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第19幕

 重く雲が立ち込めた空の下、雷鳴の様な砲声が轟いている。

 絶え間なく続く砲撃音や爆音の合間に、突撃を仕掛ける兵士たちの叫び声や剣戟の音が、周囲のいたるところで響いていた。

 水気を多分に含んだ雨の後の空気には、微かに物の焼け焦げる臭いと血の臭いが混じっていた。雨がいくら洗い流しても、もうしばらくはその臭いが消える事はないだろう。

 今、私の周囲を満たしているのは、紛う事なき戦場の空気だった。

 灰色に沈んだ森や平原、そして前方に広がる低い山々が連なったブランツ峠のあちらこちらからは、幾条もの黒い煙が立ち上っていた。

 新たに砲声が轟き、地響きが起こると、また新しい黒煙が吹き上がる。峠の稜線から、発砲煙と思われる白煙が吹き上がるのが見えた。

 私の眼前に広がるのは、エーレスタ騎士団とオルギスラ帝国軍が激突する戦場。

 小高い丘の上に陣取った私は、地面に突き立てた白の剣の柄に両手を乗せて、両軍の戦闘をじっと見つめていた。

 その戦場から僅かに視線を上げると、前方に広がる山々の向こう側から真っ黒な雲が湧き上がり、広がっているのが見て取れた。

 もうしばらくすれば、この戦場にもまた通り雨が来るかもしれない。

 山々の方向から吹き付ける湿気を含んだ生暖かい微風が、私の白のドレスと光を発する長い髪を揺らしていた。

 既にアーフィリルと融合し、大人状態で臨戦態勢を整えている私の背後には、騎乗したオレット以下我が隊の騎士たちが突撃の時を待っていた。

 私たちの左後方、平原上には、整然とした隊列を組むエーレスタ騎士団の本隊が展開している。ディンドルフ大隊長の本陣もそちらにある。

 対して右前方には、木々のまばらな林の向こうに帝国軍と騎士団前衛がぶつかる主戦場が広がっていた。

 エーレスタ側の先方は、第2大隊と近衛隊の混成部隊約2千に、竜騎士サルートの駆る黄岩竜ドラストが含まれていた。

 林の木々が邪魔で直接戦況はわからないが、岩山の様なドラストの巨体が激しく駆け回っているのは私たちの位置からも見て取る事が出来た。

 ゴツゴツとした岩の様な鱗を持つドラストは、巨大な体躯で突撃し、肉弾戦を行うのを得意な戦法としている様だ。

 その分厚い鱗には、通常の剣や銃などは通用しない。

 さらに魔素で防御力と自重軽減を行い、動きを速めているから、鉄壁の防御と圧倒的な力で暴れまわるドラストは、戦場の中にあってまさに手が付けられない状態となっていた。

 魔素攪乱幕が展開されればその猛威も収まるだろうが、今はまだ攪乱幕の展開は確認されていなかった。

 帝国軍はこの黄岩竜に対して、遠距離からの大砲の集中砲撃で対応している様だ。

 ブランツ峠の稜線に配置した大砲から、岩の塊の様な竜に向けて間断なく砲撃が加え続けられている。

 しかしその砲撃のおかげで、敵の砲の位置が露呈していた。

 それを、あのディンドルフ大隊長が見逃す筈もない。

 敵の砲撃部隊を十分誘い出したと判断したのか、にわかにエーレスタの本陣が騒がしくなり始めた。

 そちらに目を向けると、騎兵の大部隊が主戦場を挟み込む様に左右に展開し始めているのが見えた。

 地の利はこちらにある。

 ディンドルフ大隊長は騎兵の機動力を生かし、敵砲撃部隊を包囲殲滅する気なのだ。

 そしてそのまま数で劣るオルギスラ帝国軍を包囲してしまえば、勝敗はもはや見えたといえるだろう。

 しかし。

 何事も、そうは上手くいかないものだ。

 先鋒部隊と黄岩竜が戦闘を行っている林の向こうの主戦場に対し、周囲の森から白煙を引く何かが撃ち込まれるのが見えた。

 鈍色の空に打ち上げられたそれは、黄岩竜の暴れるその上空でポンッと乾いた音を立て炸裂した。

 続いて同じものが3つ、空中で爆発する。

 来た。

 魔素攪乱幕だ。

 吹き付ける微風に髪を揺らしながら、私はふっと微笑んだ。

 今私たちが対しているのは、エレハム砦で守備隊と交戦し、エーレスタ近郊で竜騎士たちに撃退された帝国軍部隊だ。兵力にしても士気にしても、そして魔素攪乱幕の残弾数にしても、それ程多くはない筈だ。

