第49幕
イリアス帝歴393年緋土の月35日。
サン・ラブール条約同盟はオルギスラ帝国に対し、現在同盟領内に侵攻している帝国軍部隊の即時撤退と今回の戦争について敗北宣言を行うようにとの宣告を行った。
同時に帝国に従う態度を明確に示している都市国家3つに対して戦線布告が行なわれ、帝国軍によって事実上占領されてしまっている5つの都市国家を解放する旨の宣言も行われた。
これを受けてサン・ラブール東方に展開する3つの方面軍は一気に戦線を押し上げ、東進を開始する事になった。
連合軍司令部からの通達では、帝国領への侵攻の主力は南方軍とされていた。
サン・ラブール連合軍全軍を上げての反攻作戦となる今回の作戦は、まず手始めに中央軍が未だサン・ラブール内に残る帝国軍に対して全面攻撃を仕掛ける事となっていた。
中央部で派手に暴れて敵の注目を集めたところで、次が私たちの出番だ。
今度は私たち北部方面軍が都市国家群の北部領域に侵攻し、帝国軍の拠点と帝国軍に従う都市国家の制圧を目指す。
これは、中央で戦う味方へ敵の増援を向かわせない事に加えて、本命となる南軍に向かう敵に対してさらなる陽動を加える為の行動でもあった。
私たちと、可能ならばだけれども中央を突破して来た味方が協力して大陸中心部の敵勢力を抑えている間に、南軍が一気に帝国本土へなだれ込むというのが今回の作戦の骨子だった。
連合軍司令部にそういう意図があったのかはわからないけれど、奇しくもこれは、今回の戦争の序盤に帝国軍が突如としてエーレスタに攻め込んで来たルートの逆を行く事になる。
寒くて暗い冬の季節は間も無く終わりを告げて、まだまだ空気は冷たいけれど、今まで眠りについていた世界がゆっくりと目を覚ます春がやって来る。
そんな季節の移ろいに合わせて、サン・ラブール条約同盟とオルギスラ帝国との戦争もまた、新たなる局面を迎えようとしていた。
ひんやりとしていたけれど、キンっと身を切る様な冷たさがなくなった風が柔らかく草原を吹き抜けて行く。
周囲を満たす空気の中には、気の早い新芽の緑の匂いや凍てついた氷の下から顔を出した土の匂いを感じる事が出来た。
白い雲がゆったりと漂う空から降り注ぐ日差しは柔らかく、しかし確かに私たちにぽかぽかとした陽気を伝えてくれる。
草原も林も遠方に広がる山々も、冬のモノトーンの世界から鮮やかな春へと移り変ろうとしている。
外で過ごすには、気持ちの良い季節がやって来る。生き物たちで賑やかになってくる山野を感じながらゆっくりお散歩するのも、きっと気持ちいいだろう。
もちろん、今が平和な時であったならばという条件付きになるけれど……。
そんな春の気配に包まれた私は、小高い丘の上で膝を抱えて座りながら、目の前を走る街道の先をじっと見つめていた。
よく整備されたその街道は、微かに右にカーブしながら草原を超え、林の中に消えていく。そしてその林の向こうには、巨大な城壁のそびえる城塞都市が広がっていた。
私が今こうして座っている場所は、既にサン・ラブール条約同盟の領域ではない。
目の前に見える城塞都市、サン・ラブールとオルギスラ帝国の間に広がる都市国家の1つ、トラヌスの領有する土地だった。
トラヌスは、帝国軍の支配を受け入れた3つの親オルギスラ帝国の都市国家の1つだった。
私たちサン・ラブール連合軍にとっては攻撃対象の都市国家ではあるけれど、しかしその実態は帝国軍の強大な武力によって事実上征服されてしまっているという様な状況であるらしい。
その帝国軍によって打ち立てられた傀儡政権が、現在のトラヌスを支配しているのだ。
コンラートさまがサン・ラブール連合軍の帝国侵攻作戦発動について知らせてくれた後、私たち白花の騎士団と北部方面軍は帝国軍が支配する都市国家群について入念な調査を行った。
来るべき侵攻作戦に備えて、どの勢力が敵でどの勢力が味方となり得るのかを把握するためだ。
レンハイムから東進した場合、このトラヌスが最初に遭遇する都市国家となる。どうやら帝国軍は、この街ををサン・ラブール侵攻の橋頭保としていたらしい。
トラヌスには現在も、帝国軍の先兵と化したトラヌス軍の他に、もまとまった規模の帝国部隊が駐屯している様だった。
しかしそんなトラヌスを目前にした丘に布陣した私たちサン・ラブール北部方面軍の部隊は、私を含めても数えるほどしかいなかった。
私の後ろに控える戦力は、アルハイムさまとハイネさまの竜騎士さまが2騎。それに、フェルトくんやサリアさんたち私の護衛隊の騎士さんたちが12騎だけだった。
オルギスラ帝国への侵攻作戦、その前哨戦となる都市国家群解放作戦が発動された今、私たち白花の騎士団と北部方面軍も既にその渦中にある。グレイさんに率いられた私たちの隊の主力は、事前に何度も話し合って策定した作戦計画の通り、現在各地の帝国軍の砦やお城の攻略に向かっていた。
それに対してここでトラヌス軍とトラヌスに駐屯する帝国軍の警戒に当たるのが、この場に布陣した私の隊の任務なのだ。
トラヌスに対する備えとして私やアルハイムさまたち少数が展開するという作戦は、実は私の提案したものだった。
正式に作戦が発動される前。
コンラートさまから事前情報をいただいてから、私たちは何度も何度も、実際に作戦が発動された後の行動について軍議を繰り返していた。
私は当初、やはり侵攻作戦には反対だという立場をとっていた。
重苦しい空気が支配するレンハイム城の会議室で、居並ぶ白花の騎士団の幹部のみんなや北部方面軍の重鎮の方々を前に、私はきっぱりと一般市民の方々に被害を出す様な行動には反対すると宣言した。
フェルトくんに背中を押してもらった事により、それだけは譲らないと決めたのだ。
私が騎士さまを目指したのは、アルハイムさまみたいに、そうした理不尽な暴力に苦しむ人を助けられる人間になりたかったからなのだ。だから、それに背くような行動はしないと決めたのだ。
グレイさん以下隊の幹部のみんなは、そんな私を聞き分けのない子供を見る様な目で見ていた。
「しかし、連合軍司令部からの命令に背く訳にはいきますまい」
