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第18幕

 ローデント大公さまご臨席の軍議を終えた私は、足早にお屋敷へと向かっていた。

 マントをひるがえし、いつも通りアーフィリルを頭に乗せて軍議の資料を小脇に抱えた私の後ろには、オレットさんとレイランドさんが並んで歩いていた。

 この2人も、私直属の部下として、先ほどまで一緒に軍議に参加していたのだ。

 オレットさんとレイランドさんに変わった様子はない。特に何も話さず、私の歩調に合わせて淡々と歩いている。

 オレットさんはいつも通り飄々としていて、レイランドさんもいつも通りの無表情。

 ……緊張しているのは、私だけみたいだ。

 私はむぎゅっと唇を引き締め、そっと空を見上げた。

 厚く雲が立ち込めた空からは、今にも雨が落ちて来そうだった。そのせいで、まだお昼下がりの筈なのに、周囲は少し薄暗かった。

 何だかエーレスタのこれからを暗示している様な空模様に、私はそっと眉をひそめる。

 今日の軍議で、とうとうローデント大公さま以下統帥部は、エーレスタの北部国境付近に展開しているオルギスラ帝国軍に向けて、攻撃部隊を差し向ける事を決定した。

 主力は、補充兵力を加えて再編成された第2大隊。

 そしてもちろん、私たち竜騎士アーフィリルの部隊にも出撃が命じられた。

 ……また戦いになる。

 そう考えるだけで、私は既に緊張してしまっている。

 さらに私は、これからお屋敷に戻って部隊のみんなに出撃準備の連絡をしなければならない。

 それに、ディンドルフ大隊長との打ち合わせとか部隊編成の事務手続きとか、出撃までにこなしておかなければならない事は、山ほどあった。

 再び戦場に向かうというだけでも緊張するのに、アーフィリル隊の指揮官として出撃準備も整えなければならないと思うと、あれもこれもで私はじわじわと混乱状態に陥りつつあった。

 ううう……。

 私は顔を曇らせながら、ぎゅっと手を握りしめた。

 竜騎士区画に辿り着くと、警備に立っていた近衛騎士さんが私たちに手を上げた。

 あまり見ない顔の騎士さんだ。

「やぁ、オレット副士長。今日は皆さんもご一緒で」

「おお、お疲れさん。どうだ、調子は」

 警備の騎士さんに、オレットさんが気さくに応じる。

 どうやらオレットさんとは知り合いの騎士さんみたいだ。

 私とレイランドさんは軽く会釈して通り過ぎるが、その近衛騎士さんはオレットさんを引き留めて話を始めた。

「そういえばオレット副士長は、あの新しい竜騎士さまの隊、所属なんだよな」

「ん、ああ。そうだが」

「その竜騎士さまな、噂だと凄い美人らしいじゃないか。白花の竜騎士って、今噂になってるんだが……」

「へぇ、そうなのか」

 オレットさんはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべると、足を止めて話が終わるのを待っている私を一瞥した。

 うむ……。

「俺、ここで警備してるけど、見たことないんだよな。本当に噂通りの美人なのか、その竜騎士さまって」

 期待に顔を輝かせる近衛騎士さんに、オレットさんは「ああ、凄いぞ」と適当な返事をして笑った。そしてひらひらと手を振ると、私とレイランドさんに追い付いて来た。

「随分有名になってるじゃないか」

 オレットさんがニヤニヤと笑いながら私を見下ろした。

 私は何も言い返さず、少し頬を膨らませてオレットさんを睨み上げる。

 アメルの前で勢いに任せて大人状態の姿を見せてしまって以来、何だか私に関する噂話が騎士団内に広がっている様なのだ。さらにローデント大公さまに乞われて大人状態を見せてからは、さらにその噂が大きくなりつつある。

