51◆食べ物の恨みは
森の奥深くにそびえ立つ、とある古城。時代の変遷とともに忘れ去られ、長らく放置されてきた。
ところが近年、強大な魔物が棲みついたらしい。地下に巨大な迷宮が現れ、そこからあふれた魔物たちが近隣の村を襲う事態になっている。
調査の任に就いたのは、国内でも屈指の剣士だった。
彼は4人の仲間とともに迷宮の探索に乗り出す。
今回が5回目。慣れたものだ。
けれど油断は禁物と、仲間を鼓舞し、リーダーシップを発揮し、地下迷宮の7階層までやってきた。
通路の高所には等間隔で燭台が置かれているが、蝋燭は灯っていない。別の、不思議な光がそこからあふれ、迷宮を照らしていた。
「いったいどこまで続くんだろうなあ」と盾役の重戦士がぼやく。
「最奥にはこの迷宮を作った張本人がいるはずよ」と魔法使いの女性。
「どうしますか? リーダー。水も食料もまだ余裕はありますが」とは回復役の神官。
「おいらはまだまだ元気だぜ」
最後は探索兼荷物持ちの獣人の少年。自身の二倍はありそうなリュックを背負い、にかっと笑った。
ふむ、と剣士は考える。
みな活力に満ちているが、今日は魔物との戦闘を二桁こなしている。
少人数での迷宮探索。
助けのない任務なのだから、慎重に越したことはない。
ただ、仲間のやる気をそぐのも問題だ。
「あと半日は進んでみよう。もしくは下への階段を発見するまでだ」
一同がうなずく。
「その前に腹ごなしをしておくか。余裕があるうちに、しっかり休んでおこう」
「おっ、さすが大将。話がわかるねえ」と重戦士がにんまりした。
「では、私は魔除けの結界を」
神官はこん棒を壁に立てかけると、ロザリオをを掲げて詠唱を開始した。
獣人の少年は大きなリュックを下ろし、ふっと息をついた。なんとはなしに、通路の奥へ目をやれば。
「っ!? なんか来るぞっ」
緊張が走る。神官は詠唱を早めた。
重戦士が前に出た。剣士は半身になり、後方にも注意を割く。
「……なんだ、ありゃ?」と重戦士が訝った。
ふらり、ふらり、と。
通路の奥からやってくる何かは、上体を左右に揺らしながらゆっくり迫っていた。
「女……の子?」
人に擬態する魔物もいるが、たいていは不出来で一目瞭然。が、歩み寄ってくるその女の子は、本物か偽物か判断に迷った。
年のころは12,3歳。ぼさぼさの黒髪は床にまで伸び、顔の半分を隠している。整った容貌ではあるが生気はなく、頬がこけて見えた。薄汚れた貫頭衣を被っただけの姿は、囚人を彷彿とさせる。
「おい、テメエなにモンだっ!?」
ふらり、ふらり。
「誰だって聞いてんだよっ! つーか止まれ。それ以上、こっちに来んじゃねえっ」
怒気を飛ばすと、女の子はぴたりと足を止めた。それでも上体をふらつかせている。
「ようし、いい子だ。んじゃ、さっきの質問に答えてもらおうか。テメエ、どこのどいつだ?」
女の子は、ふらふらしながら、かすれた声で言った。
「グラ……」
「グラ? 名前か、それ?」
こくりとうなずく女の子。
会話が成り立ったのでひとまず安堵する面々。だがグラなる少女が魔物に操られている可能性も否定できない。
重戦士に代わり、パーティー唯一の女性である魔法使いが質問を続けた。
「あなた、どうしてこんなところにいるの? どこから来たのかな?」
グラは答えない。
「迷子、なの?」
グラは首を横に振る。
魔法使いは杖を握る手に力をこめた。
女の子の、得体が知れない。
魔物が跋扈する地下迷宮の奥深くで、一人でふらつく彼女が、まともであるはずがないのだ。
しんと、辺りが静寂に包まれた。
それを破ったのは、グラだった。
「食べ物は、ある……? 飲み物は、ある……?」
「オマエ、腹が減ってんのか?」
グラは答えない。ぼんやりと虚空を見つめ、ふらふらしていた。
と、5人の周囲に光の壁が現れる。
「魔除けの結界が完成しました。彼女が仮に魔物なら、たやすくは入ってこられません」
ふぅっと、魔法使いと重戦士が息をついた直後。
「ブフゥッ!」
グラの背後に、イノシシのような魔物が現れた。ドドドドッと真っすぐ突進してきて、
「危ないっ」
ドンッ。
グラの背中に体当たりした。
小躯が小石を蹴ったように飛ばされる。光の壁を突き抜け、重戦士のすぐ横に落っこちた。
「その娘は魔物ではありませんっ」神官が叫ぶ。
「ちいっ、この野郎っ」
重戦士は光の壁を越え、イノシシ型の魔物に戦斧を振り下ろす。額を割られ、魔物はあっさりと絶命した。
「大丈夫っ!?」
慌てて魔法使いがグラに駆け寄った。うつ伏せの彼女の背に血はにじんでいなかった。
グラは横たわったまま、ぼんやりとつぶやく。
「食べ物、ある……? 飲み物は……?」
即死してもおかしくない状況でも、彼女はまったく変わらない。
異様な光景ではあったが、魔除けの結界の中に入ってきたグラに安心したのか、獣人の少年が大きなリュックを指差して言った。
「食料なら、ここに――」
ガバッとグラが起き上がる。ノーモーションでリュックにダイブ。やせ細った体のどこにそんな力があるのか、大きなリュックを持ち上げると、すたこら走り去っていく。
その小さな背を、5人は呆然と見送って。
「俺らの食いもんがぁっ!」
戦士の絶叫が、迷宮に響き渡るのだった――。
迷宮探索において重要な要素は何か?