元北部方面軍の幹部騎士さんが、ため息交じりにそう告げる。
……むう。
それは、確かにその通りなのである。
進むべき方向は決まっていたけれど、そんな自分の意地を通そうとしても、では具体的にどの様に動くのかと問われてしまうと未だにそれは決まっていなかった。
一生懸命、考えてはいたのだけれど……。
「まずはこちらが把握している帝国の拠点を無力化して行くべきでしょうな。我々の隊は、攻勢を仕掛ける中央軍の陽動が役目。こちらが働いて見せなければ、中央軍に敵が殺到する事になります」
グレイさんが、連合軍総司令部から回って来た命令書を一瞥してから私を見た。
私は大きく息を吸い込みながらむむむっと唇を突き出す。しかし、しょうがなくこくりと小さく頷いた。
それはわかっている。
他の国に攻め入るなんてしたくないけど、だからと言って味方を見捨てる訳にはいかない。
「しかし帝国軍の拠点は都市国家群の東側だけでもかなりの数だ。それを潰していくには、相応の時間が必要だぞ」
「ふん、部隊を分けて同時に強襲すればいいだろう。今の我が軍の状態ならば難しい事ではない」
「先日のレンハイムへの再攻撃を退けて以来、北部地域の帝国軍の数は知れている。各個撃破は可能だろうな」
「複数拠点同時強襲で派手に動けば、良い陽動にもなるだろう。ふむ、それしかないだろうな」
部隊の幹部の皆さんが、活発に意見をぶつけ合う。
私は口を挟むタイミングを見つけられず、会議机の上席からその様子をキョロキョロと見守る事しか出来なかった。
確かに事前偵察で見つかっている帝国軍の砦やお城に対しては、その作戦で大丈夫だと思う。問題なのは、その他の施設。都市国家の町村そのものなのだ。
そこには帝国軍や都市国家の軍隊だけでなく、そこで暮らしている一般市民の方々も沢山いる筈だ。
「しかし、問題はトラヌスですな」
ざわざわと賑やかになった会議室に、グレイさんの低い声がぼそりと響いた。
場がすっと静まり返り、皆が口を閉じてグレイさんに注目する。
「部隊を分けて各敵拠点へ制圧に向かった場合、トラヌスから出て来た帝国軍とトラヌス軍に各個撃破される恐れがあります。トラヌスには、この辺りの地域でもまとまった数の帝国軍が駐屯しているという情報もありますからな」
グレイさんが淡々とした調子でそう続ける。
私は、会議机の上に広げられた北部地域の地図ををじっと睨む様に見つめた。
私たちがいるレンハイムから帝国へ向かうルートは、3つあった。
北部の山岳地帯を通る山道。中央の一番大きな街道。そして最後に、南下し、中央方面軍管轄のルートから帝国へ向かう道だ。
私たちが東進した場合、その3つのルートに分岐する場所に立ちふさがる様に存在しているのが、トラヌスの街だった。
トラヌスは、この北部領域では群を抜いて大きな街だった。周辺地域には他にも数か所都市国家が存在するけれど、軍事力やそこに駐屯する帝国軍の規模からみても、まず脅威となるのは、このトラヌスだ。
部隊を分けて他の場所を攻略している間にトラヌスの部隊に背後を突かれるのは痛い。
でも最初にトラヌスを攻撃しては、籠城され、長期戦になった場合、攻略にかなりの時間を要する可能性がある。それでは、中央軍や南軍への陽動の効果が薄くなってしまうと思う。
それに私たちの部隊が総攻撃を仕掛ければ、トラヌスの市民の方々にも被害が出てしまうだろう。それだけは、やっぱり認められないのだ。
うーむ……。
私はむむむと腕組みしながら、小さく左右に体を揺らす。少し居心地悪そうに、頭の上のアーフィリルがもぞりと動いた。
トラヌスが、都市国家群が帝国の武力を背景にした恫喝に屈してしまっているというのなら、帝国軍を排除してやればいいのではないだろうか。そうすれば都市国家は、味方とは言わないまでも、私たちに敵対しなくなってくれるのではないか。
しかし話し合いや交渉をするにしても、トラヌスを説得出来る材料はない。そもそも相手との交渉ルートもない。
うーむ、むむむむ……。
アーフィリルの力を見てもらって、私たちにも確かに帝国軍を倒せるんだという事を理解しておもらえれば、あるいは交渉も可能かもしれない。
トラヌスが態度をひるがえしてくれるには、口先だけでなくそうした何か具体的なものが必要だと思う。
私はきゅっと目を瞑って顎を上げる。
あ。
私は、ぱちっと目を見開く。
ふと、良い案を思い付いた。
一度閃くと、もうそれが一番いい手ではないかと思えてしまう。いや、それ以外良い方法なんてないのではと思えてしまう。
「あの、みなさん!」
私は、がたりと椅子を鳴らして立ち上がった。
「あの、えっと、私の作戦を聞いてもらえませんか!」
そう言うと、私はこちらを見る騎士団と方面軍幹部の皆さんを力を込めて見回した。
私が思い付いた作戦とは、アーフィリルの圧倒的な力を見せつけて帝国軍だけを殲滅し、トラヌスの戦意を喪失させるというものだった。
まずは先ほどみんなが言っていた通り、北部方面軍と白花の騎士団の総力をもってして周辺地域の帝国軍拠点の制圧に乗り出す。部隊を分けて、同時に敵拠点を襲撃するのだ。
そして各所に散り散りになった味方を襲うためにトラヌスから敵部隊が出て来た所に、私が迎撃に向かう。
トラヌスを出た敵部隊を迎撃するのに、戦力は必要ない。私だけがいればいい。
私がアーフィリルの竜の咆哮で、帝国軍に一撃で大打撃を与える。トラヌス軍や、敵全部をせん滅する必要はない。まずは、帝国軍に大打撃を与える事が重要なのだ。
そうしてトラヌスの人々に帝国軍の力が絶対的でないという事を示した上で、帝国の元から離脱する様にとの交渉を行うのだ。
トラヌスを押さえつけていた帝国の力が弱まれば、彼らもきっと自由に行動を起こせる様になるだろう。
さらにこの作戦の場合、街から出て来た帝国軍部隊を狙う事になるので、トラヌスの一般市民の方々に被害を及ぼす心配がない。そして万が一トラヌスから敵部隊が出て来なくても、戦力のロスは私だけという事になる。
うむ、良いのではないだろうか……!
