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紫微綾の事件簿 case2 白き子羊の檻 (Vシネ風×百合×バイオレンス×探偵)』  作者:
4章 なんで私がここに入れられないといけないの?

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18話 襲われた綾と振り出しに……

 湿ったコンクリートの隙間に、小型ライトの鋭い光が地面を突き刺す。

 西日が、ビルの乱立に阻まれ、この路地裏にはどろりとした夕闇の澱みが溜まっていた。

 鼻を突くのは、ゴミの山とカビが混じり合った、この場所特有の淀んだ悪臭だった。


 コートの裾が泥に汚れるのを無視して、ベスパのキーをジャケットの中に入れ、闇の奥へと足を踏み入れた。

 微かな風が髪を揺らすたび、どこか遠くにある看板のネオンが、パチパチと不規則なリズムを刻んで水溜まりを照らしている。

 積み上げられた段ボールの山の影に、ようやく一人の人影を見つけた。


「――おじさん?」


 声をかけながら、ライトの光をその影にぶつける。

 その瞬間、喉の奥が裏返るような錯覚に襲われた。

 光の中に浮かび上がったのは、鼻腔の奥にべっとりと張り付く、強烈な鉄錆の匂いがした。

 近づくまで、判別できなかったソレは、すでに人間としての機能を廃し、物言わぬ肉塊へと成り果てていた。

 壁に背をもたれ、口の端からドロリとしたどす黒い液体を溢れさせたまま、悪い冗談みたいな姿勢で固まって座っていた。


 その右手が、握りつぶしている缶ビールは、絶命の瞬間に襲った絶望的な痙攣を証明するように、無残にひしゃげて歪な形に変貌をしていた。


 死後硬直は、すでに末端まで完成しており、おじさんの指先は缶に溶接されたように固着している。

 もはや、物理的に引き剥がすことすら難しいと思う。


 浮浪者の足元に血で、何かが書かれているのが見えた。

 私はライトを寄せ、足元のコンクリートに滲んだ、まだ粘り気のある黒いシミを覗き込んだ。

 指で書いたような、歪な文字を見つけた。


『……ホ……ル……』


 空気を鋭く切り裂く嫌な音がして、私の鼓膜を震わせた。


 思考より先に脊髄が警鐘を鳴らし、私は本能的に身をよじる。

 首筋をかすめていったのは、細い銀の閃光だった。

 それは空を切り裂き、背後のコンクリートへと激突して火花を散らした。

 あの公園で見た死体に突き刺さっていたのと同じものだと把握した。


 闇の底から、一筋の影が弾け飛んできた。

 黒いフードを深く被った男。その奥で、狂気に充てられた瞳だけが獲物を狙う獣のようにギラついている。

 左手には、異形の注射器型射出器を。

 右手には鈍い光を放つ折り畳みナイフを装備していた。


「てめぇが邪魔すんのかよ。かつて『商品』だった売女(ばいた)が出しゃばるんじゃねぇ」


 叩きつけられた罵倒。その言葉を聞いた瞬間、私の唇に、自然と笑みが浮かんだ。。

 内側から湧き上がるのは、冷え切った高揚だった。


「ちょうどいいわ。少し、ストレスが溜まってたところなの。……せいぜい、軽いスポーツの相手くらいにはなってくれるよね」


 私は、櫻華の流転の構えをして、髪をさらりと掻き上げまがら、死の淵へと足を踏み出す。

 男が踏み込み、ナイフが鋭い横一文字の軌跡を描く。


 後ろに飛びながら左腕でそれを受け流し、即座に右のローキックを男の膝へと叩き込んだ。

 ゴキッ、という鈍い衝撃音が路地に響き、男の身体は支えを失って無理やり屈服させられた。


 男が、片膝をついた瞬間、翻る髪の隙間から、私はその顔面を膝蹴りで撃ち抜いた。

 鼻梁をひしゃげる生々しい手応えとともに、鮮血が夜の闇に派手な飛沫を描いて飛び散る。

 男の体が後方へと吹き飛んだ。


「……まだだ、まだ終わらねぇ……っ!」

「へぇ、結構タフなのね。今のだけでおしまいだと思ったのに」

 

 男は倒れ込んだ勢いのまま独楽のように回転し、射出器のトリガーを弾いた。


 シュッ! シュッ!