 それも、幾分誇張されて……。

 今度出撃する部隊の中でも、ここエーレスタで編入された新規部隊の人たちが、しきりに竜騎士アーフィリルの噂をしているのだと第2大隊の参謀長さんが言っていた。

 竜騎士とはそうして皆の期待を背負うものだと、ディンドルフ大隊長は言っていたけど……。

 そんな噂も、私の緊張を大きくしている要因の1つだった。

 うう……。

 そうして色々と思い悩んでいる間に、私たちはいつの間にかお屋敷に到着していた。

 私は1時間後に隊のみんなを集めてもらえる様にオレットさんにお願いしてから、軍議の資料をまとめるべく執務室に向かった。

 その途中。

 執務室の前の廊下で、誰かが言い合いをする様な声が聞こえて来た。

 会議の資料を胸に抱いた私は、一瞬ドキリとして立ち止まる。しかしそれがいつもの2人である事がわかると、私は胸の奥からふうっと大きく息を吐いた。

「だから、絶対こっちの服の方が可愛いのに」

「執務中に、そんなひらひらの服が着れる訳ないでしょう」

「でも、大きなセナはかっこよかったからなぁ。路線変更して、そっち系のドレスもあった方がいいよね」

「……アメルさん。あなたは今、屋敷内の警備中でしょう?」

 そんな噛み合わない会話をしているのは、アメルとマリアちゃんだ。

 いつも元気いっぱいのアメルと、クールビューティーなマリアちゃんがこうして言い合いをしている光景は、すっかりこのお屋敷の日常になりつつあった。

 アメルが私の隊に加わるという事は、当初マリアちゃんを筆頭に護衛隊のみなさんから反対されてしまった。

 それは、アメルが貴族の子女であるというコネでエーレスタに入団した、典型的な第3大隊隊員であったからだ。

 エーレスタの騎士といえども剣の腕や戦闘に不安のあるアメルを、実戦の機会が多くなる竜騎士の隊に入れるべきではないという意見が出たのだ。

 その辺りの事情をあまり知らない筈のマリアちゃんも、アメルがいつもの調子で私をぎゅっと抱き締めて離してくれない現場に遭遇してからは、猛烈な反対派になってしまった。

 しかしアメルと顔見知りのオレットさんは否とは言わなかったし、あの厳格なレイランドさんからは、むしろアメルの入隊を勧められた。

 レイランドさん曰く、現状主に元第2大隊員で編成されているアーフィリル隊の構成は、あまりよろしくないらしい。

 様々な特権があったり優遇される事が多い竜騎士やその部隊が、特定の部隊や組織に近すぎるのはあまり好まれない事らしいのだ。

 そこで第3大隊からアメルを加入させるという事は、そうした批判を回避する材料になる、というのだけど……。

 ……色々と難しい。

 私としては、アメルがいてくれれば、色々と安心出来るのだけれど……。

 結局私が明確に否定しなかったために、なし崩し的にアメルが側にいる生活が始まってしまった。マリアちゃんは何だか不機嫌だったし、相変わらずアメルに批判的な隊員もいたけれど。

 しかしある時不意に、そんなアメルの真価が発揮される場面がやって来たのだ。



 それは、アメルが私たちの所にやって来てから3日が経とうとしている頃だった。

 私はお屋敷の庭で、フェルトくんに剣の稽古を付けてもらっていた。

 元の姿のままで鍛錬する事は、オレットさんやアーフィリルからも勧められていた。

 アーフィリルと融合した私は、今までその圧倒的な魔素の力と強化された身体能力で敵を倒して来た。しかしその基礎となる私自身の技術が向上すれば、きっとさらに上手く戦える様になる、という事らしい。