私は興奮で早口になってしまうのを注意しながら、皆さんにこの作戦を説明した。
その結果、私の渾身の案は、いくつかの修正を受けた上で採用される事になった。
グレイさんの意見により、私は護衛隊を連れて行く事になった。さらに帝国軍やトラヌス軍への示威効果を上げるために、その護衛隊にはアルハイムさまやハイネさまたち竜騎士も同行した方がいいという事になった。
確かに竜がいた方が、トラヌスに与えるインパクトは強くなるとは思うけれど……。
竜騎士さまたちがいなくなる事によって、周辺地域での帝国軍拠点制圧に支障が出るのではないかという不安を口にした私に対して、グレイさんや他の幹部のみなさんは揃ってニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「セナさまが敵の矢面で頑張っているというのに、我々も後れを取る訳にはいきませんからな。お任せ下さい。我らは、竜騎士アーフィリルの配下なのです」
とある北部方面軍の幹部の方はそう言い放つと、私に向かって力を込めて頷いた。
そう言い切られてしまっては、私もみんなを信頼するしかない。
私もキッと皆さんを見据え、頷き返した。
こうして事前に協議した作戦の通り、正式にオルギスラ帝国への侵攻作戦が発動されると、私は対トラヌスに対する備えに、他の部隊は帝国軍の各拠点を落とすために行動を開始した。
今も各地で奮戦している味方のもとに更なる敵を送らない為にも、そしてトラヌスの一般人の方々に戦禍を及ぼさない為にも、私はトラヌス軍と帝国軍の動きを決して見逃してはならないのだ。
トラヌスの街が遠望出来る丘の上に陣取り、私はじっとその巨大な城塞都市とそこから続く街道を注視し続けていた。
「アーフィリルさまー。休憩にされませんか? 見張りも立てていますから、アーフィリルさまがそんなに睨んでいなくても大丈夫ですよー!」
背後から竜騎士ハイネさまの声が聞こえる。
私はもぞっと立ち上がると振り返り、丘の下の林に密かに構築された簡易陣地を見下ろした。
ハイネさまやサリアさんたちが、煙に注意しながら昼食の準備を進めている。先にむしゃむしゃとパンを頬張っていたフェルトくんが、私に向かっておうっと手を上げた。
きゅうっとお腹が鳴る。
う。
「……私は大丈夫です! ここにいますから!」
くーくーなるお腹は無視して私は毅然とそう答える。そしてぷいっと陣地の方に背中を向けてると、私はまたトラヌスの方向を向いて座りなおした。
私が提案した作戦なのだ。些細なミスで失敗させたくない。
まずはトラヌスを無事に解放する事から始める。そうすればこの先のオルギスラ帝国侵攻作戦も、私は自分の心に従って前に進める。そんな気がするのだ……。
私は立てた膝をぎゅっと抱きしめると、初春の陽気が満ちる丘の上で僅かに顔を伏せる。しかし目だけは、じっと前方を見つめていた。
トラヌスに動きがあったのは、私たちが配置についてから3日目の朝の事だった。
林に設えられた簡易陣地の天幕から出た私が、ここ2日の間定位置になっている丘の上に向かおうとしたその時、よりトラヌスの近くで監視に当たっていた見張りの騎士さんが駆け戻って来た。
「申し上げます!」
騎士さんはさっと馬から降りると、私の前で膝を着いた。
「ただ今、トラヌス内より軍勢の進発を確認しました!」
私は大きく息を呑む。
やっぱり動いた……!