 その敵が攪乱幕を展開したという事は、決死の攻勢に入ったという事だ。

 敵の全力の攻撃。

 ならばここでその攻勢を粉砕して見せれば、戦いは終わりだ。

「オレット」

 私は僅かに振り返り、後ろに控える完全武装のオレットを見た。

 白銀の鎧に身を包んだオレットは、しかし険しい顔で眼前に広がる戦場をじっと睨み付けていた。

 何か、思うところがあるのだろうか。

 私は僅かに首を傾げる。

 その時。

 今までよりもさらに激しい砲撃音が轟いた。

 ブランツ峠からの砲撃だけではない。林や森の至る所から砲声が上がる。さらには、甲高い歩兵銃の発砲音も、集中して響き始めた。

 残弾やこの後の戦闘など全く考慮していない様な、帝国軍の全力砲撃。

 その狙いは、黄岩竜ドラストを含むエーレスタ先鋒部隊だった。

 魔素の守りを展開出来るドラストならば、あるいはこの猛攻も問題なかったかもしれない。

 しかし魔素攪乱幕によりそれを封じられた今のドラストは、遂に苦悶の咆哮を上げながら徐々に後退し始めた。

 その竜の周囲に、撤退する味方の騎士や兵士たちの姿がちらちらと見えた。先鋒部隊が帝国の猛攻に耐えきれず、戦線が押し戻されているのだ。

「アーフィリル隊、出るぞ」

 私は地面に突き立てていた剣を抜くとさっと振り払い、一歩踏み出した。

「しかし、セナさま。まだ本陣から突撃の指示が来ておりません」

 騎乗したサリアが声を上げるが、私は彼女を一瞥してからまた直ぐに戦場を睨み付けた。

 確かにアーフィリル隊の出陣は、本陣から要請があるまで待つようにと言われている。しかし眼前で起こっているこの状況を、見過ごすことなど出来る筈がない。

「ドラストと味方の撤退を援護する。ここを抜かれれば、本陣に迫られる」

 私は低い声でそう告げると、戦場を睨みつけながら体の中の魔素を高めた。

「アーフィリル隊、突撃する! 敵の足を止めて、味方を守れ!」

 私の言葉を引き継ぐ様に、すかさずオレットが鋭い声を上げた。

「本隊に伝令を! こちらの動きを伝えておけ!」

 背後でアメルの名前が呼ばれている。アメルが、伝令に出るのだろう。

 まぁ、妥当な判断だ。

 騎士たちに細かい指示を与えたオレットが、馬を進めて私に並んだ。

「帝国軍のこの動き、ディンドルフ大隊長ならば直ぐに対応するだろう。その間、時間を稼ぐ」

 馬上から私を一瞥するオレット。

 私は視線だけをそちらに送りながら、小さく頷いた。

「未だに帝国軍の援軍は確認されていないが、この攻勢……。何があるかわからん。無茶はするな。注意は怠るなよ」

 低い声でそう告げたオレットが、すらりと剣を抜き放った。

 私はふっと微笑む。

 まるで子供に対するような言われ様だなと思う。

 しかし直ぐにキッと表情を引き締めた私は、戦場を睨み付けながら僅かに目を細めた。

 味方が左右に展開したところで一点集中で中央突破を図られる。話がそれだけであるならば、敵に状況を判断出来る優秀な指揮官がいるというだけの事だ。

 しかしそんな指揮官がいるにしては、帝国軍は今回の戦闘が始まってから一貫して、正面からの力押しを繰り返しているだけだった。帝国側が寡兵であるにも関わらず、だ。

 その結果、既に帝国軍には少なからぬ被害が出ている筈だ。

 ここで本陣に突撃を仕掛けたとしても、既にエーレスタへ再侵攻する様な余力はない様に思えるのだが。

 私は一瞬だけ目を閉じ、息を吐いた。

 しかし今は、考え込んでいる場合ではない。

 立ちふさがる敵がいるならば、これを撃滅するのみだ。

「突貫する! 私に続け!」

 私は剣を掲げて背後の騎士たちに向かって声を上げると、オレットを一瞥した。

 そしてふわりと髪をひるがえし、戦場へ向かって駆け出した。



 足に集中させた魔素を、蹴り出す様にして地面へとぶつける。その反動で私は、低空を滑る様に跳んだ。そしてまた、落着地点で足元の魔素を炸裂させ、タンっとさらに前方へと跳躍する。

 ドレスの裾をなびかせながら、私は二度の跳躍で丘を駆け下りた。

 戦技スキル縮地を応用したこの走法なら、馬よりも速く走ることが出来る。フェルト救出戦で使用した移動方法をアレンジしてみたのだ。

 縮地の様な爆発的な加速を得られる跳躍走法を長い距離で連続使用すれば、常人ならばスキルの使いすぎであっという間に魔素切れになってしまうだろう。

 しかし幸い、アーフィリル経由で世界の魔素を得られる私には、何ら問題はなかった。

 一旦歩みを止めた私は、吹き付ける風に乱される髪を押さえながら、ちらりと後方を見た。

 オレットたちは矢尻型の陣形を組みながら、私の後を追って丘を駆け下りているところだった。

 私が踏みしめた魔素の後が、まるでオレットたちを導く様にキラキラと輝いている。

 私はオレットに向かってさっとハンドサインを送った。

 オレットが剣を掲げて味方に指示を送ると、サリアたち騎兵集団が二手に別れた。

 さすがオレット。

 こちらの意図を良く察してくれる。

 私はニヤリと微笑みながら、林の向こう側に見える黄岩竜ドラストの巨体を正面に捉えた。そして足に力を込めると、加速を再開する。

 髪が大きく揺れる。

 一瞬にして地面が後方へと流れて行く。

 そのまま私は、疎らに木々が茂る林へと突入した。

 平原よりは細かくステップを刻みながら、右へ左へ体を流して木々を避け、林の中を突き進む。ぎりぎりのところを通過する倒木を蹴って、ふわりと回避する。

 直ぐに私は、こちらへと撤退して来る味方部隊の一団とすれ違った。

 後退する兵たちの脇を飛び抜けると、皆ははっとした様に私を振り仰いだ。

「白花の竜騎士さまだ!」

「た、助かった……」

 兵たちが安堵の声を上げた。

「うおおおっ! 行けっ!」

「帝国野郎を叩き潰してくれ!」

「アレックスの仇を! 頼む!」

 中には、武器を掲げて声を上げる者もいた。

 私はそんな味方に視線を送りながら、林を飛び出した。

 眼前に広がるのは、森の切れ間の開けた土地だった。

 本来は他と同じように美しい草原が広がっていたのであろうその場所は、今や無数の砲弾によって掘り返されてしまっていた。夏の緑は無惨にも引き裂かれ、着弾によって穿たれた醜い穴が辺り一面に広がっていた。

