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第23幕

 会議が終わる。

 ゴトゴトと椅子を鳴らして、現エーレスタの最高幹部の方々が立ち上がった。

 途端に議場内がざわざわと賑やかになる中、私もアーフィリルを抱き上げて立ち上がった。

 私は眉をひそめて、ぎゅっと唇を引き結んでいた。

 色々と大事な事が一度に決まってしまって、少し混乱気味だったのだ。

 私の腕の中のアーフィリルは、へっへっと興奮気味に息をしながら、私と議場内を何度も交互に見ていた。色々な人間が色々な意見をぶつけ合う様を観察出来て満足だと、先程から上機嫌なのだ。

 内容に比して、会議はそれ程紛糾する事もなくほぼ時間通りに終了した。

 ウィルヘムさまを騎士公位に据えるという提案は、それほど抵抗なく受け入れられる事となった。

 確かに一部からは、譲位には些か早過ぎるのではないかとか、ウィルヘムさまはまだ幼すぎるという意見も出された。

 しかし現在のエーレスタの意思決定に大きな力を及ぼす統帥部の幹部たちは、政務卿さまの提案に賛成の立場を取っていた。

 無論それは、上位の立場にある方々程ローデント大公さまが拉致され、いつ復帰する事が出来るかどうか全くわからないと知っているからだ。

 私も幼いウィルヘムさまを騎士公位に就けるのには後ろめたさがあったけれど、これが政務卿さまや統帥部の方々が考えた最善の策であるならば、止むを得ない事なのかなと思ってしまっていた。

 幼いウィルヘムさまには、ウェリスタ王国のハルスフォード侯爵さまが後見人に就くらしい。

 これも今回の会議で明かされた重大事項の1つだ。

 ハルスフォード侯爵家は、今の大公妃、ウィルヘムさまのお母さまの生家で、ローデント大公家とも縁深い家柄みたいだ。現侯爵家の当主は、大公妃さまのお兄さんだそうだ。そして、サン・ラブール条約同盟国の中でも大きな勢力を誇るウェリスタ王国の大貴族でもある。

 そういう意味では、ハルスフォード侯爵を後見とするのは順当な選択に思える。

 もともとエーレスタ大公の地位は、サン・ラブール条約同盟に加盟する国の貴族から選定されて来たものだ。ここ数代はローデント公爵家がエーレスタ公の地位を占めていたが、公国の外から貴族を迎える事には、皆それ程大きな抵抗はないみたいだった。

 これで国内は、ローデント大公さま不在でも安定するかもしれないが……。

 でも私には、1つ気になっている事があった。

 あの正体不明の補給部隊の件だ。

 先程隊務管理課で確認した通り、あの時出会った補給部隊が正規の部隊ではなく、そして万が一、ローデント大公さま拉致事件に関与しているとしたら……。

 もしかしたら、ローデント大公さま救出の手掛かりになるのでは、と思うのだ。

 ローデント大公さまがお戻りになれば、きっと何もかも元通りになって、エーレスタも対オルギスラ帝国対策に集中出来る様になると思う。ウィルヘムさまを騎士公位に据えたたり、外から人を招かなくても良くなるかもしれない。

 何かしら大公さまに繋がる手掛かりがあれば、また大規模な捜索活動が再開されるかもしれない。

 私は、むんっと気合いを入れた。

 この事を政務卿さまに相談してみよう……!

 私は議場内の上席周辺で集まってお話をしている政務卿さまや軍務卿さま、それに大公妃さまたちを窺った。

 そこでふと、こちらをじっと見つめるウィルヘムさまと目が合った。

 ウィルヘムさまも、きっとお父さまが無事に戻って来てくれれば、喜んでくださるに違いない。

 私はアーフィリルを頭の上に乗せると、短いスカートをひるがえしてツカツカと歩き始めた。

 お城の中でも多分1番大きなこの会議室は、まるでダンスパーティーでも開けそうな程広かった。

 床には歩きにくい程のふかふかの絨毯が敷き詰められ、大きな窓にはシルクのドレスみたいにサラサラで、その上巨大なカーテンが掛けられていた。そしてその窓の上には、歴代のエーレスタ大公さまたちの肖像画がずらりと掲げられ、私たちを見下ろしていた。

 ……むむ。

 厳つい顔の人たちの絵ばかりで、少し怖い。

 会議を終えた出席者の方々がそれぞれ挨拶を交わしたり会議の内容について話し合ったりと、その広い議場のあちこちに人だかりが出来ていた。

 もともと出席人数が多かったのに加え、会議には参加者1名につき1人の同伴者の入室が認められていた。それぞれの副官や秘書さん達だ。さらに会議が終わり、廊下で待機していた従者や連れの方たちの入室を許可された為に、議場内は沢山の人で溢れてしまっていたのだ。

