第25幕
ウィルヘムさまのエーレスタ大公就任より2週間。
式典参加の為にエーレスタに集結していた部隊は、大規模な再編成を受けている渦中にあった。
これは、ハルスフォード侯爵さまの式典での演説を受け、オルギスラ帝国軍を殲滅する為の特務遊撃部隊を創設する為の部隊再編だった。
合わせて、元々存在していた第2大隊、第3大隊、そして国境警備に就いていた第4大隊という部隊単位は一旦解消され、エーレスタ本国防衛連隊が編成される事になっていた。
ハルスフォード侯爵さまが創設の陣頭指揮を執るこの本国防衛連隊には、侯爵さまの護衛隊の様に歩兵銃や移動可能な野砲の導入も進められているらしい。
部隊の再編成ならまだしも、こうした今までとは大きく違った戦術方針への転換は、一朝一夕にという訳にはいかないだろうけど……。
しかし私には、そんな他の部隊の状況を気にしている余裕はなかった。
名目上ではあるけれど、私は新設された特務遊撃隊の指揮官に指名されていたのだ。
今まで色々な部隊と一緒に戦って来たけれど大規模な部隊の隊長など務めた事のない私にとっては、もう何が何やらさっぱりわからなくて、何をしていいのかも全然わからなくて、毎日が混乱の連続だった。
一応今までアーフィリル隊の指揮官ではあった訳だけど、数十名程度のアーフィリル隊と戦闘要員1万超の編成規模となる特務遊撃隊では規模が違いすぎた。
もちろん旧第2大隊の幕僚から大規模部隊編成に慣れたベテラン騎士や大隊参謀経験者は派遣されていたけれど、それで私の仕事がなくなる訳ではないのだ。
オレットさんたちアーフィリル隊は、そのまま私の直属の部隊としてこの特務遊撃隊に編入された。
他にも顔見知りの部隊がいくつか、この隊に編入される事になった。
そしてハルスフォード侯爵さまの宣言から1ヵ月を待たずして、私たちの特務遊撃隊は、部隊運用経験のない私の代わりに実際に隊を指揮する作戦指揮官を迎えれば、一応全ての準備が整うという段階までこぎ着ける事が出来た。
これは全て、隊の準備に尽力してくれた政務卿さまたち統帥部と、各級騎士のみなさんの協力のおかげだ。
作戦指揮官については、私的にはディンドルフ大隊長を迎えたかったのだけれど、既にディンドルフ大隊長は本国防衛連隊の指揮官に抜擢されてしまっていた。
そこで、対オルギスラ帝国の実戦経験が豊富な第4大隊から指揮官を迎える事に決まったのだけれど、その人物は東の国境の最前線にいた。エーレスタに帰還するには少々時間が掛かる様だったが、それを待たずして私たち特務遊撃隊に対し、出撃命令が下される事になった。
時にイリアス帝暦392年秋。黄原の月24日の事だった。
新部隊編成から出撃まであまりに短すぎる準備期間だったけど、時が経てば経つほどオルギスラ帝国の侵攻を許してしまう事になる。
私たちが部隊編成に時間を費やしている間にも、帝国軍はサン・ラブール条約同盟国の領内を蹂躙し続けているのだ。
統帥部やハルスフォード侯爵もギリギリのところで決断しているというのは、私にも良くわかっていた。
私たち特務遊撃隊に下された命令は、東で帝国軍と戦っているサン・ラブール条約同盟の諸国軍の背後を脅かしている西側のオルギスラ帝国軍の排除。
すなわち帝国軍に占領されてしまってるカルザ王国の解放と、さらに海上交通の要衝ノルトハーフェンの奪還だ。
そのために私たちは、ひとまずウェリスタ王国内に入り、そちらから西を目指す事になった。
第4大隊から合流してくる作戦指揮官さんは、このウェリスタ領内で合流する事になっていた。
開戦当初のエーレスタ侵攻戦では、オルギスラ帝国の新兵器の前に壊滅状態に追い込まれてしまった第4大隊だったが、敵の切り札の性質がわかってからは巧みに帝国の後方部隊に奇襲を仕掛け、帝国軍の侵攻を遅滞させる活躍を見せているらしい。
今回特務遊撃隊の作戦指揮官として、表向きの立場は私の副官として派遣されて来る騎士さまは、初戦で第4大隊長が落命した後、その奇襲作戦の指揮を執っていた人物の様だ。
どんな人かはわからないけど、怖い人じゃないといいな……。
そんな事を考えながら、白毛の軍馬に騎乗した私は小さくため息を吐いた。
オレットさんや新たに特務遊撃隊の幹部に任じられた騎士さま、参謀さんたちを引き連れた私は、少し高くなった丘の上から、エーレスタの街の郊外に展開する軍勢を見渡していた。
時刻はまだ早朝。黎明の時間帯。
私や騎士のみんなが吐く息は白い。
私たちが騎乗した軍馬たちがぶるりと吐く息も、白かった。
竜と白の花があしらわれたアーフィリル隊の隊旗が、冷たい早朝の風にあおられて大きくはためいていた。
「そろそろ時間ですな」
私の後ろに控えたカウフマン参謀がぼそりと呟いた。
カウフマン参謀は、もとディンドルフ大隊長の幕僚だったベテラン参謀さんだ。
参謀のその台詞を待っていたように、丘の下に広がる軍勢から伝令の騎馬が走り出ると、私たちのもとに駆けて来た。
「セナ。全隊出撃準備完了だ」