 その戦場の中心には、本物の岩に覆われたかの様なドラストの巨体があった。

 小山の様な体のあちこちから血を流しながら、ドラストはゆっくりと後退していた。

 至近弾を受けたドラストが大きくよろめく。魔素攪乱幕の影響で、やはり防御率が低下しているのだろう。

 手負いの黄岩竜は、しかし傷つきながらも撤退する味方の殿を務めている様だった。

 そんなドラストを包囲する様に、正面の森から溢れだした黒の軍勢が迫って来る。

 オルギスラ帝国軍だ。

 隊列や兵科が入り乱れた突撃だったが、帝国軍には異様な気迫と勢いがあった。

 群がる帝国兵に対して、ドラストと竜騎士サルートはその牙や爪、槍を振るって戦う。

 生身の兵士にとってその攻撃は、たとえ魔素で強化されていなくても、純粋に脅威だろう。

 しかし、敵も怯まない。

 いつの間にかブランツ峠の稜線からの遠距離砲撃は止んでいた。

 その代わり、森に隠れた大砲からか機獣の砲戦型からか、近距離からの水平線射撃が間断なくドラストを襲っていた。

 私はそのドラストの隣にタンっと着地する。そしてすかさず、さっと剣を振るった。

 ドラストの側面から迫る砲弾が、白の剣の腹で打ち払われて明後日の方向へと着弾する。その近くにいた帝国兵が、巻き添えを食らって吹き飛んだ。

 ちらりとドラストの巨体を見上げると、重厚な鎧を着込んだ竜騎士サルートと視線がぶつかった。

 私はさらに地面を蹴ると、ふわりとドラストの前方へと身を踊らせた。

「援護する」

 背後の竜騎士に向かってそう宣言すると、私はすっと剣を構えた。

 砲声が轟く。

 連続して、周囲から。

 暗い森の中から、複数の発泡炎が煌めくのが見えた。

 すっと息を吸い込んだ私は、意識を集中して感覚を研ぎ澄ます。

 キッと飛来する砲弾を睨み付ける。

 一歩踏み込み、剣を振るう。

 迫る砲弾を叩き落とす。

 振り向きざまにもう一発を斬り捨てる。

 返す剣の腹で別の砲弾の弾道を変え、さらに踏み込んだ勢いのまま、正面に迫る砲弾を両断した。

 一瞬遅れて、撃墜した砲弾が私の周囲で爆発を起こした。

 爆風が、私のドレスの裾を激しく揺らす。

 その爆発に巻き込まれて、ドラストの周囲に迫っていた帝国兵の集団が吹き飛んだ。

「ば、馬鹿なっ!」

 私とドラストへ向かって突撃して来た敵の騎士が私の目の前で踏み止まると、驚愕に顔を歪める。兜の羽根飾りからして、どのクラスかはわからないが指揮官なのだろう。

 私がすっと目を細めて視線を向けると、その騎士は短い悲鳴を上げて逃げ出した。

 私は先ほど砲撃して来た敵がいると思われる森へ向かって、すっと白の剣の切っ先を向けた。

 白く光り輝くその刃の周囲に、白の球体が浮かび上がる。

 純然たる魔素の力を高密度に圧縮した球体。小さいながらも凄まじい破壊力を秘めた力の塊。

 それが3つ。

 私はさっと剣を振るうと、その白球を敵の砲撃部隊が潜む森へと放った。

 灰色の空を背景に、白の軌跡を描いて飛んで行く球体。

 音もなくそれは、森の中に吸い込まれる。

 その次の瞬間。

 周囲に白の閃光が満ちた。

 それぞれ3か所から、帝国軍の砲撃などよりも遥かに巨大な爆音と爆炎が吹き上がる。

 爆風が、森の木々を大きくうねらせる。

 立ち上る爆炎が、顔を引き吊らせながらその光景を見上げる帝国兵たちを照らし出した。

 一瞬、その場の帝国軍の動きが止まる。

「今のうちに後退を」

 私は半身だけで振り返り、黄岩竜ドラストに騎乗する竜騎士サルートを見上げた。

 角の生えた立派な兜を被った竜騎士サルートは、私と目が合うとはっとした様に長大な竜槍を構え直した。

「……お見事だ、竜騎士アーフィリル殿! 援護、感謝する!」

 ドラストの上から、若い男の声が降って来た。かなりの大声だ。

「しかし、ご心配無用だ! 我がドラストには強固な装甲と高い治癒能力がある! これしきの事では下がれない!」

 胸を張りながら大声を上げる竜騎士サルート。

 それに呼応するかの様に、黄岩竜ドラストがぐるぐると低く喉を鳴らした。

「アーフィリル?」

 私は胸の中のアーフィリルに問い掛けてみる。

『うむ。その治癒能力とやらも、例の魔素攪乱幕で阻害されているな』

 私の考えを察してくれたアーフィリルが、即座に答えてくれた。

