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第50幕

「終の白花の竜騎士アーフィリルさまにおかれましては、何卒このトラヌスに寛大な処置を頂けるようお願い申し上げます……!」

 上ずった声を上げ、地面に額を擦り付けながら私の前で平伏しているのは、都市国家トラヌスを支配している評議会において、議長の地位にある男だった。

 他より一段高い台座の上に設えられた立派な椅子に腰掛けた大人状態の私は、足を組み、肘置きに体を預けながらはぁっと小さくため息を吐く。

 私が1都市国家とはいえども、国の代表を務める人物に平伏されているこの場所は、以前トラヌスが王政だった時代、臣下たちが王に見える為に使用されていた部屋だった。

 即ち、謁見の間だ。

 そして私が今腰掛けているのが、かつて王が据わっていた玉座だった。

 王の座に腰掛けた私の背後には、忠臣宜しく竜騎士アルハイムとハイネが立っていた。溜息を吐く私とは対照的に、2人ともこの状況が当然であるかの様に堂々とした態度だった。

 つい先ほどまで敵国だった王の椅子を占領し、降伏して命乞いをする人間を見下ろす。

 これではまるで、私が無慈悲な侵略者の様ではないか。

 他国に攻め入っている時点で、あながちそれも間違いではないのだが、やはり帝国軍と同様に侵略者とみなされるのは心外というものだ。

 私はこめかみに手を当てて、何度目かの溜息を吐く。

 どうしてこの様な状況になってしまったのか。

 私は、つい数刻前に終わったばかりの帝国軍の新型機獣との戦いを思い出す。

 トラヌス政庁脇の練兵場において、私は新型の帝国軍機獣へと近接戦闘を挑んだ。

 これまでにない長砲身の大砲を装備した機獣は、砲撃を諦め、その爪と牙で私へと襲い掛かって来た。

 横合いから突撃して来た旧型機獣を斬り伏せた私は、少しだけ驚いてしまう。

 機獣といえば、その重量を生かした単調な突進攻撃しか仕掛けて来ないという印象だった。又は、大砲を背負った砲撃戦を行うか、だ。

 しかし新型は、まるで大型の肉食獣を思わせる動きで前肢を振るい、その巨体に似合わぬスピードで接近戦を仕掛けて来た。

 新型機獣のこの戦い方は、後で味方にもきちんと知らせておかなければならないと思う。

 不意を突かれてこんな巨大な金属の塊に殴られてしまっては、大ダメージを負いかねない。

 もっともその速度は、鈍重そうな外見にしては素早いという程度でしかない。注意さえしていれば、エーレスタの騎士であれば遅れを取る事はないだろう。

 突撃して来る旧型機獣を脚を左の剣で斬り飛ばし動きを止め、右の剣を首筋に突き立ててとどめを刺す。

 私が他の機獣と対している間に、性懲りもなく重砲撃型機獣がその砲口を私に向けて来る。

 乾いた砂が舞い上がり、機獣の装甲が甲高い音を上げる。

 新型の動きを横目で確認しながら、私はさらに突撃して来る別の機獣の衝角を斬り飛ばした。

 その刹那。

 私の傍ら、ごく至近距離で新型砲が火を噴く。

 轟音が響く。

 私は顔をしかめながら、地を蹴りふわりと飛び上がる。

 爆音が轟く。

 周囲に広がる発砲煙と間髪いれず広がる着弾の土煙の中から、私の体がふわりと浮き上がった。

「避けたのかっ!」

 当たり前の事を叫ぶ帝国軍の髭の指揮官の声を聞きながら、空中でひらりと回転した私は、そのまま新型機獣の上にタンっと降り立った。

「ひっ!」

 そして短く悲鳴を上げる髭の指揮官を見下ろし、私は白の剣の切っ先を突き付けた。

「投降しろ。部隊に停戦命令を出せ」

 有無を言わさぬ口調で、私はそう言い放つ。

「……なっ、なんでこの俺が!」

 歯を食いしばり、燃える様な目で私を睨む髭の指揮官。

 機獣の装甲を踏み締めて私が一歩近付くと、聞くに堪えない罵詈雑言が飛んで来た。

 しかしさらに一歩近づくと、髭の指揮官の顔色が変わった。

「わ、わかった! 兵は引く! だから捕虜の、いや俺の命は保証してだな……!」

 見るに堪えない醜態をさらしながら、指揮官はあっさりと停戦に応じた。

 新型機獣から発光信号が打ち上げられ、残存する周囲の機獣たちが停止する。同時に、練兵場の周辺でトラヌス軍と戦っていた帝国軍歩兵たちも武器を捨てるのが見えた。

 これでトラヌスも帝国軍から解放されるか。

 そう思いながら私が剣を引いた次の瞬間。

 練兵場の周囲から、どっと歓声が沸き起こった。

 いつの間にか私が機獣と戦っていた練兵場の周囲には、帝国軍と戦っている兵だけでなく多くのトラヌス兵たちが集まり、遠巻きにこちらを見ていたのだ。

 その兵たちが私に向かって剣を掲げ、歓声を上げていた。

『セナさまっ!』

『ただいま戻りました!』

 そこへ、周辺警戒に当たっていたアルハイムらが戻って来る。

 沈黙する黒い機獣を囲む様に白い竜たちが練兵場に舞い降りる。

 その途端、先ほどまでトラヌスを揺るがさんばかりに響き渡っていた歓声がすっと静まる。それどころかちらほらと悲鳴まで聞こえ始め、転がる様に逃げ出す将兵の姿まで見て取れた。