「規模は、軍の構成はわかりますか?」
私はドキドキと激しくなり始めた胸の鼓動を押さえる様に、意識してゆっくりとした口調で尋ねる。
「はっ。敵主力はトラヌス軍の旗印。重装歩兵を中心にした1万程度かと思われます。現在のところ帝国軍の姿は確認されていません」
1万となると、トラヌスの主力が出て来たといっていいだろう。
私は、こくりと頷いた。
「それで、進路は確認出来ましたか?」
「北西へ向かう様です。今のところ軍を分ける様子はありませんでした」
私は頭の中にトラヌスとレンハイム周辺の地図を思い浮かべる。ここしばらくはずっとにらめっこしていた地図だ。もう主だった地点は憶えてしまっていた。
トラヌスから北西方向には、サン・ラブールから帝国へ向かう北山岳ルートを守る砦がある。そこそこ大きな砦で、現在はオレットさんを中心にした白花の騎士団の半数が出向いて攻略している筈の場所だ。
そちらへ、帝国軍の救援に向かうつもりなのだろう。
「了解です。では、引き続いてトラヌス軍の監視をお願いします。帝国軍を確認し次第、私と竜騎士さまたちで攻撃を仕掛けますから」
私はキッと表情を引き締める。
「はっ!」
偵察役の騎士さんが了解の声を上げると、再び騎乗してトラヌスの方向へと走り去った。
騒ぎを聞きつけたアルハイムさまやサリアさんが集まって来る。
私たちは、早速出撃準備に入った。
まだ早朝で寝ている人が多かったけれど、それほど手間取る事もなく戦闘準備は整った。
フェルトくんを起こしに行った私が、慌てていたせいで天幕を固定するロープに引っ掛かり、転んでしまうというアクシデントはあったけれども……。
転んだ私を見て、顔色を変えたアルハイムさまが駆け寄って来て助けてくれた。
くっ、アルハイムさまにみっともないところを見られてしまった……。
私たちはそれぞれ軍馬に騎乗すると、トラヌス軍の予想進路の先へと迂回し、その軍勢を待ち構える事にする。
私はアーフィリルと融合し、大人状態となる。
アルハイムやハイネらには、その乗竜も含めてまだその姿を隠しておくようにと指示を出した。竜の登場を劇的なものに演出して、その威容が及ぼす効果を最大限に引き出すためだ。
同様にフェルトら護衛隊にも近くの林に身を隠しておくよう命じてあった。これも、トラヌス、帝国軍に不要な警戒心を抱かせないためだ。
いきなり戦端が開いては、トラヌス軍に戦闘停止の勧告を行う事が出来なくなってしまう。
アルハイムやフェルトは私1人が敵に対する事が不満な様子だったが、私は問題ないと軽く告げ、街道の真ん中に陣取って敵を待ち構える。
整備された道が真っ直ぐに伸びるその先に、やがて長大な槍を抱えた兵士たちの群れが現れた。
その先頭には、立派な鎧を着込んだ騎兵たちが並んでいた。恐らくあれが、この軍の指揮官たちなのだろう。
私は馬から降りると、さっと白のドレスをひるがえしてそのトラヌス軍に向かって歩き始めた。
こちらに気が付いたのか、号令が響き渡るとトラヌス軍が停止した。特に兵たちが警戒態勢を取る様子はない。1万の軍に対して私1人など、敵とも思っていないのだろう。
そのトラヌス軍から騎兵が1騎飛び出して来ると、私のもとへ駆け寄って来た。
私の目の前で馬を止めた騎士が、腰の剣に手を当てながら鋭い目でこちらを見降ろす。
「女、何者か!」
馬を回しながら、トラヌス兵が誰何の声を上げた。
「私は、サン・ラブール連合軍北部方面軍司令、竜騎士セナ・アーフィリルだ。トラヌス軍と見受ける。そちらの指揮官と話がしたい」
私は目を細めながら、馬上の騎士を見据える。
視線がぶつかった瞬間、トラヌスの騎士はびくりと身を竦める。そしてさっと顔を強張らせた。
しばらくの睨み合いの後、騎士はそのまま私に返事をする事なく、自軍へと戻ってしまった。
ふむ。
しょうがないので、私は再びトラヌス軍に向かって歩き始める。
しかし直ぐにまた、トラヌス軍に動きがあった。
今度は10騎程の騎兵がこちらに向かって駆けてくる。その中には、特別目立つ羽飾りの付いた兜を被った騎士がいた。
騎兵たちは今のところはまだ丸腰の私を半包囲にすると、槍や剣を構えた。
周囲の空気が緊迫したものへと変わる。
トラヌスの騎兵たちは皆厳しい表情で私を睨みつけていた。かなり緊張しているのがありありとわかる。実戦経験が乏しいのか、私の、アーフィリルの力を見抜き、必要以上に恐れているのか。
「サン・ラブールの竜騎士と名乗ったか、貴様」
羽飾りの兜をかぶった年配の騎士が、低い声で話しかけて来た。
「その通り」
私はその指揮官らしき男にすっと目線を送り、微笑む。
「そ、その言葉が誠であるならば、我々は貴様らに抗議しなければならない。この度の通告、そして我が都市国家連合領への侵攻、誠に一方的かつ不当な行為である! 即刻軍を引き上げよ!」
胸を張りながら、しかしやや上ずった声で怒鳴るトラヌスの指揮官。
彼の言葉を聞きながら、私は背後に展開しているトラヌスの軍勢をさっと見回した。
おかしい。
やっぱり帝国軍の姿が見受けられない。
あらかじめ偵察の騎士から聞いていたが、本当に帝国軍がいないとは。トラヌス軍が帝国軍の砦の救援に向かうのならば、トラヌスに駐留する帝国軍部隊も出てくるのが自然な流れだと思うのだが。
