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紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻 (Vシネ風×百合×バイオレンス×探偵)』  作者:
1章 最近のいつも通りの日常

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1話 いつも通りな事務所

「犯人はお前だ!って、本当に格好良かったんですよ。聞いてますか玲奈さん!」


 事務所に響き渡る大声に、私は思わずこめかみを押さえた。

 指の腹で強く押し込み、脈打つ頭痛を抑えようとする。

 狭い部屋の壁が、舞の甲高い声でわずかに震えたように感じた。


 コーヒーを一口飲んで、

 苦味が舌に広がり、熱さが喉の奥まで染み込むのをじっと味わいながら、深いため息を落とす。

 息がゆっくりと吐き出され、埃っぽい空気に混じってかすかに白く揺れた。


「あのさぁ、舞。やめてもらえる? ハズい」


 声は低く、抑揚を殺して言った。

 それでも、言葉の端に苛立ちの棘が残ってしまう。


 六月の事件で保護したはずの舞が、なぜかそのまま押しかけ助手になっている。

 いまだにその流れが理解できない。

 あの騒動の後、ただ普通に家に帰って学校生活に戻ればよかったはずの少女が、どうしてこの狭苦しい部屋に毎日顔を出すようになったのか本気でわからなかった。

 給料は当然、発生していないのに、なぜか毎日のように事務所にいるのがいつの間にか当たり前になっていた。


「いいんじゃない綾。こんなに熱烈なファンがいるなんて、探偵冥利に尽きるわね」


 クスクスと笑いながらそう言ったのは玲奈だった。

 彼女の声は低く、柔らかく響いて、事務所の埃っぽい空気を少しだけ和らげる。

 舞を見上げるその視線はどこか楽しげで、普段の仕事モードの鋭さとは違う、姉のような優しさがにじんでいる。


 九月。

 名古屋の残暑は蒸し暑いのだけど、舞の熱量は真夏並みだった。

 事務所の窓から差し込む路地のネオンが、彼女の制服の襟を青白く照らしていた。

 汗ばんだ首筋にチカチカとした反射を浮かべている。

 どうしてそんなに熱く語れるのか、不思議でならない。


 事件の後処理で疲れ果てたはずの私が、こんなに無邪気に興奮できる少女の隣にいることが、なんだか不思議で、ちょっと羨ましくさえあった。


「でも、大きな事件に発展しなくてよかったわ」


 愛知県警・捜査一課の警部補でもある玲奈は、さらりとそう言う。

 デスクの端に腰掛けたまま、腕を組んで軽く首を傾げる仕草が、いつもの彼女らしい。

 そこは私の席なのに占領しちゃって全く。

 いや、結構面倒な事件だったんですけど。

 私は心の中でだけ突っ込みを入れて、コーヒーの残りを一気に飲み干した。

 カップの底に残った黒い沈殿物が、ぐるりと回って視界の端に揺れる。


 事の発端は、舞の母親が理事をしている高校の窓ガラスが割られていたことだった。

 依頼人は、押しかけ助手の舞本人。

 私は舞を軽く睨み、もう一度ため息をつく。

 吐き出した息が、事務所の淀んだ空気に重く溶けていく。

 赤い瞳で彼女の顔をじっと見据えると、舞は少しだけ肩をすくめて、でも目を逸らさなかった。


 話を聞くと、日曜日に部活をしていたのは野球部だけだったという。

 それだけで疑われるのは、さすがにかわいそうだと思った。

 野球部の連中が、わざわざ自分の学校の窓を割る理由なんてないだろうし。

 ただのイタズラか、外部からの嫌がらせの可能性が高いとは思うんだけどな。

 なぜか疑われて廃部の可能性が出てきているらしい。


 窓ガラス数枚程度では、警察も本格的には動かない。

 被害届は出るだろうが、捜査一課の玲奈ですら軽犯罪扱いで片付けられるレベルだ。

 正直、私自身もそこまでやる気はなかった。


 そのとき、ちょうど凛が遊びに来ていた。

 彼女はいつものように、ドアを静かに開けて入ってきて、

 ソファの端に軽く腰を掛ける。

 黒髪のボブが揺れ、灰色がかった黒い瞳が私と舞を交互に見つめる。


「綾に依頼が来たんだから、いいじゃん。今仕事ないんでしょ」


 普通さぁ、そんなふうに煽る?