 そんな人込みの中を、私は足早に進む。

 大きな人ばかりで見通しが利かず、何度もぶつかりそうになってしまう。その度に知らない偉い人から、一瞬怪訝な顔をされてしまう。

「失礼ながら、竜騎士アーフィリル殿ではありませんか?」

 そして2つ目の人だかりをすり抜けようとした時、不意に私は、知らない人から話し掛けられた。

 そこから、長い挨拶や私の働きに対する色々なお世辞などが始まってしまう。

 私は足を止め、はぁと困り顔で頷くしかなかった。

 一度そういう方に捕まってしまうと、あれよあれよと言う間に私の周りにも、新たに人が集まりだしてしまった。

 顔を知っている方から初めてお会いする方まで、畳み掛ける様に色々と話し掛けられてしまう。

 背の低い私は、人だらけで周りが全く何も見えなくなってしまった。

「アーフィリルさまは他の竜騎士と違い、人の姿で力を振るわれるとか。是非我が隊に、その戦技を教導いただけないだろうか」

「いかがですかな、我が屋敷で晩餐を共にしていただけませんかな?」

「まぁ、それが噂の白い竜ですね!」

「アーフィリル殿とは、是非一度じっくりとお話しさせていただきたい」

 うむむむ……。

 今は一刻も早く政務卿さまとお話しがしたいというのに。

 私は強張ってしまう笑顔で周囲の人方々を見上げながら、「今は少し忙しくて……」と順にお断りしていく。

 しかし。

「では、後日はいかがでしょうかな?」

 なおも喰い下って来る人たち。

「竜騎士アーフィリルさまとお見受けする」

 さらに出現する新手。

 ダメだ、脱出出来ない!

 ど、どうしたら……。

 自分でも少し顔が青くなってしまうのがわかった。

 困り顔のまま私が、じりじりと後退し始めたその時。

 不意に横手から伸びて来た大きな手が、ガシっと私の腕を掴んだ。

 一瞬ひゃっと悲鳴を上げそうになるが、そこは私もエーレスタの騎士だ。ぐっと唇を噛み締めて我慢する。

 ばっとその腕の方向を見上げると、こんな場にも関わらずいつも通り無精髭を生やしたオレットさんが、私をギロリと見下ろしていた。

「……オレットさん」

 私はほうっと安堵の息を吐きながら、小さくそう呟いていた。

 オレットさんは私の副官として、会議室の端の方で待機してくれていたのだ。

 ちなみにサリアさんは、廊下で待機してもらっていた。

 オレットさんは有無を言わさず強い力で、私の腕をぐいっと引っ張った。

「わっ」

 腕1本で振り回される様に、私はオレットさんの背後に押し込められた。

 むむ……。

 オレットさんの背中意外何も見えなくなる。

「皆さま、失礼致します。我が隊長には火急の用件がございますので」

 オレットさんが丁寧だが有無を言わさない低い声でそう告げると、周囲の方々に頭を下げた。そしてくるりと振り返ると、私の腕を引いて歩き出した。

 突然の事でぽかんとする私は、ずずっと引きずられる様にしてオレットさんに連れられて行く。

 そのまま私は、会議室の外の廊下に出された。

「……だから、自分の立場を考えて行動しろと言っておいただろう」

 オレットさんが半眼で私を見下ろした。

 会議室前の広い廊下にも、会議を終えた主人を迎えようとする従者さんたちが溢れていた。

 周囲はガヤガヤと慌ただしく、お説教をするオレットさんとしゅんと肩を落とす私に注目する者はいなかった。

「エーレスタが新体制に移行するなら、お前を自陣営に引き入れようとする動きがあるのは当たり前だ。ほいほいと知らない人に着いて行くんじゃないぞ」

 私をからかう様に悪戯っぽく笑うオレットさん。

 ……うむむ。

 私は、そんなに子供ではない。

「前にも言ったが、お前は今や騎士団に対しても騎士公になるウィルヘムに対しても少なくない影響力を持つ、今のエーレスタの注目株なんだからな」

 オレットさんが言っている事はわかるし助けてもらったのは有難いが、今はそれよりも補給部隊の疑惑について政務卿さまたちに報告しておきたいのだ……。

 私はオレットさんのお説教を受けながらも、チラチラと会議室の中を、大公妃さまや政務卿さまたちが集まっているだろう方向を窺った。

「……何だ、何かあるのか?」

 それを目敏くオレットさんに見咎められる。

 ……補給部隊の件、オレットさんにも話しておいた方がいいだろう。

 私はアンリエッタの襲撃事件の翌朝に出会った黒髪の女性騎士さんの補給部隊と、先程隊務管理課で見つけた補給部隊の進発記録についてオレットさんに話してみた。

 その瞬間。

 驚いた様に目を見張ったオレットさんが、そのまま固まってしまった。

 いつも泰然と構えているオレットさんが、呆然と立ち尽くしている。

「オレットさん?」

 私は首を傾げてオレットさんを見上げるが、反応がない。

「オレットさん!」

 私は少し強めに声を上げながら、オレットさんの鎧の胸当てをペチペチと叩いた。

「……あ、ああ、すまないな」

 オレットさんはやっと短かくそう答えたが、やはり何かを考え込むように私から視線を逸らすと、無精髭の生えた顎先を撫で始めた。

 もう、何だというのだろう。

 私が眉をひそめて唇を尖らせていると、オレットさんが横目でギロリと私を見た。

 その剣呑とした目付きに、私はギクリとしてしまう。

「セナ。この事は他言しない方がいい」

 低い声で短くそう告げるオレットさん。

 オレットさんは覗き込む様に顔を近付けると、真っ直ぐに私を見た。

「その補給部隊が万が一敵なら、セナも気がついているだろうが、エーレスタ内にオルギスラの内通者がいるという可能性も出てくる」

 声をひそめるオレットさん。

 私は顔を強張らせる。

 内通者……。

 もちろんその可能性には私も思い至っていたけれど、改て言葉に出して言われると、やはり胸がドキリと震えてしまった。

「今の会議の通り、エーレスタはこれから急速に新体制へと移行して行くだろう。こんな時期に確たる証拠も無くエーレスタ全体を揺るがしかねない事を騒ぎ立てれば、セナ、お前の立場が危うくなるだけだ。もしかしたら、身の危険が及ぶ事になりかねない」

「でもっ!」

 私はオレットさんの言葉に、思わず声を上げてしまった。

 だからといって、アンリエッタやローデント大公さまに繋がるかも知れない情報をそのままになんか出来ない。してはいけないと思う!

