第48幕
昼食とお昼の休憩を終えた後。
穏やかな静寂が支配するレンハイムのお城の執務室で、私は午後のお仕事を始める。
さらさらと決裁書類にサインをしながら執務机の脇に置かれた箱の中の書類を一瞥して、私ははふっとため息を吐く。
ノスフィリスへの旅は、方面軍司令官任命、帝国への侵攻作戦の審議、そして突如発生した襲撃事件など波乱づくめだった。
なんとかそれを乗り切ってレンハイムに帰還した私だったけど、待ち受けていたのは不在の間に溜まってた沢山のお仕事だった。
私がノスフィリスに行っている間、幸いにも特に重大な出来事はなかったみたいだ。事務仕事や各種報告事についても単純なものばかりだったので、量は沢山あったけれどそれほど難しいお仕事はなかった。
新任の秘書官さんが優秀な人で、見るべきもの、決裁すべきものがきちんと整理されていて、溜まっていたお仕事はレンハイムに戻ってきてから数日で片付ける事が出来た。
問題だったのは、最高幹部会議が終わってから一週間程して連合軍司令部から送られて来た、箱いっぱいの書類の山の方だった。
ここ数日、私が掛かり切りになっているその書類とは、ノスフィリスの街で私と大きなアーフィリルがパレードする姿を目撃した市民のみなさんからの手紙だった。
そのどれもが、私やアーフィリルを応援してくれる内容だった。
曰く、白い竜が綺麗だったとか格好良かったとか竜を初めて見ましたとか、アーフィリルに対する感想を綴ったものも多かったけど、それはまだいい。
私も、アーフィリルについてはそう思うし……。
小さくため息を吐いて、私は机の上で寝そべっているアーフィリルのお尻をツンツン突いてみる。
「良かったね、アーフィリル」
アーフィリル、大人気だ。
居眠りしていたのか、僅かに体をびくっと震わせたアーフィリルは、ごろごろ転がってお腹を上にすると、体を捻って私を見た。
『む、何用だ、セナよ』
アーフィリルの声が、私の中に直接響く。
仰向けのままくぱっと欠伸をしたアーフィリルが、手足や翼、尻尾をぴんっと伸ばして伸びをした。
むむ、書類の山が崩れる。
アーフィリルの尻尾に当たって崩れそうになった書類を、私は慌てて押さえた。
少しばかりアーフィリルと遊んで気を紛らわせてから、私は手紙の確認作業を再開する事にする。
アーフィリルへの手紙はまだいいのだ。私も読んでいて楽しいし……。
問題なのは、私への、大人状態の竜騎士である私に当てた手紙だった。
さて次にと執務机の脇の箱からおもむろに取り出した手紙を読み始めて、私はどきりとして固まってしまう。
それこそ、まさに私に当てた手紙だった。
どうやらこの手紙を書いてくれたのは、女性の様だ。丁寧な文字が、花柄の入った綺麗な便箋にびっしりと並んでいる。
そこには、白花の竜騎士の活躍にいつも心躍らせている事、パレードで見かけた大人な私が凄く綺麗で感動した事、まるで天上から降り立った神さまの御使みたいだと思った事など、竜騎士アーフィリルを賛美する内容が情熱的な文章でびっしりと綴られていた。
「うくっ……」
私は思わず、手紙を握りしめたままくたんと机に突っ伏してしまう。
……う、うう、やっぱり恥ずかしい。
手紙の主が、大人な私の方を思ってくれているのは良くわかる。
別に、小さな本当の私が褒めらているのではない。
……でも、両方私自身なのだ。
うぐぐぐ……。
人からこんなに褒められたり好意を示された事なんてほとんど無い私にとっては、どうしても嬉しいという感情よりも気恥ずかしさの方が先行してしまう。
私はカッと熱くなってしまった顔を冷却するために、額を机にぐりぐりと押し付ける。
ノスフィリスから送られて来た箱の中には、竜のアーフィリルに対してだけではなく、こうした私に当てた手紙も沢山入っていた。
純粋に私や白花の騎士団の戦果を認めてくれている手紙や現在の情勢を憂う手紙など真面目な内容のものから、単純に私の容姿を褒めてくれるもの、凄い凄いと感嘆詞が並ぶだけの手紙など、程度の差はあったけれど、沢山の人が私に好意的な手紙を送って来てくれていた。
それは、本当にありがたい事だと思う。
本当に……。
……でも。
赤面せずにはいられない内容の手紙をもくもくと読み進める事は、私にとって苦手な体力訓練を上回る苦行だった。
……ううう。
それでも、わざわざ手紙を送ってくれた人たちの気持ちを無視する事は出来ない。この手紙たちを読まないなんていう選択肢は、私には無かった。
そのため私は、恥かしさと戦いながらもこうして手紙の山と格闘しているのだった。
新たな手紙を読んでから、アーフィリルにちょっかいを出して気を紛らわせる。
それを、何度も繰り返す。
一時は私不在で行われようとした竜騎士アーフィリルの方面軍司令官就任お披露目パレードだったけど、人々のこの反応を見ていると大成功だったといえるだろう。レティシアさんの案通り、無理やりにでも会場に突入して良かったのだ。
もしこれで私がパレードを欠席していれば、手紙をくれた皆さんもここまで盛り上がらなかったと思う。
私個人への評価や好意は取り合えず横に置いておくにしても、この戦乱吹き荒れるご時世に、市民の皆さんが少しでも明るい気持ちになってくれるなら、それは私にとっても嬉しい事だった。
もう一通別の手紙に目を通し終えた私は、はふっと軽くため息を吐く。