『この竜、体躯は立派だが、まだ幼い様だな。血気盛んなだけで、状況を理解しておらぬ様だ』

 アーフィリルの言葉に、 私はふむと頷いた。

 ドラストの乗り手である竜騎士サルートも、竜騎士たちの中では最も新人に属する。もちろん、私を除けば、だが。

 公都で挨拶した際や今作戦前に顔を合わせた時には、元気の良い熱血漢といった印象を受ける人物だった。きっと責任感が強いのだろう。

「引け、竜騎士サルート。ここは私が引き受けよう。魔素攪乱幕の外に出て、ドラストの傷を癒やすといい」

 私は竜騎士サルートに背を向けながら、森の中と周囲の帝国軍に対する。

 帝国軍は、やはり死に物狂いの攻勢を続ける様だ。

 私が砲弾を迎撃した衝撃や大火力で砲撃部隊を吹き飛ばした動揺を押し隠し、帝国兵や騎士たちは再び私たちへと迫って来た。

 その中には、衝角を生やした機獣の姿も複数あった。

「引けぬ! エーレスタの竜騎士とあろうものが、敵に背を向ける事などあってはならないのだ!」

 背後から気合いの籠もった大音声が響いた。

 竜騎士サルートだ。

 私は、小さく溜め息を吐く。

 ここは素直に撤退し、態勢を立て直すべきだ。

 ディンドルフ大隊長ならば、直ぐにこの敵の攻勢にも対応し、反撃して見せるだろう。その時に戦力の要たる竜騎士が使い物にならなければ、意味がない。

「それに! 君の様な可憐な人に敵を押し付けるなど、男として出来るものか!」

 鼻息も荒く叫び続ける竜騎士サルート。

 その間にも地響きを上げて突進して来る帝国軍の機獣部隊。

 背後では、ドラストがずしんと巨体を振るわせる音がが聞こえた。戦闘態勢、という事なのだろう。

 私はくるりと振り返ると、片足に体重を乗せ、僅かに首を傾げて竜騎士サルートを一瞥する。そして次に黄岩竜ドラストを睨み付けた。

 全身に満ちるアーフィリルの魔素をぐっと高める。その力を込めた視線で、私はドラスト青い瞳を見据えた。

「引け、ドラスト。まずは傷を癒せ」

 私は目を細めながら、短くそう告げた。

 その瞬間、巨大なドラストがびくりと身をすくませた。

「ドラスト! どうした! ……お、お怯えているのか?」

 竜騎士サルートが困惑した様に声を上げると、慌てて手綱を引いた。しかしドラストは、それに反してすごすごと頭を垂らすと、ゆっくりと方向転換を始めた。

「ド、ドラスト! こ、これはどういう事だ!」

 竜騎士サルートが叫びながら、目を丸めて私を凝視した。

「君は……、いや、あ、あなたはいったい……!」

 そのサルートに視線を送りながら、私はドレスの裾を翻して改めて帝国軍へと向き直った。

『見事だな、セナ。良く我の力を使いこなしている』

 胸の中で、ふっと笑う様なアーフィリルの声が響いた。

「いや。私はアーフィリルの威を借りているだけだ」

 私は腰に手を当てて目を細めると、自嘲を込めてふんっと息を吐いた。

 ドラストが私の言う事を聞いたのは、私の中にアーフィリルの力を感じたからだ。

 凄いのは、エーレスタの竜をも恐れさせるアーフィリルの力だ。

 私は、その力を借りているだけ。

 ならばせめて私は、そのアーフィリルの力が多くの人の助けになるように、多くの不条理や理不尽な力を跳ね除けられるように、全力を尽くして戦わなければならないのだ。

 アーフィリルが、私に力を貸してくれる限り。

「まずは正面の機獣を潰す」

 私はそう宣言すると、白の剣を片手で握り、空いた片手にもう1振りの白の剣を生み出した。

 両手に白く輝く長剣を握り、私は迫る機獣の群れを見据えた。

『魔素の受容効率は良い調子だ。問題ない』

 アーフィリルの重々しい声が響く。

 私は、コクリと小さく頷いた。

「では、行こう」

 小さくそう呟くと、私はタンッと地面を蹴った。



 体に吸収し切れなかった余剰魔素を光の粒にして発する長い髪をなびかせて、私は一足の跳躍で機獣の群れに迫る。

 正面に展開する機獣は7体。

 いずれも衝角型だ。

 姿勢を低くしながら先頭を走る1体の長大な衝角をくぐり抜けた私は、さらにその機獣の懐へと踏み込んだ。

 体を回転させて機獣の側面に出た私は、そのまま金属の厳つい頭部の横へ並ぶと、左の剣で衝角を斬り落とし、右の剣でその首を落とした。

 巨大な金属の首が地面に落ちるよりも早く、ドレスの裾を膨らませてくるりと振り返る。

