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忠犬  作者: 禅海
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28


 *


「……暑い。これじゃ私たちもモチが干乾びちゃう」

「でも夏紀ちゃんが行きたいって言いだしたんでしょ」

「は、ペットボトルの一本でも買ってこようかとか、それくらい言えないわけ。気が利かないんだから」

 久志と夏紀は、あれから二週間ほどして事態にも収拾がついて、気持ち新たに愛犬のモチを連れて近所の中央公園に散歩に来ていた。

 優斗の書置きには、全ての所有財産を夏紀に贈与する旨と、鮮やかな朱色の押印が記されていた。顧問弁護士の松原(まつばら)がその日のうちに店を訪れ、予め決められていた手筈でこの遺書の照会を行い、店そのものやその財物から、商品価値のない賞味期限切れの廃棄予定のペットフードや店先のしおれた花壇まで、全てが正式に夏紀のものと認められた。

 県警の執拗な捜査をかいくぐりながら、その数日後には優斗の葬儀も簡単に終えた。夏紀と久志と、モチと仔犬仔猫たちだけで静かに執り行った。


 しかしそれから色々あって、もう九月が訪れたというのに、夏はまだ巨大な岩のように、街に立ちはだかっている。それでも公園は人々の穏やかな活気に満ちて、街は平常な秩序に倣い前へ進んでいる。

 夏紀がモチを含めて三人で、気分転換に散歩に行こうと言い出したのだ。今では三人は、一本の死線を越えた一つの家族だった。

 優斗が居なくなって、彼の店を継いだ夏紀を、久志はよく手伝っている。そうなると今の仕事は邪魔なので、そのうち彼女の店の店員にでもなろうかなどと、二人は毎日のように穏やかに話し合っている。

 日取りさえ決まれば、久志はいつ辞職してもいい。もしそれが自分に与えられたせめてもの使命だとすれば、久志は自分の生活も生命すらも投げ出して、罪の十字架を背負って生きてゆくだろう。

 すると急にモチが一声吠えて、夏紀のリードを強く引いた。

「うわっ、どうしたの。モチ、大人しくして」

 モチに引っ張られて、夏紀と久志はあたふたしながら、良く刈り込まれた青い芝生へ踏み入っていった。

 モチはその先の、一匹の犬めがけて吠えている。リードの付いた、黒の体毛で鼻先と脚先が焦げ茶の、精悍な顔つきのダックスフントである。リードを握っているのは四十代くらいの婦人で、仕立ての良い白のワンピースを着、日傘を支える背筋が飼い犬に似た弓張りの美しいいでたちである。

 婦人は近づいてきたモチに気付くと、無言で笑顔を作りその場にしゃがみ、モチの金色の頭を撫でた。

「すいません。うちの子がご迷惑おかけして」

「いいんです。お綺麗な毛並みで、お顔も可愛らしい子じゃない。きっと良いご両親をお持ちね。お父様とお母さまを大事にするのよ」

 モチは舌を出して婦人にじゃれついた。婦人は嫌がりもせずに自分のダックスフントを引き寄せて、二匹を戯れさせた。

「それにしても暑いわね。お二人はデートかしら? ふふ、お熱いのね。でももしうちの家人がこんな日に外に出ようなんて言い出したら、わたし頭をひっぱたくとこだわ」

 婦人は久志と夏紀を茶化すように見つめて微笑した。久志は頭を掻いて恥ずかしそうにし、夏紀はそれほどまんざらでもない顔をした。

「綺麗な子ですね。幾つですか」

 夏紀が婦人の隣にしゃがんで、ダックスフントの頭を撫でながら尋ねた。婦人は今二歳半だと答えた。久志は女の間に割って入るのも粋ではないと思い、近くで二人の会話に耳をそばだてた。

「あれ、すいません、私の勘違いかもしれないんですけど、この子少しお腹が大きくないですか」

「まあ凄い。いい目をお持ちなのね。そうよ。お恥ずかしい話だけれど、この子知らないうちに飼い主の目を盗んで、妊娠してましたのよ。もう三週目くらいで、たまに悪阻(つわり)もあるんだけど、なら余計運動不足は良くないでしょ。ああそれにしてもまあ、全くこの子はどこの誰に似たのかしら」

「まあそうですか。もうすぐお母さんになるんですね。どうか元気で可愛い赤ちゃんを産んでね――」

 久志はただちに、飼い主にきつい首輪をはめられた忠犬のように悄然とした。

 夏紀がまさか捨て子の母親になるようなことなど想像すべくもないが、ただ彼女は今確かに一瞬、久志の全く知らない他人のような麗しい顔つきをして、右手でダックスフントの喉元を優しく撫でながら、もう一方の手で、その仄かに膨らんだ下腹の辺りをさすった気がした。……


 完

 最後まで読了いただき、誠にありがとうございます。


 あとがきなどと題したものの、これといって後書きすることもありませんが、これからも頑張って小説を書いていきますので、僭越ではありますが、無名無才で無人気で寂しい私、そして時代錯誤的かつ自己満足な我流で書かれた私の小説が、ほんの少しでも琴線に触れるという方がおられましたら、ユーザーフォロー等々、ご応援のほど、今後とも何卒よろしくお願いいたします。


 またご感想ご意見などございましたら、何卒コメント等、お寄せください。

 いつも皆様からのご反応をありがたく思いつつ、可能な限り全てに目を通しております。


 ところで話は変わりますが、今現在既に次の小説の設計段階に入っております。

 また長編になってしまいそうで、いつも通り困っておりますが、本小説以上のものを書くことができるよう、今後とも全力をとして参ります。

 またご縁がございましたら、何卒よろしくお願いいたします。


 草々

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