 私はハイネに機獣たちの監視を命じ、ルールハウトとアルハイムを引き連れてトラヌスの政庁に向かった。

 そこで待ち構えていたのが、怯え切った様子で平伏したトラヌス評議会の面々だった。

 帝国軍の排除に協力す旨と、合わせて停戦交渉を行いたい旨を伝える私に対して、トラヌスはあっさりと恭順の意を示した。

 さらには竜騎士さまに相応しい場所に案内すると私を謁見の間に連れてくると、玉座を勧めて来たのだ。

 さすがに私も、王の座になど座れない。それは、不遜が過ぎるというものだ。

 私は固く断ったのだけれど、アルハイムまでもが竜の姫ならば当然の席であるなどと言い出してしまった。

 どこに座るかなどと下らない事で時間を浪費するのも馬鹿らしくなり、結局私はトラヌスの評議長に平伏されながら玉座に収まる事になったのだ。

 機獣の乗り手たちを拘束したハイネも合流し、2人の竜騎士を従えた私は、トラヌスの評議長に状況の確認を行った。

「白花の竜騎士アーフィリルさまのお噂は予てよりお聞きしておりました。さらには先日我が軍の将軍より上がって来た報告により、我々は竜騎士さまのお力を痛感致したのです。そこで、ご勧告いただきました通りオルギスラ帝国とは手を切り、サン・ラブールに、白花の竜騎士さまに従う事に致しました」

 サン・ラブールに寝返るにあたり、トラヌスに駐留する帝国軍を制圧しようとして、先ほどの様な戦闘状況が発生したという事らしい。

 トラヌスが翻意してくれたのはありがたいが、それにしても決断から行動までなかなか早かったなと思う。ここまでたやすく離反するとは、トラヌスと帝国軍との関係は良好なものではなかったという事なのだろうか。

「これも、竜の姫たるアーフィリルさまのお力の為せる業という事でしょう」

 私の隣でアルハイムが薄く笑う。

「は、はっ! その通りでございます! 帝国軍の間では、見た瞬間に死が訪れると噂されている終の白花の竜騎士アーフィリルさまを前に、抵抗しようと考えるのは愚者の所業でございます!」

 トラヌスの評議長がひっくり返った声で早口にまくし立てる。

「ふっ、まったくその通りね」

 それを聞いたアルハイムが、当然の事を言うなと言わんばかりに嘲笑を浮かべた。

 私は微かに眉をひそめる。

 やはり、これではまるで私が評議長を、トラヌスを虐げている様ではないか。

「しかし、よくもまぁ簡単に裏切れるものだね。その尻軽さ、僕たちに対しても同じかな?」

 今度は竜騎士ハイネが冷ややかな声を上げる。

 私はすっと目を細め、ハイネを一瞥してから評議長に目を向けた。

 ハイネの言い様は意地悪く聞こえたが、確かにそう思えなくもない。恭順の意を示して怯えている者をいたぶる様な事はしたくないが、トラヌスに入った途端私の仲間たちが襲われる様な事があってはならない。

 ハイネの問いに対して、トラヌスの評議長は先ほどの様に縮こまって恐縮するかと思われたが、しかし今度は毅然と顔を上げ、ハイネに向かって鋭い目を向けて来た。

「恐れながら、これが私共の生きる術でございますれば、決断に躊躇いの時間など不要です」

 そして、揺るぎのない声でそう言い放った。

 生きる術、か。

「サン・ラブールとオルギスラ帝国という2つの巨大な力に挟まれた我ら都市国家が今日まで生き残って来たのは、時勢を注視し、身の処し方を誤らずに見定めて来たからです。我々が生き残るために味方すべきものを見定めて、大きな力に飲み込まれてしまわない様行動して来たのです」

「つまり、長い物に巻かれる様に立ち回って来たという事だよね。恥ずかしげもなくよく言えたものだ」

「その通りです。それが我らが生きる術です。恥ずかしい事などありません」

 私はハイネと評議長のやり取りを聞きながら、すっと目を細めた。

 己が身に降りかかる強大な力と対峙する方法。

 それは何も、玉砕覚悟で挑みかかるばかりではないという事だ。

 ならば独立を捨ててサン・ラブールかオルギスラ帝国のどちらかに完全に屈してしまえばいいと思うのは、彼ら都市国家の歴史や矜持を無視した浅はかな考え方だろう。

「私たちサン・ラブールが掲げているのは、オルギスラ帝国に蹂躙された都市国家の解放だ。お前たちトラヌスもそうであるならば、サン・ラブールはトラヌスの敵とはならないだろう」

 私はさっと足を組み替えると、肘掛けに腕を乗せて頬杖を突く。白の長い髪が、はらりとこぼれる。

 兵力や兵器の保持数など純粋な武力で競い合うのではなく、トラヌスの様な戦い方もあるのだなと思う。

 フェルトが求める強さと私が思い描く強さ。そして強くならなくてはならない理由が違う様に、この戦乱の世の中で戦っているという境遇は同じでも、皆それぞれ自身が求めるものの為に戦っているのだ。

 そんな中で、何と戦い何を倒して何を制すれば勝ちになるのか。

 戦乱を終わらせる事が出来るのか。

 私たちはただ漫然と目の前の敵と戦うだけでなく、それをしっかりと考えて行かなければならないと思う。

 私の言葉を聞いた評議長が、ぱっと顔を輝かせる。

「ありがとうございます、アーフィリルさま! トラヌスは、全力をもってアーフィリルさまとそのお仲間にご協力致します。どうか、この国に竜の姫さまのご加護があります様に!」