「私たちの目的は、愚かにも我がサン・ラブールの地に踏み込んできたオルギスラ帝国軍の排除である。また、これに組する勢力も、等しく我らが敵である。貴公らトラヌスはいかがか。帝国軍を殲滅した後は、我らは即座に引き上げる。しかし貴公らが帝国の側に立つというのであれば、我々は貴公らと剣を交えなければならない」
私は顎を引き、キッと敵指揮官を睨みつける。
「繰り返すが、帝国軍は我々が排除する。その上で、貴公らは私たちと敵対する意思があるのか?」
トラヌスの指揮官が、ぐっと苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。
それもそうだろう。
この指揮官がどの様な地位にあるのかはわからないが、都市国家の命運を決める決断をこの場で迫られたとしても即答出来る筈がない。
だからこそ私は実際彼らの前で帝国軍を殲滅して見せ、その上でトラヌスの降伏か中立化の交渉へと入りたかったのだ。
私は、ふんっと眉をひそめて渋面を作る。
敵指揮官が、びくりと体をすくませる。
しかし、肝心の帝国軍が出て来なければ意味がない。私の考えた作戦は、早くも頓挫してしまったという訳だ。
まったく、上手くいかないものだ。
「な、何を言う! そもそも、我らがサン・ラブールに屈する理由などないのだ! 竜騎士と言ったか! 竜などどこにいるのだ! はっ、はったりも大概にするのだな! 者ども、この娘を捕えよ! 怪しい輩だ! ひっ捕らえて背後関係を調べて……」
しょうがない。作戦変更だ。
示威効果は随分と減ってしまうかもしれないが、それでもここはエーレスタの、いやサン・ラブールの竜の力を示して、帝国よりも私たちに組する方が利があるという事をわかってもらうしかない。
私はまだ色々と口上を述べている指揮官の怒鳴り声を聞き流しながら、すっと手を上げた。
こちらの動きに過剰に反応した周囲の騎士たちが、武器を構えてずいっと距離を詰めて来る。
しかしその鎧や武器の音よりも盛大に、近くの林がザザっと鳴った。
困惑する騎士たち。
もちろん木々が揺れたのは、突風などのせいではない。
彼らがキョロキョロと周囲を窺っている間に、今度はひゅっと風を切る音が響き始めた。
それは、だんだんとこちらへ近づいて来る。
私たちの頭上から。
そして次の瞬間。
私の左右の地面が、どんっと爆発した。
土くれが舞い上がり、もうもうと土煙が広がる。
周囲に、強大な魔素反応が満ちる。そして地の底から響いて来る様な、空気そのものがビリビリと震える様な低い唸り声が聞こえて来た。
「お呼びでしょうか、竜の姫よ」
「参上致しました、アーフィリルさま!」
竜騎士たちの声が響く。
「なっ……!」
トラヌスの騎士たちが絶句しながら、突如私の左右に降って来た2つの巨体を見上げていた。
彼らが見上げる先にはあるのは、2騎の巨大な竜の姿。
土煙の向こうからぬっと姿を現したのは、アルハイムが駆る空色の竜ルールハウトとハイネの緑の風竜シルフィルドだった。
竜たちは、私の左右で低い唸り声をあげながらトラヌス軍を睥睨する。
「トラヌスの騎士たちよ。我らが竜の力、その身に刻むといい」
私はニヤリと微笑みながら、さっと右手を前に掲げた。
その手の中に、白の剣が現れる。
しかしその場の誰もが、最早私が武器を手にした事など気にしている余裕はない様子だった。
ある者は悲鳴を上げて全力で味方部隊のもとへと駆け戻って行く。ある者は暴れる馬に振り落とされ、地面の上に倒れ込んでいる。またある者は馬と一緒になって呆然としたまま立ち尽くし、またある者は全身を震わせながらも何とか武器を構えようと手を動かしていた。
「アルハイム、ハイネ。竜の咆哮だ。威嚇射撃で構わない」
そう告げながら、私自身も収束熱線の照射準備に入る。
「承知しました、姫」
「了解です!」
竜騎士たちが声を上げる。同時に、四肢を踏ん張り、がっと顎を開いた竜たちの口腔に、強大な魔素の光が収束し始める。
私も白の剣の切っ先に、収束熱戦の為の魔素を集める。
「ひっ!」
「て、撤退だ!」
「ば、化け物……!」
「逃げろ、逃げろっ!」
この後何が起こるのか、混乱しているトラヌスの騎士たちにも想像出来たのだろう。
トラヌスの騎士たちは、わき目も振らず我先にと逃走を始める。そしてその混乱は、彼らの背後にいたトラヌス軍本隊へも広がって行った。
それまで整然と隊列を組んでいたトラヌス兵たちが、武器を捨てて逃げ始める。喊声ではなく混乱の声と悲鳴が響き渡る。
もはやトラヌス軍の軍隊としての秩序や体裁は完全に崩壊し、部隊は四散し始めていた。
一瞬こんな状態ではこの後の交渉どころではなくなってしまうのではないかと思ってしまったが、羽飾りの兜をかぶった指揮官は幸いにも落馬して尻餅をついたまま、呆然とこちらを見上げていた。
まぁ、この男が残っていれば何とかなるだろうという結論に達する。
「竜の咆哮、斉射。放て!」
私は剣の切っ先をトラヌス軍ではなくやや上方へ向け、力を開放する。同時に、左右に展開するルールハウトとシルフィルドも、その力を解き放った。
周囲の空気が焼ける轟音と共に光が溢れる。
一瞬周囲の全てを飲み込んでしまった眩い閃光は、しかし直ぐに3筋の光線へと収束する。
光が空を裂く。
直撃はせずとも、その衝撃波が周囲のトラヌス兵たちを吹き飛ばす。草木が乱れ、激しく揺さぶられる。
竜の咆哮の光線は、背後に控える城塞都市をかすめた。
む。
私の収束熱戦が至近距離を通過した城塞都市の城壁が、赤熱化して溶け出しているのが見えた。