 私としても剣の稽古は嫌いではないから、望む所なのだ。

 そうして私は、時間を見つけてはオレットさんやフェルトくんに剣を教えてもらっていた。

 しかし、剣の道は厳しい。

 その時も私は、何度もフェルトくんに向かってはその度に転がされ、打ち倒され、全身が泥んこの傷だらけになってしまっていた。

 フェルトくんはしきりに私にアーフィリルとの融合を勧めて来たけれど、それでも私は諦めずフェルトくんに向かって突撃していた。

 そこに、レイランドさんがやって来た。

 レイランドさんは私の姿を見ると、呆れた様に息を吐いた。

「……セナさま」

「はぁ、はぁ、はぁ、なん、ですか……」

 肩で息をしながら、私はレイランドさんを見上げる。

 そんな私に、もう一度ため息を吐いて見せるレイランドさん。

「今宵の晩餐のお誘いが来ております。ローデント大公さまからです」

 抑揚のないレイランドさんの声に、私はうっと固まる。

 そこへさらに、レイランドさんが追い討ちを掛けた。

「大公さまは、セナさまの真なる竜騎士の姿とご一緒に、お食事をされたいそうです。噂に聞く美しいお姿を見せて欲しいと」

 私は息を呑んで凍り付いてしまった。

 もしかしたら、女子寮で見せた大人な私の噂が、騎士公さまのところまで広がってしまったのか……。

 私は緊張と気恥ずかしさで、頭の中が真っ白になってしまった。

 助けを求める様にフェルトくんを見る。

 しかしフェルトくんは、稽古はここまでだという風に既に片付けを始めてしまっていた。

 私はあわあわと狼狽えながら、オレットさんやサリアさん、それにレイランドさんに何とかお断り出来ないか相談してみた。しかし全員から冷静に、ここは大公さまの意に従うべきだと言われてしまった。

 私の戦う姿やアーフィリルの本当の姿を知らない一部の高級幹部の方々からは、本当に私が竜騎士なのかという声が上がっていた。そうした人たちに、竜騎士としての私の姿を示せる良い機会だ、というのだ……。

 そして結局味方を得られなかった私は、アーフィリルと融合した姿でローデント大公さまのもとに向かう事になってしまった。

 こんな人間社会のしがらみみたいなものの為にアーフィリルの力を借りるなんて、本当に心苦しかったけど……。

『人間の支配者階層というものには興味がある。ぱーてーとかいうものに参加するのだろう? 良い。力を貸そう、セナよ』

 アーフィリルは、何故かやる気満々だった。

 そうしてやむを得ず大人状態になった私が晩餐会の準備をしているところに、不意にアメルがやって来たのだ。

「お姉さまのセナ!」

 顔を輝かせて、ばっと私に抱き付いてくるアメル。

 いつもなら私がアメルの胸に埋もれるのだが、大きい姿なら対等だ。

 しかしアメルは、私の腕の中で小さくなって、私の胸に顔を押し付けていた。

「わぁ、匂いはセナのままだ!」

 猫の様にぐりぐりと私に擦り寄るアメル。

 大人状態の力で突き飛ばす訳にもいかないので、私はそのままアメルを抱き留めた。

 私の晩餐会出席の準備を手伝ってくれていたマリアちゃんが、それを見て猛然と怒り出した。

 こんな時に不謹慎だと、別に声を荒げる様な事はなかったけど、顔を真っ赤にして静かにアメルを睨み付けていた気がする。

 何故かその場にいたフェルトくんも、私とアメルの様子に明らかに動揺していた。

 いつもなら私の事なんてあまり気に掛けてくれないフェルトくんが、その時は晩餐会の準備を手伝おうと名乗りを上げてくれていたのだ。

 フェルトくんは顔を赤くして、何か言いたそうに口をパクパクさせていた。いつもの仏頂面ではなく、年相応の少年の様な表情に、私は思わず笑ってしまった。

 後になって考えれば、フェルトくん、もしかしてアメルに話し掛ける機会を窺っていたのか……。

 そんな周囲の反応をよそに、アメルはしかし、ただふざけているだけではなかった。

「お姉さまのセナは凄く格好良くて美人で素敵だと思うけど、その真っ白のドレスのまま晩餐会に出席するのは、少しダメだと思うんだ」

 私の顔を見上げ、にこりと微笑むアメル。

「綺麗なその髪も結わないとダメだよ。夜会には夜会の身だしなみってものがあるから。高貴な方が集まる場には、特にそれなりの装いというものが必要なんだよ。そこをちゃんと押さえておかないと、軽く見られちゃうんだから。セナだけでなくて、その関係者全員がね」