 背後から突撃を仕掛けようとしていた機獣にずいっとこちらから突っ込むと、そのまま突撃の勢いを乗せた突きを放つ。

 白く輝く刃が、飴細工の様に容易く機獣の装甲を貫いた。

 地響きを上げて機獣が崩れ落ちる。

 その衝撃で、私のドレスの縁がふわりと揺れた。

「くそっ、怯むな! 囲んで仕留めろ!」

 機獣の上から敵騎士が叫ぶ。

 同時に、歩兵銃から放たれた銃弾が、私に向かって殺到した。

 私を取り囲む様に展開し始めた機獣の背から、その乗り手たちが身を乗り出して私を銃撃しているのだ。さらに、機獣の包囲網の間からも、銃歩兵が私を狙っていた。

 いつの間にか私と私を囲む機獣の群は、突撃する敵の集団の只中にいた。

 このまま周囲の帝国軍がこの戦域を突破すれば、撤退を続ける黄岩竜ドラストや味方部隊に被害が出てしまうかもしれない。

 しかし私には、焦りはない。今すぐに周囲の敵全てを薙払おうとは思わない。

 私がまず止めるべきは、一般の騎士には厳しい相手である機獣。魔素攪乱幕を積んでいる可能性のあるこの機獣を、優先して駆逐しなければならないのだ。

 地面を蹴って、私は軽く右へ跳んだ。

 先ほどまで私が立っていた場所を、衝角を振りかざして背後から突進して来た機獣の巨体が通り過ぎた。

 ドレスの裾をふわりと広げて大きく身をひるがえした私は、がら空きになったその機獣の横腹へと踏み込むと、両手の剣の連撃でその金属の装甲を斬り捨てた。

「ばっ、馬鹿なっ!」

「この数でもかなわないのか! この、ば、化け物がっ!」

「行くんだよ! ここを突破しなければ、どのみち我々に道はないんだぞっ!」

 帝国軍の一般兵が突撃していく喊声が響く中、残存する機獣の乗り手たちは口々に悲鳴の様な声を上げる。

 2体同時に襲い掛かって来る機獣。突撃ではなく、衝角を槍や剣の様に振りかざす機獣。

 その巨大な金属の体躯が暴れる中を、私は長い髪をなびかせながら駆け回る。

 両手の白の剣を操って、機獣の衝角を、前足を、胴を、首を斬り落とす。

 私の周囲には、みるみるうちに金属の残骸が積み上がっていった。

 その金属塊を蹴ってふわりと高く跳躍した私は、こちらを狙う銃撃を無視し、やや離れた場所で呆然と立ち尽くしている1体の機獣の背中へとカツリと着地した。

 これが、この辺りで最後の機獣だ。

 もしかしたらこの機獣が、今全滅させた機獣部隊の指揮官だったのかもしれない。

「ひっ!」

 目が合うと、その機獣の乗り手が短く悲鳴を上げた。

 私はすっと目を細めながら、白く輝く刃の剣を振った。

「ぜ、全滅だと! 機獣部隊がかっ!」

 私を遠巻きに取り囲んでいた帝国騎士から声が上がった。

 動かなくなった機獣の残骸の上から、しかし私はその騎士ではなく、後退する味方目掛けて突撃する敵部隊へと目を向けた。

 そろそろか。

 そう思った瞬間。

 既に私を突破した帝国部隊が、何かに動揺した様に足を止めるのが見えた。

 槍兵たちが慌てて陣形を組もうとしている。

 機獣部隊の代わりに私の足を止めようと突撃して来る帝国騎士をあしらいながら、私は足を止めた帝国部隊の先頭に注目する。

 その帝国軍の周囲の林から、不意にエーレスタの騎兵部隊が突撃して来るのが見えた。

 敵の進路を阻む様に2方向から現れた騎兵部隊の白銀の鎧が、鈍く輝く。

 姿を見せたのは、オレットとサリアたち私の隊の騎士たちだ。

 オレットたちは、私が黄岩竜ドラストの撤退援護と機獣部隊の足止めをしている間に戦場の側面へと回り込むと、このタイミングを見計らっていたのだ。

 斬り掛かって来る帝国騎士を弾き飛ばし、別の騎士を斬り倒しながら、私はふっと微笑んだ。

 私にはこうして後背を支えてくれる仲間たちがいる。

 彼らを信じて、私は私が倒すべきものに集中すればよいのだ。

 帝国騎士を3人斬り、さらに白の光球を飛ばして敵集団を殲滅する。その合間に、私はオレットたちを一瞥した。

 さすがにオレット、巧いなと思う。

 帝国軍に比べれば、オレットたちの数は圧倒的に少ない。正面から向かえば、帝国兵たちの足を止める事など出来なかっただろう。

 しかしオレットは、帝国兵たちが私を突破し、見通しの悪い林の中へ突入するという絶妙なタイミングで急襲を仕掛ける事により、敵の不安を煽って不意打ちの効果を高めたのだ。

