第四章 Background of Spirited Daughter予想 4
四
一方そのころ、仁楠、和井得、そして押照の三人は、日田子の事務所に乗り込んでいた。
「ハンブルク研究所主任、仁楠です」
仁楠と和井得は名刺を渡しながら、日田子と相対した。黒根よりも年上に見えるが、話に聞く怠惰さは、相対した雰囲気からは感じられなかった。もっとも、出会う人には威厳を示して騙してきたのかもしれない。
「はじめまして。市議会議員の日田子です。環境コンサル会社が、なぜ、我々の問題に首をつっこまれるんですか」
「あなたが、騒音問題を出されたからですよ」
押照は強い態度で日田子に出た。
「ああ。事実でしょう。
昔からある学校なら、近くに建てる家々に住まわれる方には事前に説明されるでしょうが、ボルドー小学校はまだ歴史が浅い。人口の多い地域に建設した。事前に近隣の方とのコミュニケーションをとっていましたかね? それが欠けていたから、今こうして問題が紛糾しているのではないですか」
「よくもまあ次から次へと」
「早ければ二週間後にでも、被害を訴える会が発足されます。被告になる準備はいいですか?」
「そこでわたしたちが呼ばれたわけです」
仁楠はすきを見て、小さく手を挙げて間に入った。
「なぜ環境コンサルが、と先ほどおっしゃられましたが、森林保護だとか海洋汚染だとか、そんな大きな環境問題ばかりをイメージされていませんか。
地に足ついた問題の相談にも応じます。住みよい環境づくりというのも、重要な仕事ですから」
「なるほどね。それならむしろこちら側につくべきじゃないんですかね」
「まずは、ヒアリングから」
ふん、と日田子は軽く鼻で笑った。ここまで悪人ムーブを出来るのは天性のものだな、と仁楠は少し恐れた。
「ヒアリングもなにも、別にわたしは何とも思っていませんよ。ただ、住民の方から相談を受けてね」
「ではその、訴える会へアポをとりたいのですが」
「そういうわけにはいきませんよ。ただの市民の方々が、勇気をもって立ち上がるわけで、わたしが頼られているんです。外部の方に下手な刺激を与えられるわけにはいきませんよ」
サクラだな、と仁楠は思った。
例えば、マンション建設時の騒音について事前説明会を開く際に、何度かハンブルク研究所は依頼を受けて対応していた。その際にも、建設反対派が雇った活動家が説明会に潜り込んでいることが何度かあった。
しかし、今ここでそれを立証できるわけはなく、また相手は議員であるため、言葉の通り代議士である以上、代わりに市民を出せ、というのも無理がある話であった。
日田子のほうも、常套句で黙らせた、と思い、気を良くしたのか、押照に向き合って、さあ、用は済んだでしょう、訴訟の準備でもしてくださいよ、と帰るよう促し始めた。
「言っておくけれど、とんとん拍子に我々が勝訴して慰謝料を勝ち取っても、その後も何度でも訴訟を起こすからね。さっさと廃校にする方がいいよ」
「そ、そんな要求、のめるわけがないでしょう」
「だからって、この訴訟にさ、簡単に【いいえ】なんて言わないことだよ、押照先生。
知っているかい? 最も古く、最も短い言葉の、『はい』と『いいえ』は、最も熟慮を必要とする言葉なんだよ。そのたった一言の返事で、肯定か否定か、なんて重大な二択を決めてしまうんだからね」
憤る押照を仁楠がなだめながら、事務所を後にしようとした。
「こういうとき、塚くんなら、これくらい言いますよね」
そうぼそりと言った和井得は、振り返って、切り込んだ。
「何も行動せず、スキャンダルと無縁だった。そんな挑戦しなかった人間が、もらい事故のミスを受けてようやく動くなんて、皮肉ですね」
「そうだ。人生初めてのミスがこれだ。そしてこれを人生最後のミスにする」
強く出た和井得はすぐに上から抑えつけられるようにそう反論され、喉の奥の方で小さく唸った。日田子は良い気になり、饒舌になった。
「しょせん環境会社だ。話をきいて、コンサル料をもらう。君たちに信念なんてないだろう。議員とは違う。邪魔をするな」
カチン、ときたのが、仁楠だった。喜怒哀楽の怒の感情なんて数年ぶりで、怒るのは下手くそになっていたが。
会社員を、なめるな。
「自然科学というのは、神への挑戦だと思っています」
仁楠が日田子に正対した。
「段々と悪化する地球環境。すべてがそうとは言いませんが、ほとんどは人間の自業自得。先代からのカルマや負債を、完済できるはずはなく、進展を遅くするくらいのことしかできません。
そこに、科学をぶつけて、歯止めをかける。人工的に、自然を良化させる。そんな無茶をするのが、われわれ環境会社です」
「議員より役に立つとでも?」
「すべての仕事は尊い。貴賤はありません」
「八方美人な答えだな」
「貴賤があるとすれば、仕事への姿勢でしょう」
仁楠は、捨て台詞としてそれを言ったわけではなく、そのまま十秒近く、日田子と正対し続けた。
大人が二人、言いたいことを言い切ってから、何秒間も黙って正対する。どんなスポーツでも、芸術でも、こんな種目はない。
労働者たちの、仕事と、プライドがぶつかるときにしか起きない。
「ハンブルク研究所、か。覚えておくよ。理想論を振りかざす偽善会社、ってな」
「会社員をバカにする人間に、ろくな人間はいませんよ」