 トラヌスの評議長が、再び床に額を擦り付けて平伏する。

 まったく、これほど人に頭を下げられるのが居心地が悪いとは。

 私はそっと眉をひそめる。

 それにこの評議長、アルハイムの影響で私の事を竜の姫とか言い出してしまったし。

 アルハイムにはあまりその呼び方をしない様に注意しておきたいと思う。小さな元の状態の私に戻ってしまっては委縮して何も言えなくなってしまうだろうし、アーフィリルと融合した状態でいるうちに言っておかねば。

 私は、ふうっと息を吐いた。

 しかし、トラヌスの協力を得られたのは大きい。

 これで今後の都市国家群の領域での作戦行動、そして帝国領土への本格的な侵攻に際しても、補給に関する心配はほぼ解消出来たといってもいい。敵地の奥深くへ、そして広く部隊を展開させればさせるほど、レンハイムからの補給線を確立させる事が問題となっていたのだ。

 さらに欲を出せば、これから踏み込む先の帝国軍や帝国領に関する情報がもっとあればいいのだけれど。

 私は、あの新型の機獣を思い出す。

 帝国の本拠地に踏み込めば、今後もあの様な新兵器や未知の戦術などと遭遇する可能性が高い。そうなれば、恐らく味方の被害も増えてしまうだろう。

 私は、少しほっとした表情でこちらを見上げた評議長に視線を送った。

「では、トラヌスに1つ頼み事があるのだが、良いだろうか」

「はっ! なんなりと!」

 評議長が声を張り上げ、頭を垂れる。

「ここに駐留していた帝国軍の人員、所有物、帝国軍が使用していた施設などをこちらの管理下に置きたい。帝国将兵への取り調べや装備の接収などを行いたいが、認めてもらえるだろうか」

 トラヌスには、比較的規模の大きな帝国部隊が駐留していた。さらには、あの様な新型砲を搭載した機獣まで配備されていたのだ。

 もしかしたら、何かしらの情報が残されているかもしれない。今回はトラヌス軍の奇襲という形で戦闘が開始されたから、書類や装備などを破棄する時間はなかった筈だ。

「はっ、その様な事、もちろんでございます! 現場の保全等には、我が軍の兵も出させていただきます! 他にも何かありましたら、是非お申し付け下さい!」

 即座にそう返事した評議長に頷き掛けてから、私は今後の事を相談すべきアルハイムの方へと目を向けた。




 トラヌスの解放と駐留帝国軍の制圧については、すぐにグレイさんやオレットさんに知らせるべく伝令を出した。グレイさんたちには、トラヌス駐留の帝国軍が残した装備や情報を検証する為の追加人員の派遣も要請しておいた。

 さすがに私を含めた竜騎士3人とフェルトくんやサリアさんたち護衛隊10人程度の数では、色々と手が足りなかったのだ。

 それに、サリアさんたち隊の騎士さんからは、私たちだけでトラヌスに留まる事を危険視する声も上がっていた。

 1万ほどの動員数をもつトラヌス軍は、ほとんど無傷の状態だ。仮にトラヌスが再び帝国側へ寝返った場合、私たち10人程度では成す術もなく包囲されてしまう。その不安も、当然だと思う。

 私としては、臆面もなく強い方につくと言ってのけたあの評議長が、私たち竜騎士に歯向かう事などない様に思えた。

 でもそこは万が一に備えて、私はなるべくの間アーフィリルと融合した状態を保つようにしていた。

 特に力の行使をしなければ、融合している事自体はそれほど体の負担にはならない。

 長時間融合し続ける事の影響といえば、レンハイムを取り戻して以来それほど無理をして力を使う事がなかったおかげで生え際のところから元の茶色に戻りつつあった私の白い髪が、また真っ白になってしまった事くらいだ。

 そんな少し居心地の悪いピリピリとした状態が3日ほど経過した後。

 とうとう援軍のみんなが、トラヌスに入ってくれた。

 私やサリアさんたちは、そこでやっとほっと息を吐くことが出来たけれど、続々と進駐して来る白花の騎士団と北部方面軍を見つめるトラヌスの人々は、不安そうな顔をしていた。

 そんな騎士団や北部方面軍のみんなが合流してくれた翌日。

 かつてトラヌスの王族が住んでいた館で今は迎賓館となっている場所に部屋を借りていた私は、朝からその自室に籠ってぐったりと深く椅子に座り込んでいた。

 こうして元の姿でゆっくりしていられるのは、久しぶりの事だ。

 トラヌスにやって来た味方部隊を率いていたのは、驚いた事にオレットさんとグレイさんだった。2人とも、自分の担当していた帝国の拠点を素早く落とし、こちらに駆けつけて来てくれたのだ。

 2人がいてくれれば、何も心配ない。

 色々な事を2人に任せて、半日くらいはゆっくりさせてもらっても大丈夫だと思うのだ。

 これからの事、トラヌスの事については、いずれみんなで話し合ってしっかりと決めなければと思う。トラヌス解放や帝国部隊の制圧については、一応既に連合軍司令部にも報告済みではあったけれど……。

 でも取りあえずは、ゆっくりお茶を飲む時間くらいはあると思うのだ。

 私の部屋はフェルトくんやサリアさんが警備してくれている筈なので、2人も誘ってみよう。

 そう思い立つと、私はぴょんっと椅子から降りた。

 窓枠に上って外を見つめているアーフィリルを確認してから、私はとととっと扉に歩み寄る。そしてそっと廊下に顔を出して、腕組みをして立っているフェルトくんに声を掛けた。