狙いが近すぎたのか、3筋の光線が相互に影響を及ぼして威力が増してしまったのか。
次の瞬間、城壁の一部が爆発を起こす。解けた石材が、派手に吹き上がる。
むむ、やり過ぎたか。
爆発は街の外に向かっている。街中には被害は出ていないだろう。周辺の林で火事くらいは起こるかもしれないが。
弾道の制御に甘いところがあった様だ。
アーフィリルにお願いして、出力は全力の1割ほどに絞ったつもりだったのだが。
熱線の光が消えると、私は剣を下ろし、ふんっと息を吐いて反省する。
「な、なんて事だ……」
体を捻って振り返り、座り込んだ姿勢のまま竜の咆哮の及ぼした影響を見つめていたトラヌスの指揮官が、絞り出す様に小さく呟いた。
「わかってもらえたか。私たちには、帝国軍と戦う力がある。トラヌスが我々の側、いや、中立でも構わない。オルギスラ帝国と手を切る為に戦うというならば、この力を貴公らに貸そう。しかしあくまでも帝国と共にあると言うならば、今度は城壁では済まない。そう覚えておけ」
私はふっと微笑みながら、僅かに顎を上げてトラヌス指揮官を見下ろす。同様に、ぐるぐると唸り声をあげながら、両隣の竜たちも指揮官の顔を覗き込んだ。
トラヌスの指揮官はがたがたと顎をならしながら、ずり落ちて来た兜をむしり取る様にして投げ捨てて、こくこくと頷く。そしてずりずりと尻を引きずる様に後退すると、転がる様に身をひるがえし、一心不乱に味方の方へと駆け始めた。
散り散りに乱れたトラヌス軍も、我先にと城塞都市へと逃げ戻り始めている様だ。
これで取り合えずはオレットらの背中が脅かされる事はなくなった筈だ。後はトラヌス軍が帝国と手を切ってくれれば、街攻めを行わなくても済む。無駄な犠牲を出さずに済むだろう。
「アルハイム、ハイネ。一旦引き上げるぞ。あとは、トラヌスの出方を窺う」
私は白く輝く髪をさっとひるがえし、トラヌスに背を向ける。そしてフェルトらが待機している林に向かってゆっくりと歩き出した。
うーん……。
改めてトラヌスをよく観察出来る丘に戻って来た私は、また膝を抱えてじっと遠くに見える城塞都市を見つめていた。
ここ数日でますます暖かくなって来た陽気の中、私の隣では、草むらの上に伏せをしたアーフィリルが、先ほどからふわふわと周りを飛んでいる蝶の動きに合わせて頭を動かしていた。どうやら蝶を捕まえてやる気満々の様だ。
何だかアーフィリルは楽しそうだけど、私は眉をひそめ、不安に押し潰されそうな時間に必死に耐えていた。
トラヌス軍との邂逅から、既に丸2日が経過していた。
昨日までは、私が勢いで壊してしまった城壁のせいで一般市民の方々に被害が出ているのではないかという不安と、トラヌス軍に対する停戦の交渉が上手くいくだろかという2つの懸念事項が私を苦しめていた。
城壁の件は、昨日偵察から戻った騎士さんの報告からどうやら問題なさそうだという事がわかり、ほっと安堵の息を吐く事が出来た。
私たちが放った竜の咆哮は、2重に張り巡らされたトラヌスの城壁の外側を吹き飛ばしたみたいだ。
その周辺は耕作地が広がっていて、幸い人命や人家に被害は出なかったそうだ。
その報告を聞いた瞬間、私は思わず力が抜けてしまい、その場にぺたんと座り込んでしまいそうになった。
アルハイムさまやフェルトくんがいたので、何とかそれは堪えたのだけれど……。
近頃アーフィリルとの融合にも慣れたつもりになっていて、力の使い方に気配りが足りなかったのだ。アーフィリルの力は、とっても強大なのだ。使い方を誤れば、多くの人や大切なものを傷つけてしまう結果になりかねない。大人状態になっても、もっと慎重に、注意深く行動しなければならないと改めて反省する。
城壁の件が判明した時点では、もう一方の件、私たち竜騎士の力を目の当たりにしたトラヌスがどういう動きにでるかというのは、まだわかっていなかった。
軍隊が引き返した後、一応正式に停戦交渉をしたい旨の使者は出しているのだけど……。
それからまた1日、じっとトラヌスを観察して過ごした私だったけれど、事態はとうとう3日目のお昼頃に動き始めた。
やはり丘の上で膝を抱えて座り込み、トラヌスを観察していた私がそろそろお昼ご飯かなと思い始めたその時。
私はふと、トラヌスの城塞都市から複数の黒煙が上がっているのに気が付いた。
あちらもお昼の準備をしているのかなと思う。しかし、微かな違和感を覚える。今まで何度か観察して来たお昼の様子とは、どこか違う気がしたのだ。
そして私は、直ぐにその違和感が正しかったのだと思い知る。
トラヌスの方から、偵察に出ていた筈の騎士さんが真っ直ぐこちらに向かって駆けてくるのが見えたのだ。
……何かがあった。
騎士さんが戻って来たという事は、そういう事だ。
私はさっと立ち上がると、転ばない様に足元に気を付けながら丘を下り、その騎士さんを待ち受ける。既に簡易陣地の中も偵察役の騎士さんの帰還を察知し、ざわざわと騒がしくなりつつあった。
「報告致します!」
トラヌス軍が街から出て来た時と同じように、緊迫した表情を浮かべた偵察役の騎士さんがさっと馬から飛び降りると、私の前で膝を着いた。
「現在トラヌス城壁内で戦闘が発生している模様。詳細は不明ですが、街中に駐留している帝国軍に対し、トラヌス軍が攻撃を仕掛けている様です!」
私は思わず息を呑む。
トラヌスと帝国との戦い……仲間割れ!