伝令から報告を受けたオレットさんが、鋭い目で私を見た。
私はオレットさんにコクリと頷いて見せると、改めて周囲の仲間たちを見回した。そして、静かにそっと深呼吸した。
「……では、行きましょう、みなさん。出撃です!」
私はアーフィリルを頭に乗せたまま、むんと手綱を握った両手に力を込め、気合いを入れる。
そんな緊張とやる気に満ちている私とは対照的に、まだおねむなのか、頭の上のアーフィリルがくぱっと口を開けて欠伸をした。
「まぁ、セナだよな、これが」
オレットさんがニヤニヤと笑って私を見ている。
……むむ。
カウフマン参謀が短くため息を吐き、今回は私たちと一緒に従軍する事になったレイランドさんが無表情のまま眼鏡を押し上げた。
他の幹部騎士のみんなは、何だか微笑ましそうな表情で私を見ている。
……うむむ。
オルギスラ帝国へ反撃を開始する第一歩として、私なりに張り切ってみたつもりだったのだけれど……。
しかし皆やはり、エーレスタの騎士だ。
私に笑顔を向けた一瞬後には、全員キッと表情を引き締め、自分の職務を遂行し始めた。
「竜騎士アーフィリルの命は下った! 全隊出撃!」
「全隊出撃、了解! 速やかに行軍を開始せよ!」
「伝令、行け!」
「はっ!」
「了解!」
私が待機する丘の上から、素早く各部隊に対して伝令の騎兵が駆けて行く。
そして程なくして、大地を覆い尽くすかの様な大軍勢が動き始めた。
各所から各級隊長クラスが指示を飛ばす声が響き始める。さらに万を超える騎士や兵の金属鎧が音を立て、その足音が地響きとなって大地を揺るがした。
馬の嘶きが聞こえる。
小隊単位で気合いの声を上げる者たちもいた。
……この特務遊撃隊の士気は高い。
この部隊だけでなく他のエーレスタ防衛の任に就く部隊も含めて、エーレスタ騎士団全体の士気はかなり高まりつつあった。
これは、間違いなくあのハルスフォード侯爵さまの後見人就任時の演説が原因だと思う。
エーレスタがさらに大きな戦いに向かって行く事は悲しい事だと思うけれど、現に今もサン・ラブール条約同盟国の多くがオルギスラ帝国の侵攻を受けてしまっているのだ。
そこから目を背ける訳にはいかない。
この戦いを終わらせる為に、騎士である私たちは、エーレスタは、戦わなくてはならないんだ。
その為に私は、私の出来る事をしなければ……。
よしっ!
私は手綱を引いて馬首を巡らせた。そして、頭上のアーフィリルにさっと触れる。
私の意図を汲んでくれたアーフィリルが、もそっと体を起こした。
そして次の瞬間、白い閃光が走った。
一瞬の後、馬上の私はアーフィリルと融合した大人状態となっていた。
長く伸びた白の髪が、魔素の光の粒を放ちながらふわりと中空に広がる。
私が居並ぶ幹部騎士たちをさっと見回すと、彼らの顔にさっと緊張が走るのがわかった。
「進発する隊の見送りに向かう。この場は任せるが、良いか?」
「はっ!」
カウフマンがビシっと背筋を伸ばし、鋭く返事をした。
私が軽く頷いて馬を進めると、直ぐさま後にオレットとサリアが追随して来た。
ただのお飾りだったとしても、一応私は部隊長なのだ。これから戦場に向かう将兵を激励する程度の事は、しておかなければならない。
手綱を握り馬が駆けるのに身を任せながら、私は朝靄の中を戦場へ向かう騎士たちの姿をじっと見つめた。
エーレスタを出発した特務遊撃隊は、そのまま街道を北上し、ウェリスタ王国へと入った。
ハルスフォード侯爵の根回しもあり、特務遊撃隊のウェリスタ領内への進駐については何の問題も起きず、私たちはブライツ峠からさらに3日程進んだ場所にあるファラッドという町の側に着陣した。
この場所で我が隊は、東の最前線からウェリスタ国内を経由してやって来る旧第4大隊の兵員と、作戦指揮官となる騎士と合流する予定となっていた。
その第4大隊の者たちが到着するまでの間は、我々特務遊撃隊はこの簡易駐屯地で訓練を行う事になっている。
ここファラッドに向かう道中も色々と訓練を繰り返していたが、私たちの部隊は短期間で編成された急ごしらえの隊だ。連携確認に陣形展開、命令伝達や緊急対応など、訓練してもし過ぎるという事はない。
さらに私たち特務遊撃隊は、カルザ王国内へ突入の後、ウェリスタ王国軍東部方面軍とも合流する手筈になっていた。
他国の軍隊と共同作戦を行う前に、部隊内の連携を確実なものにしておきたいというのが、オレットやカウフマンの考えだった。
もちろん私にも異論はない。
そしてファラッドに到着した翌日。
簡易駐屯地の設営を終えた部隊は、早速本格的な訓練を開始していた。
部隊の訓練については、カウフマンとオレットたちに任せてあった。
その間私は、エーレスタ側の代表としてファラッドに赴き、この地の領主やウェリスタ軍の代表者と、今後の事について色々と協議しなければならなかった。
もちろんファラッドには、アーフィリルと融合した大人状態で赴いた。
エーレスタを出発する前、政務卿から何度も繰り返し要請されていたのだ。他国と接する場合は、大人な状態の、竜騎士として臨む様に、と。