「あの、フェルトくん。中でお茶でもどう?」

 フェルトくんは、暇そうに欠伸をかみ殺していた。

「あ、ああ。まぁいいか。ここで立っている必要なんてないからな」

 フェルトくんはポリポリ頭を掻きながら部屋に入って来た。

「やっぱり、トラヌスの人たちが襲ってくるなんて事ないよね。みんな、帝国軍になんてもう味方しないだろうし」

 私はむんっと自信を込めて微笑む。

 私たちが頑張って帝国軍と戦う限り、トラヌスの人たちもきっと味方してくれるだろう。

「ああ、まぁな。奴ら、俺たちがセナの部下だってわかると、泣きそうな顔するもんな。あれは完全に負け犬の顔だ。ぼこぼこにされたチンピラが、俺たち騎士を見て逃げる様なもんだ。あれじゃあもう、歯向かおうなんて考えは起きないだろうな」

 チンピラ……ぼこぼこ?

「セナ。どうやったらあそこまで完膚なきまでにやり込める事が出来るんだ? チンピラ1人なんてレベルじゃない、都市丸ごとの心を折るなんて、並大抵の事じゃないと思うぞ」 

 フェルトくんが飽きれた様な顔で私を見る。

 ……むう。

 私、そんな酷い事は何もしてないもん。

 流れ弾で少しだけ城壁を破壊したり、トラヌスの兵士や騎士さんが見ている前で機獣部隊を倒しただけで、トラヌスの人たちに直接何かをした訳でもないのだ。

 私は、眉をひそめてむうっと上目遣いにフェルトくんを睨み上げる。

 フェルトくんは何で睨まれているのがわからないのか、きょとんと疑問符を浮かべて私を見下ろして来た。

 しばらくじっと睨み合う私たち。

 沈黙の後、フェルトくんは何か理解した様にぱっと顔を輝かせた。

「凄いな、セナは。都市丸ごと恐怖のどん底に突き落とすなんて、やっぱり最強の竜騎士さまは違うな!」

 はははと笑いながら、私の頭をばしばし叩くフェルトくん。

 取り合えず褒めておこうという考えが丸わかりだ。

 私は、即座にばしっとフェルトくんの手を弾き飛ばした。

 ……それに、恐怖のどん底って、それでは私が力で人を支配する物語の魔王みたいではないか!

 フェルトくんにそんな風に見られているのかと思うと、私はぶすっと膨れてしまう。するとフェルトくんが、ますます釈然としないという様な表情を浮かべる。

 そんなやり取りをしている私たちのもとに、どかどかと近づいて来る足音が聞こえて来た。

 どんどんと荒めのノックが響く。

 私が返事をすると、バタンと扉が開いた。

 慌ただしく部屋に入って来たのは、グレイさんとオレットさんだった。

「セナさま。取り急ぎ見ていただきたいものが」

 グレイさんは厳めしい顔つきでそう言うと、抱えていた大きな紙束をテーブルの上に広げた。

「おっと、お取込み中だったのかな。ははは、悪いな、フェルト」

 その後に続いたオレットさんが、へらへらと笑う。こちらは緊迫した様子はなかったが、状況が切迫していても大概オレットさんはこんな感じなので、油断出来ない。

「……いや、おっさん。今回ばかりは助かったよ」

 オレットさんに対して、フェルトくんは大きくため息を吐きながらそう応じた。

 フェルトくんとはまた、私が戦う理由についてゆっくりとお話したいと思う。最近理解してもらえていると思って嬉しかったのに……。

「セナさま?」

 グレイさんに呼ばれて、私はテーブルの方に歩み寄った。

 その瞬間。

 巨大なごつごつとした手が、ワシっと私の頭に置かれた。

 思わず私は目を瞑り、びくりと身を竦ませてしまう。

「いや、良くやりましたな、セナさま。大した戦果だ」

 上機嫌そうなグレイさんの声が降って来る。

 何事と片目を開けて隣を見上げると、突然私の頭をぐりぐりと撫で始めたグレイさんが、先ほどの表情から一転してニッと笑いながらこちらを見下ろしていた。

 フェルトくんといいグレイさんといい、アーフィリルを乗せていない私の頭は、そんなにぐりぐりし易いのだろうか。確かにグレイさんやフェルトくんの身長的に、私の頭が丁度いい位置あるのはわかるけれど……。

「えっと、どうしたんですか、グレイさん」

 首がもげてしまう前に、私はうんしょとグレイさんの手をどかす。こうして改めて見ると、グレイさんの手は本当に大きかった。

「おお、失礼。つい昔を思い出しましてな。それよりも、この図面と書類です。ご覧ください」

 グレイさんはそう言うと、テーブルの上に広げた書類を私の前に引き寄せた。

 私は両手で乱れた髪をなおしながら、その書類に目を落とした。

 それは、帝国軍の紋章が描かれた書類や帝国領と思わしき地図だった。

 帝国軍の資料、だろうか。

 過去大陸を統一したイリアス帝により、大陸中の言語と文字は統一されている。そのため私でも問題なく帝国軍の書類を読む事が出来た。

 しばらくその書類を読み進め、地図に書き込まれた内容を見て、私は徐々に目を丸くする。

「これは……」

 大きく息を吸い込み、私はばっとグレイさんを見上げた。

 にやりと不敵な笑みを浮かべたグレイさんが、こくりと頷く。

「そうです。帝国軍が勝手に増設していた隠し部屋から見つけました。これは、帝国軍が我々サン・ラブールから逆侵攻を受けた際にどう防衛を行うかを記した計画書になります。精査はこれからですが、侵攻が予想されるルートに応じた迎撃部隊の配置や防衛施設への戦力配置、要塞などの位置について、事細かに記載されています」

 防衛計画書……!