 そう言うと、アメルは手早く私の服装や髪型を整える準備に取り掛かった。

 それは、私やマリアちゃんがびっくりする様な手際の良さだった。

 いつもの白いドレスをアーフィリルにお願いして一旦解除してもらうと、私はアメルが手配してくれたシックな黒のドレスを身に付けた。

 体のラインに沿ったシンプルなデザインで、肩や背中がざっくりと開いたドレスだ。

 ひらひらと薄い生地のドレスは、アーフィリルと融合した私には何だか頼りない服だなとしか思えなかったけど、今になって思い返せば、恥ずかしすぎて死にそうな恰好だった。

 その服装に合わせたネックレスや装飾品も、アメルが用意してくれた。

 どうやらエーレスタの城下町には、そういう品々を貸し出してくれる業者さんがいるらしい。そんなお店があるなんて私はその時初めて知ったのだけど、貴族出身者にとっては常識の事の様だ。

 髪も、アメル自身が整えてくれた。いつもの様に単純にリボンで結ぶのではなく、複雑に結い上げてくれた。

「大人のセナの髪は綺麗だね。肌も綺麗だし、うん、ドレスが良く似合うよ」

 満足そうなアメルに、大人状態の私は驚きながらも感心するばかりだった。

 身なりだけでなく、高貴な方々が集う場での作法についても、アメルが色々と教えてくれた。歩き方や礼の仕方から、さらには微笑み方や話し方まで、その内容は様々だった。

 その手の礼儀作法に縁のなかった私は、もう素直にアメルに従うしかなかった。

 第3大隊所属とはいえ、私は平民出身。オレットさんや元第2大隊のみんなは、剣の力で騎士になった現場からの叩き上げばかり。とある王国の下級騎士出身のサリアさんは剣に一辺倒。レイランドさんは作法には詳しかったけど、女性の立場については知識の埒外の様だった。

 そしてもちろん、私の身の回りのお世話を任せられているマリアちゃんも、そんな貴族社会の事なんて詳しくない。

 私たちの隊において、高貴な方々が集まる社交場の知識を備えている者は殆どいなかったのだ。

 その点、純粋な貴族のご令嬢であるアメルは、そうした知識を小さい頃から教え込まれ、自然と備えていた。

 アメルのおかげで、ローデント大公さまの晩餐会に出た私は、周囲の偉い人たちから色々と褒められてしまった。

 ローデント大公さまに招かれた二回目の晩餐会の場は、大公さまと2人きりだった一度目と違って、正装した偉い人たちがたくさん集まっていた。

 晩餐会というよりも、私には何か盛大な式典が行われている様に思えてしまう場所だった。

 煌びやかな装飾と眩い照明が支配する中、沢山の人たちが繰り返し私に挨拶して来た。

 大人の私は、形だけの笑みを浮かべながら、しかしアメルに教えてもらった通りに挨拶を返した。

 すると、みんなが少し感心した様な顔をするのだ。

 軍令卿さまも、その1人だった。

 最初は私の姿の変わり様にただ目を丸くしているだけだった軍令卿さまも、私がアメルに教えてもらった事を心掛けて接しているうちに、最終的にはあの厳めしい顔でうむと頷き掛けてくれたのだ。

 さらには晩餐会に出席していた大公さまの奥様からも、さすがは竜騎士になるお嬢さんねと言っていただいた。

 晩餐会には、ローデント大公さまの奥様や5歳になるご子息も参加されていた。

 ローデント大公さまの長子であるウィルヘムさまは、こうした晩餐会の場にも慣れているご様子で、大人な私にも物怖じせずに積極的に話しかけて来られた。さすがは、次期エーレスタ騎士公となられる方だ。