ウェリスタ側とは、対オルギスラの戦況確認や今後の進軍ルート、それに補給に関してなど、詰めておかなければならない重大事項が沢山あった。
隊務管理課にいた私には、スムーズな部隊運用にはこの様な手続きが欠かせないという事は十分にわかっていたけれど、国が違えばなかなか手続きもすんなりいかないものだ。
結局ウェリスタ側との話し合いは、翌日以降も続けられる事になった。
幸いだったのは、レイランドという優秀な事務官がいてくれた事だ。
夕刻。
長時間の会合を終えた私は、レイランドや幾人かの騎士を引き連れ、ファラッドの町からエーレスタ騎士団の簡易駐屯地に戻った。
太陽が沈む時間は、日に日に早くなっている。
薄雲に反射する茜色の残光は既に弱々しく、遠くの山々や周囲の森には既に夜闇が迫っていた。息はまだ白くなっていなかったけれど、気温も随分下がって来ていた。
しかしそんな時間帯でも、駐屯地の周辺では未だ複数の部隊が訓練を行っていた。
大人状態の私は、汗を飛ばして訓練に励む騎士たちを馬上からそっと見つめながら、簡易柵で守られた駐屯地へと入った。
長期間の遠征を予定している特務遊撃隊には、こうした陣地を築く事が出来る工兵隊も同伴しているのだ。
警戒に立っていた騎士や兵が、私を見つけるとさっと姿勢を正して敬礼する。
私は答礼しながら司令部天幕の前まで馬を進めると、そこで下馬した。
ふわりと白のドレスの裾を広げて地面に降り立つ。
「今日の分の報告書だけまとめたら、皆も休め。明日もある。しっかり備えておけ」
レイランドやその他ファラッドに同伴した騎士たちに解散命令を伝えると、私も自分の竜騎士専用天幕へと向かった。
1万の人員を擁するこの駐屯地は、さながら簡易な町のような様相を呈していた。
先ほど駐屯地の外で見た様に未だ訓練をしている者もいれば、すっかり軍装を解いて落ち着いている者もいる。訓練や周辺警戒に休息など、順番を決めて予定を組んでいるのだろう。
ほっと息を吐いて笑いあう騎士や兵たちの陽気な声が聞こえて来る。
天幕のあちらこちらからは、炊事の煙が立ち上っていた。
ふわりと夕餉のいい匂いが漂ってくると、私は思わずふっと息を吐いた。
「おわっ!」
「ア、アーフィリルさま!」
「お疲れ様です!」
今まで鍛錬をしていたのだろうか、上半身裸の若い騎士たちが突然天幕の陰から現れた。彼らは私に気が付いて裏返った声を上げると、その場で固まってしまった。
「ああ、お疲れ様」
その様子が少しおかしくて、私はふっと微笑む。そして彼らに流し目を送りながら、軽く手を上げてその前を通過した。
「はぁ……俺、話しちゃったよ」
「すげー! すげー綺麗だ! すげーいい匂いした!」
「美しい……」
背後から聞こえる賑やかな声を背に、私は駐屯地の奥へと進んで行く。
彼らの様に私とすれ違った若い騎士たちは、皆顔を真っ赤にして敬礼してくれる。対してベテランの騎士は、敬礼しながら親しみを込めた笑顔を浮かべてくれた。
ファラッドまでの道中、頻繁に隊内を見て回った成果か、今まで共に戦った事がない騎士や兵たちも随分と私の顔を覚えてくれた様だ。ただし、大人状態の私の事だったが。
特務遊撃隊の隊の皆に答礼し、挨拶を返しながら、私は自分専用の天幕に入った。
マリアが綺麗に整えてくれている清潔で居心地の良い天幕に戻ると同時に、私はアーフィリルにお願いしてもとの姿へと戻った。
白の光が一瞬、天幕内を眩く照らし出した。
体が縮み、もとの姿に戻った私は、ふいっと大きく肩で息を吐いた。
その私の肩に、パタパタとアーフィリルが降りて来る。
アーフィリルは私の肩に座るのではなく、直にお腹を当てて前足と後ろ脚を投げ出すと、だらりと寝そべった。
羽が頬に当たってこそばゆい……。
胸の方にぶらりと前足を垂らしたアーフィリルが、私の顔を見上げた。
『所違えば、人間の様子も変わるものだな。なかなかに面白い』
アーフィリルはへへへっと舌を出して息を吐きながら、目を輝かせる。
「そうだね……」
私はそのアーフィリルの頭を撫でながら、少しだけ眉をひそめた。
アーフィリルが言っているのは、今日会談したファラッドの領主さまや他のウェリスタの役人の方々の事だ。
領主さまやウェリスタの人たちは、オルギスラ帝国と戦う為にやって来た私たちを歓迎してくれていた。
でも、彼らがアーフィリルと融合した私を見る目には、恐怖が滲んでいた。
何か得体の知れないものを見る様な目だった。
それは、私が竜騎士だと紹介された瞬間から始まったのだ。
レイランドさんが会合の休憩時間にこっそりと教えてくれたところによると、エーレスタの外では竜騎士や竜が畏怖の対象となっている場合があるらしい。
竜とう存在が身近なエーレスタとは違い、他の国では竜は人知を超える強大な力を行使する恐ろしい存在なのだ。
ましてやそんな竜を使役してみせる竜騎士は、さらに理解の及ばない不気味な存在、という事になるのだろう。
