第15話 すべては掌の上だった
「ふーーー……。」
風呂掃除を終え、腕で額を拭い、満足に浸る。
俺は魔王だ。
ハウスキーパーではない。
プロに比べたら、完璧な仕上がりではないだろう。
だが、そのプロが見ても、文句は言えない程度にはやった。
事実、俺の部屋を掃除するメイドは、夕方に帰ると感謝を伝えてくる。
「さて、俺も戻って寝るか」
「えっ……。」
部屋を出る途中、名香の気配が揺れた。
「んっ!?」
思わず立ち止まる。
そんなはずはない。
俺の魔法は完璧だ。
「うーーーん……。」
どうやら、ただの寝返りだったらしい。
名香は、幸せそうに寝ていた。
「……ったく、酔っぱらいさえしなければ、可愛い部類なのにな」
その寝顔に、思わず頬が緩む。
「じゃあな」
「……嘘でしょ」
ドアを開け、部屋を出る。
茫然とした呟き声が聞こえた気がしたが、どうせ気のせいだ。
******
「違う! 違う! 違う!」
廊下を足早に進み、名香の部屋へ戻る。
自分の部屋のベッドに寝そべったところで、思い出した。
俺は、風呂掃除が目的だったんじゃない。
「そうだ! 俺は早く家に帰って、ゲームがしたいんだ!」
ドアを勢いよく開け放つ。
「んっ!?」
そこで、思わず動きを止めた。
開ききったドアは、その勢いのまま、再び閉じる。
今、名香がベッドから身を起こしかけた気がした。
右手で目元を押さえる。
息を吐き、ドアを今度はゆっくりと開けた。
「うーーーん……。」
名香は、幸せそうに寝ていた。
やはり、俺の魔法は完璧だ。
「ふっ……。答えは最初からあった」
俺は、ドアを閉める。
ベッドへと歩きながら、思考をもう一度組み直す。
神社の御由緒だ。
名香はこう言っていた。
『娘は初潮を迎えたとき、契約に縛られる。
何度も世界を守る旅に出て、娘が子どもを産むまで、それは続く』
ここに気づけば、自ずと答えが見えてきた。
「うーーーん……。」
名香が掛け布団を巻き込み、寝返りを打つ。
カーテンが閉められていない窓からの月光を浴び、白い身体が浮かび上がる。
やはり、裸だ。
先ほど、脱ぎ捨てられた衣類を片付けたときから、薄々察してはいた。
本当に、警戒心というものがない。
「ここ数日は酔うたびに、勇者業はもううんざりだとボヤいていた」
しかし、好都合だ。
脱がす手間が省けた。
世には、着衣からという趣味があるのは承知している。
しかし俺は、その段階は、とうの昔に過ぎている。
「そこから導き出される答えは……」
俺は、寝間着のボタンをゆっくりと外してゆく。
「名香は、俺を選んだのだ。勇者を廃業する相手に」
「出会った翌日から、ぐいぐい迫る」
「派手な下着を身に付け、酔っぱらい、無防備を晒す」
反省しなければならない。
女性への関心が薄くなり、魔王となってからは求めるまでもなく、与えられる。
その繰り返しが、男女の機微に疎くなっていた。
過去、家臣たちから幾度となく苦言されたのを思い出す。
「極めつけが、この指輪だ」
寝間着の上着を放る。
途切れた月光の中で、左手の指輪だけが光を帯びていた。
「つまり、名香は待っている! 俺を!」
名香は、現代の日本で生きる女だ。
左手の薬指の意味を知らないはずがない。
俺を従者にするだけなら、他の指でも、右手でもよかったはずだ。
「ならば、応えよう! それが魔王の務めだ!」
「それが、俺をこの下らない呪縛から解放させる!」
「はっはっはっはっはっはっはっ!」
俺は、高笑いをあげながら、ズボンを下ろす。
パンツごと。
「ふはふっ!? ふへっ……。」
次の瞬間、身体の力が一気に抜けた。
腰が砕け、膝が落ちる。
背中に汗が吹き出した。
「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。」
息が荒いまま、動けない。
信じられなかった。
この身体は思春期真っ盛りだ。
だが、女性への関心の薄さが、発散の手間を感じさせなかった。
無論、身体の正常な反応は、朝には気づいていた。
それを洗濯する母親に心苦しさを感じてはいたが、自然に任せていた。
心は百戦錬磨でも、身体は新兵。
まさか、その歪みの代償をここで払うことになるとは。
「ひょっとして……。ズボンを下ろしたときに?」
ふと俺以外の声がした。
立ち上がれないまま、茫然と伏していた顔を跳ね上げる。
「なっ!? お、お前……。や、やはり起きて……。」
名香が布団を手繰り寄せ、身体を隠すように上半身を起こしていた。
「勇者を舐めないでよね。
毒耐性も、精神耐性も、とっくの昔に得ているよ。
お酒の酔いも毒に相当するから、私が解除しようと思えば、即冷めるんだよ」
「……な、何ぃっ!?」
俺は、理解した。
すべてが、名香の掌の上だったのだ。
「もしかして、超そ……。」
「ち、違う! わ、若いだけだ!」
しかも、名香の白けた視線を浴び、俺の身体が勝手に反応した。
腰が跳ね、そのまま力が抜け、額が絨毯に落ちた。
「私さ……。
国守くんが言う通り、勇者は辞めたいし、待っていたのも事実だけど……。」
「ここまで、ずっと守ってきたから……。
『はじめて』はロマンチックに、って決めていたんだよね」
「だから、今夜は止めよ?」
「この部屋、使って。私、国守くんの部屋で寝るから」
頭上から、哀れみ混じりの声が落ちてくる。
反論したかったが、腰がなおも跳ね、奥歯を噛みしめることしかできない。
「じゃあ、おやすみー」
「……く、屈辱だ」
ドアが閉まり、名香が部屋を出ていってから、ようやく声が漏れた。