「わかっている」

 しかし私が言葉を続けるより先に、オレットさんが頷いた。

「この件は俺が預かっておこう。近衛にも警務隊にも知り合いはいるからな。セナよりは動きやすい筈だ」

 そこでオレットさんは、やっといつもの調子でニヤリと不敵に笑った。

 ……きちんと調べてくれるなら、私にも異存はない。ましてやオレットさんが動いてくれるならば、心配はないだろう。

 空振りだったとしても私の杞憂だったとしても、それはそれで構わないと思う。現状は、とにかくアンリエッタたちに繋がる線をしらみ潰しにしていくしかないと思うから。

「……わかりました。調査、よろしくお願いします!」

 私はオレットさんの目を真っ直ぐに見上げて、こくりと頷いた。

 オレットさんも、ニヤリと笑いながら頷き返してくれた。

「それとな、セナ。政務卿や軍務卿にはあまり近付き過ぎるなよ」

 しかしオレットさんは、再び厳しい顔に戻ってしまう。

 私は一瞬その言葉の意味がわからなくて、首を傾げた。

「今回のウィルヘム擁立の件やウェリスタの貴族の後見の件なんかも、どうも色々と対応が早すぎる気がするんだ。大公が拉致されたというのに、混乱がなさすぎる。それは、統帥部の奴らが有能なのか、あるいは……」

 オレットさんは顔を上げると、会議室の中を睨み付けた。

「……どうもきな臭い」

 そのままぼそりと呟くオレットさん。

 私もその視線を追い、きゅっと眉をひそめた。

 オレットさんにそんな事を言われると、何もかもが怪しく思えてしまう。

 味方を、エーレスタの仲間を、そんな目で見たくはないのだけれど……。

 その時、俄かに会議室内がざわざわと騒がしくなった。それに合わせて廊下も、さらに騒がしくなり始めた。

 会議が終わっても室内に留まっていた皆さんが、ガヤガヤと一斉に廊下へと溢れ出て来たのだ。

 その中心にいるのは、沢山の取り巻きに囲まれた政務卿さまだった。

 隣でオレットさんが、短く鼻を鳴らすのがわかった。

 取り敢えずここはオレットさんに言われた通り大人しくしておこうと、私は壁際によって身を小さくする。

 しかしその時不意に、ばったりと政務卿さまと目があってしまった。

 うぐ……。

「竜騎士セナ・アーフィリル! まだいてくれたか! 会えて良かった!」

 政務卿さまはすっと目を細め、口を弧に歪める。やっぱり失礼ながら、ヘビみたいな面相だなと思ってしまう。

 反射的に敬礼した私に対して、政務卿さまは微笑みながら緩い答礼をしてくれた。

 隣を一瞥すると、オレットさんの鋭い視線が私を捉えていた。

「今日はあの美しくも凛々しい姿ではないのだな。いやいや、今の貴公は可憐だがな」

 政務卿さまがくくくと笑った。

「竜騎士殿の多忙は聞き及んでいる。この変事の折エーレスタを良く支えてもらい、統帥部の一員として感謝の言葉もない」

「い、いえ、とんでもないです!」

 私はぶんぶんと首を振った。

 にこやかに私を労ってくれる政務卿さまは、なんだかとても上機嫌みたいだ。

 政務卿さまの階級は、聖騎士正。一般騎士の中では最高位であり、国法が定める階級序列では竜騎士の次とされていた。

 しかし現在のエーレスタでは、誰でもなれる訳ではない竜騎士を別格と捉え、聖騎士正と同格とみなすのが慣例となっていた。

 私と政務卿さまもこれに倣えば同格という事になるのだけれど、私にはとてもその様には振る舞う事は出来なかった。

 ……何せ私は、ついこの前まで一番階級が低い3位騎士だったのだから。

 体を強張らせ背筋を伸ばす私に、政務卿さまがすっと近づいて来た。

「忙しいところ申し訳ないが、この後時間をもらえないだろうか。貴公には1つ、お願いがあるのだ」

 政務卿さまは、細い目をさらに細くし私を見据えた。

「……えっと、なんでしょうか」

 私は蛇に睨まれたカエルさんみたいに、眉をきゅっとひそめながら政務卿さまを見上げる事しか出来なかった。



「新しい村の創建については、目処が立ちました。メルズポートに避難していた南部住民のほぼ全てが、セナさまの新しい村への移住を希望しているそうです」

 レイランドさんが書類を手にしながら、かねてから進めてもらっていた私の領地の整備計画について報告してくれる。

「対象地域に対する竜騎士アーフィリル領となる旨の布告も、問題なく受け入れられている様です。むしろ歓迎されているという報告が来ております。これはいい兆候ですね。領地経営の初期段階としては申し分ない状態でしょう」