確かに私の故郷でも、あのアルハイムさまと空色の竜ルールハウトに助けてもらうまでは、竜と竜騎士なんて物語の登場人物くらいにしか考えられていなかったと思う。
今日話したウェリスタの人たちも、大人な私に話し掛けられるとびくりと肩をすくませるけれど、レイランドさんと話す時は、何だかほっとした様な表情をしていた。
……皆、初めて直に会う竜騎士に怯えていたのだろう。
竜と竜騎士が大好きで尊敬している私にとっては、そんな反応をされるのは少し悲しい事だった。
誤った思い込みや偏見は、きっといつか何かの問題の種になってしまう。
お互いがお互いを良く知り会えれば、きっと無用な争いは起こらないと思うのだけれど……。
私は短くため息をついてから、とぼとぼとベッドに向かった。
大人な状態でいる時は大して気にならないのだけれど、もとの姿に戻るとどっと1日の疲れが押し寄せて来る。
気の疲れが……。
ずっと難しい顔をした人たちに囲まれてなかなか結論の出ない会話をしていると、肩が凝ってしまうのだ。
「疲れたね、アーフィリル」
私は肩に乗っ掛かりながらパタパタと尻尾を揺らしているアーフィリルに向かって、ため息を混じりに呟いた。
『明日はどの様な人間と出会えるか楽しみだな、セナよ』
前足でぽんぽんと私の胸を叩くアーフィリル。
……どうやらアーフィリルは、まだまだ元気みたいだ。
私はとりあえず、ベッドでごろんと横になりたい。お布団に埋もれたい……。
そう思った瞬間。
しまっ……!
私は、敷布の僅かなシワに躓いてしまった。
「わわっ」
そのまま私は、敷布の上にべちんと転んでしまった。
胸と右肩とおでこを床にぶつける。
一瞬、息が出来なくなってしまう。
「うううっ……」
そこにタイミング悪くノックの音が響いた。
私が身を起こす前に、キっと軋みを上げて天幕の扉が開いた。
「セナ、お帰り。着替え持って……何事!」
倒れている私に気がついて悲鳴を上げたのは、マリアちゃんだった。
……うー。
私はのそりと体を起こす。マリアちゃんが慌てて駆け寄って来る。
そんな私の頭の上に、いつの間にか空中に退避していたアーフィリルが、パタパタと小さな羽を動かして舞い降りて来た。
たまたま、運悪く偶然にも私が転んでしまったところを目撃してから、マリアちゃんが一層私を気に掛けてくれる様になった。
着替えや身支度、それに食事まで……。
これでは、どちらがお姉さんかわからなくなってしまう。まるで私が、小さな子みたいだ……。
ファラッドの領主さまやウェリスタ側と2日目の会合を終えた私は、簡易駐屯地の自分の天幕に戻り、簡易ランプの下で書類仕事に取り組んでいた。
先ほどまで私の食事に付きっ切りだったマリアちゃんには、アーフィリル隊のみんなと一緒に自分の食事に行ってもらったので、今は私は1人だった。
先ほどまで天幕の中をうろうろしていたアーフィリルも、ベッドの上で丸くなっていた。
昼間はウェリスタの人たちや騎士のみんな、そしてマリアちゃんがずっと側にいてくれるので、1人になったのは何だか久しぶりな気がする。
天幕の中は、しんっと静まり返っていた。外からは、微かに騎士たちの声が響いているのが聞こえていたけれど。
私はペンを握り直しながら、ふうっと長く息を吐いた。
明日はいよいよ第4大隊の指揮官さんが合流する予定になっていた。
ウェリスタ側との話し合いも何とか目途が付きそうなので、いよいよこの特務遊撃隊の本格始動という事になりそうだ。
オルギスラ帝国軍を撃退するために、カルザ王国へ向かうのだ。
……戦いが始まれば、きっとこんな風に1人でため息を吐いている暇なんてなくなってしまうんだろうな。
私は少し休憩しようと席を立つと、ベッドに向かった。
今度は転ばない様に……。
そのままベッドにぽすっと横になった私は、顔を上げたアーフィリルを抱き上げてお腹の上に乗せた。
「アーフィリル、おねむ?」
『うむ……』
私の胸の上でピンと前足を伸ばしたアーフィリルが、くぱっと大きく口を開いて欠伸をした。
そのアーフィリルを撫でていると、天幕の扉がノックされるのが聞こえた。
アーフィリルを両腕で抱きしめたまま、私は慌てて立ち上がる。
部隊長として、最低限の威厳は保たなくてはならない。それにマリアちゃんだったら、しゃきっとしていないとまた心配されてしまう……。
「どうぞ」
私は、なるべく低い声でドアに向かって返事をした。
微かに軋みを上げて扉が開き、天幕に入って来たのは、オレットさんだった。
「お、悪いな。アーフィリルと遊んでたのか?」
私の腕の中のアーフィリルを見てニヤリと笑うオレットさん。
「少し休憩してただけですけど……」
図星を突かれた私は、少しだけむっと唇を尖らせた。
そんな私を見るオレットさんは、さらにニヤニヤ笑いを大きくした。
ぬぬ……。
「忙しいところ悪いが、少し話がしたいんだ。付き合ってくれないか?」
オレットさんは僅かに目を細め、親指を立てて外を指し示した。
お話?