 その場には、大公家の方々以外にも、統帥部の幹部や各国の駐留大使の方々も参加されていた。

 もしアーフィリルと融合していなければ、きっと私は緊張で倒れてしまっていたかもしれない。

 しかし大人状態の冷静さと、付け焼き刃ではあったけれどアメルが教えてくれた礼儀作法を駆使して、私は何とかその場を凌ぎきる事が出来たのだ。

 晩餐会の間中、ローデント大公さまは始終ご機嫌の様子だった。私の姿が噂通りだと満足されている様子だった。

 しかしそんな大公さまよりもさらに私を褒め称えてくれたのが、政務卿さまだった。

「結構、結構! これならば、安心して任せられる! いや、素晴らしい事だ!」

 葡萄酒の注がれた杯を手にしながら、満足そうに笑い声を上げる政務卿さま。

 蛇を思わせる顔にくしゃりと笑みを浮かべて、私に色々と話を振ってこられるのだ。

 私の武勇伝を聞かせろという政務卿さまや、不快な程近くまで身を寄せてくる高級幹部の男性騎士たちを適当にあしらいながら、私は内心辟易していた。

 私がアーフィリルに力を借りるのは、こんな場所に来る為ではなかったのにという思いが、ずっと胸の中に渦巻いていたのだ。

 しかしその晩餐会を境にして、統帥部や竜騎士隊司令部の私への態度が少し変わった様に思えた。

 それまで私が竜騎士だという事に納得がいかないという態度を取っていた人たちや、私を怪しむ様な様子が見え隠れしていた人たちも、8人目の竜騎士であるセナ・アーフィリルという存在を受け入れてくれた様に思えた。

 ……でも。

 それはあくまでも、スタイルも良くて上品なドレスで着飾って、余裕を醸し出しながら艶然と微笑む大人な私への評価だった。小さな状態の、本当の姿の私では、相変わらず竜騎士どころか騎士としてさえも見てもらえない事が多かった……。