私はさっと集まって来たアルハイムさまやフェルトくんを見た。
アルハイムさまが、鋭い眼差しで私を見つめながらこくりと頷いた。フェルトくんが剣の柄に手を置いて、いつでも行ける事を示している。
私は集まったみんなに向かって、ゆっくりと頷いた。
詳細はまだわからないので断言は出来ないけれど、トラヌス軍と帝国軍が仲間割れを起こしているという事は、トラヌス内に帝国と対立する勢力が出来たという事だ。
私たちの要請が受け入れられたのだろうか。
……いずれにしても、彼らを失ってはいけない。
帝国と敵対するなら、それは私たちが援護すべきっ人々だ。
「……では、この機に乗じてトラヌス内の帝国軍に打撃を与えます。上手くすれば、トラヌスが帝国と手を切ってくれるかもしれません」
私はぐっと手を握りしめると、うんっと気合を入れる。
「私とアルハイムさま、ハイネさまで突撃します。フェルトくんたちは、街の外で待機を。逃げ出してくる帝国軍将校なんかがいたら、捕まえて。お願いします!」
アルハイムさまとハイネさまが了解の声を返してくれる。フェルトくんは「何で俺は突入じゃないんだ」とぶつぶつ言っていたけれど、10騎程度の戦力で敵地に突入する危険すぎる。城壁の中がどうなっているのかわからないのだ。ここは我慢してもらうしかない。
私の命を受けたみんなが、さっと戦闘の準備を始めた。
私もアーフィリルと融合すると、念のためにアルハイムとハイネに力を分け与え、2人を白騎士化させておく。
私は皆の準備が整うのを見届けると、飛行制御の為の翼を展開した。そして、ゆっくりと飛翔を開始する。その乗り手と同様に純白に染め上げられたルールハウトとシルフィルドも、大きな翼を羽ばたかせて空へと舞い上がった。
足元に遠ざかる簡易陣地から、味方騎士たちが剣を掲げて声援を送ってくれる。私はそれに軽く手を上げて応えた。
「目標は帝国軍だ。トラヌス軍は敵味方判別が出来ない。そちらには手を出すな」
私は竜の力を介した遠話でアルハイムたちにそう指示を送ると、煙を上げるトラヌスの街を見据えた。そして翼に魔素を流し込むと、そちらに向かって一気に加速する。
草木の香りを孕んだ春の空気が、私を包み込む。押し寄せる風が、私の白い髪をかき乱す。
私の後方上空を白の竜たちが追随する。ハイネのシルフィルドは私に付いて来ているが、ルールハウトはやや遅れ気味だった。
足元を高速で流れていく木々の先に触れんばかり高度を落とした私は、そのまま2重の城壁を通過し、トラヌスの市街地へと入った。
古い建物が密集しているトラヌスの街は、混乱に包まれていた。細い路地を我先にと人々が逃げまどっているのが見て取れた。
どうやら一般市民たちは、街の中心部から遠ざかる方向へ逃げている様だった。
私は手を振ってアルハイムとハイネに周囲の確認を行う様に伝える。大きく頷いた白騎士たちが、竜の巨体を傾け、左右に分かれて私から離れていく。
さて、こちらもまず状況の把握をしなくてはならない。
私は飛行速度を緩め、高度を取りながら足元に広がる広大で複雑なトラヌスの街を見下ろした。
トラヌスの街の中心には、いくつかの大きな建物が建ち並んでいた。そちらが、政庁などが集まる都市国家の中心だろう。
上空から見ると、街の中心の官庁街と高級住宅街を思わせる大きな建物の建つ場所と、城壁近くの粗末な建物が密集する場所との違いが良くわかった。都市国家という場所を訪れたのはこれが初めてだったが、どうやらこちらはこちらで色々と問題を抱えている様だ。
気持ちの良い春の空気を汚す黒煙が幾筋も立ち昇っているのは、その立派な町並みが目に付く街の中心、政庁近くの広い敷地を有する建物の付近だった。
人々の喧騒と吹き抜ける風の音の向こうに、微かに乾いた炸裂音が連続しているのが聞こえる。
ゆっくりとそちらに近づくと、無数の兵や騎士たちが入り混じり、乱戦が繰り広げられているのが見て取れた。
広い敷地を有する大きな建物には、帝国軍の旗がひるがえっている。そこへ、どうやらトラヌス軍が殺到している様だった。
トラヌス軍の数は多い。まるで先日私が目にした1万の軍勢が、そのまま帝国軍へと襲い掛かっている様だった。
帝国軍は自分たちの旗が立つ建物の敷地に立てこもりながら散発的な銃撃を行っている様だったが、いかんせん押し寄せるトラヌス軍の数が圧倒的だった。銃撃を受けても次々と押し寄せてくるトラヌス兵を押しとどめる事が出来ず、既にその建物はいたるところでトラヌス軍の侵入を許していた。
トラヌス軍の鬼気迫る様な様子に、私は眉をひそめる。
私が背中を押してやったとはいえここまで必死になって帝国軍に反抗するとは、トラヌスの者たちも内心では帝国軍を嫌っていたという事だろうか。
しかしここまで乱戦になっては、私や竜騎士たちの出る幕はないか。
そう思い始めた時。
帝国軍が立てこもる建物脇の練兵場の様な広い場所に、黒い塊が姿を現すのが見えた。。
あれは、機獣。
私はすっと目を細める。
これまで何度も戦場で相対してきた来た金属製の牡牛が、攻め寄せてくるトラヌスの前に立ちふさがる。
その数は5体。全て凶悪な衝角を装備した突撃型の様だ。どうやら今まで、練兵場近くの建物に身を隠していた様だ。
帝国軍め、あんなものまで街中に持ち込んでいたのか。最初からこうなる事をわかっていたのか、トラヌスへの恫喝に使っていたのか、やはりオルギスラ帝国とトラヌスの関係は、対等な同盟という訳ではなかった様だ。