……今は、そうやってみんなが力を合わせて困難に立ち向かわなければならない時なのだ。
それなのに。
こんな状況下なのにもかかわらず、サン・ラブール内の主戦派が、ノスフィリスで起きた襲撃事件を起こしたかもしれないという事が私には未だに納得出来なかった。
コンラートさまやレティシアさん、それにレンハイムに戻った後にこの事態を説明したオレットさんやグレイさんたちが、さもありなんと平然とその説を受け入れているのも、私にとってはかなりショックな事だった。
味方が味方を襲うなんて……。
私は思わず、ぶるりと身を震わせる。アーフィリルが何事だという風に顔を上げて私を見た。
レティシアさんが指摘していた話、襲撃事件が発生している状況下であえてパレードを中止にせず、私のパレードへの出席を妨害するという行為なら、まだ受け入れられる。
陰湿で稚拙な行為だとは思うけれど、組織の中では他部署との縄張り争いや嫌がらせというものが多々あるものなのだ。
私の短い経歴の中でそれを実感した事はなかったけれど、エーレスタの隊務管理課にいた時は、先輩方からよくそんな気の滅入るお話を聞かされたものだ。
でも味方への襲撃というのは、そんな陰湿な行為とは訳が違う。下手したら多数の死傷者が出る事態となっていたかもしれないのだ。
私が倒した敵だって、もしかしたらどこかの味方部隊かもしれないと思うと……。
私はぎゅむっと唇を噛み締めた。
……部隊を揃えて本格的な襲撃を行うなんて、やっぱり信じられない!
私大きく息を吸い込むと、むんっと勢いよく吐いた。
胸の奥には、怒りとも失望感ともつかない気持ちがぐるぐると渦巻いている。あと、拡大しようとしている戦争への恐怖とか、終わらない戦いへの悲しみとか、色々なものがない交ぜになったもやもやも一緒に。
きゅうっと胸が苦しくなる。
前線のみんなが一生懸命戦っているというのに、後方の偉い人は何をしているのだろう。主戦派とか和平派とか、どうしてそんな事になってしまうのだろう。
もっと、しっかりしなければと思う。
もちろん、方面軍司令官となった私も含めて、だ。
私たちはみんなで力を合わせて、しっかりと戦争の終わりを探していかなければならないのだ。
……もちろん、まだ和平派の代表者の皆さんを襲撃したのが、主戦派の放った刺客であるという結論が出た訳ではない。
捕えた襲撃犯たちは警備を担っていたエーレスタによって取り調べ中であり、今回の事件の真相についてはまだ調査中だそうだ。
しかし今回の襲撃が帝国軍によるものだと公言する主戦派の論調に呑まれる形で、サン・ラブール連合軍最高幹部会議は、今後もより一層断固たる対応でもってオルギスラ帝国に対処していくという決議を採択して閉会した。
もちろんそこには、早い段階でのオルギスラ帝国本土への侵攻作戦を発動するという議決も織り込み済みだった。
こうして客観的に見れば、今回の襲撃事件により、最高幹部会議は主戦派の望む形で意見がまとまった事になる。さらには襲撃犯の行動から何かを察した人たちが、表だって侵攻作戦に異を唱える事を止めてしまったのも、主戦派の目論見通りだったのではないのだろうか。
こうなれば、今回の襲撃事件が主戦派の仕組んだものだというコンラートさまたちの意見に反対出来なくなってしまうのだ。
悲しい事に。
むむむ……。
私は目を細めて読みかけの手紙を机に置く。そして軽く深呼吸すると、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。
胸の奥でぐるぐる膨らむ腹立たしさや不快感のせいで、じっと座っているのがつらくなってくる。良くない考えばかりが、頭の中でぐるぐる回っている。
頑張って手紙も3通読み終えた事だし、ここは一度気晴らしでもしておこうと思う。
立ち上がった私を、寝そべったままの状態でアーフィリルが見上げていた。
私はその白いもこもこの塊に、手を差し出した。
「少しお散歩でも行こうか、アーフィリル」
少し休憩なのだ。
『む。承知』
アーフィリルはむくっと起き上がると、のそりとした動きで私の手に体を寄せて来た。
私はアーフィリルの脇の下に手を通して抱き上げると、うんしょと頭の上の定位置に乗せた。そしてそのまま壁際に掛けられたコートを手に取ると、扉の方へと向かった。
コートを羽織り、襟に埋まった髪を引き出して前を閉じる。背中に流したままだった髪を手早くリボンでポニーテールにまとめると、私は執務室の扉をガチャリと開いた。
暖房の利いた部屋とは違い、左右に広がる長い廊下は寒々と冷え切っていた。
警備の騎士さんが一定間隔で並ぶ廊下に、私以外の足音がカツリと響く。
そちらに目を向けると、こちらに向かって歩いて来る秘書官さんの姿があった。
秘書官さんは私の前まで来ると、さっと緊張の表情を浮かべて姿勢を正した。そして、綺麗な敬礼をする。
「アーフィリルさま。お出かけでありましょうか?」
「あ、はい。少しお散歩に……」
「お散歩、ですか?」
秘書官さんが、私を見て少し驚いた様な顔をした。
「あ、はい。アーフィリルのお散歩です。直ぐに戻って来ますから」
私は苦笑を浮かべる。
席を立ちたかったのは私だったのだけれど、ここはアーフィリルのせいにしておこう。アーフィリルも特に気にしていない様だし。
少し訝し気な表情を浮かべる秘書官さんだったけど、直ぐにああと納得した様に頷いてくれた。
