第3話:嘘つき少女の草原踏破
「ミスティ、俺明日からまた旅に出ようと思うんだが」
わたしがロックと暮らし始めてから三年ほど経った冬の日の夜、いつものように暖炉で二人分のミルクの入った鍋を温めていると、唐突にロックがそう切り出した。
「ふーん、わかった。いってらっしゃい」
ロックが旅に出るのはいつもの事だし、いい加減我が家の蓄えも少なくなってきたので、そろそろ旅に出る頃だろうと思っていた。
特に驚くことでもないので、わたしは淡白に反応を返す。
「俺がいない間、ちゃんと飯食えよ」
「はいはい」
「草は『ミスティのおやつ』って書いてある植木鉢のやつ以外食うなよ」
「はいはい」
「魔物が出たら地下室に隠れるか、近くの村まで全力で走るんだぞ」
「はいはい」
「お前剣術も魔法も全然だめだからな。間違っても戦おうなんて考えるなよ」
「わかってるってば」
こんなやり取りもロックが旅に出る度に毎回繰り返すものだから、ついつい塩対応になってしまうのもしかたないと思う。
「しっかしお前、いくら教えても剣術上手くならないよな。俺の教え方が悪いのかな」
素っ気ないわたしの返答にもめげずにわたしをこき下ろし続けるロックに、多少怒りが湧いてきた。
ここ三年間、ロックが留守でもそれなりに家の事ちゃんと出来てると思うんだけどなぁ。
「そうだねー。ロック、弱っちいもんねぇ。ゴブリン追い払う時とかもいっつも危なっかしいし」
「言ったな!? 言ってはならんことをいっちまったな!?」
つい、ぽろっと出てしまった軽口にロックが激怒して、わたしの頭を乱暴にぐしゃぐしゃと掻き乱した。
「あー! やめてよ、髪ぐちゃぐちゃにしないでー!」
そんなわたしの反応を見てロックがゲラゲラと笑う。
……やめろとは言ったが、ロックに頭を触られるのはそんなに不快ではない。
絶対に態度には出せないけれど。
とりあえずわたしは乱れた髪を整えると、温め終わったホットミルクをテーブルに並べたカップに注いでいく。
片方を手渡しながらロックに尋ねた。
「で、今回はどのくらいで帰ってくるの?」
「ん……そうだな。とりあえず1ヶ月くらいで帰ってくるつもりだ。それで、もし2ヶ月過ぎても俺が帰らないようなら、近くの村の村長の家に……」
「それはいや」
世話になるといい、そう言いかけたロックの言葉を強めの口調で遮った。
これも何度も繰り返されたお約束のやり取りだ。
わたしとロックが二人で暮らすこの小屋は、近くにある村や街道からはすこし外れた場所に建っている。
一応、村の人達ともそれなりに交流はあるのだけれど、あの村長だけはダメだ。
「……確かに村長は少女愛好家なのは周知の事実だけど、自分の好みの少女には絶対に手を出さないってのも有名な話だぞ。お前なら悪いようにはされないって」
「悪いようにはされないだろうけど、村長の趣味の妙な服着せられて、お人形さんみたいにされるんだよ? そんなの絶対やだ」
わたしの返答を聞いてロックが微妙な笑みを浮かべる。
メイド服なんかを着せられて奉仕させられているわたしの姿を想像しているに違いない。
そんなロックに、わたしは愛嬌たっぷりに笑顔を作ると、上目遣いで見つめながらロック手ごとカップを両手で包み込んで決めゼリフ。
「このミルク、熱いならふーふーして冷まして差し上げましょうか、御主人様?」
「うわっ、やめろ気色悪い!」
心底嫌そうに顔を顰めるロック。
わたしのとびっきりの愛想笑いに対してあんまりすぎる反応だ。
傷付くなぁ。
「いくらなんでも気色悪いはひどいと思う!」
「似合わないことするからだろ? まったく……どこでそんなこと覚えてくるんだか」
ブツブツとなにやら文句を言っているが、わたしのこの手の冗談は大抵ロックの旅の話からヒントを得ているというのに、気付いていないのだろうか。
そもそもわたしの行動範囲なんてこの小屋の周辺の森か、ごく稀に行く村しかないのにね。
しばらくロックをジト目で見つめていたら、ロックは気まずさを誤魔化すように早口で呟いた。
「とにかく、そういうわけだから。明日から頼むな」
「はいはーい。おうちのことはわたしに任せて、たっぷり稼いできてくださーい」
不機嫌さをアピールするべくわざとぶっきらぼうに、ヒラヒラと手を振って会話を打ち切る。
そっぽを向いてホットミルクを啜るわたしの方を、なにやら心配そうに見つめるロックの目が、やけに気になった。
……まったく、毎回心配してるのはどっちだと思ってるんだか。
ロックが旅に出て1週間ほど経ったある日、小屋の付近の森で緑色の肌をした子供のような人影……ゴブリン達の姿を見掛けた。
見掛けたというか、思いっきり出会ってしまった。
わたしを獲物だと認識した五匹のゴブリン達は、下卑た笑い顔を浮かべてわたしを追ってくる。
わたしは全力で走ってゴブリンを引き離すと小屋へと飛び込んて、壁に掛けてある大振りなダガーを手に取り、鞘から抜いて刃を確かめる。
多少古ぼけてはいるが、その刃は確かな切れ味を保っているようだ。