 レイランドさんがくいっと眼鏡を押し上げた。

 恒例の朝最初のレイランドさんの報告を、今日の私は執務室ではなくお屋敷の私室で受けていた。

 今日はデスクワークではなく、この後別の任務があって外に出なければならないのだ。

 レイランドさんの話を聞きながら、私はその準備を進めているところだった。

 ドレッサーの前に座り、マリアちゃんに髪を結ってもらっている私は、鏡越しにレイランドさんを見た。

「了解です。引き続きよろしくお願いします。皆さんが好きになってくれる様な村が出来るといいですねっ」

 私は声を弾ませてそう返事をすると、にこりと微笑んだ。

 しかし領地経営に関しても懸念事項はある。

「それで、あの、税の関係ですが……」

 私は立ち上がると、騎士服の短いスカートを揺らしてくるりと振り返った。

 それに合わせて、私のベッドの上で横になっていたアーフィリルがのそりと起き上がると、トコトコと私に歩み寄って来た。

「心得ております。金銭並びに物納とも今年分は免除。帝国軍に襲撃された集落復興と新しい村の設立に関する労役のみを課すという形で現在調整を進めております」

「統帥部から何か言われましたか?」

「驚かれはされました。これでは、領主たるセナさまに収入が発生しませんから」

 レイランドさんがすっと目を細めた。

「しかし領地の経営は竜騎士の専決事項です。何ら問題はありません」

 その言葉聞いて、私はぱっと微笑んだ。

「わかりました。では、その方向でよろしくお願いします! まずは、皆さんの生活が元に戻るのが1番ですから!」

 私は両手の拳を持ち上げて、ぎゅっと力を込めた。

 私の前に回り込んだマリアちゃんがその私の拳をぐっと押し下げると、膝を折り、騎士服の襟や裾を整えてくれる。

「セナが私たちの領主さまか……」

 私の服装を整えながら、マリアちゃんがポツリと呟いた。

 いつも通りクールでかっこいいマリアちゃん。

 しかし今日のマリアちゃんは、そこで恥ずかしそうに少し顔を赤くすると、プイッと視線を逸らしてしまった。

「……その、村のみんなの事とか税の事とか、色々と考えてくれてありがとね」

 マリアちゃんの言葉に、私はふふっと微笑んだ。

「大変な時はお互い様だよ」

 そして胸辺りにあるマリアちゃんの頭を、ポンポンと撫でる。

 故郷の村の事を思っているマリアちゃんが、なんだかとても可愛く思えてしまったのだ。

 年上のお姉さんである私としては、マリアちゃんの年相応の素直な面が見れて嬉しくなってしまう。

 そんな私たちを、お座りしたアーフィリルが緑の瞳で見上げていた。

「セナ。少しじっとしてて」

 調子にのって頭を撫で続けていると、マリアちゃんに怒られてしまった。

 むむ……。

「……オーズ隊を南部へ派遣する用意も間もなく整います。これで治安維持と人心の安定を図る事が出来るでしょう。後ほど決裁をお願い致します」

 レイランドが咳払いをしてから手持ちの書類をめくると、報告を続けてくれる。

「あの、領地の税収がなくても、オーズさんとか皆さんのお給料は大丈夫ですか?」

 私はそこで、眉をひそめてふとした疑問を口にした。

 マリアちゃんが立ち上がり、クローゼットに向かう。

「それは問題ありません。竜騎士の部隊は、基本的に竜騎士自身が運営しますが、エーレスタ統帥部からも助成は出ます。ましてやセナさまは竜騎士になられたばかりですから、当分の間はそれなりの援助金が支給されるでしょう。セナさまのご活躍ならば、貸付も行ってもらえる筈です。審査も問題ないでしょうから」

「なるほどー」

 私はレイランドさんの説明に、ふむふむと頷いた。

 隊務管理課にいても、知らない制度や手続きが沢山ある。難しいなと思ってしまう。

「私は任務に出なければなりませんが、村人の皆さんが安心して生活の出来るようになる施策があるなら、どんどん実行して下さい。私の名前を使って構いませんから」

 私は、レイランドさんに大きく頷き掛けた。

「……承知しました。やりがいのある仕事です」

 レイランドさんがふっと微笑んだ。いつもクールなレイランドさんが笑うなんて珍しい。

 さらに領地の管理についてレイランドさんとあれこれ相談する私のもとに、マリアちゃんが純白のコートを持って来てくれた。

「腕広げて」

「マリアちゃん、コートくらい1人でも着れるから……」

 私は苦笑してマリアちゃんを見る。しかしマリアちゃんは有無を言わさずコートを広げ、私に腕を通すように求めて来た。

 私が袖を通す白のコートには、アーフィリル隊の隊章である竜と白の花をあしらった紋章が刻まれていた。短いスカートの騎士服と同様に、これから始まる寒い季節に向けてアーフィリルに用意してもらったものなのだ。

 ちなみに今スカートの下に穿いている黒タイツも、合わせてアーフィリルにお願いしたものだった。

 これでコートを着たままタイツを穿いたままでも、いつアーフィリルと融合しても問題ない。

 季節は初秋にさし掛かるとはいえ、さすがにまだコートを着て動くには暑い。でもきっとアーフィリルに乗って空に上がれば、肌寒いだろうと思うのだ。

 続いてマリアちゃんは、私に剣を差し出してくれた。

 アーフィリルと融合すれば武器を生み出す事の出来る私だったけど、一応騎士の礼装として剣は必要だ。

 これから私が赴く任務には、そうしたエーレスタの騎士として恥ずかしくない格好が求められるのだ。

 剣帯に剣を吊りながら、私はふっと短く息を吐く。そして、むんと気合いを入れた。

 私はこれから、エーレスタ北部に向かって飛び立つ事になっていた。

 ウェリスタ王国との国境に向かい、ウィルヘムさまの後見人となっていただく為にエーレスタを訪問されるハルスフォード侯爵さまをお迎えするのだ。

 ウェリスタから来られるハルスフォード侯爵さまを無事に公都まで護衛するのが、今回の私の任務だった。

 ハルスフォード侯爵さまは、大国ウェリスタの大貴族だ。

 エーレスタの竜騎士としてきちんと礼儀を尽くして侯爵さまをお出迎えするのはもちろんの事、エーレスタの安定の為にわざわざ直々にお出でいただく侯爵さまに危険が及ぶ様な事があってはならないのだ。