改まって何だろう……。
少し訝しみながらも、私はオレットさんを見てこくりと頷いた。
アーフィリルを頭に乗せ直し、白のコートを手にする。それを小脇に抱え、そのまま私はオレットさんについて天幕の外に出た。
すっかり夜の帳が下りた外は、やっぱり少し肌寒かった。
私はもぞもぞとコートを羽織るとオレットさんの背中を追う。
辺りはもう真っ暗だったけれど、煌々と篝火を灯す簡易駐屯地の中は明るかった。
時間帯的に夕食を取っている人たちが多いようで、周囲には良い匂いが漂っていた。
騎士たちの笑い声も聞こえる。
決して皆油断しているという訳ではないだろうけど、やはり夕食時というのは、1日の終わりのどこか弛緩した空気が漂っているものだ。
そんな中を、オレットさんは人気のない天幕の疎らな方へ向かって歩いて行く。時たますれ違う巡回警備中の騎士が、オレットさんに気がつくとさっと敬礼した。
オレットさんが崩れた答礼でそれに応える。
私も背筋を伸ばして敬礼しておくが、一部の騎士たちは少しだけ訝しげに私を見ていた。
ん……?
それを見て、オレットさんがくくくと笑った。
「すっかり竜騎士アーフィリルの姿の方が有名になってしまったな」
「そう、ですね……」
私は小さくため息を吐いた。
この特務遊撃隊が結成されてからは、アーフィリルと融合した大人状態で過ごす事が多くなっていた。
メルズポート北会戦以来一緒に戦って来た騎士さんたちなら私の正体を知っているだろうけど、今回初めて出会う騎士さんたちにとっては大人な私の姿が当たり前になっているのだ。
……別に不都合はないから良いんだけれど。
「まぁ、気にするな。俺はちんまい方がセナらしくていいと思うけどな」
ニヤニヤの笑みを浮かべたまま、オレットさんがぽんぽんと私の肩を叩いた。
前もちんまい言われた気がする……。
不快な筈の言葉だったけど、何故か少し懐かしくて、胸の奥がぽっと温かくなってしまった。
私を取り巻く状況は色々変わってしまったけれど、オレットさんやフェルトくん、アメルやマリアちゃんとの関係は変わらない。
その事が少し嬉しくてこそばゆくて思わず微笑んでしまいそうになった私は、慌てて表情を引き締めた。
あんまりヘラヘラ笑っていては、特務遊撃隊の部隊長としての威厳がなくなってしまうとういうものだ。
私は短く息を吐き、半眼でオレットさんを見た。
「オレットさん、何だかハルスフォード侯爵みたいですよ?」
……小さいほうがいいなんて。
私の指摘に、オレットさんがんっと首を傾げた。
「何でだ?」
オレットさんは疑問符を浮かべながら、懐から紙タバコとマッチを取り出すと、手早く火を点けた。
夜闇の中に、ぼうっとタバコの赤い火が浮かび上がる。つんっと鼻を突くタバコの臭いが広がった。
「……それで、お話しというのは何なんです?」
私は気を取り直してオレットさんを見上げた。
「ああ……」
オレットさんは大きく吸い込んだタバコの煙を、ふうっと深く吐き出した。
「実は、部隊長を立派に務めているセナに頼みがあるんだ。今後の戦いの件で、なんだが……」
私はキッと表情を引き締めた。
「この特務遊撃隊が本格的に戦いを始めれば、間違いなく奴が出て来るだろう」
……奴。
「あの黒の竜の鎧、アンリエッタだ」
オレットさんの暗い声に、私はドキリとしてしまう。
機竜士アンリエッタ・クローチェ。
恐ろしく、強大な敵だ……。
「アンリエッタが出て来たら、抑えられるのはセナだけだろう。あれは、並みじゃない。しかし、な。その戦いに、俺も加えて欲しいんだ」
オレットさんが真っ直ぐに私を見つめる。その瞳には、白刃の様な鋭い光が宿っていた。
私は、思わず気圧されそうになってしまう。
しかしぐっとお腹に力を込め、私はオレットさんを見返した。
「……何故、ですか?」
私は上目遣いにキッとオレットさんを睨んだ。
「まだ言えない。しかしセナには、いつか話す日も来るだろう」
一瞬の間もなく、きっぱりとそう言い切るオレットさん。
……オレットさんがそう言うのなら、今は何を聞いてもダメなのだろう。
私は、むうっと頬を膨らませた。
「ダメ、です!」
そして今度は、こちらがぴしゃりとそう言い切った。
「オレットさんがアンリエッタに挑む事は許可できません!」
「セナ……」
「ダメです! 危険過ぎます! オレットさんだって、アンリエッタのでたらめ加減は見ていたでしょ?」
「それはもちろん承知して……」
「だからダメなんです! アンリエッタと戦うのは私の役目ですから!」
私はぶんぶんと両の拳を振りながら、オレットさんに迫った。激しく動いたので、頭の上のアーフィリルが居心地が悪そうに体を動かした。
「いや、セナの足手まといにはならないさ。それにセナも、支援があった方が戦いやすい……」
「危険な事とわかっているのに、認められません! これは特務遊撃隊隊長としての決定事項です!」
私はぎゅっと両手をきつく握りしめると、オレットさんを睨んだ。
オレットさんは困り顔を浮かべながら、タバコを持っていない方の手で後頭部をガシガシと掻いていた。
わざわざ呼び出されるから何の話かと思ったら、オレットさん、突然何を言い出すのだろう。
オレットさんがいかに強いといっても、アーフィリルの力に匹敵するアンリエッタに挑むなんて無謀過ぎるというものだ。
まったく……!