 突如現れた騎兵に動揺した帝国軍は、足を止め、対騎兵陣形を形成する。まだ林の中にこちらの騎兵が潜んでいるかもしれない状況下では、それが無難な対応だ。

 オレットたちはさらに、決して無理な攻撃を仕掛けなかった。騎兵の機動力を生かして縦横無尽に戦場を駆け回り、帝国兵たちの警戒心を煽っている。

 オレットたちの動きに翻弄される帝国兵たちは、徐々に密集隊形へと追い込まれていった。

 そして騎兵隊の先頭を走っているオレットが、私に向かってさっと剣を振り上げるのが見えた。

 なるほど、そういう事か。

 さらなる帝国騎士の相手をしていた私は、オレットの意図を察すると、さっと白の剣を振って白の球体を生み出した。

 オレットたちがさっと敵部隊から離脱するのが見えた。

 そちらへ向けて、私は高密度に圧縮した魔素の塊である白球を放った。

 光が炸裂する。

 爆光が広がる。

 大地ごと帝国軍の集団が吹き飛んでいく。

 まさに、一網打尽だ。

 これならば効率がいい。私の力の負担も、ぐっと抑えられる。

「そ、そんな……」

「有り得ん……!」

 その光景を目にした私を包囲する帝国騎士が、低い声で呻いた。

 そして私に対したまま、じりじりと後退を始めた。

「おのれ……!」

「白の化け物めっ!」

「……引け。しょうがない! ここは一度引くんだ!」

 残存する帝国軍が、撤退に転じ始めた。

 あれほど強引に力攻めをしていた帝国軍が後退していく。

 憎々しげに私を睨み付けて撤退していく帝国騎士だったが、周囲の帝国軍たちは、撤退というよりも壊走状態といった方が正しい状態だった。

 もともと数が少ない上に戦力を失い、勢いを失ったオルギスラ帝国軍に、既に戦意はないだろう。

 黄岩竜ドラストを苦しめた後、さらなる魔素攪乱幕の展開もなかった。恐らく、頼みの綱の新兵器も既に弾切れの筈だ。

 もはや勝敗は決した。

 私は剣を下ろし、ふっと短く息を吐いた。

 撤退していく帝国騎士や兵たちは、周囲に倒れている者たちよりも遥かに少ない。後はディンドルフ大隊長の本隊で包囲し、降伏勧告を行えばそれでお終いだ。

 もし帝国軍が勧告に従わない場合は、その時は私が再び剣を振るうまでの事だ。

 その時不意に、ぽつりと冷たいものが頬に落ちた。

 雨だ。

 重く立ち込めた空から、とうとうぽつぽつと細かい雨が落ちて来た。

 目を細めて雨空を見上げる私のもとに、馬蹄の音が近付いて来た。

 振り返ると、オレットたち騎兵隊が私を中心に集結してくるところだった。

 私はゆっくりと隊のみんなを見回した。

「皆、無事か?」

「ああ、損害はない」

 私の問いに、代表してオレットが頷いた。

 私は僅かに眉をひそめる。

 無事敵を退けたというのに、何だか隊の皆の表情が硬い。

 オレットはいつもの笑みを浮かべていないし、弓を手にしたマリアは顔を強ばらせていた。アメルも珍しく神妙な表情をしている。

 確かアメルは、オレットが本陣への伝令に出した筈だが、もう戻って来ていたのか。

「セナ。本陣からの情報だ。敵の援軍が来るぞ」

 無表情を保ったまま、オレットが低い声でそう告げた。

 なるほど。そういう事、か。

 私はすっと目を細めて、短く息を吐いた。

 やはりこうなったかと思う。

 ある程度予想はされていたが、案の定敵には増援部隊がいたという訳だ。このブランツ峠に帝国軍が留まっていたのも、やはりこの援軍を待っていたからなのだろう。

 これでノルトハーフェンか、西部のいずれかにオルギスラ帝国が上陸したという情報が確定的になってしまった。

 サン・ラブール条約同盟は、現状東西からオルギスラ帝国に侵攻されている事になる。

「セナ。敵の動きがおかしい。ここは一度本陣まで引くべきだ」

 馬上からオレットの声が降って来た。低く厳しい声だった。

 私は目だけでオレットを見上げた。

 オレットが心配している事も良くわかる。

 先ほどまでの帝国軍の動きとこのタイミングでの敵増援には、矛盾がある。

 援軍が来るとわかっていれば、その前に無理に力攻めなどする必要はなかった筈なのだ。

 帝国軍は、何を狙っているのか。どんな思惑があるのだろうか。

「わかった。一度引こう。速やかに本陣に合流を……」

『セナ! 警戒せよ!』

 私が皆に撤退の旨を伝えようとしたその時、不意にアーフィリルの鋭い声が響いた。

 反射的に私は、髪を揺らして振り返り、剣を構えて姿勢を低くした。

 その次の瞬間。

 雨に煙る森の向こうに、閃光が走った。

 いや、光ではない。

 それは、闇だった。

 そこにだけ夜が現れたかの様に、突然闇が広がったかと思うと、みしりと大地が軋んだ。

 やや遅れて、小雨の降る戦場の空気を震わせて、大きな衝撃音と爆音が響き渡る。

 動揺したオレットたち馬が、激しく嘶く。

「……くそ、何だってんだ!」

 女騎士や兵たちが何とか馬を落ち着かせ様としている中、フェルトが悪態を付くのが聞こえた。

「何が起こった?」

 私は闇が走った方角をじっと睨み付けながら、胸の中のアーフィリルに問い掛けた。

 私が見詰めるその先には、巨大な黒煙の柱が黒い雲が厚く立ち込める空へと立ち上っていた。



『……先ほどの爆発。あれは高純度の魔素の炸裂だった』

 私の質問に、間をおいてアーフィリルが答えてくれた。

 もしかしたらディンドルフの本隊が、側面から帝国軍へ攻撃を仕掛けたのかもしれないと考えていた私の推測は、あっさりとアーフィリルに否定されてしまった。

 魔素による大規模破壊攻撃。

 それはつまり、私が放つものと同じ種類の攻撃という事だ。

 そんな事が出来るのは、竜騎士くらいしかいない筈だ。しかし私はここにいるし、ドラストはまだ撤退中なのがちらりと見えた。

「帝国軍の新兵器か」

『わからぬ。しかし今炸裂した魔素量、人の手には余るものだった』

 感情を押し殺した様な平板なアーフィリルの声が、私の胸の中に響いた。

 帝国軍が新兵器を使用したにせよ別の原因があるにせよ、アーフィリルの言葉から何か尋常ではない事が起ころうとしているという事はわかった。

 私は眉をひそめる。

 帝国軍の援軍や先ほどの爆発など、このブランツ峠の戦域の状況が全く見えて来ない。

 ここはやはり一度撤退し、ディンドルフ大隊長たちと合流した方が賢明だろう。

 そうオレットに告げようとした瞬間、事態は再び動き出した。

「敵襲!」

 隊の女騎士の1人が、鋭い声を上げた。

 同時に私も、その敵の姿を捉える。

「総員警戒態勢! どう動けるようにも備えておけ!」

 すかさずオレットの指示が飛ぶ。

 雨に濡れて張り付く前髪をさっと払った私は、先ほど爆発が起こった森の方角からわらわらと姿を現すオルギスラ帝国軍を見据えた。

 しかし現れた帝国軍は、少し様子がおかしかった。

 再度突撃して来たという割には、覇気が無さ過ぎる。これではまるで、攻めて来たというよりも逃げて来たといった方が正しそうだ。

「オレット?」

「いや、わからないな……」

 私とオレットは小声で短いやり取りを交わす。

 眼前に展開する私たちに対して、帝国の騎士や兵たちは、攻撃を仕掛けて来るというよりも今にも降伏を申し入れて来そうな複雑な表情をしていた。

 言葉を交わせるまでに彼我の距離が詰まったその時。

 帝国軍の背後の森から、何か黒いものが飛び上がるのが見えた。

 魔素攪乱幕か?