戦技スキルが使えるかどうかわからないトラヌス軍には、あれは厳しい相手だろう。ここは私が押さえるべきか。
私は両手に白の長剣を生み出しながら、練兵場に向かって降下を始める。
しかし私が戦場に降り立つよりも前に、機獣たちの背後からさらに巨大な黒い塊がのそりと姿を現した。
それは、牡牛というよりも竜の様な姿をしていた。
4本の脚で立つ巨大な金属の塊という点では、他の機獣と同じだった。しかしその大きさは、牡牛の機獣の倍ほどもあった。
巨大な新型機獣は、竜の様な長い尾を備え、トラヌス兵を威嚇する様にずらりと牙が並ぶ巨大な口を開き、赤く光る4つの目で周囲を睨みつけている。
そしてその姿の中で一番目を引くのは、その背に備え付けられた長い砲身の大砲だった。
今まで見て来た砲よりも遥かに巨大だ。戦艦に積む艦砲より大きいのではないか。
帝国軍の新兵器か。
私は新型機獣を睨みつけながら小さく息を吐く。
のそりと四肢を開いたその重砲撃型の機獣が身をかがめる。
そしてその次の瞬間、轟音が炸裂した。
猛烈な衝撃波と発砲音を振りまいて、重砲撃型機獣が砲撃を開始する。
放たれた砲弾は政庁の一角に突き刺さると、周囲のトラヌス兵を巻き込んで盛大な爆炎と黒煙を巻き上げた。
あの新型の大砲、従来の砲よりも遥かに強力な様だ。
あれに好きにさせる訳にはいかないか。
せっかく反帝国の動きを見せたトラヌスを後戻りさせる訳にはいかない。
私は空中で飛行制御用の翼を消すと、そのまま機獣部隊の前へと落下した。
「フハハハハハっ、どうだ、思い知ったか! この新型長砲身重砲の威力! 愚かなトラヌス人ども! サン・ラブールにそそのかされ、我らオルギスラ帝国に弓引いたその罪、貴様らの命でもって贖え!」
地上に激突する瞬間に落下速度を制御し、ふわりと地面に降り立った私のもとに、キンキンと響く哄笑が聞こえてくる。
「次弾、装填急げ! ええい、トロトロするな、馬鹿者め! 俺の顔に泥を塗るつもりか!」
戦場の喧騒の中でも良く通るその甲高い声は、長砲身を振りかざす重砲撃型機獣の上に身を乗り出した帝国軍騎士のものの様だった。
羽飾りの付いた兜と鼻の下に生やした口髭が印象的な、神経質そうな細面の男だった。俯き、下方に向かって何かを怒鳴り散らしているので、まだ私に気が付いていない様だ。
しかしその顔、どこかで見た様な気がする。
「次弾、準備が出来次第……って、なんだ、あの女。どこからって……」
口髭の男が顔を上げ、こちらを見た瞬間。
その顔が、驚愕に歪む。
「き、貴様、白花の、白花の、つ、終の白花っ! ば、ば、ば、馬鹿な、何故ここに!」
ありありと怯え始める帝国軍指揮官。やはりこの男、私を知っている様だ。もっとも私も各地を転戦して来た身だ。帝国軍に名が知れ渡っているのも別に驚くべき事ではない。
「大人しく投降しろ、帝国軍。もはやここにお前たちの居場所はないぞ」
私は両手の白の剣を見せつける様に広げながら、ニヤリと笑って見せる。
「撃て、撃て! 殺せ! 二度ならず三度までも、あ、四度目か? いや、そんな事どうでもいい! 俺の出世を邪魔するあの女を殺してやるのだ! さっさと撃たんかっ!」
帝国軍指揮官が、唾を飛ばしながら怒鳴り声をあげる。
ふんっ。
出世とは、笑わせる。
私がすっと目を細めたその次の瞬間。
再び猛烈な砲声と巨大な重砲撃型の機獣の体を持ち上げる程の衝撃波を放ち、帝国軍の新型砲が放たれた。
私は左の剣を地面に突き刺すと、さっと左手を掲げる。そして前面に防御障壁を展開した。
金属と金属がぶつかる様な甲高い音が響く。
展開した障壁から走った衝撃波が、私の白のドレスと髪をふわりと揺らした。
私の防御障壁が、敵弾を受け止める。
一抱え程もある円錐形の巨大な砲弾は、私の眼前で停止していた。
やはり帝国軍の新兵器か。
この砲弾、今までに見た事のない大きさだ。
「な……、馬鹿な……」
絶句する敵指揮官を余所に、私はまじまじと近くから砲弾を観察する。
先ほど政庁に直撃した砲撃を見ても、この砲弾の中にはかなりの量の爆破用魔素が充填されている筈だ。このままその辺りに転がしておくのも危険と思われる。
私は、自分の前面に展開させていた防御障壁を砲弾の周囲に包み込む様に広げる。そしてその障壁の範囲を徐々に狭め、砲弾を防護障壁で固定する。
広げた手をゆっくりと握り込む動きに合わせて、障壁で砲弾を締め上げる。
途中で砲弾が砕ける。
内部に満たされた魔素が爆裂する。しかし周囲を障壁で囲っているので、爆炎も衝撃波も周囲には広がらない。ただ見えない檻に閉じ込められ、私の眼前の限られた空間内でちょろちょろと炎が上がるだけだ。
やがて私がぐっと左手を握り込むと、収縮する空間に押し潰された砲弾もその炎も完全に消滅する。
後には何も残らない。
ふうっ。
私は短く息を吐き、地面に突き立てたままだった白の剣を抜いた。
「ありえん! そんな、最新型の機獣用重砲だぞ! 計算上は戦技スキルの障壁すらも容易く引き裂けるのだぞ! そ、それを、馬鹿な! ありえんっ!」
帝国軍の指揮官が、ヒステリックに絶叫する。
私はその金切り声にいささか辟易しながらも、ゆっくりと機獣部隊に向かって歩みを進めた。
「さて。それでは制圧させてもらおうか」
私はふっと息を吐いて、機銃の群れへと踏み込んだ。
白のドレスがふわりと揺れて、白刃がひるがえる。