「ふふ、了解です。しかし外は寒いですから、ほどほどにしてお戻り下さいね、アーフィリルさま。あまり遠くには行かれない様にして下さい。日が落ちるのは、まだまだ早いですから」
何かを得心した様に微笑む秘書官さん。
「わかりました」
私はこくりと頷いた。そして秘書官さんに見送られながら、とととっと小走りにレンハイム城の裏庭を目指して進み始めた。
……うーん。
アーフィリルのお散歩であると強調した筈なのに、秘書官さん、何だか私がお散歩に行きたい事を見抜いていたみたいだった。やはり、出来る人みたいだ。
しかしそうなると、何だか遊びに行きたいと子供みたいな事を言ってしまった気がして、少し恥ずかしくなってしまう。秘書官さんの態度も、まるで子供に接するものみたいだったし。
私はきゅっと眉をひそめ、私小さく首を振った。
これでも私は、正式に方面軍の司令官になったのだ。
あまり子供っぽくみられる様な行動は慎まなければならないと思う。
私はむんっとそんな決意を胸に刻みながら、レンハイム城の裏庭へと続く扉に手を掛けた。
先のアンリエッタら帝国軍の襲撃を受けて大きな損害を出してしまったレンハイム城は、未だ工事の途中にあった。
損害個所の一応の応急修理は既に終了しているけれど、内装工事などの細かな部分はまだまだこれからなのだ。それに加えて、更なる防備を拡充させるための工事も、お城だけでなくレンハイムの街全体で開始されていた。
レンハイムは、東からやって来る帝国軍に対する守りの要となる街だ。
防衛のための部隊の集結場所や物資の集積所などの施設は、いくらあっても足りない。さらには、それらを守るための壁や防御施設も、現在急ピッチで工事が進められていた。
しかしそれらの工事も、レンハイムを防衛拠点として活用する為のものに過ぎないのだ。
今後、最高幹部会議で決定した帝国軍領への侵攻作戦が開始されれば、レンハイムはその侵攻軍の拠点となる筈だ。そうなれば、今のままでは明らかに手狭になってしまうと思う。
そのあたりの相談も、またグレイさんたちとしておかなければならない。早めに動いておいた方がいいだろう。
そんな事を考えながら、私はしんと冷えた外の空気を大きく吸い込んでうんっと伸びをした。
遠くから工事の音が響いてい来るけど、お城の裏には私とアーフィリル以外の人気はなかった。
特に整備されている訳でもなく、冬枯れした芝生と朽ちかけた東屋、それに疎らな林が広がるだけのレンハイム城の裏庭は、いつもそれほど人がいる場所ではなかった。この場所の整備に人を回す程の余裕は、まだ私たちにはないのだ。
その静かさが気に入って、私は時間を見てはちょくちょくこの場所にやって来て、アーフィリルのお散歩をしていた。
「いくよ、アーフィリル!」
私はその辺りで拾った小枝をアーフィリルに見せびらかす様に掲げると、うんっと勢いよく放り投げた。
冬曇りのどんよりとした空の下、くるくると回転しながら小枝が飛んでいく。
『うむ』
アーフィリルが背中の羽をピンっと広げて、小さな足を忙しなく動かして、その小枝を追いかけ突撃して行く。
庭の隅で小枝をくわえたアーフィリルが、凛々しい顔つきでキッと私を見る。どうだと言わんばかりの表情だ。そしてこちらに駆け戻って来たアーフィリルは、また私にずいっと枝を差し出して来るのだ。
「じゃあ、行くよ!」
私は、またもやその小枝を投げる。
今度は私も走って、アーフィリルに負けじと小枝を拾い上げようとする。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
それを何度も繰り返していると、あっという間に息が上がってしまった。私の吐いた息が白い塊になって、ふわりと空へと昇って行く。
「アーフィリル、ちょっと休憩……!」
何度も庭を走らされてフラフラ状態になってしまった私は、石造りの東屋に向かうとどかりとその作り付けのベンチに腰かけた。
石のベンチの冷たさが、コート越しにお尻に伝わって来る。アーフィリルと一緒になって駆け回り、熱くなった体には、その冷たさが心地よかった。
体を動かしていると、もやもやとした嫌な気持ちを幾分か忘れる事が出来る様な気がする。それにこうして走り回っていると、良いトレーニングにもなりそうだ。
座り込んだ私のもとに、アーフィリルが駆け寄って来る。前足を私の太ももに掛けて後ろ足立ちの姿勢になりながら、アーフィリルはまた小枝を私に差し出して来た。
その長い尻尾が、元気よくふりふりと揺れていた。
『もう終わりか、セナよ』
「あ、うん、ちょっと休憩を……」
『そうか』
低い声でそう呟いたアーフィリルが少し寂しそうだったので、私はもう一度立ち上がると小枝を投げてあげる事にした。
爛々と目を輝かせ、小枝目がけて突撃して行くアーフィリル。
私は今度は走らずにそんなアーフィリルを見送るだけにするが、突進の途中で立ち止まったアーフィリルが、不思議そうな顔をして私の方を見ていた。
アーフィリルは動かない。
どうやら、私が一緒になって追いかけて来るのを待っているみたいだ。
……むむ、しょうがない。
私は大きく深呼吸して息を整えると、再び自分の投げた小枝を追いかけて走り始めた。
それを繰り返していると、額にじんわりと汗が滲んで来た。