 つまりこれを紐解けば、帝国内のどこにどの様な戦力が配備されているかが一目瞭然という事になる。敵の布陣が最初から丸わかりとい事になってしまう。

 ……凄い!

 これがあれば、帝国侵攻に際し、味方の被害は最小限に、そして敵に対しては最大限の打撃を与える行動が可能になるだろう。

 これは、凄い発見だっ!

 ドキドキと胸の鼓動が速くなる。

 私は目を大きくしながら、何度も書類とグレイさんやオレットさんの顔を交互にみた。

 恐らくこれは、帝国軍の中でも最重要機密にあたる書類だろう。そんなものを手に入れられるなんて、やっぱり凄い!

 興奮で頬が熱くなるのを感じながら書類を読み進めていた私は、その中に気になる単語を見つけた。

 帝国軍親衛師団特殊作戦群部隊。

 つまり、アンリエッタら黒の鎧の部隊に関する情報だ。

 帝国領の地図には、その特殊作戦群の拠点とされる場所も示されていた。

「これがあれば……こちらから仕掛けられる。そうですね、グレイさん?」

 私はキッと表情を引き締めて、グレイさんを見た。

 アンリエッタたちには、これまで何度も奇襲や不意打ちを食らって来た。これでようやく、今度はこちらから先制攻撃を加える事が出来ると思う。

 脅威の戦闘能力を有する黒の鎧の部隊を私やアルハイムさまたちで押さえる事が出来たら、きっと味方部隊の被害も大きく減らす事が出来るだろう。

 私は、ぐっと力を込めて手を握りしめた。

 アンリエッタの部隊への対処法だけではない。一般の敵部隊に関してもその位置がわかってしまうという事は、無駄な戦闘をしなくて済むという事だ。不用意に帝国の町や村を占領しなくてもいいし、ある程度戦闘地域も予測する事が出来るだろうから、一般の人々や生活インフラに対する戦闘の影響も必要最低限に抑える事が出来るだろう。

 そしてその資料には、私たちが目指すべき最終目標の位置までもが記されていた。

 つまり、オルギスラ帝国軍の軍司令部の現在位置が。

 他にも帝国の兵器工廠の場所や新兵器の試験場、それに新型の大砲の配備状況や当面の作戦行動についてなど、ざっと見ただけでその書類には、私たちにとって有益な情報が山の様に記載されているのがわかった。

「これは、凄いですね……!」

 私は書類に目を通しながら、声が弾んでしまうのを抑えられなかった。

 帝国軍が拠点にしていた建物は私やアルハイムさまたちでもざっと検分してみたのだけれど、こんな資料が残されていたなんて気が付かなかった……。

 ドキドキと高鳴る胸を無視して、私はテーブルに手をついて身を乗り出すようにして資料を読む。

 その私の態度に只ならぬものを感じたのか、それまで窓際にいたアーフィリルが翼を動かしてふわふわと飛びながらこちらにやって来た。そして、私が読んでいる資料の上にぽてっと着地した。

 む、読めない。

 私はアーフィリルをずりずりとどかすと、再び資料を読む。するとアーフィリルが、また私の読んでいる箇所の上にやって来た。

『何かあったのか、セナよ』

 キョトンとした表情で緑の瞳を向けて来るアーフィリル。

「えっと、アーフィリル、そこに乗らないでね」

 私がアーフィリルと格闘している間に、いつの間にかフェルトくんもテーブルの周囲に集まって来ていた。フェルトくんはふーんといった様子で資料を見ていたが、特にその内容に関心はないみたいだ。

「この様な第一級の資料を得られたのも、セナさまが迅速な行動でトラヌスを制圧し、きちんと現場保全に手を尽くされたからですな。帝国が入っていたあの建物をそのまま放置していれば、この資料もどさくさに紛れて処分されるか持ち逃げされていたでしょう。今回のセナさまの取り計らいには、私もオレットも感心するばかりです」

 グレイさんが、今度は笑いながらどんどんと私の肩を叩いた。一瞬その手は私の頭に向かいかけたみたいだけれど、急遽振り下ろす先を変更したみたいだ。

「……役に立ててよかったです!」

 私はグレイさんの肩たたきの衝撃に体を揺さぶられながら、ふわりと微笑んだ。

 褒められるというのは、素直に嬉しい。

 少し子供っぽいかもしれないけれど……。

 視線の合ったフェルトくんにも微笑みかけてから、私はグレイさんやオレットさんたちとこの資料を受けて今後どう動くかの話し合いを始めた。

 正式な行動計画の策定については、もちろん幹部のみんなが集まって軍議を開いてからになるだろう。それにこの資料も、まだまだ精査の必要性がある。

 しかしこれほど重要な情報の塊を目の前にしていると、どうしてもあれこれと考えたくなってしまうものだ。

「……しかし、な。少しばかり気になる情報もあるんだ」

 ああしようこうしようと早口で意見を並べる私の言葉が一旦途切れたタイミングで、腕組みをしたオレットさんが声を上げた。

 オレットさんは、先ほどとは打って変わって真面目な厳しい顔をしていた。

「トラヌス軍や帝国の将校に聞いた話だが、近ごろこのトラヌスに黒鎧の集団が集まっていたという情報がある」

 ドキリとする。

 何だか、予想外の方向から不意打ちを食らった気分になる。

 黒鎧……。

 つまり、アンリエッタたちか。

 私はむっと顔をしかめて、オレットさんを見た。

「釈放をちらつかせたら何でも喋ってくれる口の軽い髭の帝国将校がいたんだがな。そいつの話じゃ、この資料関係はその鎧組が置いて行った物らしい。それも、サン・ラブールの帝国侵攻作戦が開始された直後にだ」

