002 その日、ライディは旅をする
カレル暦204年。
国鯨の月、深樹の曜日にて――国境の要塞都市へと続くヘレゲン街道を一台の馬車が走っていた。
中規模程度の大きさの馬車は、旅客馬車と呼ばれる。
人を乗せ、人を運び、運賃を頂く商いである。
馬車の中には貴族風の家族連れが三人。内――小さい子供は七つの少女である様だ。
他にも、新天地で商いを開こうとする商人。
里帰りをする婦人等――十人程度の乗客が座っている。
フレイ=ガトリンガーは冒険者である。
駆け出しの。
という頭文字は、そろそろ外しても良いだろうと思う程度のキャリアはある。
ブラウンの髪を一本に結い、肩口から垂らした髪型をした彼女。
その装備は基本的なレンジャーの装いで、軽装。
獲物は太ももに差した短剣と、右手の自動洋弓である。
そばかすのかかった頬を指で掻きながら、彼女は一人嘆息する。
……一日がかりの馬車の護衛が、一万イラかぁ。
……これじゃあ命の危険がない分、日雇い労働の方がマシなんじゃないのかな?
尤も、大した実績の無い冒険者というのは、日雇い労働者と変わらない。
結果を残し――組合に評価されたものだけが、華々しい扱いを受けるのだ。
フレイ=ガトリンガーも、その事は分かっている。
重々承知だ。
分かった上で――現実と理想のギャップに苦しんでいた。
……二十歳になって、田舎を出れば何か変わると思ったのになぁ……。
……現実は、魔物の一匹も出ない街道の馬車護衛。
……実績の薄い冒険者にやらせる任務なんて、そう多くはない――か。
「……ふぅ」
息を吐いて、気持ちを切り替える。
いいわ、楽しい事を考えよう。
仕事が終わったら、久しぶりに報酬でお酒を飲もう。
前行った酒場は、むさいおじさんばっかりだったけど、今度はイケメンの冒険者にも会えるかもしれない。
会えなかったとしても、豪遊してやるんだ。
自分へのご褒美って奴ね。
「……ん?」
私がそんな事を考えていると、突然、一人の乗客が立ち上がり、御者の方――つまりは、私の立っている方へとやってくる。
「……どうしました?」
問い掛けながら、私はその人をよく見る。
暑い時期であるのに関わらず、フード付きの黒い外套を目深にした男。
いや――少年か。
歳の方は分からないけれど、恐らくは自分よりは年下。
美しい金色の髪に、鋭い眼光。
肌の色は病的な程に白く――もしかして日に弱いから、外套を着ているんじゃないかと想像してしまう。
酷く分かりやすく、身も蓋もない言い方をすれば――かなりタイプなイケメンであった。
「一旦、馬車を止めた方が良い」
「……え?」
「ボアの大群が移動している――このままだと標的にされるぞ」
「……こんな場所で? そんなことって……ッ!?」
少年の言葉を否定しようと、外の風景を見る私。
そうして確かに――いた。
素人目には遠く離れており、御者も注意しなければ見えない場所。
「……馬車と並行して走っているな。少し気付くのが遅かった」
「……追跡されてるってこと?」
私の言葉に、静かに頷く少年。
やばい。どうしよう。
ボアの一匹や二匹なら私一人でも何とか出来る。
けれど――並走するあの大群は数十匹といった数ではない。
とてもではないが、手が足りない。
太刀打ちが出来ない。
しかも奴ら――徐々に此方へと近付いて来ているじゃないか。
馬の脚よりも、ボアの足の方が速いのだろうか?
いやでも、人を乗せているんだからソレもそうか。
――ああ、駄目だ。
――頭が混乱する。
――何で私、こんな日に馬車の護衛なんて引き受けちゃったんだろう……ッ!?