 エーレスタの安定化を妨害しようとオルギスラ帝国が何か仕掛けてくる可能性がある以上、最大限の警戒態勢を敷いておきたいというのが、政務卿さまとエーレスタ統帥部の考えだった。

 そこで帝国軍の新兵器に対応出来る私に、ハルスフォード侯爵さま護衛の任務が回って来たのだ。

 先日の会議が終わった後、政務卿さまが口にしたお願いというのが、この任務の事だった。

 ……私がエーレスタの代表として、隣国の賓客をお迎えする。

 政務卿さまからそんなお願いをされた時には全力でお断りしようかと思ったけれど、結局私はそのお話を受ける事にした。

 それが私がエーレスタの為に出来る事ならば、躊躇っている場合ではないのだ。

 マリアちゃんが、私のコートの襟を整えてくれる。

「気をつけるんだよ。偉い人に会う時は、もう一度髪とかスカートとか確認するんだよ」

 心配そうに私を見つめるマリアちゃん。

 お姉さんとしてマリアちゃんに安心してもらう為に、私はにっこりと余裕の笑みを浮かべて頷いた。

 ……内心は、緊張でドキドキだったけど。

 その時、ノックの音が響き渡った。

「どうぞ」

 返事をすると、オレットさんが私の私室に入って来た。

「セナ。統帥部から改めて出撃依頼が来たぞ」

「あ、はい。私ももう出られます!」

 私は足元のアーフィリルを抱き上げる。

 オレットさんが腕組みをするとレイランドさんを一瞥する。そしてふんっと短く息を吐くと、再び私を見た。

「カルザ王国方面で帝国軍が動いているという情報もある。出迎え部隊の本隊は2日前にエーレスタを発っているが、先方と合流するのは恐らくセナが先になるだろう。気を引き締めていけ」

 オレットさんが鋭い視線で私を見据えた。

 私は正面からオレットさんを見返して、こくりと頷いた。

「大丈夫です。ハルスフォード侯爵さまご一行は、きっと私が守ってみせますから」

 私はアーフィリルをぎゅっと抱き締めながら、そう宣言する。

「……わかっているとは思うが、侯爵とやらに入れ込みすぎるなよ。慎重にな」

 頭をわしわしと掻いてから、低い声でそう付け加えるオレットさん。

 オレットさんが言わんとしている事はわかっている。

 ウィルヘムさまが騎士公に擁立される事が公表されて以来、エーレスタ内にはローデント大公さまの復帰を待つべきだという意見と、ハルスフォード侯爵を後見人とした新体制を支持する意見が密かに対立していた。

 ……あくまでも水面下では、という状態だったけど。

 オレットさんは、ローデント大公さま拉致事件の真相が判明しない現状では、あまり明確に新体制側に与するべきではないと考えているのだ。

 その懸念は、もちろんわかるけれど……。

 オレットさんをレイランドさんが鋭い目で見ていた。オレットさんも、レイランドを睨み返している。

 もともと統帥部所属のレイランドさんは新体制支持派みたいなので、慎重なオレットさんに思う事があるのかもしれない。

 オレットさんとレイランドさんの間で、少し空気がピリッとしてしまった。

 ……でも。

「別に難しいお話じゃなくて……」

 私はパタパタと髪を振って、オレットさんとレイランドさんを交互に見た。

「私が政務卿さまのお話をお受けしたのは、単に帝国軍に襲われるかもしれない人は私が守らなきゃって思っただけなんです。侯爵さまじゃなくても、困っている人がいたら駆け付けて助ける。それが騎士の務めですから! だから大丈夫ですよ」

 私はニコリと笑みを浮かべた。

 恥ずかしながら政治についてはまだわかっていない事が多かったけれど、単純に困っている人がいて私の力が役に立つならば、私に出来る事があるなら、力を尽くすべきだと思ったのだ。

 オレットさんとレイランドさんが、揃って私を見ていた。

「……まぁ、それがセナか」

 オレットさんがふっと息を吐くと、片足に体重を乗せた。そして、苦笑を浮かべる。

「……そうですね。私も理解して来ましたよ」

 レイランドもふっと笑って、眼鏡を押し上げた。

 ぬ。

 何だろう、急に2人の間に漂い始めたこの連帯感は。

「そう。それがセナ」

 私の着替えを片付けていたマリアちゃんがポツリと呟いた。

『うむ。セナらしい』

 私の腕の中のアーフィリルまでそんな事を言っていた。

 通じあっている感のする周りのみんなに対して、私はむうっと眉をひそめた。



 大きいアーフィリルに騎乗した私は、随分と高くなった感じのする秋の空へと舞い上がる。

 お屋敷の中でも、朝夕の空気は少し寒いと思える程ひんやりとし始めていたけれど、空の上はもう完全に秋の冷たい空気が流れていた。

 私はきゅっと唇を引き結んで、吹き付ける寒風に耐える。白いコートの裾が、風をはらんで大きくはためいた。

 アーフィリルお手製のコートがあって良かったなと思う。公都のお屋敷を飛び立つ際は少し重装備過ぎるかと思っていたけれど、全然そんな事は無かった。

 朝日が柔らかく降り注ぐ中、エーレスタの広大な街並みを背にして、天高く流れる鰯雲を目指して、私を乗せたアーフィリルが飛翔する。

 私たちは、一路北を目指す事になっていた。

 途中までの道程は、前回の戦地となったブランツ峠に向かうのと変わらない。しかし今回は、途中から針路を北東に取る事になる。

 オラムという小さな町を経由して、街道がゼナ高原と呼ばれる山地に入った国境あたりで、私はウェリスタ王国からやって来るハルスフォード侯爵さまご一行と合流する事になっていた。

