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三叉路の斜め上、御寺町の北西の空であったか、細く長い一条の黒煙が、天へ昇る龍のように、ゆらゆらと静かに、白にほど近い水色の空をじわじわと犯していた。
「お兄さん、早く後ろに乗って」
夏紀が原付を引っ張ってきた。原付の前部の籠に、モチが乗せられて、長い舌を垂らして久志を見つめている。夏紀は丸いヘルメットの顎紐を結びながら、久志にヘルメットを投げ渡した。
久志は急かされながらバッグの紐を肩にかけ、夏紀の原付の後部座席に座った。顎紐を結ぶか否かに、原付は荒々しく走り出した。
「ほら、腰に」
久志は言われる通りにした。
「夏紀ちゃんは知ってたのか」
久志が聞いた。
「知ってるわけないから驚いてんの。そんなことより早くいかないと」
原付は入り組んだ御寺町の石畳の迷路を、縦横に、見事なレーシング技術によってすぐに抜け出した。
北西の煙が近づいてくる。焦げた匂いも。それはやはり龍であり、口から火の粉を拭き散らしながら、長い身体をくねらせている。
御寺町を抜け、箪笥町通りを抜け、川縁の旧花街の傍を通って、原付のタイヤは道端の小石をいくつも弾きながら、月山川を南北に渡す幸橋を越えた。
川縁の駅前は騒然としていた。朝の散歩をしていた老人たち、出勤中の会社員たち、登校中の生徒たちで、駅前広場は溢れかえっている。
夏紀は駅前のロータリーの傍に原付を止めた。
「あっちだ」
「燃えてるぞ。さっき爆発したんだ」
二人は走った。夏紀はモチを抱え、久志はバッグを抱えて走った。
現場は既に警察や消防や救助隊が取り締まっている。周りの野次馬がうるさい。
「なんだなんだ」
「おい、見ろ!」
ああっと、津波のようなどよめきが起きた。何匹もの獣の尾のような炎が、何本も群れになって、あのロビーの入ったオフィスの四方の窓を突き破り、伸びあがっては翻って、屋上を紅い尾の先端で滅多打ちに叩いていた。
消防車のホースがそこへ懸命に放水しているのだが、そうしているうちにもそこから一人、また一人と、真黒な丸焦げの肉の人形が次々に窓の外へ落下し、アスファルトに滅茶苦茶にぶつかって、動かなくなった。
早朝の小市街の一区画の、粉々に割れて一定の面積を覆うように飛散したガラス片、蝶のように宙を舞う炎の燻った焼紙片、鼻孔や眼や胸を焼くような化学臭と熱波、そして焼けただれて吹き飛んできた誰のものとも分からない黒い肉片……。
久志と夏紀は全てを悟った。
久志と夏紀はその後、燃え落ちた火事の現場で別れて、別々に帰った。それから久志は、あの台風の逸れた日に仔犬のモチを拾った河川敷に歩いて向かい、保冷バッグに詰めた保冷剤と過酸化アセトンを、ひっそり川に流した。
事件の数日後、犯行に用いられたガソリンは、外国人経営者の工場伝に調達されたものであると報道された。その経営者と優斗は数年前からペット販売流通を通じて蜜月関係を結ぶなど、県警捜査部の記者会見では特にその用意周到な計画性ばかり持ち上げられた。
ここぞとばかりに、こういう事はお得意様のマスメディアが、こぞって馬鹿馬鹿しい荒唐無稽な憶測、虚言、塗説を書き立てた。ある記事の末文などは、よりにもよって怒りどころか甚だ下劣な笑いが込み上げるものまであった。
『両親を早くに亡くし、十分な話し相手もおらず常に孤独な生活のなか、ペットの動物たちとの会話が中心的になった犯人は、やがて譫妄と失調に陥り、正常な判断が出来なくなった。この事件は、不幸にもそういう病的な藪を、正当な人権派団体が正義の棒を以てつついてしまったことによる、偶発的貰い事故のような傷ましい事件であろう。仮にどういう理由があれ、我々は民主主義を掲げる現代人として、このようなテロを断固として許してはならない』
だが優斗と彼の起こした真夏の一事件は、こんな下らない提言にかき消されるように、やがて忘却の彼方へその真実を失いながら、混ざり合っていった。




