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背反する二人

個人戦の訓練が終了して数日後。


その日の空は、重い灰色に塗り潰されていた。

雲の切れ間から差し込む光も、どこか覇気を欠いている。

まるで天そのものが、これから始まる訓練の苛烈さを予告しているかのようだ。

 

生徒たちは、校内に造られた模擬都市の外縁に、等間隔の沈黙を保ちながら列を成していた。

瓦礫の都市は、息を殺している。

かつての建築が林立していたであろう街並みは、もはや原形を留めていない。

崩れ落ちた石材と木材の壁が幾重にも折り重なり、熱によって歪んだ鉄骨が、まるで絶望の象形文字のように天へと突き刺さっている。


道路は深く陥没し、ひび割れた石畳の隙間からは、命令に従わぬ雑草が青白い顔を覗かせていた。

風が吹くたびに、粉塵と焦げた匂いが混ざり合いながら宙を舞う。

それはただの臭気ではなく、嘗て此処に何かが存在したという記憶の残滓だった。


この光景は、単なる廃墟ではない。

大規模な天災と人為的破壊によって一度「死を宣告された都市」を忠実に再現した、実地訓練用の模擬空間だった。

精緻に設計されたそれは、演習場というより遺構に近く、訪れる者に一種の既視感に似た不安を植えつける。

 

都市外縁に設けられた仮設拠点に、生徒たちが整列していた。

全員が同じ制服を纏っているが、その表情は決して一様ではない。

緊張に唇を固く引き結ぶ者、周囲の地形と出口を無言で測り続ける者、恐怖を自尊心の内側に懸命に押し込んでいる者——それぞれの顔が、それぞれの覚悟の形をしていた。


「これより実地救助訓練を開始する」

 

低く、しかし瓦礫の都市の隅々まで届くような声が、空気を圧し割った。

主任教官オーサー・フィークスが一歩、前へ踏み出す。

その佇まいそのものが一個の圧力として機能している。

過剰な威圧ではない。むしろその静けさが、場の空気を音もなく締め上げていた。

彼の存在は、ただ監督するためのものではない。


「課題は単純だ。模擬都市内に配置された人形を、制限時間以内に都市外へ搬送しろ。人形は各種の負傷者を想定している」

 

フィークスの背後の空間に、揺らぎもなく水面が顕現した。滑らかな鏡面に映し出されるのは、三種類の人形の映像。赤、黄、緑——色彩の差異が異様に映る。


「達成条件は、時間内に三十得点以上の救出。制限時間は一時間。赤が七点、黄が五点、緑が二点。各人形の額には計時器が取り付けられており、訓練開始と同時に起動する。都市外搬送前に時間が切れたもの、あるいは損傷を受けたものはすべて無得点となる。また、高得点の人形ほど制限時間が短い。以上が概要だ」


一瞬の間があった。

フィークスは生徒たちを一瞥し、さらに続ける。


「それと一点だけ付け加えておく。儂がヴィラン役として課題に介入する。諸君ら全員が戦闘不能に陥った場合、課題は即時失格となる」

 

誰も口を開かなかい。

沈黙は、恐怖ではなく、思考の密度だった。


「始めろ」


最初のグループ、四十名。

合図と同時に、生徒たちは瓦礫の都市へと怒濤のごとく流れ込んだ。

都市内部は、外観よりも過酷だった。

視界は四方から迫る瓦礫と粉塵に塞がれ、足場は一歩ごとに予測を裏切る。

崩落しかけた壁が頭上に覆いかぶさり、どこからか水の滴る音が反響していた。

生きた街のようにも、骸のようにも聞こえる。


「このまま集団で行動するのは非効率だ」

 

エンジが即座に口を開いた。一拍の逡巡もない。

思考が言語を追い越しているような速度だった。


「四十名を四人一組に細分化、十班で同時並行探索を実施する。フィークスと接触した班は即時離脱。搬送は予め設定した合流地点で集約する。これが現時点での最善策だ」

 

合理的な提案だった。戦略として、反論の余地はほとんどない。

だが——


「なぜ、お前が指揮を執っている」

 