様子のおかしさに、他の馬車の乗客達も俄かに騒ぎ出す。
「おい! あれ魔物じゃないのかッ!?」
「何だあの大群……!?」
「嘘! こっちに向かって来ているじゃない!!」
「何とか振り切れんのかね? ――おい!?」
「護衛は何してたんだよッ!!」
馬車内は騒然としてしまう。
どうすれば良いのか……冷や汗を掻きながら、私へと視線をやる御者。
呼吸が荒くなり、指先が震えるのを自覚する。
どうすれば良いかなんて、私には分からない。
経験が足りないのだ。
何もできない。
此処にきてようやく――私は自身の非力さを認識した。
――日雇い労働者がどうしたって?
――報酬に不満?
――ふざけるな。
――分相応じゃないか、私には。
この人達が死んだならば、それは私の責任だ。
私が――甘ったれていた、せいだ。
どうしようもない現実に、顔を覆いたくなった時――女の子の声が聞こえた。
乗客にいた、七つの子供の声だ。
「……怖いよぉ」
ぬいぐるみを片手に、泣き出す少女。
両親は気が動転しているのか、少女に構わず何故か互いを中傷しあっていた。
一人取り残され、べそを掻く少女。
「――大丈夫だ」
少女の目線へと腰を下ろし、涙を拭いながら――フードを被った少年は、声を出す。
それは何とも――芯のある声であった。
動転する車内で、思えば彼だけは――落ち着いていた。
横で見ているだけなのに、掛けられた声は私に向けられたものでもないのに――
――何故か、心が落ち着く。
「お兄ちゃんに――任せておけ」
◆
少女を落ち着かせた後――少年は一人、馬車から飛び出しボアの大群を迎え撃った。
禍々しい黒い魔剣を携えながら、雷属性の魔法を駆使し――次々とボアを討伐していく。
その姿は――まるで御伽噺の英雄の様だった。
「ゼァ――ッ!!」
「!!!」
飛び掛かるボアの最後の一頭を、横薙ぎに両断する少年。
短い断末魔と共に、地へと転がる魔物。
数にして――百近く存在したボアの大群を、彼は一人で片付けてしまった。
「は……はははは。――何よそれ」
呆れる様な強さだった。
それだけに魅入られてしまった。
私も――馬車の中にいる皆も。その場の全員――彼に。
「――う、うおおおおおおおおおおお!!!」
その場の誰かが雄叫びを上げた。
声を皮切りに、歓喜を分かち合う乗客達。
私は溜まらず馬車を降り、彼の元へと走り出す。
「――あの!! ――ありがとう! 私……護衛なのに何も役に立てなくて――ッ!」
「……別に。気にする事じゃないよ」
「それでも!! それでも言いたかったのよ!! あなたに! あなた……その――」
相対すると、頬が赤く染まってしまう。
私の方が年上なのに――恥ずかしい。
でも――これだけは、絶対に聞かなければ。
「名前は――なんて言うんですか?」
◆
「――」
女性に名を聞かれ、少年は一瞬――戸惑った。
人間からこうして関心を向けられるのに、慣れていなかったからだ。
成長したのだろう。
成長させてもらったのだろう。
あの村に。――あの親友に。
『――神童って呼ばれていたのか?』
『げ。……何だそれ、誰から聞いた?』
『誰かは知らない。歩いていたらそう聞こえて来たんだ』
『よし、陰口叩いてる奴は殴ってこよう。それはそれとして――今は違うからな?』
『違くは――ないんじゃないですか? ハインは凄いですし』
『良いんだよ、リィン。……俺は現実を知ったんだ。神童なんて馬鹿馬鹿しい!』
回想する。――懐かしい日々を、優しい日々を。
『神童ハインリヒ=セイファートに!!! 扱えないと誰が言ったァッ!!!!』
邪神へと向けて、切った啖呵。
真っ暗な意識の中、それでも聞こえたアイツの声に、俺は自然と笑みを浮かべていた。
なんだよ――やっぱそうなんじゃないか。――と。
「あのう……」
「――あ」
つい、考え込んでしまい、女性へと名乗るのが遅れてしまった。
にやつく顔を見られ、おかしく思われただろうか。
いいや、それならそれで開き直る。
「俺の名前だろう? 俺の名は――」
あいつが【神童】ならば――俺は――
「――【雷神】雷神ライディ=アークスだ。……よろしくな?」