 オレットさんが顔をしかめ、テーブルの上に広げられた資料に目を落とした。

「敵が来るとわかっているのに、こんな重要な資料を前線に持ってくる。そして、自分たちだけは撤退する。……何だかきな臭いものを感じるがな、俺は」

 オレットさんにつられて、私もむうっと眉をひそめる。

 確かに、そうだ。

 帝国軍やアンリエッタたち親衛師団は、早晩私たちがトラヌスや都市国家群に押し寄せて来る事はわかっていた筈だ。帝国軍への敗北勧告や都市国家解放作戦については、大々的に発表されていたから。

 そんな状況下で、こんな気密性の高そうな文章を前線に放置するというのは、オレットさんの言う通り少し不可解な行動だ。

 もしかして……。

「欺瞞情報、ですか?」

 私は、思いついた可能性をそのまま口にしてみる。

 でもそれだと、トラヌスや駐留する帝国軍があっさりと敗れる事が前提となる。そんな味方を捨て石にする様な作戦を行うだろうか。それとも、万が一そうなった場合の保険という事なのだろうか。

 私の意見に対して、しかしグレイさんが首を振った。

「欺瞞にしては、情報が詳細すぎる気がしますな。恐らくこの資料自体は本物でしょう。しかし奴らが絡んでいるとなると、何らかの企てが動いていると考えておくのも必要かもしれません。連合軍司令部にも報告はしなければなりませんが、それとなく注意は促しておいた方がいいでしょうな」

 グレイさんの言葉は私に向けたものだったけれど、その視線はオレットさんに向かっていた。

 視線を合わせ、小さく頷き合うオレットさんとグレイさん。

 これが正規の情報なら、それを敵の手に渡す事によって成立する策とは何なのだろうか。私には、直ぐには思いつかなかった。

 私は机から身を離し、胸の下で腕を組む。そして。キッと目を鋭くしてオレットさんとグレイさんを見据えた。

 その私の頭の上に、ひらりと机から飛び上がったアーフィリルがぽすっと収まる。

 顔の前に垂れ下がって来たアーフィリルの尻尾をどかしてから改めて腕組みをする私を見て、何故かフェルトくんがくくくっと笑っていた。

 今は、そんなフェルトくんは無視である。

 それよりも、オレットさんたちに尋ねておかなければならない事がある。

「奴ら、というのはアンリエッタたち竜の黒鎧の集団ですよね。ギルバートという腕の大きな鎧もオレットさんは知っているみたいだったし、あの黒鎧たちは何者なんですか? オレットさんたちが使えていたクローチェ家を滅ぼした賊、という話は聞きましたけれど……」

 オレットさんもグレイさんも、奴らと表された黒鎧たちの事を良く知っている様だ。私には、そう思えた。

 視線を合わせながら、しばらく睨み合うオレットさんとグレイさん。まるで沈黙したまま、視線だけで何かを相談している様だった。

 しばらくの沈黙の後。

 グレイさんがしょうがないといった様子で、ふっと短く溜息を吐いた。そしてオレットさんは、カツリとブーツの踵を鳴らして私の方へと向き直った。

「……かつてクローチェの家を襲い、アンリエッタをさらっていった奴ら。そして今、黒い鎧を着込んでこの戦争の裏で暗躍する奴らは、あのガラード神聖帝国の生き残りだ。20年前、世界に対して戦争を挑み、あの大陸中央戦争を引き起こした張本人たち。ガラード崩壊の原因を作った逆賊たちだ」

 大陸中央戦争……?

 不意に飛び出してきた20年前の大戦争の名前とかつて大陸を統一していたというイリアス帝に繋がる古い国の名前に、私は目を丸くしてきょとんとしてしまう。

 しかし私を見据えるオレットさんの目には、刃の様な鋭い光が宿っていた。決して冗談や出まかせでこの場を濁そうとしているのではない様だ。

 オレットさんは、静かに、しかし力のこもった声できっぱりと言い放った。

「俺とグレイのおっさんたちは、そのガラードの残党を追っているんだ」




 ガラード神聖王国。

 今回のオルギスラ帝国とサン・ラブール条約同盟との戦争においても、その開戦の口実に帝国軍が利用したその国は、私たちの住む大陸を統一したイリアス帝の建国した大帝国を祖に持ち、現在世界中で使用されている統一帝歴の出来た当初から歴史を刻む古い国家だ。

 当初は大陸を支配したその国も、現在に至る時代の流れの中でその権勢を失い、大陸を統一出来る様な力はもちろんなく、近代では歴史と伝統だけの小国に成り下がっていた。

 しかし。

 その国が歴史に再びその名を刻んだのが20年前。

 ガラード神聖王国が突如として全世界に宣戦布告し、かつてのイリアス帝の時代の大陸統一帝国の建国を掲げて始めたのが、大陸中央戦争だ。

 私なんかは歴史の授業でならっただけだけど、オレットさんやグレイさんは実際その目でその大戦争を目の当たりにして来たのだ。

 前にも聞かされた通り、オレットさんはまだ幼く騎士見習いだったそうなので、戦争には直接参加しなかったらしい。しかしグレイさんはその時既に立派な騎士であり、剣を持って大陸中の戦場を駆け回っていたという。