かなり熱くなって来たので、コートは脱いで東屋においておく事にする。
「はぁ、はぁ、はぁ、じゃあ、行くよ、アーフィリルっ!」
小枝を投げる。
でも疲労のせいか、私の手からすっぽ抜けた小枝は、脇の林の中へと飛んで行ってしまった。
アーフィリルが、勢い良く林の中に駆け込んでいく。
私もふらふらとその後を追った。
木々が疎らに立ち並ぶ裏庭の林の中は、カサカサに乾燥した柔らかな落ち葉が一面敷き詰められていた。
その落ち葉に埋もれる様にして、アーフィリルの白い体が駆けて行くのが見える。
私もそれを追いかけるが、しかし突如何かに足が引っ掛かってしまった。
「わっ!」
突然の事態に、自分でもびっくりする様な大きな声が出てしまう。
そして次の瞬間。
世界がぐらりと傾いたかと思うと、私はがさっと落ち葉の上にうつ伏せで突っ込んでしまっていた。
ううう……。
落ち葉で見えなかった木の根っこに躓いて、転んでしまったみたいだ。幸いその落ち葉がクッションになってくれたおかげで、特に怪我はしてないみたいだけれど……。
顔をしかめながらもぞもぞと起き上がろうとしていると、ざくざくと落ち葉を踏みしめる足音が近づいて来た。
アーフィリルが戻って来たのかなと思ったけれど、もっと重々しい足音だ。
頭に乗った落ち葉を払いながらそちらに目をやると、すらりと背の高い人影が立っているのが見えた。
剣を手にした男の人だ。
一瞬私はびくりと身を竦ませる。しかし直ぐにそれが見知った顔だとわかって、ほっと大きく息を吐いた。
「なんだ、フェルトくんか」
「何やってるんだ、セナ。こんなところで」
ぼそりと低い声が降って来る。
「あ、えっと、その……フェルトくんこそ、どうしたの?」
私は落ち葉の上にぺたりと座り込んで体に付いた落ち葉を払いながら、フェルトくんを見上げた。
フェルトくんは、この寒い中薄いシャツ一枚だった。
そのシャツも汗に濡れていて、体に張り付いてしまっている。筋骨隆々という訳ではないけれど、フェルトくんの引き締まった体つきが一目瞭然状態だった。
フェルトくんは、片手に抜き身の剣を下げていた。どうやら鍛錬の途中だったみたいだ。
「悲鳴が聞こえたから来てみただけだ。どこかで聞いた声だと思ったら……」
フェルトくんは仏頂面のままがしがしと頭をかくと、手を差し出してくれる。
タコだらけでごつごつしたその手を取ると、フェルトくんがグイっと私を引っ張って立たせてくれた。うむ、なかなか凄い力だ。
何か言いたそうに私を見るフェルトくんだったけど、結局無言のまま踵を返すとさっさと林の奥に向かって歩き始めた。
「あれ、フェルトくん、どこ行くの?」
私は、何となくフェルトくんの後を追いかける事にした。
フェルトくんが林を抜ける。
そこは、林とレンハイム城の外壁との間に開けた小さな広場だった。
先ほどまで私とアーフィリルが遊んでいた場所にあったものと同じような東屋が立っている。長年手入れされていなかったのか、かなりボロボロだ。
東屋と城壁沿いに小川が流れていて、その水が溜まった小さな沼の様な池の様な水たまりがあるけれど、それ以外は特に何がある訳でもない。冬枯れした下草がびっしりと生えているのは、他と同じだった。
見上げると、葉を落とした木々の向こうに、レンハイム城が巨大なシルエットとなってそびえていた。
何だか他と隔絶されている感じがして、落ち着く場所だ。静かだし、壁と林に囲まれたている為か、安心感を覚える。妙に居心地がいい。
お城の裏庭には何度も来ているけれど、こんな場所があるとは知らなかった。
知らない場所を見つけられると、どうしてこう嬉しくなってしまうのだろうか。
「凄いね、フェルトくん!」
私は周囲を見回しながら声を弾ませるが、フェルトくんは訝し気な顔をしてこちらを見ているだけだった。
「セナ、仕事はいいのか。いろいろ忙しいんだろ?」
私に向かってぶっきらぼうにそんな事を尋ねながら、フェルトくんは東屋の近くで剣を構えた。
東屋付近には、フェルトくんの上着とかタオルなんかが散らばっていた。
「うん、ちょっと休憩中でね……」
私は、はははと笑いながらそのボロボロの東屋に駆け寄る。そして無造作にほっぽり出してあるフェルトくんの上着やタオルを拾い集めると、1つずつ畳み始めた。
フェルトくんは何も答えずに、ぶんぶんと剣を振り始める。
服を畳み終えた私は、東屋の入り口に腰かけてそんなフェルトくんの鍛錬の様子を見守る事にした。
何となく……。
ふうっ。
三角座りをして膝をぎゅっと抱きしめる。そのまま少し体を左右に揺らしながら、色々な剣の型をこなしていくフェルトくんをじっと見つめる。
そんな私の脇に小枝をくわえたアーフィリルが駆け寄って来ると、ペタンと伏せの姿勢を取った。
「フェルトくんは、いつも熱心だね」
私は、独り言を呟く様に小さな声でそんな事を口にしていた。
「ああ、まぁな。俺には、これぐらいしかやる事がないからな」
聞こえていないかと思ったけれど、フェルトくんが剣を振りながら返事をしてくれた。
自分でそう尋ねておきながら、私は少しむっとする。剣の稽古は確かに楽しいけれど、それしかする事がないというのも少し寂しい気がする。
私は隣で寝そべっているアーフィリルをむんずと抱き上げると、フェルトくんの方に掲げて見せた。
「フェルトくんも、アーフィリルと遊ぶ?」
