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第二章 デオキシリボ核酸の存在と現実ギャップ問題 3

 三




 弥古尾はメールを送信した。これでライバル社が対抗してこなければ、ケースクローズだ。仁楠は弥古尾にねぎらいの言葉をかけながら、自分のデスクに戻った。




 同じく七月、ハンブルク研究所に別の依頼が入った。新規ではなく、継続的に依頼がある、江東区区役所の新設部署、都市緑地計画課、通称緑課からであった。




「また主任と一緒の案件ですね」




 仁楠と、一般課員の李今リイマとの案件であったが、ここでもやはり、賀臼により塚が送り込まれた。




 ボルドー小学校騒動以来一か月、仁楠は彼なりに黒根と塚との関係性を探っていたが、あまり進展はなく、それでいて塚の行動如何によっては黒根の怒りが自身に飛び火してくる恐れがあり、心休まらない日々であった。仁楠からすれば、塚を放り込まれても、彼女を失敗から守る必要があり、緊張の高まる采配であった。




「ずっと主任がやっていた案件なんですよね」


「うん。まぁ、あまりいい案件じゃないんだけどね」




 緑課の依頼は、ある種ボルドー小学校と肩を並べる無茶な内容と言える。




「埋立て地がほとんどの地域なのに、緑豊かな開発をして、住民満足度を上げたいんだとさ」




 江東区や江戸川区は、都内中心部への所要時間の短さから人気のエリアではあるものの、首都直下型地震の最大被害エリアの候補でもあることから、どうも安全面での満足度が上向いてこない。区役所では悩みの種となっていた。そこでハンブルク研究所に計画の顧問を頼んでいるわけだが、




「ずっと不毛なんだよ。彼らの意見がいっこうにまとまらないから、ぼくの仕事といっても、相づちを打つくらいだけでね。


 何より、あちらの部署として予算がほとんど割かれていないんだ」


「ええー。大事な環境問題じゃないですか」


「理解が得られていないんだろうね。だから今日も、大した進展もない、つまらない会議になると思うよ」




 詳しい話は後で、と塚をデスクに戻した仁楠はオフィスを見渡した。塚をどう扱うか、和井得に相談しようと思ったが忙しそうであった。郡馬は弥古尾を連れて別案件に出向いていた。賀臼はドカッとデスクに座っていた。昼鈴は横の部屋で管理業務のかたわら、仁楠の人事評価を進めていた。黒根は今日は省庁へのあいさつ回りで不在であった。




 ここまで間が悪いなんて、今日は厄日かな、と仁楠は身構えた。




「主任。お探しですか」




 李今が自分からトコトコとやってきた。李今は話しぶりや仕事ぶりから、要領の良さやセンスの良さは垣間見られていたが、まだまだ経験が浅く、どうしても信用しきれない部分がある、というのが仁楠を含めた管理職陣の統一見解であった。




 今回の緑課への訪問については、仁楠をこの不毛な案件から外して、李今に引き継がせよう、という、仁楠も既に同意済みの経緯や事情があった。




 そういう事情で、ただでさえ若い李今を連れて、次回から彼が担当します、と案内する場に、もう一人新人を連れていくのだから、紹介も段取りも面倒になるな、と仁楠も口をへの字に曲げた。




 李今はその仁楠の表情から、あ、今、自分の姿勢が悪かったのではないか、と勝手に早とちりして、背筋を大げさにピンと伸ばした。それを見て仁楠は少し口元をほころばせた。それを見て、やはり主任は礼儀に厳しい人なんだろうな、と李今は改めて解釈した。




 そうなると、いまいち礼儀作法が抜けがちな塚が主任と組むのは、塚のためじゃないな、と李今は思った。




「李今くん、ちょっと、塚さんのことで相談があるんだけどね」


「分かっていますよ」


「なに、分かっているのか?」




 驚く仁楠に、李今はいい気になった。当然マナーの話だと思っている李今は、賀臼から飲みに誘われたときに、塚のボルドー小学校での奔放な行動の話を聞いたことを思い出しながら、




「ぼくも部長から聞いていますからね。彼女の、昔の事情と言いますか」




 とサラリと言ったので、仁楠はそれを、塚と黒根の話だと早合点してしまった。




「部長、李今くんに言ったのかい?」


「ええ。あれ、主任もその場にいたんじゃなかったでしたっけ」




 仁楠の背筋は急激に冷えた。




 あの日の盗み聞きがバレていたのか。




 課員である李今の耳に入っているということは、盗み聞きした自分にだけは公式に伝えていない、ということだろうか、と仁楠はあれこれ考えこんだ。




 少しトイレに行くよ、と仁楠は、フラフラとした足取りでトイレへ向かった。そして個室に入ると、頭を抱えた。勘違いは人をこうも追い込む。




 もしかすると、あの日、早い段階で盗み聞きしていることがバレてしまい、途中からは、自分を騙すために話の内容を変えたのではないか、という仮説まで生まれていた。そうなると、塚を厄介な案件にねじこむのは、塚への罠ではなく、塚により起こる失敗を仁楠の責任ということにして、降格を画策されているのではないか、という最悪のストーリーも考えた。




 仁楠は慌てて個室を出てデスクに戻り、緑課についての資料を再度まとめはじめた。塚は頭の上に大きなクエスチョンマークでも浮かべんばかりに、首を四十五度傾けた。




「あれ、主任。つまらない会議にそんなに準備が必要なんですか」


「いや、今日はこの会議で成果を出さないといけなくなった」




 十分前と言っていることが真逆の仁楠に、塚は首をほとんど九十度までかしげた。



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