 ウェリスタの王都であるノイハルトからエーレスタに至るには随分遠回りになってしまうが、東にオルギスラ帝国軍が占拠しているカルザ王国がある以上は、こちらの道程を選ばざるを得なかったのだ。

 眼下には、エーレスタの街から伸びる街道と収穫を終えたばかりの広大な麦畑。そしてどこまでも続く平原と林が広がっていた。

 真夏に比べれば随分と柔らかくなった陽射しが、その大地の上に満遍なく降り注いでいる。

 私はアーフィリルの白い羽毛に埋もれる様に体を支え、冷たい風に耐えながら、そんな光景を見つめていた。

 世界は広い。

 戦争とか政争とか、私たちが慌ただしく色々な出来事に忙殺されていても、世界は変わらずいつもそこにあるんだなと改めて実感してしまう。

 この世界を前にすれば、私たち人間なんてほんの小さな存在にしか過ぎないという事が良くわかる。

 農夫の方々が働いている小さな農村を通過する。

 街道をのんびりと行く馬車を追い越した。

 沢山の人達が、この世界の中で平穏に暮らしている。

 ほんの小さな存在でしかなくても、みんな懸命に生きている。

 そんな人たちを、戦禍に巻き込んではいけないと思う。そして今苦しんでいる人たちは、救い出さなければと思う。

 それが、私たち騎士のお仕事なのだから。

「頑張っていくよ、アーフィリル!」

 私はポンポンとアーフィリルの首を叩いた。

『うむ』

 アーフィリルは短くそう答えると、大きく翼を羽ばたかせた。そしてぐっと高度を上げる。

 今までアーフィリルの背中に乗せてもらうと怖い思いをするばかりだった気がするが、真っ直ぐ静かに飛んでくれるなら何も問題はなかった。

 周りを見る余裕があるので、空から色々眺めるのも楽しいし。

 そうして飛んでいる間に、私には1つ気がついた事があった。

 高空の空は痛いほど強烈で冷たかったけれど、上半身を倒してアーフィリルに抱き付く様にうつ伏せになっていると、その風を無効化出来るのだ。

 その上アーフィリルの体はぽかぽかと温かくて、干したてのお布団みたいな良い匂いがして、何だかとっても心地よい……。

 しばらくの間じっとそうしてアーフィリルに抱き付いていると……。

 ウィルヘムさまの騎士公擁立の会議から色々忙しくて、考える事が多くて、少し寝不足だったからかもしれないが、不覚にも私は、とろんと瞼が落ちて来てしまった。

「うー」

 大事な任務中に寝てはいけないと体を起こすが、やはり押し寄せる風圧に耐えかねてぺたりと元の姿勢に戻ってしまう。

 そうすると、直ぐに容赦のない眠気が襲ってくるのだ。

「……アーフィリル」

 しょうがないので私は、眠ってしまわない様にアーフィリルに話し掛ける事にした。

「アーフィリル、最近一瞬におさんぽできなくて……」

 しかし話している間にも、うとうとしてしまう。

『セナよ。我に散歩は必要ない。我は我の望むままに探索するのみだ』

「……アーふぃりる」

 駄目だ、眠い……。

『眠るがよい、セナ。目的地が近付けば、起こそう』

 そのアーフィリルの言葉に誘われる様に、私はすっと目を閉じてしまった。

 そうしてどれくらい微睡んでしまっていただろうか。

『……セナ』

 アーフィリルの声が響く。

『セナ』

 胸の中に響く厳かな声で、私はゆっくりと体を起こした。

 目をぐりぐり擦りながら、大きく空気を吸い込む。ひんやりと済んだ空気が、体の中に満ちていく。

 吹き付ける風が少し弱まっている気がした。

 それでもリボンでまとめた髪を風に弄ばれながら、私はキョロキョロと周囲を見回した。

 そして、はっと息を呑む。

 眼下に広がる山々が、赤に黄色に色鮮やかに染まっていた。

 いつの間にか周囲の景色は、平原から山岳地帯に変わっていたが、その山全体が燃え上がる様な極彩色に色付いていたのだ。

 木々がそれぞれ微妙に違う色合いに染まり、僅かに残る普通の緑の木々もアクセントとなって、自然が生み出した光景とは思えない様な、彩鮮やかな絶景を作り出していた。

 秋の色だ。

 見渡す限りの周囲の山全てに、紅葉が広がっている。

 その赤紅の木々の上を、羽を広げたアーフィリルの影が通過して行く。

「……凄い」

 眼下に広がる風景に目を丸くしながら、私はぽつりと呟いていた。

 私の実家があるハロルド領も山の中なので秋になれば紅葉はするけれど、辺り一面の全ての山が色付く様な凄い紅葉は、見た事が無かった。

 綺麗……。

 本当に、凄い……!

