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救いの手

縛輪をつけられ、逃げ場を完全に失ったルカに、

盗賊たちは半円を描くように囲み込み、あからさまな嘲笑を向けていた。


夜気は冷たく、焚き火の熱だけが不自然に強く感じられる。

薪が爆ぜる乾いた音が、沈黙を裂き、またすぐに闇へ吸い込まれていく。

酒瓶が打ち鳴らされ、濁った液体が地面にこぼれ、土と灰に染み込んでいった。


下卑た笑い声が重なり合い、波のように押し寄せる。

それは単なる音ではなく、意図を持った圧力だった。

「お前はもう終わりだ」と、何度も何度も叩きつけてくる。


「ふん……」


誰かが短く鼻を鳴らす。

その音には、蔑みも、退屈も、飽きも含まれていた。


檻の奥にいる少年――ルカは、うつむいたまま、身じろぎ一つしない。


否。

正確には、できなかった。


首元に巻き付いた黒い輪――縛輪。

それはただの拘束具ではなかった。

存在を主張するたび、頭の奥に直接触れてくる。


思考が、凍りつく。

感情が、削られる。

意志が、削ぎ落とされていく。


逃げたいという衝動すら、途中で潰される。

叫びたいという本能も、形になる前に押し潰された。


――助かる手段は、もう残っていない。


その理解は、雷のような衝撃ではなかった。

ゆっくりと、沈殿する毒のように、確実に、確実に、胸の底へと沈み込んでいく。

一人、また一人と、盗賊たちは焚き火の周囲へ戻っていった。

役目は終わった。

見世物は終わった。


そう言わんばかりに、誰も振り返らない。


檻の中の少年は、もはや「存在」ですらなかった。

ただの処分待ちの物体。


その光景だけが、淡々と、ルカの瞳に焼き付いていた。

――そのとき。


世界が、反転した。

視界が、白に塗り潰される。


一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

焚き火の赤でも、夜の闇でもない。


白銀。


夜の中に、本来存在してはならない色が、確かに立っていた。


「……え……?」


喉から漏れた音は、声と呼ぶにはあまりにも脆かった。

驚愕と困惑が混ざり合い、形にならないまま零れ落ちる。


白銀の外套。

村で、何度か見たことがある。


だが、違う。


同じ色。

同じ形。

それなのに、まるで別の概念のようだった。


纏う空気が、まったく異なる。

そこに立っているだけで、夜の濁りが押し返される。


圧倒的な存在感。

理屈ではなく、本能が告げていた。


――これは、味方だ。


正義と秩序。

言葉にすれば簡単だが、その二語がここまで重く感じられる存在を、ルカは初めて見た。


考える前に、体が動く。

ルカは、突如として現れた希望に縋るしかなかった。


「……たす……けて……」

身体の奥底から全身全霊をこめて声を上げる。

全身の力を、残っていたすべてを、そこに込めたつもりだった。

それでも、音はか細く、夜に溶けかける。


白銀の外套を纏った長身の男が、ゆっくりと振り返った。

視線が走る。

檻。

盗賊。

地面に転がる酒瓶。

そして――首元の縛輪。


状況把握に、迷いはなかった。


「大丈夫だ、坊主」


低く、しかし揺るぎのない声。

「ちょっと待ってな。今、助けてやる」


そう言って、男は笑った。

それは、見せかけの安心ではなかった。

経験と覚悟に裏打ちされた、迷いのない笑み。


その瞬間。


胸を締め付けていた恐怖が、急速に薄れていく。

重石が、少しだけ外れたような感覚。


「ちっ……もう嗅ぎつけやがったか」


盗賊の頭が、苛立ちを隠さず舌打ちする。


「お前ら、囲め。理術を一斉照射だ」


命令が飛ぶ。

盗賊たちは、慣れた動きで散開した。


腕を突き出し、放射体勢に入る。

その顔には、焦りよりも確信があった。


「一人で来るとはな。残念だった――」


言葉が、途切れる。


「……お頭」


声が裏返った。


「理術が……発動しません」


その一言で、空気が完全に凍りついた。


「……あ?」


困惑が連鎖する。

誰かが、もう一度力を込める。

だが、何も起きない。


「てめえ、何を――」


その言葉が終わるより早く、男――カヤトは踏み込んでいた。

距離が、消失する。

短剣が閃き、迷いなく盗賊の胸に突き立つ。


「うるせぇ」

淡々とした一言。

頭だったものは、音もなく地に崩れ落ちた。


怒号。

悲鳴。

混乱。


だが、落ち着きを取り戻た盗賊たちは一斉にカヤトへ襲い掛かる。


カヤトは、一斉攻撃を正面から受け止め、

卓越した体術で、的確に、冷静に、無力化していく。


殴り、投げ、関節を断ち、叩き伏せる。

力任せではない。

最短で、最小限、一切無駄のない動き。