ミヨクが吐き捨てるように言い放つ。

それは疑問ではなく、宣戦布告に近かった。


「お前の指示には、従わない」

 

サダリが続く。短く、しかし岩のような確固さで。

二人は踵を返した。その背中に、十名前後の生徒が吸い寄せられるように追随する。

エンジの立案した陣形が、発動する前から瓦解した。


「いたぞ——フィークスだ!」

 

瓦礫に反響するミヨクの声。

フィークスを発見したのは、都市の中心部に程近い大通り跡だった。

ミヨクとサダリ、そして追随した生徒たちは、素早く包囲陣形を展開する。

数の優位。方位の制圧。戦術的には、申し分ない。


「お前たちは、今自分たちが何をしているか、理解しているか」

 

フィークスの声に、怒気はなかった。それが却って不気味だった。


「これは、戦闘訓練ではないぞ」


「よくわかっていますとも、フィークス教官」

 

サダリが口の端に薄い笑みを浮かべて言った。声音には洗練された皮肉が滲んでいる。


「あなたさえ制圧してしまえば、残りの課題は詰め将棋に過ぎない。合理性の極致でしょう。褒めてくださってもいいんですよ」


「馬鹿どもが」


フィークスの眉間に、初めて青筋が走った。


「炎属性——」「土属性——」

 

包囲した生徒たちが、声を重ねて理術を発動。

炎の奔流と土壁が、フィークスを囲む空間を圧縮する。


水属性(みずぞくせい)高等理術(こうとうりじゅつ)——暴流(ぼうりゅう)

 

フィークスが両腕を広げた次の瞬間、周囲の空気が一変。

どこから湧いたとも知れない濁流が、音速に近い勢いで辺り一帯を呑み込んだ。

炎は消え、土壁は根こそぎ砕かれ、生徒たちの威勢は水音と共に霧散する。

後に残ったのは、静寂だけだった。

いや——静寂でさえない。

あれほどの喧騒の跡には、沈黙すら形を失う。空虚だけがそこにあった。


一方、都市の別区画。

ルカとエンジは、赤色の人形を発見した。

折り重なった鉄骨の隙間、薄暗い空間の奥。

辛うじて形を保った灰色の石壁に凭れるように、それは横たわっていた。

額に取り付けられたタイマーが、無慈悲に数字を削り続けている。

エンジは数値を見た瞬間、眉を顰めた。


「時間が足りない。この人形は捨てる。別を当たるぞ」

 

即断だった。感情の入り込む余地のない、純粋な算術の結論。


「駄目だ、エンジ」

 

ルカの声は静かだったが、退かなかった。


「僕たちは、こいつを送り届けなきゃいけない」


「お前、状況を把握しているのか」


エンジの声に苛立ちが滲む。しかしそれは焦りではなく、理解を求める切迫に近かった。


「一時間以内に三十得点。達成するためには確実性を最優先すべきだ。回収困難な個体に時間を注ぎ込む余裕はねえんだよ」


「理解できていないのは、君の方じゃないか」

 

ルカは人形から目を離さずに言った。


「これは訓練。だとするとこの人形は人の命そのもの。目の前にある命を、見捨てる選択肢を持っちゃいけない」


「救える命には限りがあるんだよ、理想はすてろ」


エンジは低く、しかし確信を持って言った。

ルカはエンジを正面から見る。


「君は、実際の現場でも同じことを言えるの。失った命は二度と戻らない。目の前に在る命は、何があろうと助ける道を模索すべきだ」

 

互いに一歩も引かなかい。

二人の間にある沈黙は、単なる膠着ではなかった。

それは、相容れない倫理体系が正面衝突する音だ。

どちらも正しい。

だからこそ、どちらも折れることができなかった。


「任務の最中に内輪揉めとは、まったく度し難い」

 

割り込んだのはフィークスだ。


「……ちっ」

 

エンジが舌打ちし、薙刀を構える。

軌道計算は既に完了していた。

フィークスは片手の短剣を翻し、無造作に人形へと刃を向ける。

間一髪——ルカが身を挺して割り込む。


「エンジ」


「わかってる。邪属性・煙理操術——朧煙界」

 