「……あれは、悲惨な戦いでしたな。もちろん戦争は、いつの時代もどんな場所でも悲惨なものである事に違いはありませんが」

 昔の事を話してくれたグレイさんは、どこか遠い目をして苦笑を浮かべていた。

 ガラード神聖王国が突如戦争を始めた理由は、今も謎のままだとされている。

 当時ガラードの内部で急速に軍備拡張が始まっていたらしいという事はわかっていたので、血気盛んな軍部が政権を掌握し、暴発したのではないかというのが一般的な考え方だった。

 普通なら、歴史はあっても軍備ではオルギスラ帝国やサン・ラブール条約同盟に遥かに劣るガラードが戦争を始めたところで、結果など目に見えている様に思われた。

 しかしガラードは勇戦した。

 一時はオルギスラ帝国の領土の半分をも陥落させ、大陸全体の三分の一をその手中に収めたともいわれている。

 結局のところは力を合わせた全世界の軍隊の前に、敗れ去ってしまったのだけれど……。

「……現在オルギスラ帝国の親衛師団を名乗っている奴ら。少なくともそのうち、黒い鎧を身に着けた奴らの中には、そいつらが、ガラードを戦争に向かわせた奴らが巣くっている。それは、この前のレンハイムの戦いではっきりした事だ」

 オレットさんが、低い声でそう説明してくれた。

「帝国内部にいるのがあのギルバートだけとは思えない。前回の大陸中央戦争時、まんまと逃げおおせた奴らは、恐らくこの20年の間に帝国内部で力をつけ、また戦争を起こしたんだ。今度はガラードではなく、オルギスラ帝国を使って大陸全土を支配する為にな」

 オレットさんが忌々し気にそう吐き捨てる。

 いつもひょうひょうとしているオレットさんがここまで感情を、それも負の感情を露わにするのなんて見たことがなくて、私は思わず顔を強張らせてしまう。

「その目的を達成する為なら、アンリエッタだって平気でさらって利用する。今は味方である筈の帝国軍だって、簡単に捨て駒にする筈だ、奴らは……」

 燃える様な激しい怒りをはらんだオレットさんの声に、私は思わず後退ってしまう。

 声を荒げるオレットさんに対して、グレイさんは静かにテーブルの上の資料を見つめていた。

 しかしその目にも、やはり暗い光が宿っている。グレイさんも、胸の内で何か激しい感情を抱えているのが良くわかった。

 オレットさんやグレイさんがそんなものと戦っていたなんて、想像した事もなかった。何か事情を抱えているのだろうとは思っていたいたけれど……。

 大陸中央戦争を引き起こした元凶というのが私たちが今対峙している敵なのかもしれないという事に、中々頭が付いて行かない。突然話が大きくなり過ぎなのだ……。

 私は頭の上からアーフィリルを下ろすと、その白くてもこもこの体をぎゅっと抱きしめた。

 20年前の出来事ではあっても、私にとっては大陸中央戦争は知識としての歴史になってしまっている。

 その状況を作り出した存在が今また世界を動かしているという事に、私は背筋がぞわぞわしてしまうのを抑えられなかった。

 黒鎧や機獣、強大な軍隊など、明確な敵を目の前にするのとはまた違う、何か得体のしれないものに対峙している様な感覚。

 それが恐ろしくて、とても不快だった。

「……わかりました。オレットさんの危惧については、やはり慎重に確認していかなければならないと思います。人手を増やして、資料の検証と、他の確認にも当てましょう。少し時間がかかると思いますが、しょうがないです」

 私はアーフィリルを抱き締めたままこくりと頷いた。

 それに対してオレットさんやグレイさんは、カツリと踵を合わせて姿勢を正して私に正対すると、力強く頷いた。

 ……やはりみんながいてくれると心強い。

 しかし状況は、直ぐにまた動き出した。私たちが、次の行動を決めるよりも早く……。

 それは、帝国軍の資料が見つかった2日後の事だった。

 私たちが駐留するトラヌスに、突然中央方面軍の使者がやって来たのだ。

 アーフィリルと融合した大人状態で対応に出た私を待ち受けていたのは、意外な、そして出来ればあまり顔を見たくない人物だった。

 ぞろぞろとお供を連れてトラヌスに現れたのは、金髪と金色の髭を逆立てた猛獣の様な容貌の男だった。

 がっしりとした巨躯に様々な装飾の入った華美な鎧を身に着けたその人物は、忘れもしないウェリスタの大貴族。かつて私の上司だったバーデル副士長の叔父にして、連合軍最高幹部会議で帝国侵攻を強硬に唱えた主戦派の首班と目されている人物、バーデル伯爵だった。

 ノスフィリスの議場では、侵攻は控えるべきだという私とは散々意見をぶつけ合った間柄だ。

 大きな状態では特に気にもならないが、小さな状態では今でも時々眠る前、布団の中であの議場のやり取りとバーデル伯爵の顔を思い出し、私はアーフィリルを抱き締めて溜息を吐いている事がある。