 確かに、挨拶する前に「仕事、融通してくれない?」なんて言った私も悪いけどさ。


「仕事が無くて困ってる恋人にそんなこと言うかな」って言ったりすると多分。


「私たちは、都合のいい関係でしょ。割り切った関係と違う」って返事が返ってくるんだろう。


 こういうことを言うのがわかっているから、私は見栄を張ってこう言ってしまった。


「私はプロだよ。金額発生しないのならやらない」

私は舞にきっぱりとそう言って返事をした。


「えっと、これではだめですか?」


 舞がテーブルの上に差し出したのは、

 大須にあるルーンカフェのコーヒーチケットだった。

 少し折れ曲がった角のチケットが、事務所の薄暗い照明の下でぼんやりと光っている。

 舞の指先がわずかに震えていて、期待と不安が混じった視線が私に向けられている。


「ここ栄だし。大須まで距離あるしな」


 あそこのコーヒーはおいしいけど、距離あるしな。

 私は心の中でそう呟いて、チケットをじっと見つめた。

 事務所から大須まで、歩けば20分はかかる。車で行く距離でもないけど。

 でも、あの店のコーヒーは確かに特別で、苦味の奥にほのかな酸味が残るのが癖になる。

 私が渋っているのを見ていた舞はもう一枚カードを切った。


「綾さん。これプラス今度、ケーキ作ってきますから」


 舞の声が少し上ずっている。

 期待を込めて、でもどこか不安げに、私の顔を覗き込むようにして言った。


 彼女のケーキはおいしい。

 本当においしい。事務所に持ってきたチョコレートケーキを一口食べたときの記憶が、ふと蘇る。


 甘すぎず、しっとりとして、でもどこか優しい味。

 あの味をまた食べられるなら……。

 かなり私好みのケーキの味だった。

 私はその誘惑にあっさり負け、依頼を受けた。


「……わかった。やるよ」


 声は低く、渋々というニュアンスを残したつもりだった。

 でも、舞の顔がぱっと明るくなるのを見て、

 自分の決断がどれだけ簡単に揺らいだのかを自覚して、内心で小さく舌打ちした。


 それを見た凛は腹を抱えて大爆笑していた。

 彼女の笑い声が、狭い部屋に響き渡る。

 普段クールで妖艶な凛が、珍しく声を上げて笑っている。

 肩を震わせ、テーブルに手をついて体を折り曲げ、


「ぷっ……はははっ、プロのプライドが……ケーキに……!」と、言葉にならないまま笑い続けている。


 あれはかなりムカついた。

 私は赤い瞳で凛を睨みつけた。

 心の中で毒づきながら、でも口には出さず、ただ黙ってコーヒーの残りを飲み干した。

 

 事件の詳細を聞いてみた。

 舞が言うには以下の三点だった。


 一、野球部のグラウンド側の校舎の窓ガラスが数枚割られていた。

 二、素行の悪い生徒が一人いる。

 三、その生徒は池田公園によく出入りしている。


 私は池田公園にたむろしている友人の千葉君に話を聞いた。

 すぐに探し人の名前は聞けた。

 名前は浅倉良助。高校二年生。


「綾さん、あいつさぁ、今はここにいるけど、すごくいいやつなんだよ。この間も交差点でおばあさんが倒れてた時、助けてたしさ。そんな奴がいたずらなんかしねえよ。俺たちも何かあったら手伝うから、何とかならないかな」