無言で睨み合う私とオレットさん。
私たちの周囲に、夜の静寂が戻って来る。
ただ、遠く天幕が集まる簡易駐屯地の方から響いてくる騎士たちの声が、微かに響いていた。
ふとその中に、オレットさんとわたしの名前をを呼ぶ声が聞こえた気がする。
私がふっとオレットさんから視線を外しそちらを見ると、マントをひるがえしながらこちらへ駆けて来るサリアさんの姿があった。
「オレット騎士長、セナさま!」
サリアさんが私たちの前でさっと敬礼した。
「お探ししました。どうぞこちらに。第4大隊の方々が到着されました」
サリアの報告に、私は少しだけ目を見開いてオレットさんを見た。
第4大隊からの方々は、早くて明日のお昼に合流する予定だと聞いていたけど……。
オレットさんが、少し疲れた様にため息を吐いた。
「……何だ、グレイのおっさん。やる気まんまんだな」
第4大隊よりラリー・グレイ聖位騎士を迎えた私たちの特務遊撃隊は、ファラッドを発ち、カルザ王国領に向かって進軍を開始した。
予定よりもかなり早い行動開始だった。
これはグレイの到着が早かったのも一因ではあるが、その後予定していたグレイ指揮下での部隊訓練がほぼ省略された事が大きかったと思う。
隊の幹部や各級隊長クラスと挨拶を済ませたグレイは、私やカウフマンに訓練の省略を申し出た後、「十分な練度がある部隊に、自分がとやかく言う事はないでしょう」と笑いながら告げた。
ラリー・グレイは、40代後半のいかにも実戦経験豊富なベテラン騎士といった雰囲気の男だった。
日に焼けた浅黒い肌に鍛え上げられた体躯。髪は黒く短く刈り込み、細い目にギラリと光る鋭い眼光が印象的だ。髭は生やしていなかったが、顎ががっしりと大きく、小さな私は何でも食べてしまいそうな人だなと思ってしまった。
鎧は一般的なエーレスタの騎士のそれだったが、腰に佩いた剣はエーレスタの支給品とは違う独特な片刃のもので、グレイはそれを2振り携えていた。
ハルスフォード侯爵みたいに極端な大柄ではなかったけれど、温和そうな笑みの合間から、鋭く威圧的な雰囲気を漂わせる人物だった。
オレットはこのグレイと知り合いだったらしく、親しげに話し込んでいた。どうやら同郷の出身らしい。
いつも飄々と人を煙に巻いているオレットが、このグレイには頭が上がらない様子だった。
しかしそのグレイが目を見開いて驚いたのが、小さな状態の私を紹介された時だった。
「……あなたが噂のあの白の花の竜騎士、なのか?」
唖然とした様子のグレイ。
「はい。よろしくお願いします」
私はぺこりと頭を下げた。
その様子を見て、グレイはふっと吹き出すと、ガハハと豪快に笑い声を上げた。
「人の噂とは当てにならんものだ! これがメルズポート会戦の英雄か! なんとも、驚かされる!」
笑い声を上げながら、ガシガシと私の肩を叩いたグレイ。
私はその衝撃に顔をしかめながら、苦笑いを浮かべるしかなかった。
そのグレイががっしりした顎をあんぐりと開けて再び驚愕したのは、行軍開始に伴い私がアーフィリルと融合した瞬間だった。
「竜騎士、アーフィリルさま?」
すっと目を細める私の前で唖然とした様に固まったグレイは、しばしの間の後、慌ててさっと膝を着いた。
「ああ。これからよろしく頼む、ラリー・グレイ」
私が静かにそう告げると、グレイははっと鋭い声を上げた。
畏まる歴戦の勇将の姿を見下ろしながら、内心私は小さくため息を吐いていた。
小さな私と大人な私では、こうも対応が違うものか、と。
そんなにも小さな私は、頼りないだろうか?