 一気に眠気が吹き飛んでしまう。

 やっぱり世界は広いなと思う。

 私の知らないこんな綺麗で凄い場所が、きっとまだまだ沢山あるに違いない。そんな場所をアーフィリルと一緒に空から見て回る事が出来たら、それはとても素敵な事だろうなと思ってしまう。

 むむ。

 私は、はっとする。

 ……いけない、いけない。

 私には今、お仕事が、重大な任務があるのだ。

 コートの中から地図を取り出して、私は改めて周囲を確認した。

 色付く木々の間に見える街道や周辺の地形、それに目を凝らせば遥か後方に見えるオラムの町と思われる影などから、恐らく紅葉が一面に広がったこの場所がゼナ高原なのだろうと思う。

 だとすれば、ハルスフォード侯爵さまご一行との合理地点はもう間も無くの筈だけど……。

 私が街道沿いに飛ぶよう、アーフィリルにお願いしようとしたその時。

『セナ。前方に人が争っている気配がある』

 アーフィリルの声が低く響いた。

 ドキリとする。

 私は息を呑み、身を固くした。そして、アーフィリルが頭を向けている方向を見つめた。

「アーフィリル、そちらへ! お願い!」

 私はぎゅっときつく手を握り締める。

 アーフィリルが体を倒して、僅かに左手方向へと進路を変えた。そして大きく羽ばたき、速度を上げた瞬間。

 前方に、細く黒い煙が立ち上るのが見えた。

 さらにその発生元からは、白煙がもこもこと沸き上がるのも見えた。

 ……発砲煙だ。

 何者かが、銃を用いて戦っているんだ!

 最悪の予感が脳裏を過る。

 まさか本当に、ハルスフォード侯爵さまが襲われているのでは……!

 私の心配を察してくれたのか、アーフィリルが高度を下げるとぐんっと速度を上げ始めた。

 アーフィリルの速度なら、深い谷も水量豊かな淵もあっという間に飛び越してしまう。

 そして煙が上がる小高い山の頂が、正面に迫って来る。

 木々がなくなり草原の様に下草が生い茂る開けた場所に、いくつもの煙とずらりと隊列を組む甲冑の部隊が見えて来た。

 山の頂に陣取り、横隊を組んでいるのは、赤いマントの騎士鎧の部隊。その中には、ウェリスタ王国の軍旗とサン・ラブール条約同盟旗がひるがえっていた。

 対して頂の周囲の森からウェリスタ王国の部隊を半包囲する様に展開しているのは、黒鎧の部隊だ。

「オルギスラ帝国軍!」

 私は思わず声を上げる。

 やはり恐れていた通り、オルギスラ帝国はハルスフォード侯爵を狙って来たのだ。

 しかしこのゼナ高原は、オルギスラ帝国が占拠している地域からは遠い。それほど大規模な部隊が入り込んで来ていると考えたくないけど……。

 アーフィリルが高速で戦場の上空を飛び抜けると、直ぐに大きく旋回に入った。

 ウェリスタ王国軍は山頂に追い詰められている様に見える。このまま山を下りて逃げれば、砲撃力の高いオルギスラの部隊に高地を取られ、一気に不利になってしまうだろう。

 紅葉の美しい木々の下から、じわじわと影の様な帝国軍が迫ってくる。

 助けに行かなくちゃ!

「アーフィリル!」

 突撃を、と私が叫ぼうとした瞬間。

 高地に陣取るウェリスタ王国軍が、オルギスラ帝国軍に向けて一斉に発砲した。

「えっ」

 私は思わず目を丸くした。

 真っ白な発砲煙が次々と吹き上がる。

 ウェリスタ王国軍が、連続射撃を行っているのだ。

 オルギスラ帝国軍も、まさかウェリスタの方から射撃して来るとは思わなかったのだろう。銃撃をまともに受けて、森の中へと散り散りに後退し始めていた。

 ウェリスタ王国軍はもちろんサン・ラブール条約同盟国各国の軍隊は、エーレスタ騎士団と同様に、銃などの魔晶石兵器よりもスキルを用いる騎士を主力とした戦いを行うのが常だった。

 銃などの遠距離武器は、あまり重要視されない。

 戦技スキルが使用出来る騎士がいれば、銃など容易く無力化されてしまうからだ。

 しかし今眼下のウェリスタ軍は、まるでオルギスラ帝国軍の様に隊列を組んで銃撃を行っていた。それも、連射が出来る帝国軍と同等の最新式の銃を装備して……。

 一瞬どちらが敵でどちらが守るべき味方なのかわからなくなってしまう。

 私がむむむと眉をひそめて困惑している間に、オルギスラ帝国が次の手を打って来た。

 ウェリスタ軍に向かって森の中から応射しながら、2体の機獣を前面に押し出して来たのだ。

 あんな物まで……!

 思わず私は、ぎゅむっと唇を噛み締めた。

 分厚い金属で覆われた機獣には、歩兵銃程度では通用しない。スキルを操る事が出来る騎士なら倒せるかもしれないが、厳しい相手である事には違いない。

 ここは、私が引き受けなければ!