 一瞬そう思ったが、違う。

『セナ!』

 アーフィリルが厳しい声を上げた。

「オレット、撤退しろ! 来るぞ!」

 私は鋭く叫びながら剣を構えた。

 黒い何かが雨のヴェールの向こうから降って来た。

 それは、私たちと帝国軍の間にふわりと優雅に降り立った。

「ひっ!」

 帝国の騎士や兵たちが、悲鳴を上げて足を止めた。

「何だ、あれは……」

 背後でオレットが訝しげな声を上げるのが聞こえた。

 私たちと帝国軍の間に突如現れたそれは、竜のような形状をした漆黒の全身鎧だった。

『あれは、まさか……!』

 胸の中のアーフィリルが短く叫ぶ。

 その竜の鎧は、大人状態の私でも見上げる様な大きさだった。肩幅も広く、立っているだけで相当な威圧感がある。

 兜は、人ではなくまさに竜の形をしていた。

 長く伸びた金属の鼻梁の下には、しかし口にあたる部分がなかった。目に当たる部分に開いたスリットの中には、赤い光が爛々と輝いていた。

 屈強そうな大きな胴体も、幾重にも重ねられた黒い金属板で出来ている様だった。肩の大きく盛り上がった長い腕には、同じく黒い金属で出来た長大な槍が握られていた。

 脚部はすらりと長く、先端が尖っている。さらに驚くべき事に、その鎧にはひらりと揺れる黒い尻尾までもがあった。

 背中には、折り畳まれた一対の翼の様な金属塊が付いている。

 その装甲の全てが、磨き上げられた光沢を放つ金属で形作られているのだ。

 まさに竜の型をした鎧だ。

 いや、人型の金属の竜という表現の方がしっくり来るだろうか。

 その竜型の鎧から、巨大な魔素の力を感じる。

 先ほどの黒の爆発を引き起こしたのは、間違いなくこいつだろう。

『人竜兵装だと……。どうして今頃、この様なものが……!』

 アーフィリルが動揺している。

「アーフィリル?」

 私が問い掛けても、返ってくるのは低い唸り声だけだった。

 竜の鎧が僅かに顎を引き、私を見据えた。

 私も力を込めて、その大きな竜の鎧を見上げた。

 私と黒の竜の鎧の視線が、激突する。

『なるほどね。あなたがいたから、という事なのかしら?』

 竜の鎧の中から、ややくぐもった声が響いた。

 アーフィリルの様な低い声を想像していた私は、少し驚いてしまう。

 竜の鎧の中から響く声は、高く涼やかな少女の声だったから。

『ふふん、凄い。これなら、私の初めてのお相手に相応しいかしら』

 見た目の禍々しさまとは相反する様な軽やかな声が響く。

 竜の鎧は、長い腕を腰に当てた。

『でも、その前にお仕置きしないとね。無様に負けた上に、また逃げて来た我が帝国軍の面汚し。それを掃除しなくちゃ』

 竜の鎧の声が、無邪気に笑った。

「お前はいったい何者だ」

 私は両手の白の剣を握り締めながら、低い声で問い掛けた。

『ふふんっ』

 しかしその問いには答えずに、黒の竜の鎧はさっと振り返ると、その手を覇気の無い帝国軍へと向けた。

 中空に黒の球体が現れる。

 私にもわかる。

 それは、純粋な魔素の塊。

 それが4つ。

『帝国軍は臆病者などいらない。死して皇帝陛下に詫びなさい』

 竜の鎧の短い宣告の後、黒の球体が帝国軍に向かって放たれた。

 唖然とする私たちの眼前で、黒の爆発が広がる。

 連続して広範囲に炸裂した爆発は、大きく大地を抉りながら、一瞬にして帝国軍を吹き飛ばしてしまった。

「同士討ち?」

「帝国軍じゃないのか?」

 その光景を目の当たりにしたフェルトたちからも、動揺の声が上がった。

 今の攻撃、竜の咆哮や私の攻撃にも劣らない威力だった。

 私は、キッとその竜の鎧を睨み付ける。

 黒の竜の鎧は、金属の尻尾を揺らして改めて私たちの方へと向き直った。

『お初にお目に掛かるわね』

 無表情な竜型の面防の下で、少女の声が軽やかに笑った。