アーフィリルと駆け回るのは、先ほどの私みたいに良いトレーニングにもなるし。
「は? 何で俺が……」
『む、我はセナが良いのだが』
2人の声が重なった。
む、ダメか……。
再び裏庭の秘密の場所に、フェルトくんの剣を振る音だけが響く。
私は片手でアーフィリルの相手をしながら、その光景をぼうっと見つめる。
冷たい風が吹き抜ける。枝だけになった林の木々が、微かに揺れる。降り積もった落ち葉が、かさかさと鳴った。
冷え切った空気の中に、微かな水の気配を感じる。もしかしたら、また雪が降って来るのかもしれない。
「……くしゅ」
私は、思わず小さくくしゃみをしてしまった。
先ほどまで走り回って熱くなっていた体が冷えて来たのだ。じっとしていると、少し寒い。
コートはお城に近い方の東屋に置きっぱなしだった。取りに戻るのも面倒なので、暖を取るためにぎゅっとアーフィリルを抱き締める事にする。
未だ小枝に興味があるのか、アーフィリルは私の腕の中でもぞもぞともがいていた。
不意に剣を振る音が止まる。
抱き上げたアーフィリルを見ていた私は、ふと顔を上げた。
素振りを止めたフェルトくんが、つかつかと私の方に歩み寄って来る。そしておもむろに私が畳んだ自分の上着を取り上げると、うんっと私に差し出してきた。
突然の事に私が少し驚いていると、フェルトくんはさらに上着を突き出してく来る。
着ろ、という事なのだろうか。
「……あ、ありがと」
私はフェルトくんの騎士服の上着を受け取ると、自分の肩に掛けた。
満足したのか、フェルトくんが元の場所に戻っていく。
上着を貸してくれるなら、そう声を掛けてくれればいいのに。
何だかフェルトくんの良くわからない行動に、私は思わず微笑んでしまった。
「セナ。何か悩み事があるのか」
こちらに背を向けたまま、フェルトくんがぼそりと尋ねてくる。
私は、ふっと笑顔を消した。
思わずドキリとしてしまう。
「……うん、ちょっとね」
でも、悩んでいるのは確かだったので、ここは素直に頷いておく事にした。
味方が味方を襲撃する様な事件があって、さらには私たちが他の国に攻め込む様な事になりそうで、私は少し混乱していたのだ。自分が何のために戦っているんだろうという事に、少しだけ、ほんの少しだけ疑問を覚えてしまったのだ。
今までは、理不尽にも一方的に攻め込んで来た帝国軍を押し返す事に一生懸命だった。サン・ラブールの人たちを虐げてその生活を踏みにじる帝国軍が許せなかった。だから私は、騎士として理不尽な暴力に苦しむ人たちを助けるために、そんな人たちの力になれるように頑張って来たのだ。
でも、ノスフィリスの街での事件を通して、帝国軍を撃退してもそれだけではこの戦争が終わらないかもしれないという事を思い知ってしまった。
私が所属するサン・ラブール条約同盟には、味方の反対派を押し潰してでも帝国領に攻め込みたいと考えている人たちがいる。
身内を殺され、街を蹂躙され、国を潰されたその憎しみが、人々を反撃へと駆り立てているのだろうか。
それは、戦争という理不尽な力でめちゃくちゃにされてしまった人たちにとっては、当然の感情なのかもしれない。
……でも。
そうして帝国領に踏み込めば、今度は私たちが帝国の一般市民の方々を踏みにじる方になる。人々を苦しめる理不尽な暴力をふるう側に立たなければならなくなる。
そう思ってしまうのだ。
それは、私にとっては決して受け入れられない事だ。
でも、エーレスタの騎士として、サン・ラブールの騎士として、命じられればそれに従わなければならない。私は騎士なのだから、上からの命令には従わなければならないのだ。
最高幹部会議の議場では、何事にも臆さずずけずけと物を言ってしまう大人状態だったので、ハルスフォード侯爵さまやサン・ラブール最高評議会の方々に堂々と反対意見を言ってしまったのだけれど……。
でも、その命令に従う事は即ち私がアーフィリルの力で他国を蹂躙するという事なのだ。
でも。
うむ……。
でも。
うむむ……。
でも。
うむむむ……。
そんなでもばかりで、私の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
騎士としての私は、どんな風に行動したらいいのだろう。どんな風に行動すべきなのだろうか。
エーレスタの騎士や竜騎士、サン・ラブール連合軍の方面軍司令官として成すべき事。そして私が思い描く騎士さまとして取るべき行動。
そんなものが色々と入り混じって、もやもやとしたものだけが胸の中に溜まってしまって、ノスフィリスでの会議からもう随分経つというのに、私は未だにその不安や困惑を吹き飛ばす事が出来ないでいた。
誰かに相談しようにも、この気持ちを上手く言葉に出来る自信がなかった。オレットさんやレティシアさんなら、何かアドバイスをくれるかもしれないけど……。
私の憧れの人であるアルハイムさまにも相談してみたかったけど、こんな私個人の事なんて相談するのは恐れ多いし。
でも、フェルトくんならいいかもしれない。
こちらをちらちらと気にしながらも剣の稽古を再開したフェルトくんに対して、私は今思っている事、感じている事を少しずつ話した。
上手く表現する事が出来たかはわからなかったけれど、フェルトくんは手を止めて私の話を聞いてくれた。
「セナでも、悩む事があるんだな」
そして開口一番、そんな事言ってきた。
む!
