第8話「おかしい」
管理局の協議は、拍子抜けするほどあっさり終わった。
「依頼制限は見送りです。苦情は受理しましたが、カイさんの鑑定行為自体に規約違反はない、という結論になりました」
受付の女性が書類を読み上げた。羊皮紙のかさかさした音が、管理局の静かなホールに響く。形式的な口調の中に、ほんの少しほっとした色がある。
「ただし、今後、依頼外での助言行為については、相手の同意を得てから行ってください。口頭注意として記録に残ります」
「わかりました」
口頭注意。軽い処分だが、カードに記録が残るのは地味に痛い。C級据え置きの上に口頭注意。管理局から見た俺の信用度はまた一段下がった。
まあ、元から底の方にいる。もう少し沈んだところで大差はない。
◇
「カイさん。結晶のメンテナンス時期なんですが」
受付を離れようとした時、別の窓口から声がかかった。
振り返ると、見慣れない技師が立っていた。
若い。20代後半。黒髪を短く刈り上げて、丸い眼鏡をかけている。白衣の袖をきっちり折り返していて、爪が短い。手の甲に白銀の結晶、結晶技師の色。Lv6。
前任の技師は40代の無口な男だった。俺の結晶交換をいつも流れ作業でこなしていた。こいつは見たことがない。
「新しい方ですか」
「先月配属になりました。ヴェル・ログと言います。登録管理部の結晶技師です」
丁寧な口調。でも、目が——何か探っている。好奇心ではない。分析している目だ。
手を見た。癖で見る。爪が短いのは几帳面さだが、右手の中指と薬指にインクの染みがある。ペンを長時間握る人間の染みだ。結晶技師の仕事は器具操作が中心で、帳簿をここまで書き込む奴は珍しい。こいつは、記録を取ることに執着がある。
「カイさんの結晶メンテナンスの定期記録を確認したんですが、次のメンテナンスは——」
「まだ先です。鑑定士になって2週間ちょっとです。Lv7まではしばらくかかります」
「ええ、それはわかっています。ただ——」
ヴェルが一瞬、周囲を見た。受付ホールには他の冒険者もいる。
「少しお時間いただけますか。検査窓口の方で」
……面倒くさい。でも、管理局の技師に検査を求められて断る理由もない。
検査窓口に移った。半個室のブースで、器具が並んでいる。消毒液の匂いが鼻を刺した。金属のフレームが壁にかかっていて、薄い光を反射している。ヴェルが椅子を引いて、俺の向かいに座った。
「結晶を見せていただけますか」
手の甲を差し出した。淡い紫色。鑑定士Lv3の色。
ヴェルが器具を手の甲にかざした。金属のフレームに薄い結晶レンズがはめ込まれた、鑑定用の拡大鏡。金属が肌に触れた瞬間、冷たさが腕の奥まで走った。結晶の表面を、数ミリの距離から覗き込んでいる。
息が結晶にかかるくらい近い。数値を帳簿に書き取る。ペンの動きが速い。書いて、消して、書き直す。
「……Lv3。結晶の定着率は——」
呟きながら、ページをめくった。俺の過去の記録だろう。17回分の結晶メンテナンス記録。管理局には全部残っている。
「カイさん。一つ、お聞きしていいですか」
「どうぞ」
「あなたの結晶が色を失う時——明滅の期間はどのくらいですか」
「Lv7到達後、3日から1週間程度です。最近は短くなってますけど」
ヴェルがペンを止めた。
「明滅の後、色が消える瞬間——体にどんな感覚がありますか」
「……手の甲が冷たくなります。力が抜ける感じ。結晶の増幅が消えるので、ステータスがLv1相当に戻る」
「痛みは」
「ないです。冷たくなるだけです」
ヴェルが帳簿を見ている。眼鏡の奥の目が、何かを追っている。
「……カイさん。これは報告書に書く必要がありますので、正確にお聞きしたいんですが」
口癖だな、と思った。「報告書に書く必要がある」。それを盾にして、本当に聞きたいことを聞く技師の手口だ。
「あなたの結晶の色の消え方は、他の『結晶定着不全』の症例と統計的に異なります」
「……どういう意味ですか」
ヴェルが帳簿を閉じた。
「通常の定着不全は、結晶が損傷して色が抜けます。色の消え方は不均一で、端から徐々に白化する。欠けた陶器のように」
知っている。前任の技師が毎回、同じ説明をしていた。
「でも、あなたの場合——」
ヴェルが声を落とした。
「色が、綺麗に消えるんです。中心から均一に透明に戻る。まるで——」
言葉を選んでいる。技師特有の慎重さ。
「まるで、結晶が『元の状態に還っている』ように見える」
静かなブースの中で、時計の針が動く音だけが聞こえた。
「……それは、おかしいんですか」
「定着不全なら、壊れて色が抜けるはずです。綺麗に還るのは……設計通りの動作に見える」
設計通り。
「つまり、あなたの結晶は——壊れているんじゃなくて、正常に動いている可能性がある」
……何を言っているんだ、この技師は。
「報告書に書く必要がありますので、今後、結晶の色が変わる兆候が出たら、すぐに私に連絡していただけますか。観察させていただきたい」
「……それは。前任の技師に言っても同じことですか」
「前任は定着不全の標準処理しかしていません。記録も最低限です」
ヴェルが眼鏡を押し上げた。目が真剣だ。
「私は、あなたの結晶データに興味があります。おかしいんです。おかしいのは、あなたではなく——」
言いかけて、止まった。周囲に目を配っている。管理局の中で、何かを言い切れない空気がある。
ヴェルの指が帳簿のページの端を無意識に折り曲げていた。癖なのだろう。考え込む時に紙に触る人間——鍛冶師をやっていた時に、同じ癖の奴がいた。火の前で、設計図の端をずっと折り曲げていた。
「……後日、改めてお話しします。フィールドで結晶の変化を観察させていただくことは可能ですか」
「……構いませんけど」
「ありがとうございます」
ヴェルが頭を下げた。丁寧すぎるくらい丁寧に。
検査窓口を出た。
リラがロビーで待っていた。ノアが膝の上にいる。ロビーに出ると、検査窓口の消毒液の匂いが薄れて、代わりに受付ホールの木の温もりのある空気が鼻に戻ってきた。
「長かったですね。何かあったんですか」
「……新しい技師がいた。変なことを言ってた」
「変なこと?」
「俺の結晶は壊れてるんじゃなくて、正常かもしれない、って」
リラが首をかしげた。
「それって、いいことなんですか?」
「……わからない」
わからない。
17回、結晶の色が消えた。17回、「結晶定着不全」と記録された。それが——「正常」だとしたら。
何が変わる?
……わからない。でも——あの技師が言い切れなかった言葉の先が、気になる。「おかしいのは、あなたではなく——」。
ノアが肩に飛び乗った。小さな爪が肩口の布を引っかく感触。手の甲の結晶に、一瞬だけ鼻先を寄せた。湿った鼻先がひんやりと結晶に触れる。
いつもの仕草。でも今日は、何かを確かめているように見えた。
ヴェルの「おかしい」が、頭の隅にこびりついて離れない。
手の甲を開いて、結晶を見た。淡い紫色。いつもと同じに見える。同じに見えるのに。
拳を握って、手をポケットに突っ込んだ。……面倒くさい。全部見えてからでいい。




