第二話 何はなくても塩
辺境行きが決まってから三日後。
アルノルトは、自室の机に山積みになった帳簿を眺めていた。
「……終わってるな、この家」
赤字。
赤字。
また赤字。
しかも無駄遣いが酷い。
見栄のためだけの舞踏会。
使いもしない装飾品。
維持費だけかかる別荘。
前世で散々見た。
潰れる会社の典型例である。
(本当にあと数年で没落するわ……)
アルノルトはため息をつきながら、ペラリと最後のページをめくる。
その瞬間、扉がノックされた。
「アルノルト様。お茶をお持ちしました」
入ってきたのは、灰色の髪を後ろで束ねた少女だった。
メイドのリリア。
年齢は十六くらい。
侯爵家では珍しく、アルノルトにまともに接してくれる人間である。
「ありがとう、リリア」
「……また帳簿を?」
「うん。家計が想像以上に酷くて」
「アルノルト様って変ですよね」
「いきなり悪口?」
「普通の貴族様は、こんなもの見ませんから」
それはそう。
この世界の貴族は“経営”をしない。
税を集めて、使うだけ。
赤字になれば領民からさらに搾り取る。
その結果、反乱や飢饉が起きる。
(中世って感じだよなぁ……)
アルノルトはカップを手に取りながら考える。
この世界は文明レベルで言えば中世ヨーロッパに近い。
だが、魔法が存在するため、一部分だけ妙に発展していた。
問題は――経済が未熟すぎること。
(なら、やりようはいくらでもある)
その時だった。
窓の外から怒鳴り声が聞こえてきた。
「値上がりだと!?」
「仕方ないだろ! 北街道が魔物に襲われたんだ!」
「塩が足りねぇんだよ!」
アルノルトの耳がピクリと動く。
「……塩?」
前世知識が警鐘を鳴らした。
塩。
人類史における超重要資源。
保存食。
流通。
軍事。
生活必需品。
つまり――絶対に需要が消えない。
「リリア。この辺りって塩不足なの?」
「え? はい。最近ずっと高騰してますけど……」
「塩ってどこから来てる?」
「南部の塩田ですね。でも輸送路が危険で……」
アルノルトの脳内で、一気に計算が始まる。
物流が弱い。
供給不足。
価格高騰。
つまり。
(商機だ)
「リリア。今、僕の自由に使えるお金ってある?」
「ええと……銀貨三枚ほどですね」
「少なっ」
ユニークスキルの表示通りだった。
【現在資産:銀貨三枚】
【評価:路地裏の子供レベル】
(いちいち煽ってくるなこのスキル)
だが、アルノルトは笑った。
むしろいい。
成り上がりには最高のスタートだ。
「リリア」
「はい?」
「僕、商売を始める」
「……はい?」
「まずは塩だ」
リリアは数秒沈黙したあと、真顔でこう言った。
「とうとう壊れましたか?」
「違う。むしろ覚醒した」
アルノルトは立ち上がる。
前世では、上司に頭を下げ続けた。
満員電車に揺られた。
成果を横取りされた。
だが今世は違う。
働かされる側ではない。
働かせる側だ。
(まずは資金を作る)
(そして流通を押さえる)
(最終的には帝国経済そのものを支配する)
その第一歩が――塩。
世界最強のインフラビジネスだった。
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