り強く春山に接触してきた人間だ。そう簡単に諦める性格ではない。

プロセスを問わない、というのは「今は問わない」という意味かもしれない。結果を積み重ねながら、少しずつ把握していく。急がず、焦らず、データを集める。本田が長年ダンジョンの環境データを見続けてきた人間だとすれば、それが本田の流儀のはずだ。


「それなら、話を続けられます」

春山は答えた。

今日の合意は、終点ではない。別の局面の始まりだ。


「随行料の増額と、管理局への申し立て。それで合意できますか」

「もう一つ」

「何ですか」

「今日ここで話したことは、管理局には伝えない。御社の内部にも、私との契約の詳細は伝えない」

「ライカたちにも、ですか」

「ライカさんには、現状通り『随行清掃員』として接します。それ以上の説明は不要です」


本田が少し考えた。

「……了解しました」

「では、合意です」


春山は立ち上がった。

本田も立ち上がって、手を差し出した。

春山はその手を握った。


「よろしくお願いします、春山さん」

「……こちらこそ」




ビルを出て、駐車場に戻った。

軽自動車に乗り込んで、シートに背中を預けた。

頭の中で、今日の会話を整理する。

本田との合意内容。随行料の増額。管理局への申し立て。プロセスを問わない。秘密の解明は求めない。


利害は一致した。

しかし、油断はできない。

本田は「プロセスを問わない」と言った。しかしそれは、プロセスへの関心を失ったことを意味しない。観察を続けながら、少しずつ把握しようとするはずだ。

春山には、見せてもいいものと、見せてはいけないものの境界線が必要だ。

「見せてもいいもの」は、危機的な状況での生存能力だ。ライカたちを守ることに繋がる範囲なら、本田も納得する。

「見せてはいけないもの」は、スタックと圧縮、シード値の操作、未開発ゾーンへのアクセス。それらは、ダンジョンの深部へ向かうための手段であり、誰かに管理される類のものではない。

境界線は、引けている。



エンジンをかけた。

駐車場を出て、阪神高速へ向かう。窓の外に、梅田の高層ビル街が流れていく。スペクタクル社のビルが、後ろに遠ざかっていく。


「……アクセス制限は、外れた」

独り言が、静かに車内に落ちた。

管理局が引いていた線は、フィルターだ。適切な権限を持たない管理者が、途中でかけたシャットダウン。

ダンジョンの深層は、まだ読んでいない領域がある。構造が複雑になるほど、処理の負荷が上がる。バグの密度も増す。

そこに何があるかは、行ってみなければわからない。

しかし、行けるかどうかと、行くかどうかは別の話だ。今日の合意で「行ける」という条件が一つ増えた。それだけのことだ。

急ぐ必要はない。ただ、仕事の邪魔をされる理由も、もうない。

43号線へ降りると、昼の渋滞が始まっていた。



「……今日も、混んでるな」

アクセルを踏んで、赤いランプの列に加わった。

本田との関係が、変わった。

しかしそれは、終点ではない。また別の局面が始まった、ということだ。

保守員の仕事は、終わらない。


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