『私はオルギスラ帝国軍親衛師団特殊作戦群所属の機竜士、アンリエッタ・クローチェ。よろしくね、エーレスタの竜騎士さん』

 金属音を上げながら優雅に一礼するアンリエッタと名乗った鎧。

 機竜士という聞き慣れない言葉に、私は眉をひそめた。

『……警戒せよ、セナよ。あれは、世界の禁忌に触れるものやも知れぬ』

 アーフィリルが厳しい声で呟いた。

 アンリエッタという鎧の正体は良くわからないが、アーフィリルが警戒しているという事は危険な相手という事なのだろう。

『ふふ、怖い顔! でもいいわ、私も俄然やる気がわいてくる! さぁ始めましょう! 楽しい楽しい殺し合いを! エーレスタの竜騎士の力、この私に見せてみなさい!』

 機竜士アンリエッタの甲高い声が響き渡った。

 空気を切ってぶんっと長大な槍を振り回し、さっとその矛先を私に向けりる黒の竜の鎧。

 その槍の矛先が、淡く黒に輝いた。

 あの槍、私の白の剣と同じ魔素の刃を持っている。

 そうならば、通常の鎧や剣では太刀打ち出来ないだろう。

「来るぞ!」

 私は背後を一瞥して叫んだ。

「オレットは皆を引き連れて退避しろ!」

 アンリエッタが腰を落とし、槍を構えた。

『ふふ、簡単に死なないでね、竜騎士さん。私のお相手が務まれば、誉めてあげるから』

 物騒な内容とは裏腹に、子供の様に声を弾ませるアンリエッタ。

 その鎧の全身に、強大な魔素が満ちていくのがわかった。

 凄い力だ。

 私も、全力で応じるしかない!

 しかし、オレットが動く気配がない。

「オレット!」

 私がもう一度叫ぶのと、黒の竜のアンリエッタが地面を蹴ったのは同時だった。

 風が巻き起こる。

 次の瞬間。

 猛烈な勢いで踏み込んで来たアンリエッタが、瞬時に槍の間合いに私を捉えた。

 速い!

 くっ!

 私は目を細め、こちらからも突撃する。

 脚部の魔素を爆発させて、一気にアンリエッタの懐へと飛び込む。一瞬遅れて、踏みしめた大地が衝撃でどしんと陥没した。

 しかしアンリエッタは、私の動きを正確に捉えていた。

 黒の光をまとったアンリエッタの槍の矛先が、雨粒を突き崩しながら私へと突き出される。

 ふわりと体を沈ませた私は、右の剣でその槍を弾く。

 通常ならば、刃を合わせただけであらゆるものを紙の様に切断してしまう私の剣が、その黒の槍と激しく激突した。

 重い衝撃が右手に伝わる。

 白の剣と黒の槍が、激しい光を放ちながら弾けた。

 私の剣は、矛先を切り落とすどころか僅かに槍の軌道を逸らす事しか出来なかった。 

 私はしかし、突撃を止めない。

 そのままさらに黒の竜の鎧の懐に踏み込む。

「はっ!」

 腕の伸びきったアンリエッタの鎧に、左の剣を振り下ろす。

 しかしその剣は、いつの間にかすくい上げる様に跳ね上げられた黒の槍の柄に受け止められてしまった。

 再び激しい閃光が走る。

 私とアンリエッタは、至近距離で鍔迫り合い状態に陥った。

 凄まじい力で押し込んで来るアンリエッタ。

 私は弾かれた右の剣を消すと、左の剣を両手で握り、黒の鎧を押し返そうと試みる。

「セナ……。くっ、総員、引け! 下がれ!」

 そこでやっと、オレットが撤退に入った様だ。

 しかしアンリエッタは、オレットや他の隊の皆など全く気にしていない様に、じっと私だけを見下ろしていた。

『ふふふっ、あはははははっ!』

 鎧から甲高い声が響き渡る。

 私はキンキンと響くその声に、思わず顔をしかめてしまった。

『さすが天然ものね! 私とここまで競れる者なんて、今までいなかったんだから!』

 竜の兜の奥の赤い光が、ぎらりと輝きを増した気がした。

『さぁ、まだまだこれからよ! 楽しく、激しく戦いましょう!』

 私のすぐ傍に迫った黒の鎧の表面を、雨の粒がつっと流れ落ちた。

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