 それほどバーデル伯爵は、私の中では苦手で怖い人に分類されている人物だった。

 向こうでもやはり私を嫌っているのだと思っていたのだが、トラヌスにやって来たバーデル卿は厳つい顔に笑顔を張り付けて上機嫌な様子だった。

「総司令部より聞いたぞ、竜騎士アーフィリル。帝国軍の新兵器と機密情報を得たそうだな!」

 バーデル伯爵が握手を求めながら、ニタリとした笑みを私に向けてくる。

 私は僅かに目を細めた。

 情報の早い事だ。

 確かに連合軍司令部に帝国軍の機密情報の件は報告したが、それはバーデル伯爵がに宛てたものでもなければ、即座に中央方面軍に伝わる様なものでもない筈なのだが。

 バーデル伯爵は私の手を軽く握ると、「例の新兵器のところまで案内してもらおう」と一方的に告げ、さっさと歩きだしてしまった。

 私も白のドレスの裾をひるがえし、その後に続く。

「ノスフィリスでは女々しい事ばかり口にしていたが、やはり噂は確かな様だな。少数でこのトラヌスを陥落させた手腕、なかなかのものだ。やはりエーレスタの竜騎士の名は伊達ではないという事だな」

 ふんっと鼻を鳴らしながらながら、バーデル伯爵が話し掛けてくる。

 私は別に、トラヌスを攻め落としたのではない。帝国軍と切り離しただけだ。

「しかし、何故バーデル卿が中央方面軍と一緒にいるのだ?」

 今度は逆に私の方からそう問いかけてみるが、答えたのは中央方面軍の幹部騎士だった。

 バーデル伯爵は帝国への侵攻作戦に際し、自身の所領の手勢を連れて中央方面軍に参陣したそうだ。

 ウェリスタの軍としてではなく、自主的に。

 現在は中央方面軍の客将として扱われ、共にオルギスラ帝国軍と戦っているのだという。

 私は思わず眉をひそめてしまう。

 もしこの強硬策一点張りの男が北部方面軍に来ていたらと考えると、頭が痛くなって来る。さらには指揮系統に直接組み込む事の出来ない客将扱いだと、さぞ中央方面軍は苦労している事だろう。

「竜騎士アーフィリル。俺は貴公を見直したぞ。その力、今後も帝国を殲滅する為に存分に振るえ」

 バーデル卿が、巨躯を揺らしながら声を上げて笑う。

 その豪快な笑い声に、付近の警備についていた北部方面軍の騎士やトラヌスの兵が怪訝な顔でこちらを見ていた。

 休憩する事もなく旅装を解く事もなくバーデル伯爵がまず確認したいと申し出たのは、帝国軍の新型機獣と長砲身の大砲だった。

 ほぼ無傷で鹵獲したそれらは、別方面で作戦行動中のレティシアが戻ったら検査してもらおうと、現在はトラヌスの練兵場隅の倉庫に保管されていた。

 巨大な扉をトラヌス兵が押し開くと、薄暗い倉庫の奥で伏せをする様に鎮座している四足歩行の金属の巨体が姿を現す。

 その姿はまるで、頑強な地竜の様だった。

 その新型機獣を、いや、正確にはその背中に乗っている砲を見上げ、バーデル伯爵は「はっ!」と声を上げた。

「大したものだな! いや、これが欲しかったのだ! ふふ、ははははっ、これでオルギスラ帝国の命運は尽きたな! この戦争、勝ったぞ!」

 喜色に顔を歪ませ、大仰に腕を振り上げながら新型機獣に歩み寄って行くバーデル伯爵。その大きな声が、広い倉庫に反響する。

 私は胸の下で腕を組みながら、体重を片足に乗せてその後姿を冷ややかに見つめる。

 新型の砲は確かに強力な様だが、1門あったところで戦局を左右させられるとは思えない。さらにはこれは帝国製なのだ。私たちが1門確保しても、敵は山ほど同型のものを保持しているだろう。

 研究材料には有用かもしれないが、それほど重要なものとは思えない。

 上機嫌な様子で新型機獣をためつすがめつするバーデル伯爵の顔は、無防備な獲物を見つけた肉食獣の様だった。

 伯爵が、新しい玩具を与えられた子供の様に興奮しているのが、離れていてもわかる。

 バーデル伯爵は、この帝国の砲で何をしようとしているのだろうか。

 倉庫の入り口からじっと視線を送る私に対し、バーデル伯爵がマントをばっとひるがえして振り向いた。

 光の関係か、一瞬その目がギラリと光った様な気がした。

「竜騎士アーフィリル。貴公がトラヌスで接収した帝国軍の装備等については、私と中央方面軍が接収する事となった。これは、連合軍司令部の正式な決定である。この機獣に加え、帝国軍の重要な機密書類もあるそうではないか。全て私に渡してもらおう」

 顎を上げ、私を見下ろす様にニヤリと笑みを浮かべるバーデル伯爵。

「なに、貴公の力も含め、悪いようにはせん。戦争終結を目指して、お互い力を尽くそうではないか」

 バーデル伯爵の笑みを含んだ低い声が、倉庫内に反響する。

 私はすっと目を細め、その獰猛な表情を浮かべる男を見据えた。

 突然の横暴ともいえる宣言対し、しかし不思議と怒りや不快感は浮かんでこなかった。

 この男は、私たちサン・ラブールをどこに向かわせようとしているのか。

 そしてそれは、オレットたちの言う敵にどの様な影響を与えるのか。

 その様な漠然とした不安だけが、私を包み込む。

 私はふっと息を吐く。そして僅かに目を伏せ、自身をぎゅっと抱き締めた。

 倉庫の入り口から差し込む日の光は穏やかで、優しい暖かさを私たちに届けてくれる。

 季節は穏やかな春。

 しかし。

 多くの人を呑み込む戦乱の季節の終わりは、まだ見えてこない。

 ふと、そう思ってしまった。

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