「酷いよ、フェルトくん!」
茶化された気がして、私はキッとフェルトくんを睨みつけた。
「いや、そうじゃなくてな」
フェルトくんが苦笑を浮かべながら、私に向けて軽く手を振った。
「俺は、純粋に強くなるために戦っている。だから、戦いに対して迷いなんてない。弱ければ負けて、全てを蹂躙される。そうならない為に、強くなりたいと思っている。まぁ、単純な話だな」
フェルトくんは前を向くと、ぶんっと剣を振った。
「だが、セナの言う誰かを守るための戦いっていうのも、最近は理解出来る様になって来た。ああ、これは前にも言ったと思うが……」
フェルトくんが私を一瞥する。
「信念、みたいなものか。そんな曖昧なものの為に一生懸命になれるセナを、俺は凄いと思った。俺が考えるのとは別の意味で、強い奴だと思ったんだよ。それは、アーフィリルの力とか、騎士団長とか方面軍司令官の立場とかとはまた別の話だ。アーフィリルと出会わなくても、お前は帝国軍と戦っただろう? その状態だと、弱いくせにさ」
フェルトくんは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
こんなに正面から弱いと言われてしまったら、何だか清々しくて不快な感じはしない。
アーフィリルと出会わなかったら、確かに私はあの竜山連峰の山の中で帝国軍に殺されていただろう。でも、フェルトくんの言う通り、最後の瞬間まで帝国軍と戦ったと思う。
あの時は、凄く怖かったけれど……。
「そのお前の力……なんて言いうのかな、心の力、信念の力……思いの強さか。なんて言っていいのかわかんないが、俺は、それを真っ直ぐに信じて進めるセナを強いと思ったんだ。それは、オレットのおっさんだってマリアだって、みんな同じだ。だからみんな、何だかんだでお前に付いてきているんだ」
フェルトくんは、そこで少し疲れた様にぼりぼりと後頭部をかいた。何だかその仕草は、オレットさんにそっくりだった。
「だからさ。あー、その、なんだ。エーレスタの騎士とか司令官としての立場とか、そんなものは気にしなくていいと思う。立場なんか関係ない。今までセナが信じて目指して来たものを、そのまま、今まで通り信じて行けばいいんじゃないか。その力があれば、きっと道なんか強引に切り開いていけるだろう?」
フェルトくんが、私の目を真っ直ぐに見つめながらそう言い放つ。
信じて来たもの……。
ドキリと胸が震える。
私はフェルトくんの言葉を噛み締める様に受け止めながら、じっとその顔を見つめる。
フェルトくんは私の視線を受け止めながら、しかし不意にはっとした様に体を強張らせると、ぷいっと顔を背けてしまった。
私はそっと胸に手を当てた。
騎士服越しに、私の胸がドキドキと震えているのがわかる。
私が目指してきたもの。
私がそうありたいと願ったもの。
それをそのまま目指せばいい。
それで、いいんだ……。
……具体的には、どうしたらいいのかはわからない。でも確かにフェルトくんの言葉は、コトンと私の胸の深い場所にはまった様な気がした。
それだけで、何だかふわりと体か軽くなったみたいだ。
また私なりに頑張ろうと思えてくる。
私なりに、一生懸命頑張ろう。
今ならあの手紙の山だって、すいすいと読み進められるに違いない。
私は軽く目を閉じて、ゆっくりと、そして大きく深呼吸する。
……フェルトくんに話してみて良かったなと思う。
うん、本当に。
アーフィリルを抱きかかえたまま、私はうんしょっと立ち上がった。
ぱんぱんっと冷たくなったお尻を払ってから、フェルトくんに向き直る。そして、大きく息を吸い込んだ。
「フェルトくん!」
元気よく声を張り上げると、仏頂面のフェルトくんが私を見た。でも、少し恥ずかしそうに視線は合わせてくれない。
私はそのフェルトくんの顔を見つめながら、アーフィリルを抱き締めたまま、僅かに首を傾けてふわりと微笑んだ。
「ありがとうね、フェルトくん! 私、また頑張るね!」
自分自身とフェルトくんに向けて、私は力を込めてこくりと頷いて見せる。
フェルトくんは、そう精一杯決意表明をした私の顔をじっと見ていた。僅かに目を細め、しかしまた直ぐにはっとすると、先ほどと同様に慌てて後ろを向いてしまった。
今日のフェルトくんは、何だか表情豊かだ。
何かをこらえる様なうめき声が聞こえて来る。同時に剣を地面に突き立てながら、小さく首を振っているフェルトくん。
あれ。
せっかく私が精一杯のお礼の気持ちを表してみたのに、どうしたのだろうか。
私は、むむっと眉をひそめる。
フェルトくんに感謝の気持ちを示すには、言葉だけでは足りないのかもしれない。何か他に、フェルトくんが喜びそうな事をしてあげた方がいいのかもしれない。
フェルトくんが喜んでくれそうな事……。