地図を作成しつつ、現在位置と帰路を把握すること。
常に周囲を警戒し、突然魔物に襲われても対応可能な陣形で進むこと。
体力、魔力の残りに気をつけ、余裕を持って休憩すること。休憩中の警戒。
さまざまある中で、食事と水分補給は欠かせない。
だから帰りの分もたっぷり用意して詰めこんだ大きなリュックはしかし、グラなる少女によって奪い去られた。
手持ちの地図は作りかけの7階層のものだけ。残りは全部リュックの中だった。
丸一日かけて、パーティーは6階層をうろうろする。
各自が持っていた食料は尽き、水は残り少ない。
空腹と疲労に、精神も肉体も現界を迎える中。
「お腹、空いた……?」
グラが大きなリュックを背負い、彼らの前に現れた。
両手には貴重なたんぱく源である干し肉を鷲掴みにしている。
「テメエ……」
5人は殺気立って武器を構えた。
グラが干し肉を無造作に放る。
と、天井から壁面から、成犬サイズのヤモリのような魔物が飛び出し、バクバクバクっと干し肉を食らった。
「ぶっ殺すっ!」
食べ物の恨みは恐ろしい。問答無用で重戦士が戦斧を振りかぶって襲いかかった。魔物たちは次々に両断された。勢いそのままに、重戦士はグラへと肉薄する。
だが、グラはのらりくらりと重戦士の、そのすぐ後ろから迫った剣士の剣撃を躱し、魔法使いの魔法も届かず、通路を折れて姿をくらました。
丸二日が経った。
水も尽き、生きる気力を失いかけた彼らは、ようやく5階層への階段を見つける。
広い部屋だった。天井も高い。
部屋の中央には上階へ登る長い階段がある。
愕然とした。
階段の手前で、火を炊いて生肉を焼くグラを見つけたのだ。
香ばしい匂いに生唾が止まらない。それが殺意へと塗り替わり、誰もが声を発せず、グラへと襲いかかった。
ゴンッ、と。
グラのすぐ側まで迫ったところで、透明の壁にぶつかった。
武器で斬りつけ、爪を立てて削ったところで、透明の壁はびくともしなかった。
「クソがっ!」
「返してよっ」
「なんなんだお前はっ」
発狂寸前の彼らは、なおも壁を壊そうと躍起になった。肉を、食い物を、ただそれだけを求めて。
「お腹、空いた……?」
グラの挑発に、ぷつんと何かが切れる音がした。5人全員に、だ。
手を伸ばせばつかめそうな場所に、恋い焦がれた食べ物がある。しかも焼きたての肉だ。もはや理性は消え失せ、ただ透明な壁を破壊せんとありったけの体力と魔力をつぎ込んで破壊を試みた。
けれど透明の壁はびくともしない。
それでも必死に攻撃を続け、やがて――。
ずしん、と。
後方から響く音。恐る恐る振り返ると、
「なんで、あんなのが……」
身の丈10メートルを超える、ミノタウロスがいた。
この迷宮の主だろう。右手には巨大な斧、左手には棍棒。ずしん、ずしん、と迫ってくる。
それだけではない。ミノタウロスの後方には、部屋の入り口をふさぐように魔物が殺到していた。
空腹で力が出ない。魔力も空っぽ。
何がどうあっても、この難局を切り抜ける策が思いつかなかった。
「ぁ、ぁぁ……」
魔法使いがへたり込む。
神官は武器を捨てて神に祈り、重戦士も獣人族の少年も立ち尽くした。
「ぅ、うわあああっ! 食わせろっ、せめて最後にひと口だけでもっ! お願いだっ、お願いしますっ!」
剣士はプライドも何もかもすべてかなぐり捨て、そう懇願した。
グラは透明の壁の向こうで、つぶやく。
「お腹、空いた……?」
「空いたっ! もう腹ペコで死にそうなんだっ。もういい。俺たちは死ぬ。それでいい。だから最後くらい、美味いものを食わせてくれっ。いや、美味くなくていい。だから、せめて、ひと口……」
剣士の心からの願いも、
「絶望、したの……?」
儚く砕け散る。
ずしん、ずしん、と死が迫る中、彼らは死の恐怖よりも、空腹の辛さに耐えかねていた。
「そんな貴方たちにお届け物ですっ」
ズバズバズバッ、と魔物たちが、ミノタウロスが両断された。
しゅたっと5人の前に降り立ったのは、黒髪の少年だ。
右手には白銀の剣。左手には大きなお盆を持ち、その上には大量の食料と、おそらく水の入った瓶。
「どうもこんにちわ。勇者メル・ライルートです」
少年はそう名乗ると、次の瞬間には、透明の壁を破壊した――。
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麗らかな午後の陽射しが降りそそぐ中、俺は鍛錬中のマリーと、付き添いのシルフィのところへやってきた。
俺は右手で、やせ細った女の子の首根っこをつかまえていて、
「悪竜の尻尾を一匹、捕まえてきた」
すとんと落とした少女は、名をグラ、悪竜の尻尾から生まれた女の子である。
「……」
「……」
ぽかんとする二人に、告げる。
「こいつ、仲間にしようと思うんだけど」
シルフィとマリーは呆然と少女を見やり、
「うん……」
「はあ……」
なんとも微妙な顔をするのだった――。