静ちゃん
誘拐事件から二日後。
連日のニュース、ネット上での騒ぎはまだ収束を見せないどころか、さらに熱を帯びている。
その中心にいたのは、シャムと幽奈であることは間違いなかった。しかし、実はもう一人いる。
まだ早朝のことだった。部活の朝練でもこんなに早い時間には登校しないだろう、そういう時間帯に少女は、ある並木道のベンチに座っていた。
学校までほんの数分。でもベンチから動こうとせず、俯き悲しい目で地面を眺めている。
彼女は待っていた。街中や駅、学校の中で会うわけにはいかなかった。そして、程なくして相手はやって来る。
お嬢様のような風貌と、母性的な微笑を顔に乗せて、優雅な足取りで少女の側へと軽やかに近づいていた。
「おはよー。幽奈ちゃんって、こんなに朝早いんだ! 私も今日は用事があって、はやめに来たんだ」
「……」
「どうしたの? 元気ないね。そういえばシャムちゃんは?」
「検査入院。でもそんなに長くはいないって」
「え、そうなの!? 心配だよ。私お見舞いしに行きたい! ねえ、一緒にいかない?」
「行かない」
即答だった。静は首を傾げてみせる。
「どうして? ねえ幽奈ちゃん、私達友達でしょ? シャムちゃん、どこにいるの?」
微笑みを崩すことなく、少女の隣に腰を下ろして、内気な横顔を見つめる。一瞬だが、立てかけられた剣に視線を送っていた。
「………友達……なら……」
この時、幽奈はようやく顔を上げ、悲しそうな目で視線を合わせた。
「どうして殺そうとするの?」
静の瞳は丸く開かれ、作られた笑みは消え去っていた。草木のなびく音が、二人の間を取り持とうとするかのように流れている。
◇
話は廃病院での頃に遡る。
白髪の男が逮捕された後、幽奈と希空は事情聴取を受けることになり、シャムは病院に運ばれた。
その後、聴取が終わった二人は、同じ電車で帰ることにした。二人で椅子に座り、肩を並べて座っている。
チャットにシャムから連絡が来た時、幽奈は心の底からホッとした。どうやら体に問題はなさそうだが、少しの間検査入院をすることになったらしい。
これで全てが終わったと、またいつもの日常に戻れると考えていた。
希空は疲れた顔をしていたが、とにかく無事に終わったことに安堵していた。だが、幽奈はしばらくして、大変なことに気づいて急に椅子から立ち上がる。
「あああ! どうしよう」
「ん? どした?」
「静ちゃん、おいてきちゃったんです。家に帰れてるかな」
この時、希空はハッとした後、怪訝な顔になって幽奈を見上げた。
「あのさ。そういえばずっと気になってたんだけど。静ちゃんって、誰?」
「……え?」
「幽奈の友達なわけ?」
「え、今日ずっと一緒にいた、静ちゃんですよ。タクシーの時とか」
「タクシーの時? ……あたしと幽奈しか乗ってなかったでしょ」
「………え、え?」
幽奈は想像すらしていない返答に、頭の中が真っ白になった。
その後、今日一日のことを二人で振り返ってみたが、静のことだけが食い違っている。希空は一度だって、すぐ側にいたはずの静を見ていないと言う。
さらにこの時、二人を驚かせる新たな事件が起きた。
希空はふとツブヤイターに流れたニュースを目にして、思わず声を漏らした。
「は!? ちょ、ちょっと待って。アッキーとあのおっさん、死んだって!」
「……!?」
希空はすぐにニュース速報のページを見せてきた。どうやら間違いない情報で、ニュースでも大々的に報じられたようだ。
しかも二人は、ほぼ同じ時間に、同じような死に方をしているという情報である。
幽奈は呆然としたまま、脱力して椅子に腰を落とし、しばらく固まってしまう。
「え、ちょっと。……大丈夫?」
電車から出ても、幽奈は上の空だった。
希空は彼女を心配して、今度は駅から家の近くまで送ってくれた。別れ際、何かを決意するように、幽奈は頭を下げる。
「すみません。希空さん……」
「え? いいよ。別にこのくらい」
「えぁっと。その……お願いしたいことが、あるんです」
「ん?」
「ちょっとだけ、その剣……貸してもらえませんか」
シャムの仲間達と白髪の男は死んだ。そして、殺したのは恐らく彼女であり、このまま放置するわけにはいかない。
話は今に戻る。
そう決意したから、幽奈はこの日、誰よりも早い時間に学校近くの並木道にやってきたのだ。
ここなら必ず会えると、分かっていたから。
◇
少しして、静は立ち上がり、幽奈に背を向けて歩き始めた。
「驚いたね。幽奈ちゃん、気づいてたんだ」
「なんか変、って思ったことはあった。でも分かってなかった。みんな……殺したの?」
ある程度距離が開いたところで、彼女は振り返る。今までとは違う、厳しい目つきをしていた。
「そうだよ。でもたった一人だけ、今も生きてる。ねえ、私からも聞いていい? 幽奈ちゃん……どうしてあなただけ死なないの?」
幽奈は瞳を閉じ、辛い現実を噛み締めている。この一言は予想していなかった。
「私のことも、呪ってたの? 気づかなかった」
「幽奈ちゃんおかしいよ。他の五人はあっさり死んだのに。あなただけ、他のみんなよりずっと強く呪っても平気な顔してた」
「どうして? どうしてそんなことするの?」
幽奈もまた立ち上がる。ベンチに立てかけていた剣を手に取った。
「だってみんなシャムちゃんの敵だから。私はシャムちゃんに救われたんだよ。それからずっとシャムちゃんが大好き。シャムちゃんに酷いことをする人なんか許せない。そんな人はいなくなったほうがいい。だから消したの」
「私、シャムちゃんに酷いこと……あ」
この時、彼女はシャムとダンジョンで初めて会ったことを思い出した。その時脅かしたことだろうか。
しかし、静は首を横に振っている。
「幽奈ちゃんは、何も悪いことはしてない。でも許せないの! だってシャムちゃん、会うたびに幽奈ちゃんのことばっかり話すようになったわ。幽奈ちゃん、幽奈ちゃん……私より、幽奈ちゃんばっかりになった!」
突然声を荒げた彼女の様子に、幽奈は驚きを隠せない。あんなにおっとりしていた少女が、理解できない激情に燃えている。
静がシャムの元マネージャー、探索仲間と白髪の男を消したのは、害であると判断したから。
だが、幽奈をこっそりと呪い殺そうとしていたのは、嫉妬によるものだった。
幽奈はしばし混乱した。だが全てを知った以上、このまま放置して良いはずがないと思った。
彼女は許されない行為に走っている。そしてこれから先も、恐らく止まることはない。
「静ちゃん……ごめんね。この剣は、きっと痛くないから」
幽奈は希空から借りたロングソードを鞘から抜いた。
以前武器の材質や効果について学んだことがあり、幽奈はこの剣が最も苦しめずに終わらせられるものと考えたのだ。
「私達、最悪な関係になっちゃったね。でも幽奈ちゃん、私はこれからもシャムちゃんとずっといる。あなたにはここで、終わってもらうね」
静の体を、黒い竜巻のような何かが包んでいく。
幽奈もまた、魔力を解き放ち、黒と青の瘴気に似た何かに包まれようとしていた。