 二本の針が同時に飛んでくる。


 私は、ジャケットを翻して一本を叩き落とし、もう一本は首をわずかに傾けて紙一重で回避した。

 壁に突き刺さった針から、毒々しい薬液がじわりと滴り落ちる。

 吹き矢でも銃でもない、特注の注射器を飛ばす暗殺器具。……趣味が悪いにも程がある。


「くそったれ……! さすがはあの『深淵』を倒した女だ……」


 男が立ち上がり、ナイフを逆手に持ち直す。

 潰れた顔の下で、その瞳にはまだ、どす黒い殺意が宿っていた。

 私は唇をペロリと舐め、瞳を細めた。


「残念だけど。あんたじゃ、私の退屈を殺すことすらできないわよ」


 一気に地面を蹴る。

 硬いコンクリートを蹴り出した確かな反発が、足裏から膝、そして腰へと突き抜けた。

 路地裏の狭い空間で、重力に逆らうように私の髪が闇を切り裂いて舞った。


 放たれたナイフの、空気を裂く刺突を最小限の動作でかわし、男の懐へと鋭く踏み込んだ。

 左の掌底が男の顎を真上へと撥ね上げ、強制的に視線を上向かせる。

 続けざまに、身体を捻り右の肘へと乗せ、無防備なこめかみへと正確に叩き込んだ。

 

 私は、膝を男の腹部、鳩尾の奥へと深くめり込ませ、その体を物理的に宙へと浮かせる。

 浮いた体から苦し紛れの蹴りが放たれるが、私はそれをガードしながら、さらに距離を詰めた。

 右ストレートを顔面の中心、鼻のど真ん中へ向けて叩き込んだ。

 

 ガキィッ!


 歯の折れる硬い破壊音が、不快な響きで鼓膜を叩く。

 拳には、男の顔面が歪む生々しい手応えが伝わってきた。


 男は血反吐を撒き散らしながらも、最期の抵抗とばかりに私の胸倉を掴もうと、脂汗に濡れた手を必死に伸ばしてくる。

 その震える手首を無造作に掴み取り、関節が悲鳴を上げる逆方向へと力任せに捻り絞っていく。

 ミシミシ、と嫌な音を立てて肉が引き絞られ、男の顔がさらなる苦悶に歪んだ。


「なぜ浮浪者を狙う? 女子高生の失踪事件と、どういう関係があるの?」


 男の瞳が、剥き出しの恐怖に激しく揺れた。

 その隙を逃さず、櫻華流の流麗な体捌きによって、絡め取った「関節鎖」から、男の首を刈り取るような「絞鎖」へと移行した。


「答えなさい。次は気道を潰すわよ」


 首を締め上げられ、男が血まみれの口を震わせながら、何かを吐き出そうとしたーーその瞬間だった。

 男の首に巻かれたチョーカーが、最悪の予兆を孕んで淡く不気味に発光した。

 

 ビチッ!


 直感に従って腕を解き、反射的に横へと飛び退く。

 残された男は無様に体を硬直させ、制御を失った口から鮮血を溢れ出させた。

 思わず、苦い舌打ちが漏れた。


 思わず、苦い舌打ちが漏れた。

 せっかくの獲物を、文字通り「口封じ」されたのだ。


 その時だった。死体と静寂が支配する路地に、場違いに明るい着信メロディが鳴り響く。

 スマホの画面に表示された名前を確認し、私は重い溜息混じりに通話ボタンをスライドした。


 怜奈からだった。

 何かあったのか?

 それとも進展したのかもしれないけど、ちょうど報告ができる。

 絶対に怒られるだろうな


『綾、今どこにいるの?』

「玲奈……えっと、今は……」

『もしかして、また何かやってる?』


 玲奈の鋭い追及に、私は足元に転がった無惨な肉塊を一瞥して答える。


「襲われたから返り討ちにしたんだけど。……相手、勝手に自殺しちゃったわ」

『……あんたね。場所は?』

「白壁3丁目のXX。悪いけど、こっちまで来てもらえる? そっちも用事があったんでしょ。どうだったのよ」


 私の問いかけに、電話の向こうで玲奈が一呼吸置いた。その僅かな沈黙が、私の胸をざわつかせる。


『驚かないでね。失踪してた少女が見つかったわ』

「見つかった……?」

『ええ。その報告も含めて、そっちへ向かうわ』

「……どうなってるのよ、一体」


 さすがにこのまま逃げるわけにもいかない。

 現場の至る所には、私の指紋がべったりと残っている。

 私は、もはやピクリとも動かなくなった男の死体を冷めた横目に、玲奈が到着するまでその場に留まることにした。

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綾の長編シリーズ!
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【完】紫微綾の事件簿
(百合×探偵×バイオレンス)

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