私は抱き締めたアーフィリルの頭に顎を埋めながら、少しの間考え込む。そして、はっと名案を思い付いた。
「そうだ、フェルトくん! これから私と剣の稽古をしようよ!」
そう告げると、私はフェルトくんが振り向くよりも早く、さっとアーフィリルを掲げていた。
裏庭の秘密の広場に白い光が広がった後、私は大人状態へと転化していた。
私はふっと微笑んで、肩に掛かったままのフェルトの上着に手を当てた。
「さぁ、フェルト。良いアドバイスをくれた礼だ。私が本気で相手をしてやろう! どこからでも掛かって来るといい!」
フェルトが、驚いた様にあんぐりと口を開けて私を見る。
私は先ほどと同様にニコリと微笑みながら、両手の中に白の剣を生み出した。
その日の夜。
フェルトくんのアドバイスのおかげで前向きに仕事を終える事が出来た私は、心なしか足取り軽く、夕食を取るためにレンハイム城の食堂へと向かっていた。
私は一応このお城のトップなので、自室まで食事を運んでもらう事も出来る。でも1人で寂しく食事をするというのも何だか味気ない気がして、毎日こうして食堂でみんなと一緒にご飯を食べる事にしていた。
しかし他の騎士さんや兵士さんが緊張するといけないので、一般の人たちが集まる大食堂には顔を出さないようにとオレットさんから言われていた。
ほとんどの騎士さんたちは、小さな私が白花の竜騎士だと知らないのだから問題ない様な気もするけれど、警備の関係とか色々問題があるそうだ。
しょうがないので、私がいつも顔を出すのは部隊の高級幹部の方々が集まる食堂の方だった。
魔晶石の灯りが照らし出す長い廊下に足をを響かせて食堂にたどり着く。
大きな長机がどんっと中央に鎮座する広い食堂には、先客がいた。
オレットさんとレティシアさん、それにアメルとマリアちゃんだ。
今日は見当たらないけれど、私はここにフェルトくんやサリアさん、グレイさんなど白花の騎士団の幹部さんたちを加えたメンバーと一緒に食事をする事が多かった。他の北部方面軍の幹部さんたちもここで食事している筈なのだけれど、何故か一緒になる事はほとんどなかった。
「セナ、こっち!」
私の姿を見つけると、アメルが元気よく声を上げて自分の隣に座る様に手招きしてくれた。
小走りにそちらに向かうと、私はアメルとマリアちゃんの間の席にぽすっと腰かけた。
私の頭の上に載っていたアーフィリルが、ぱたぱたと羽を動かしてゆっくりと床に降りる。
直ぐにアメルが、いつもの調子でおしゃべりを始めた。今日の話題は、午後お城の裏手で確認された謎の爆発についてだった。
むむ、身に覚えのある話だけど……。
「怖いよねー。また帝国軍が来たんじゃないかって、一時期警備部隊に召集が掛かったって」
「セナ。気をつけなくちゃだめだよ。裏庭によく行っているの、知っているんだから」
アメルが興味津々といった様子で話し、マリアちゃんが深刻な顔で私に注意してくれる。
しまった。
フェルトくんとの訓練が、そんなに大事になってしまっているなんて……。
ここは取り合えず、はははっと笑って誤魔化しておこうと思う。
「そういえば、フェルトがいないわね」
アメルが、不意にそんな事を言い始めた。
うぬー、アメル、妙に鋭いところがあるから油断できないのだ。
「ああ、フェルトの奴な、訓練のし過ぎで倒れてるぞ。戦技スキルを使い過ぎで、体内の魔素不足で起き上がれないらしい。体中傷だらけで、あいつ、どういう鍛錬をしたらああなるんだか」
私たちの席から少し離れたところで先に食事をしていたオレットさんが、飽きれた様にそう説明してくれた。
う。
再びドキリとする。
フェルトくん、大丈夫かな……。
フェルトくんに言ってもらった事が嬉しくて、手合わせ、少し張り切り過ぎたかもしれない。後でお見舞いに行ってあげよう。
レティシアさんだけが、何だか訳知り顔でニヤニヤとしながら私を見ていた。
魔素感知の出来るレティシアさんには、今日の午後、裏庭で何があったのかがわかっているのだろう。
特にそれ以上フェルトくんと謎の爆発についての話題が広がる事無く、そのまま食事を進めていると、不意に食堂の扉がバタンと開いた。
「やぁ、お食事中に失礼するよ」
食堂内に、良く通る男の人の声が響き渡る。
「セナ・アーフィリル殿。こんばんは。僕もご一緒してもいいかな?」
にこやかな笑顔を浮かべて、プレゼント包装された大きな荷物を抱えて食堂に入って来たのは、グリッジのコンラート王子さまだった。
マリアちゃんが慌てて立ち上がると姿勢を正す。アメルは、パンを持ったままぽかんとしてコンラートさまを見上げていた。
私も食事を中断して立ち上がる。
コンラートさまは足早に私方へと近づいて来ると、抱えていた大きな紙包みをどうぞと私に差し出した。