自分の年齢なんてわからないけれど恐らく今は十歳程度だと思われる、わたしのちいさな手に余るはずのその大振りなダガーは不思議とよく馴染んだ。
うん、これなら大丈夫。
ダガーを片手に、花でも摘みに行くような気楽さで小屋を出る。
そこには醜悪な顔をしたゴブリン達が当然の様に待ち受けていた。
無感情にその不細工な顔を眺め、思う。
あーあ、本当についてないなぁ……。
――こいつらが、食べられる獲物だったら良かったのに。
わたしはすでに、その障害に対してなんの感情も抱いてはいなかった。
――――――――――――
ヒュライドの塔へと入ったわたしを出迎えたのは、どこまでも続くと錯覚させるほどの広大な草原と、三匹の狼の群れだった。
外から見る塔よりもずっと広いその草原は、塔がもつ魔力によって空間が捻じ曲げられていることの証明だろう。
聞いた話によると、一階層をじっくり歩いて探索するとまる二日ほどもかかるそうだ。
これは大変そうだなぁ……。
なんてぼけーっと考えていると、狼達が獲物を見つけた、といった様子で嬉々として飛び掛ってきているところだった。
「わっと……」
いくらなんでも気を抜きすぎた。
わたしは軽く後ろに下がりながら腰からダガーを引き抜く勢いそのままに一閃。
飛び掛ってきた狼の喉を切り裂く。
そして、空中でダガーを半回転し逆手に持ち替えて、続くもう一匹の眉間に振り下した。
深々とダガーが突き刺さり、瞬く間に二匹の狼は絶命する。
その間に最後の一匹がわたしの足へ噛み付こうとしていたのを、ダガーから手を離しつつ身をよじって回避。
今度は棘付き棍棒を抜いて回避の動作で発生した遠心力をそのまま乗せた一撃を狼の横っ腹へと叩き付けた。
骨や内臓を潰す嫌な感触が手に伝わり、狼が吹き飛んでいく。
ふう、と一息。
「いくらロックでもこんな所にはいないよね。仲間もいるみたいだし……」
狼の死体に突き刺さったダガーを回収しながら一人呟く。
ダガーの様子を確かめてみると、この家から持ってきた安物のダガーじゃ、あまり無茶な使い方はしない方が良さそうだ。
切れ味が鈍ると使い物にならなくなる安物の刃物よりも、無骨な鈍器の方をメインに使っていこう。
ちょっと感触が嫌なのには目を瞑る。
――わたしは、ロックに嘘をつき続けている。
ロックが戦い方を教えてくれるといって、わたしにダガーを手渡してどっからでもかかってこい、と身構えたその時。
わたしは、あまりにも容易く想像出来てしまったのだ。
ロックがなにかしようとする暇も与えずに、その首にダガーを突き立て、仕留める。
……そんなイメージが、鮮明に。
そして、体もそのイメージ通りに動く。
なにも教わらなくても、体にその動きが染み付いている……その事に気付いた時、わたしの手からダガーが滑り落ちていた。
しばらく手の震えが止まらずに、ロックが何事かとおろおろしていたのを覚えている。
わたしは、その事を隠し続けることに決めた。
自分でもなんでそんな技術が染み付いているのかもわからないし、考えたくもない。
なのでロックが訓練してくれる時もバレない様に細心の注意を払って手を抜いた。
徹底して無力な少女を演じ続けた。
弱くなければ……自分は保護される対象でいなければ、居場所がなくなってしまう……そんな気がして。
そしてそれは、言い出す機会を見つけられず、ずるずると現在まで続いてしまった。
「こんなことなら、さっさと打ち明けて一緒に旅でもすれば良かったかな……」
そうすれば、ロックの帰りを待ち続けて怠惰な時間を過ごすこともなかっただろうに。
一人、ただっ広い草原を歩きながらため息を漏らす。
――思えば、ロックと最初に会った時からわたしは嘘だらけだ。
生きるためにと欺いて、居場所を守る為にと偽って。
こんなわたしが、ロックの事を大切な家族だなんて言う資格があるのだろうか。
「あー、だめだめ! お腹が減ってるから悪いことばっかり考えるの!」
ぶんぶんと頭を振って悪い考えを振り払うと、何の気なしにそこら中に生えている草を千切って口に含んでみた。
そしてすぐに思い切り吐き出す。
「ぺっぺっ!! うえー……ここの草全部食べられないやつだ……」
長いこと草を食べ続けた経験から、わたしは口に入れた草が食べられるものか瞬時に判断する能力を身につけたのだが、ここにある草は種類自体は何処にでもある草だけど魔力が濃すぎる。
きっと食べると体に悪影響が出るだろう。
わたしは口直しに収納魔法からハーブを取り出して口に咥える。
保存食や野営の道具なんかは全てこの魔法で作った収納空間に入っているのだ。
……思えば、ロックには魔法を使えることも話していない。
ロックに出会えたら謝らないといけないことが沢山ある。
とりあえずこんな低層でうろうろしていても仕方ないし、さっさと転移装置を探して上の階層へと向かってしまおう。
わたしはまばらに襲い来る障害を蹴散らしながら、草原を駆け抜けていった。