それから行われたのは戦いと呼ぶにはおこがましい一方的な制圧だった。


檻の中で、ルカは息をするのも忘れる。

絶望の底から、自分を引き上げる存在。

その姿は、あまりにも遠く、あまりにも眩しい。


胸が、熱くなる。

理由は分からない。

言葉にもできない。


ただ――憧れた。


やがて、すべてが終わる。

カヤトは、転がった死体の腕から腕輪を外し、

一瞬も迷わず、拳で叩き割った。


砕ける音。


パキン。


同時に、首元の黒い輪が真っ二つに割れる。


圧迫。

支配。

拘束。


すべてが、一気に消えた。


ルカは、自由を理解するより先に、大きく息を吸い込んでいた。

肺が広がる感覚が、これほど生々しいものだとは知らなかった。


視界が滲む。

涙がこぼれるのを必死でこらえた。


檻の鍵が外れる音。

扉が開き、ルカはふらつきながら外へ出た。


「……ありがとう……」


精一杯の言葉。


カヤトは近づき、しゃがみ込み、視線を合わせる。


「よく、頑張ったな」


その言葉が――

頭ではなく、胸に直接落ちてきた。


(頑張った……?)


頑張った覚えなんて、ない。

泣いて、怯えて、何もできなかった。


それなのに。


生きていたことそのものを、肯定された気がした。

肩に置かれた手は、温かい。                                           

息が、詰まり喉がなった。堪えていたものが一気に決壊する。

あふれる涙が、止まらない。


――数分後。


白銀の外套を纏った部隊が到着する。


「隊長、先走りすぎです」


「すまん、すまん」


軽い調子で応じる。


「ローグ、それより、この子を」


カヤトの背で眠る、小さな少年。


「保護対象ですね。支部へ連れて行きましょう」


形式通りの確認。

ルカの行き先は、オーダ・リロジアに委ねられる。

小さな命は、確かに救われた。


小隊は、真夜中の街道を進む。


「この先の街で一泊する」


提案に、誰も異を唱えない。

宿屋。

暖かな光。


長椅子で眠るルカを横目に、隊員たちは食事をとり、明日の予定を確認する。

しばらくして、ルカが目を覚ました。


「あれ……僕は……」


優しい眼差しが、そこにあった。


「何か食べるといい」


差し出されたシチューを、無言で掻き込む。


思い出す。

失ったもの。

奪われた日常。

そして――助けられたこと。

涙が、再び溢れた。


「安心しろ」


カヤトが言う。


「お前を傷つけるやつは、もういない」


「……俺は、カヤト・バイエル。お前は?」


「……ルカ・レアルドです」


ほんの一瞬。

カヤトの視線が、揺れた。

だが、それはすぐに消えた。


「村は……どうなったんですか」


「僕は……どうなるんですか」


次々と溢れる問い。ルカは息がきれるのを構わず口に出していく。


「落ち着いて」                                            


カヤトの隣に座った色白の青年によって遮られた。

ローグが静かに告げる。


「俺は、ローグこの隊の副隊長やっている」                                

「残酷な話になるけど騒がないと約束できるかい」 


ローグは、真剣な面持ちでルカと向き合う。


「うん」

「よし、いい子だ」


ローグの表情が、柔らかく砕けたものになったが直ぐにもとに戻った。


「君の村は……君以外、全員亡くなった」


言葉は、残酷だった。

だが、逃げることなく受け止める。


「これから支部で、引き取り先を探す」


ルカは、震える体を抱きしめる。

未来が、見えない。


重苦しく淀んだ空気を、カヤトが手を叩いて断ち切った。


「もう遅い。明朝出発だ。休め」


隊員たちは散っていく。


「……僕は……どこで寝れば……」

「俺の部屋だ。空きがある」


答えは、簡単だった。

部屋へ戻る途中、ルカは隣を歩く背中を見上げる。


(……この人は……)


言葉にできない。

ルカには、はっきりと分かった。


この人は、

絶望の中に立って、迷わず手を伸ばせる人だと。

自分が、壊れそうになっていた世界に、

躊躇なく踏み込んできた人


それが、どれほど恐ろしく、

どれほど強いことなのか。


子供のルカにも、分かってしまった。


ルカの胸が、熱くなってしまう。

心臓が、痛いほどに鳴る。


(……なりたい……)


声には、ならなかった。

感情や思考ですらない。

ただ、魂の奥に刻み込まれる感覚。


いつか、自分も。

誰かを、あの闇から引き上げられる存在に。


涙に濡れた視界の中で、

ルカは、カヤトという人間を――

生涯、忘れないと、理解していた。

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