私は少し身構えてからその包みを受け取るが、大きさの割にはあまり重たくなかった。
「今日は君にプレゼントを持って来たんだ。気に入ってもらえると嬉しいんだが」
少しはにかんだ様に笑いながらどうぞ開けてみて欲しいと言うコンラートさまのお言葉に従って、私はがさごそとその包みを開けてみる。垂れ下がったその包み紙を、アーフィリルがお座りしながら興味深そうに前足で突いていた。
包みの中から現れたのは、大きな犬のぬいぐるみだった。白い犬だ。種類は違うみたいだけど、アーフィリルとおそろいだ。
「妹とも相談したんだが、普段の君ぐらいの女の子には、こんな贈り物がいいだろうと思ってね。大きな君には、少し子供っぽいかもしれないが」
微塵も悪意の感じられない爽やかな笑顔を浮かべるコンラートさま。
……やはり私の事、妹君のアステナさまと同年代と思い込んでいるのだろうか。
まぁ、この犬のぬいぐるみは可愛いからいいけど……。
視界の隅で、オレットさんが必死に笑いをこらえているのが見えた。その隣のレティシアさんは、何だか微笑ましいものを見る様な生暖かい視線で私たちを見ていた。
アメルは、顔をしかめてコンラートさまを見ていた。一応一国の王子さまなのに、コンラートさまを見るアメルの目は、まるで敵を見る様に険しかった。たまにフェルトくんと話している時も、こんな目をしたアメルがフェルトくんを睨みつけている事がある。
顔立ちの整ったアメルには、そんな表情は似合わないと思うのだけれど。
逆にマリアちゃんは、いつものクールな表情ではなく、何だかぽわんとした顔でキラキラと目を輝かせていた。少女騎士と王子さまが何とかと、小さな声でぶつぶつ言っている。
どうしたのだろう……。
取り合えず私は、一抱え程もある犬のぬいぐるみを椅子に座らせておく事にした。その白い犬のぬいぐるみは、先ほどまで私が座っていた席に座るのにちょうどいい大きさだった。
アーフィリルがパタパタと羽を動かして飛び上がると、その犬のぬいぐるみの周囲をくるくると飛び始めた。
緑の目がキラキラと輝いている。アーフィリルは、いつだって新しいものに興味津々なのだ。
「えっと、それでコンラートさま。今日は突然どうされたのですか?」
私は表情を引き締めると、改めてコンラート王子に向き直った。
コンラートさまも、グリッジの再興や和平派の取りまとめなんかで色々と忙しい方なのだ。まさか私にプレゼントを持って来てくれただけではないだろうし、アポイントもなしに突然レンハイムに来られるからには、何かあったと考えるのが自然だ。
「ああ、それなんだけどね……」
コンラートさまも、表情を消して真面目な顔をする。
さっと周囲を確認して、小さく頷くコンラートさま。ここにいるみんなは既に顔見知りの筈だから、話しても大丈夫と判断したのだろう。
「実は、帝国本土への侵攻作戦が早まる事になった。近日中に、まずは帝国軍に占領されている都市国家を解放する事を大義名分にして、大陸中央部への侵攻を開始するそうだ。同時に、正式にオルギスラ帝国と、その帝国に服従する態度を示している都市国家群に対して降伏勧告を行う事が決定された」
大陸中央部、都市国家群への侵攻……。
私は、コンラートさまの言葉にぐっと奥歯を噛み締める。そして、大きく息を吸い込んだ。
……いよいよ、始まったという事か。
主戦派はサン・ラブール条約同盟とオルギスラ帝国の間に広がる都市国家群を攻略し、そのまま帝国本土まで一気に攻め込むつもりなのだ。
コンラートさまやグレイさんの予想よりも動きが早い。本格的な侵攻作戦は、みんなもう少し先だと予想していたのに……。
「本格的に作戦が始まれば、セナ君たちの部隊にも動員が掛かるだろう。だから、一刻も早くこの事を知らせていおいた方がいいかと思ってね」
コンラートさまが、厳しい表情を浮かべる私の肩にぽっと手を置いた。
私はコンラートさまを見上げると、こくりと頷く。そして小さな声で「ありがとうございます」と感謝の意を伝えた。
どう動くにせよ、いち早く情報が得られた事は大きい。
私個人としては、せっかくフェルトくんのアドバイスで何かがつかめそうだったのに、気持ちの整理がつく前に事態が動き出してしまった事が残念だったけど……。
しかし、状況は容赦なく進んでいく。
また、戦いが起こるのだ。
それも今度は、今までとはその意味合いが違う戦いだ。
その戦いに向けて、私が出来る事。私がすべき事。今からでもそれと、しっかりと向き合っていかなければ……。
「オレットさん。グレイさんも呼んで軍議を始めましょう。コンラートさまも出席していただいてよろしいでしょうか」
私はアーフィリルを抱き留めてさっと頭に乗せると、食堂に集まったみんなをキッと見回してそう宣言した。