普段は気の良いおじさんといった感じのグレイだったが、その実力を見る機会は直ぐにやって来た。
それはファラッドを出て3日目。
我々の部隊が、ウェリスタ王国の西の国境に達した時の事だった。
斥候に出していた騎士が私やグレイが控える本隊に駆け込んで来ると、オルギスラ帝国軍の部隊が迫っている旨を告げた。
既にアーフィリルと融合し、臨戦態勢を整えていた私は、オレットやグレイ、カウフマンたちとさっと目配せをした。
この会敵は、不意のものではなかった。
事前にカルザ王国領内に広く斥候を放っていた私たちは、オルギスラ帝国軍がこちらの動きに呼応するかの様に兵力を集結させている事を把握していたのだ。
敵の目も節穴ではない。
1万を超える私たちの部隊が侵攻してくれば、対応策を取ってくるのは当たり前だ。
「さてやるか、オレット、グレイ」
一旦軍を止めた私は、平原と森が広がる目の前の大地を見つめた。
既に周囲ではエーレスタの騎士たちが戦闘陣形を展開しつつあった。鋭い掛け声や鎧の音、ラッパや馬の嘶きが慌ただしく響き渡り、騎兵や歩兵が走り回っている。
「敵の規模は2万を超えそうです。我々の倍はおりますな。例の機獣も50は確認されております。大部隊です。奴らは我々をここで粉砕しておくつもりなのでしょう」
カウフマンが収集した情報を淡々と告げた。
「この規模の兵力がこの西部にいるという事は、やはりノルトハーフェンから兵力が揚陸されている証左でしょう。素早くかの地の奪還を目指さねばなりませんな」
「ふむ。ではまずは私が斬りこむか」
私は顎先に手を当てながら、ぽつりと呟いた。
「セナ。指揮官というものはな、どっしりと構えているもんだ。それに……」
オレットが呆れた様に溜息を吐いた。
私は顔だけで振り返り、オレットを一瞥した。
皆まで言わずともわかっている。
指揮官云々というよりも、私にはアンリエッタに備えておけというのだろう。そしてその上でさらに何かを訴える様な目をしているオレットだったが、私はそれに気がつかないフリをした。
「ではここは、自分が行きましょう。我が戦い、竜騎士殿に見ていただきたい」
グレイが馬を進め、私を見た。
その厳つい顔には、温和な笑みが浮かんでいた。まるで、ちょっと訓練に行ってくると言った様な様子だったが、細められた目には、刃の様に鋭く冷たい光が宿っていた。
「いいだろう。任せよう」
私は横目でグレイを見る。
「しかし、機獣の殲滅には私が出向いた方がいいだろう。その方が効率的だ」
オレットの様な熟練の腕の立つ騎士ならば、あの金属の表皮を持つ獣を倒せない訳ではない。恐らくこのグレイも、1人で機獣を相手に出来る騎士だろう。
しかし、やはり危険な相手である事に変わりはない。
「50の機獣を1人で相手になさるというか。これはまた剛毅な」
グレイが、かははと笑い声を上げた。
「ではお任せ致しましょう。自分の合図で突撃願えますかな」
ニヤリと不敵に笑うグレイに、私はコクリと頷いた。
背後でオレットが深く溜息を吐いていた。
グレイはまず、騎兵隊2000のみを敵の前面に展開させた。
グレイ自身も直接部隊を指揮する為に、私たちの本隊から離れて前線に赴いて行った。
やがて僅かに起伏を繰り返す平原の向こう、やや小高くなった丘の稜線に、オルギスラ帝国軍の黒い軍勢が現れる。
遠方から見る限り、帝国軍は銃歩兵隊を前面に広く展開し、その後ろに騎兵や機獣の部隊を待機させている様だった。
薄い雲が覆い尽くした空からは、ところどころから光の柱が降り注いでいた。
最初は十分な距離を取って睨み合っていた両軍だったが、やがてエーレスタの騎兵隊側が突撃を開始した。
吶喊の声が響き渡る。
馬蹄が大地を揺るがし、乾燥した土を巻き上げた。
同時に帝国軍の銃歩兵隊たちが、一斉に銃を構えた。
その帝国軍の戦列の後方から、白煙を上げる筒が打ち出される。
高速で飛翔するそれは、銃歩兵隊と突撃するエーレスタの騎兵隊の間で弾けると、キラキラと輝く粒子を周囲に撒き散らした。
魔素撹乱幕が展開されたのだ。
これでエーレスタ騎士の戦技スキルは封じられてしまった。
それでもなお、突撃を続ける騎兵隊。
私は僅かに眉をひそめる。
あれでは敵の銃火に直接身を晒す事になるが。
真っ直ぐに敵へ突進する騎兵隊。
2000の騎兵が猛然と迫る姿は、敵にとっては強大な重圧だったのだろう。騎兵突撃の圧力に屈した様に、敵の一部が発砲した。
正式な射撃命令の前だったのだろう、その射撃は散発的だった。距離もまだ随分とあったために、その弾丸がエーレスタの騎兵を捉える事はなかった。
しかし。
敵の射撃に出鼻を挫かれたかの様に、騎兵隊が一斉に足を止めるとそのまま転進。敵に背中を見せて逃げ始めた。
それはまるで、敵に恐れをなして潰走する敗軍の様な姿だった。