エンジが即座に応じた。 

白煙が爆発的に展開し、周囲一帯を視界ゼロの暗幕で覆い尽くす。

煙の帷から最初に躍り出たのはルカだった。

フィークスへと迷いなく肉薄し、拳を叩き込む。

 

フィークスは後退して距離を取る。

煙が、ゆっくりと晴れていったいく。


「ほう」

 

フィークスは、感心する。

エンジの姿と、赤色の人形が消えていた。


「先程まで言い争っていたわりには、連携が嚙み合っているではないか」


「最適解がそれだったというだけのことです」

 

ルカは静かに答えた。


「あの議論——決着をつける気はないのか」


「ありません」


一分の躊躇もない。


「僕は、失った痛みを知っています。あの喪失感が、残された人の心にどれほど深い傷痕を刻むか。その苦しみを誰にも背負わせたくありません」

 

言葉の奥に、二度と会えない人たちの面影が揺れていた。

脳裏に浮かぶ顔は、名前を持ち、声を持ち、体温を持っている。

かつての記憶の重みを纏いながら、ルカの瞳はフィークスを射抜く。


「お前は正しい」

 

フィークスは、珍しく率直に言った。


「そして、ユベンの論理も誤ってはいない。正しさの押しつけ合いは、存分に議論しろ。ただし——時と場所を弁えることだ。時間は、何人の正論をも待ってはくれないのだから」

 

両腕が広げられる。


「水属性・中等理術——青刃輪(せいばりん)

 

フィークスの両手を中心に、青白い水の輪が滑らかに展開する。

輪は回転を加速させながら地面に接触し、石路を切り裂く刃と化してルカへと迫った。


「邪属性・超越体技——硬化」


皮膚と筋肉の強度が高まる。硬化した拳で、回転する水刃を受け止めた。衝撃が骨まで響く。

二枚目は身を捻って躱した。

ルカはフィークスへと踏み込む。距離を詰める。


「水属性・中等理術——青穿(せいがつ)

 

極細の水の針が、縦横無尽に空間を縫いながら降り注いだ。ルカは瓦礫を踏み台に軌道を変え続け、針の雨を掻い潜りながら確実にフィークスとの間合いを詰めていく。

至近距離。蹴りを放つ体勢に入った瞬間——全身が、水に包まれた。


「水属性・中等理術——水獄(すいごく)

 

球状の水塊がルカを内側から閉じ込める。

抵抗しても水は形を保ち続け、身体の動きを吸収した。


「拘束させてもらった」

 

フィークスは静かに言葉を紡ぐ。


「息が切れる前に解放されるよう調整してある、と言っても今は聞こえていないか。——さて、ユベンを追うとしよう」

 

ルカには、遠ざかるフィークスの背を眺めることしかできない。

水の内側で、言葉にならない何かが滞留している。


 

エンジは走っていた。

倒壊した家屋の隙間を、最短経路を選びながら駆け抜ける。呼吸は乱れていない。

体力の問題ではなく、思考が全力で稼働していた。

 

(色分けされた人形。個体ごとに設定された制限時間。この課題の達成条件——)

 

情報が、脳内で急速に整理されていく。

 

(色分けは、負傷の重篤度を表している。赤は最重傷、時間的猶予が最も少ない。つまり、このシステムが意味することは——胸糞わりいこと考えやがって)

 

理解した瞬間、エンジは歯を食いしばった。

それは怒りではなく、嫌悪だ。

訓練設計の冷淡な合理性に対する、人間としての反射的な拒絶。

 

水飛沫が、突然視界の端に弾ける。

フィークスが、正面に現れた。


「——っ、フィークス」

 

反応が、わずかに遅れる。


「遅い」

 

放たれた短剣は、弧を描き正確に、人形の額へと突き刺さった。


「……」


エンジは動けない。

時計が停止する音が、やけに大きく聞こえる。

静かに、しかし取り消しようもなく、課題は失格となった。

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