― わたしたちの世界
わたしたちは、霧の深い村で生まれた。
最初から“わたしたち”で、寂しい思いはしたことがなかった。
わたしたちはみんな優しかった。
あの村はそれで完結できていれば幸せだったのだろう。
でも、あの島はそこまで豊かではなかった。
わたしたちは世界に爪弾きにされ、その世界に縋らないと生きていけなかった。
白い、白い世界。
わたしたちはこの世界で産まれて、生きて、死んでいた。
黒い、黒い世界。
わたしたちは負けた種であり、何も手にするものではないと、何か手にできるものでもないと。
そう言われ続けた。
あの人がそれを変えようと、わたしたちの為に立ち上がって、父さんや母さんや村のみんながそれに続いても、世界は変わらなかった。
わたしたちの希望は、相手の日常を破壊することでしか生きられず、その中で当たり前のように消えて行った。
あの人ですらわたしたちを、この世界を、変えることができないのなら。
ならばいったい、誰がわたしたちを変えることができるのだろう。
生まれた狭い村を出ても、島一番の町に来ても、結局世界は狭かった。
窮屈で息苦しい、真綿で締められているような感覚。
じわりじわりと、わたしたちを亡くそうとする感覚。
あの人は希望はあるといった。みんなそれを信じていた。それは、そのままあの人と一緒に消えてしまった。
あの人が嘘つきだとは思わない。わたしたちはあの人を恨んではいないし、救われたとさえ思っている。
わたしたちでなくても、わたしたちの味方になってくれる人がいる事実に、なにより勇気をもらえた。
だけれど世界はそれを許してはくれなかった。あの人の言う世界の“システム”さえ発現することなく、あの人はいなくなった。
この世界が本当に不変のものであるなら、こんな世界が絶対であるならば。
わたしたちは、この世界から目を逸らすしかなかった。
わたしたちの理想の世界に閉じこもって、わたしたちの理想に溺れるしかなかった。
誰も望んではいない。
わたしたちでさえも、そんなものは望んでいなかった。でも、そうする以外他にやり方を知らなかった。
世界があんなに醜いなら、わたしたちもそうする。
世界があんなに美しいなら、わたしたちもそうなる。
わたしたちにも、そうすることも、そうなることも、権利はきっとあるはずだ。
それは簡単なこと。
世界がわたしたちを排除するなら、わたしたちが世界を排除してやればいい。
そうすれば平和でいられる。両方の願いがかなえられる。
わたしたちも、世界も、両方ともが両方ともを見ないですむ。
そこにはなにもないと無視することができた。
わたしたちはひとりだ。
寂しくはない、それがあたり前だからだ。
わたしたちはよわい。
悲しくはない、それが日常だからだ。
わたしたちはまだ幸せだ。
そのことを思うことが、一番苦しかった。
あの人が消えて、父さんと母さんが帰ってこなくても、アタリマエは続く。
わたしたちは生きるために死ぬしかなく、死ぬのがつらくなるより先に壊れてしまっていたようだ。
生きる為にタべる。生きる為にノむ。
当たり前のことをアタリマエにできなくなって、初めて世界のあり方がわかった。
そんな時、わたしたちは彼女と出会った。
あの人を探すと言った彼女に、希望は抱いていなかった。
彼女はただ、あの姿を追い求めているだけのカワイソウな存在にしか見えなかった。
だけれど、何故か彼女に力を貸したくなった。
あの人が生きているなんてこれっぽっちも思わなかったけれど、いつの間にか彼女とともに歩いていた。
どうしてかはワカラナイ、同情してしまったのか、重ねてしまったのか。
それでも彼女と共にいると、あの人のようにいくらか世界が輝いたように見えた。
「それも……幻だというのかしらね……?」
リードットの体はボロボロと崩れ落ちはじめ、殆どの機能を失ってしまっていた。
それでも彼女は力を振り絞り、這いずり、姉の傍へ向かう。
トパズの真体は殆ど魔素へ還り、貫かれたトパズが荒れた地面に斃れている。
リードットはなんとか姉の元へたどり着いた。
「姉さま、わたくしたちの、いったい何がいけなかったのでしょう」
トパズは答えない。それをわかっていてリードットは話しかけ続ける。
「姉さま、わたくしたちは、どうすればよかったのでしょう」
周囲に霧はなく、荒れて崩れた町並みが露わになっていた。
「姉さま、わたくしは、これでも、本気で、幸せでしたわ」
空は黄昏に赤く、今までの陰惨さが嘘のように町を照らしていた。
「……姉さま、あの娘は、幸せになれる、でしょうか?」
太陽が二人を照らす。リードットにはトパズが眠ったように穏やかな顔をしているように見えた。
「わたくし、それだけが、心残りで……、でも、大丈夫ですわね、だって――」
ふと、トパズの目から雫が流れる。リードットには彼女が泣いているように見えた。
「姉さま?泣いているのですか……?」
腕を伸ばしてぬぐおうとするが、腕はもういうことをきかなかった。
「……姉さま、わたくしはずっと一緒です、悲しまないでください」
何とか姉を励まそうと声をかけていると、町が太陽の光で霞む。こんなにも世界が暖かいものだなんて知らなかった。
ふと、故郷では見れなかったその光の中で、彼女は気付く。
「……ねえ、さま?わらって、い……る、の……?」
――ねぇ、リードット。わたしたちの世界は暖かいのね?
ふと、声が聞こえた気がした。
「……そう、ですね……わた……しも……」
リードットは幸せな世界の夢へ、眠るように瞳を閉じた。
赤く沈んだ町の、霧の事件が幕を下ろす。
今回は閑話的なものでした。
次回からまた戦争の話へ戻ります。
カインたちの戦いはまだ先が長いです。