これを好機と見たか、敵が一斉に射撃をしながら前進し始める。
もうもうと広がる発砲煙が瞬く間に周囲に広がった。
しかしその時には既に、早々と撤退したエーレスタの騎兵隊は魔素撹乱幕の範囲の外に出ていた。
障壁のスキルで銃弾を防ぐ騎兵隊。
遠距離銃撃だけでは打撃力不足と判断したのか、帝国の隊列から黒い鎧の帝国騎兵が飛び出して来る。
銃撃の援護を受けながら、黒の騎兵が味方に迫って来る。
そこでエーレスタ騎兵隊は、再び反転した。
正面からオルギスラの騎兵隊を迎え撃つ。
魔素撹乱幕の外では、戦技スキルを操るエーレスタ側が帝国を圧倒する。
敗走していた筈のエーレスタ騎兵隊が、黒の騎兵隊をあっという間に壊滅してしまった。
その隙に、敵左右から回り込んでいたエーレスタの別の騎兵部隊が、敵戦列に挟撃を仕掛けた。
新たな喊声が上がる。
見事なタイミングでの奇襲だ。
グレイが前線で逐次指示を出しているのだろうが、それに応える各級指揮官や騎士たちもさすがだと思う。
側面からの奇襲に合わせて、敵騎兵隊を撃破した中央の隊も再び敵に向かって再突撃を仕掛けた。
3方からの同時突撃。
これに対してオルギスラ帝国軍は、広く魔素撹乱幕を展開し直し、それぞれに対して銃撃を開始した。
エーレスタの騎兵隊は、しかし絶好の攻撃タイミングであったにもかかわらず、またもや本格的な銃撃を受ける前に敵に背を見せて撤退し始めた。
戦況を見つめていた私は、僅かに目を細めた。
確かに銃を構えて待ち受ける敵のただ中に、戦技スキルが使えないまま突入するのは危険だ。しかしこれでは、最初に撤退して見せた意味も密かに左右に部隊を伏せていた意味も無くなってしまうのてまはないだろうか。
撤退する3方の味方は、後方の森を目指している様だった。
遮蔽物が沢山ある森の中で反撃を仕掛けようというのか。
側面からの奇襲を防がれたエーレスタに対し、帝国軍は勢いを得て攻勢に転じていた。
森に逃げ込まれる前に騎兵隊の足を止めようと黒の軍勢が逃げ惑う騎士たちを追撃する。
そして深く広い森が間近に迫ったその時。
1つに集結しようとしていた騎兵隊が、速力を上げながら再び3方へと展開し始めた。
そのエーレスタの騎兵隊から、煙を吹き出す連絡矢が打ち上げられる。
次の瞬間。
森の中から、一斉に矢が打ち上げられた。
大量に。
空を覆い尽くさんばかりに。
「伏兵か。弓兵を伏せていたのか」
私は僅かに目を見開き、ぽつりと呟いた。
大きく打ち上げられた矢は、弓なりの軌道を描いて再び大地へと降り注いだ。
オルギスラ帝国軍の銃歩兵の大部隊の、その頭上へと。
軽装の銃歩兵に矢を防ぐ手段はない。
森に潜んだエーレスタの兵が2射、3射と繰り返すうちに、敵兵たちがばたばたと倒れていく。
悲鳴と苦悶の声と苦し紛れの発砲音が、響き渡った。
敵は弓兵隊を狙おうとしている様だったが、森深くに潜んだその姿を直接捉える事は出来ない。
それは弓兵側も同じ訳だが、こちらはあらかじめ決められた地点に向けて曲射で矢を叩き込み続けているのだ。
これは、もちろんその地点に敵がいなければ成立しない攻撃だ。
この作戦には、指定の地点まで敵を誘い込む騎兵隊と合図を信じて射撃を繰り返す弓兵隊の、高度な連携と互いの信頼が必要だ。
合流から僅か数日でこの様な戦い方ができるのか。
「これがグレイの戦術か」
私はそう呟くと、ふっと微笑んだ。
「こりゃ、グレイのおっさん、変わっちゃいないな」
後ろでオレットが僅かに呆れた様にそう言っているのが聞こえた。
大混乱に陥り始めているオルギスラ帝国軍の陣に向かって、3方に展開していた騎兵隊が突撃を始める。
それが駄目押しとなった。
敵部隊が瞬く間に蹂躙されていく。
先ほどまで整然と隊列を組んでいた帝国軍が、呆気なく瓦解し始めた。
接近してしまえば、エーレスタに騎士が敵に遅れを取る事はない。
例え戦技スキルが使えなかったとしても、だ。
私は、さっと両手に白の剣を生み出した。
ここからが私の出番だろう。
「アーフィリル隊、備えろ! セナを援護する! 対機獣戦だ! 最低5人で1体に挑め!」
オレットが剣を抜き放ち、後ろの味方たちに向かって叫ぶ。
そこへ、前線から伝令の兵が飛び込んできた。
「グレイ隊長よりご連絡! 敵機獣部隊接近! 竜騎士さまにご対処願いたいとの事!」
やはり来たか。
恐らく後詰めの部隊も迫って来ている筈だ。グレイならば何か対策を取っているかもしれないが、その前に機獣を殲滅して見せよう。
私は両手に白く刃の光る剣をさげ、白の光の翼を展開した。そして、ふわりと浮き上がる。
光の粒を発する私の髪が、さっと広がった。
「アーフィリル隊、行くぞ!」
オレットが叫ぶ。
「さて、ここからは私の仕事だな」
私は薄く微笑むと、敵を機獣集団に向かって突撃を開始した。