「行くよ、アーフィリル!」

『承知!』

 アーフィリルの返事が響くのと同時に、私の体は純白の輝きに包まれた。

 体が大きくなる。手足が伸びて、胸も大きく膨らむ。

 そして、光り輝く長い髪がふわりと広がった。

 空中で大人と化した私を、両軍の将兵が見上げていた。中には、こちらを指差している者もいた。

 私は手足に魔素を込めて飛翔態勢を取ると、一気に加速を開始した。

 オルギスラの帝国軍の機械の獣に向かって。

 足首と肘、それに背中に展開された光の翼で推力を制御しながら、同時に手の中には刃が白く輝く長剣を生み出す。

 騎士公の令息を助けたあの日以来、私は飛行制御の訓練もこなして来たのだ。

 出力にさえ気をつければ、後は慣れだ。

 完璧とは言い難いが、目標目掛けて真っ直ぐに突撃をする程度には、私はこの飛行能力を扱える様になっていた。

 見る見る間に機械の巨体が迫って来る。

 その周囲の帝国騎士たちも。

 私は機獣のすぐ脇をすり抜ける様にして着地する。僅かに膝をおり、着地の衝撃を和らげる。

 ふわりと純白のドレスの裾を広げ、私は枯れた下草が生い茂る地面に降り立った。

 周囲の草が、着地の衝撃でざわりと揺れた。

 当然ながら機獣は、私に対応出来ていない。ただ無防備な横腹を晒しているだけだ。

 私はゆっくりと顔を上げ、膝を伸ばして立ち上がると、無造作に隣の機獣の体に剣を刺し入れた。

 そのまま刃を振り上げて、機獣の金属の体を半ばまで斬り裂く。

 その勢いのままくるりと体を回転させると同時に、私は手の中の剣を槍へと変化させた。

 そして穂先の白く輝く槍を振り被ると、離れた場所にいるもう1体の機獣に向かって投擲した。

 白の閃光と化した槍が、機獣の身体をあっさりと貫く。

 一瞬遅れて、機獣がぼんっと小爆発を起こした。

 私の傍と離れた場所で、ほぼ同時に地響きを上げて機獣が崩れ落ちる。

「ば、馬鹿な! 何故あの白の花の竜騎士がここに!」

「た、隊長殿! 機獣部隊がやられては戦力が! こ、ここは引くしかありません!」

 紅葉に色付く森の中から出る事なく戦況を窺っていた羽根飾りを付けた兜の指揮官らしき敵騎士が、こちらを見て悲鳴の様な声を上げた。

 口髭を生やしたその敵指揮官が、私を睨みつけ、ギリっと歯を食いしばる。しかし私と目が会うと、隊長殿はひっと短く悲鳴を上げた。

 背後から喊声が上がる。

 攻め時と見たウェリスタ王国軍の騎兵隊が、突撃を仕掛けて来た様だ。

「隊長、撤退を!」

「し、しかし、俺の出世が……。帝都への凱旋がまたしても! くそおおおっ!」

 長く尾を引く叫び声を上げて、我先に逃げ出す隊長殿。

 指揮官が先頭を切って逃げ出すとは、な。

 わたしが目を細めてその背を狙おうとした瞬間。

「ここはお任せを!」

 真紅のマントをひるがえした騎兵の一団が私の左右をすり抜けると、そのまま逃る帝国軍の追跡を始めた。

 その内の1騎が私の前で足を止めると、装飾彫刻が施された高級そうな鎧を着込んだ騎士が下馬し、わたしの前に片膝を着いた。

「援護感謝致します! エーレスタ騎士公国の竜騎士とお見受け致します!」

「ああ、その通りだ」

 私は帝国騎士を見送ってからふっと息を吐いた。

 どうやら帝国軍の追跡は、ウェリスタに任せた方が良い様だ。

 私は、自らの任務を果たさなくてはならない。

「そちらはウェリスタ王国ハルスフォード侯爵の護衛隊と察するが」

 私の言葉に、騎士は短くはっと声を上げた。

「主、ハルスフォードがお会いしたいと。こちらへ」

 私は騎士の言葉に軽く頷く。そしてそのままその騎士に先導され、先ほど上空から見たウェリスタ軍が布陣していた場所へと向かった。

 そこにはやはり、歩兵銃を装備した兵たちが円形の防御陣を敷いていた。

 一切乱れのない見事な隊列だ。これだけでも、侯爵の護衛部隊の練度の高さが窺える。決してエーレスタの騎士にも劣らないだろう。

 その中心に、高級そうな巨大な馬車が止まっていた。

「来たか」

 馬車の前で腕組をしていた巨漢の騎士が、低く轟く声を上げた。それはまるで、大地を揺るがす砲声の様な太い良く通る声だった。

 道案内の騎士が、すっと後ろに下がった。兵士たちも道を開ける。

 腕組をした騎士が、鎧を鳴らして前へと進み出てくる。

 黒に近い暗い茶色の髪を短く刈り、私の胴程もあろうかという筋骨隆々の腕を組んだその騎士からは、何とも言い難い威圧感が発せられていた。

「噂通りの武力。さすがは音に聞こえるエーレスタの竜騎士か。その新しき白花の騎士の力、見せもらったぞ」

 他の騎士たちよりも遥かに立派な鎧を身にまとったその偉丈夫が、にやりと好戦的な笑みを浮かべた。

 私はすっと目を細めて、その男を見上げた。

「そちらが、ウェリスタのハルスフォード侯爵か?」

 男は笑みを消し、真っすぐに私の目を見下ろした。

「いかにも。我が甥を手助けするため、この地にまかり越した。エーレスタの竜騎士よ、道中の案内、頼むぞ」

 巌の様な顔で、ハルスフォード侯爵が大きく頷いた。


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