 千葉君の声は少し震えていた。

 いつも社交的に振る舞う彼が、今日は珍しく真剣な目で私を見上げている。

 公園のベンチに腰掛けたまま、いつもの仲間たちも、色々教えてくれた。

 根は素直で、きっといい子なんだろう。

 きっと浅倉君も何か、あったのだろう。

 大人ではわからないし、些細なことかもしれない。

 でも当事者にとっては大きなことでもあるのはわかる。


 私だって、親父さんやおやっさんがいなければ、どこまで落ちていたかわからない。

 周囲の大人や玲奈が私を支えてくれたから落ちずに済んだ。


 そうして調べていくうちに、犯人は学校の教諭だと判明した。

 動機は単純だった。

 野球部は現在九人。

 部員の中に成績優秀な生徒がいて、教師は野球より勉強に専念させたかった。

 廃部にしたかったのだ。


 もし浅倉君が犯人として処分され、部員が八人になれば、

 部として存続できなくなる可能性が高い。

 そういう算段だった。


 そして舞が寸劇で再現していたあの台詞「犯人はお前だ!」に繋がる。

 私が教師を追い詰めて、決定的な証拠を突きつけた瞬間だった。

 あのときの教師の顔が、みるみる青ざめていくのを、はっきり覚えている。

 だが、追い詰められた教師は何を思ったのか、突然バットを手に私へ襲いかかってきた。


 グラウンドの土が舞い上がり、バットの風切り音が耳元をかすめた。

 私は櫻華流の体捌きで体を沈め、腕を捻り上げてバットを落とさせた。

 そのまま地面に押さえつけて、動けなくする。

 教師の息が荒く、抵抗する力が急速に抜けていった。

 だから、絞めちゃった。


 舞が楽しそうにそのシーンを再現してるんだけど、外から見ればコメディにしか見えないかもしれない。

 事務所の狭いスペースで、舞は大げさにバットを振り回す真似をしていた。

 そして大笑いしていた。


 私は、そのコントを変更するために、玲奈に話を振ってみた。


「刑事の玲奈が、こんな場所でサボってていいの?」


 玲奈は冷たい目を向ける。

 灰色がかった黒い瞳が、私をじっと射抜くように細められる。

 事務所の薄暗い照明の下で、その視線が少しだけ重く感じた。


「綾。貴女がやり過ぎたので、中警察から連絡があったんですけど」


 今月から玲奈は愛知県警に異動になったばかりだ。

 捜査一課の警部補として、名古屋の事件を本格的に扱うようになった。

 中警察署副署長の照井さんから直接電話が来たらしい。

 玲奈の声には、ため息混じりの苛立ちが滲んでいる。


「高校生も守るべきだったし、仕方なかった……うん。相手はバットを振っていたしね」


 私は肩をすくめてそう言ってみた。

 本音は、攻撃が来たから身体が勝手に動いて相手を壊してしまっていた。


「相手の肩を壊して顎を砕くのは、正当防衛にはならないでしょ。過剰防衛よ」


 玲奈の言葉はきっぱりとした。

 彼女はデスクの端に腰掛けたまま、腕を組んで私を見下ろす。

 その表情は、恋人としてではなく、刑事として淡々と事実を述べている。


 まったく最近の人は骨が弱い。

 私は心の中でそう呟いた。

 振りかざしたバットを横に流し、

 再度持ち上げた瞬間、肩をフック気味に殴った。

 その流れで後ろ回し蹴り。

 たまたま顎に入っただけだ。


 櫻華流の体捌きで、相手の勢いを殺しながら最小限の力で制圧したつもりだったのに……。

 結果、肩関節脱臼かたかんせつだっきゅう顎骨骨折(がくこつこっせつ)


 当たり前だけど、病院送りになったらしい。


 共犯者は逃げ出したので、ナイフを投げて威嚇したら転んで失禁した。

 本当に肝が小さい。

 投げナイフは足元に刺さっただけだ。

 それでパニックになって転んで、ズボンを濡らしてしまったらしい。

 結果、かなり大ごとになった。


 警察で事情聴取を受け、身元引受人として玲奈が来てくれ、

 こうして事務所まで送ってもらったばかりだ。

 玲奈はため息をついて、立ち上がる。


「次はもっと抑えて。でないと、私が守れなくなるわよ」


「仕事でやったのに、なんでこんなに怒られるのやら」


 私は小さく呟いて、ソファの背に体を預けた。

 玲奈の視線がまだ刺さるように感じる。


「やり過ぎだって言ってるの。全く」


 玲奈は腕を組んだまま、冷たく言い放つ。

 その声には、刑事としての厳しさと、どこか心配が混じっている。

 事務所の空気が、少し重く淀んだ。


「でも本当に格好良かったです!」


 舞の声が、明るく跳ねるように響いた。

 彼女は目を輝かせて、私の方を向いている。

 制服の袖を握りしめ、興奮を抑えきれない様子で身を乗り出していた。

 その間で私はもう一度ため息をついた。

 深い息を吐き出して、こめかみを指で軽く押さえる。

 玲奈の呆れた表情と、舞の無邪気な笑顔が、視界の両端に並んでいる。

 この対比が、なんだか妙に疲れる。

 どうやらこれが、最近の私の事務所の平常運転らしい。


 だが、この事件がきっかけで、別の事件に巻き込まれることになるなんて、この時の私は思いもしなかった。

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