 こうして公の場で姿を示した事によって、そんな竜騎士セナ・アーフィリルに関する噂は、さらに勢いに乗ってエーレスタの中に広がっていった。

 名前だけが1人歩きしている感は、多分にあったけれど……。

 しかし何はともあれ、貴族令嬢としての知識を見事に活用して見せたアメルは、私のお世話係第2号としてアーフィリル隊のみんなから受け入れられる事となったのだ。

 マリアちゃんだけは、未だにアメルの加入には反対していたが……。

 あの晩餐会から数日。

 廊下の真ん中で未だに良く分からない言い争いを続けるマリアちゃんとアメルを見つめながら、軍議の資料を抱えた私は、小さくため息を吐いてしゅんと肩を落とした。

 アメルは大事な友達だし、マリアちゃんは可愛い妹みたいなものだ。

 うむ……。

 2人には仲良くしていて欲しいのだけれど……。

「……もう、どうしたの、2人とも」

 私はもう一度短く息を吐いてから、アメルとマリアちゃんのもとにとととっと歩み寄った。

 2人が同時にこちらを見る。

「あっ、セナ、お帰りなさい……」

「セナっ!」

 マリアちゃんが気まずそうな顔をするのとは対照的に、顔を輝かせたアメルが駆け寄って来ると、ばっと私に抱き付いた。

「……アメルさん。セナは騎士のお仕事で疲れてるんだから」

 ツカツカと歩み寄って来たマリアちゃんが、アメルとは反対側からがしっと私の腕を取った。

「しょうがないよ。こんなにも可愛いんだから!」

 アーフィリルごと私の頭をぎゅっと抱き締めるアメル。

『うぐ』

「わわっ」

 私とアーフィリルの声が重なった。

 アメルの柔らかな感触に埋もれながら、バランスを崩した私は思わず転びそうになる。

 私を助けようと、マリアちゃんも私の腕を抱きかかえる様にして引っ張った。

 左右から抱き締められ、私は2人の間でもみくちゃにされてしまう。

『うむむ……』

 アーフィリルは、いつの間にか私の頭の上から離脱していた。私たちから少し距離を取り、こちらをじっと見つめている。

 見捨てられた……。

「……何をしているのですか」

 そのアーフィリルの背後から、刃の様に冷ややかな声が響いた。

 レイランドさんだ。

 いつの間にか廊下の先に立っていたレイランドさんが、眼鏡の奥の鋭い視線を私たちに向けていた。



 アメルとマリアちゃんから解放された私は、軍議の資料をまとめた後、カツカツとブーツの踵を鳴らしながら食堂へと向かった。

 お屋敷の中でも一番広い食堂には、既にオレットさんとレイランドさん以下アーフィリル隊の殆どの隊員たちが集まっていた。

 今ここにいないのは、現在お屋敷の警備についている人たちと、第2大隊の駐屯地にいる一般兵の皆さんくらいだ。

 その兵士さんたちの代表として、オーズさんとその部下の兵士さん1人がこの場に集まってくれていた。

 もちろんマリアちゃんとアメルも集まっている。さっきまで喧嘩していたのが嘘みたいに、2人で並んで立っていた。

 騎士が23名。そこに一般兵士のみなさんを加えた総勢52名が、現在の竜騎士アーフィリル隊の陣容だった。

「総員、姿勢を正せ!」

 私が2列横隊を組むみんなの前に出ると、オレットさんが号令を掛けてくれた。

 うくっ。

 オレットさんの声に、私も思わず体を強張らせる。

 みんな知っている顔ばかりで普段は気軽に話せる人たちばかりなのだけど、こうして前に立って注目を浴びると、やはり緊張してしまうものだ。

「総員、竜騎士セナ・アーフィリルさまに、敬礼!」

 オレットさんの鋭い号令のもと、姿勢を正したみんながザッと一斉に敬礼した。

 その迫力に幾分気圧されてしまいながらも、私は大きく息を吸い込んでむんっと精一杯胸を張ると、みんなに敬礼を返した。

 再びオレットさんの声が響いて、みんなが休めの姿勢になった。

「えっと、その、みなさん、お疲れさまです!」

 私は頑張って声を張り上げる。そして、さっとみんなを見回した。

「……えっと、私から本日の軍議で決まった事について、ご連絡させていただきます」

 キッと表情を引き締めると、少し間を置いてから私は、すっと息を吸い込んだ。

「ローデント大公さまより本日、直々にご命令がありました。出撃です。明後日、第2大隊を主軸とした部隊が出撃します。これは、エーレスタ領内に残っているオルギスラ帝国軍撃退の為の作戦行動です」

 今回準備されている味方の兵力は、約2万。

 それに対してオルギスラ帝国軍の兵力は、約8千から1万弱と推定されている。

 味方の数が大きく上回っているとはいえ、これだけの数の部隊がぶつかれば、きっとまた激しい戦いが起こる筈だ。今度は、エーレスタの北部国境地帯を舞台にした戦いが……。

 しんっと静まり返ったお城の会議室で、ローデント大公さまから戦いの始まりを告げられた瞬間、私はきゅっと眉をひそめてしまった。

 もちろんエーレスタ領内から完全に帝国軍を追い出すには、最低でももう一戦は行わなければいけないかなと思っていた。

 しかしいざ出撃という事態を目の当たりにすると、胸の中がどんよりと重く、暗くなってしまう。

 大きな戦いが起これば、味方の騎士さまや兵士の皆さんにも被害が出てしまうだろうから……。

 しかしまた戦が始まると聞いても、フェルトくんをはじめ、私を見つめる隊のみんなには少し気負った雰囲気はなかった。

 ……さすがは、元第2大隊のみんなだ。

 実戦慣れしている、という事なのだろう。

 マリアちゃんは私と同じ様に顔を強ばらせているし、アメルはこの状況をわかっているのかわかっていないのか、いまいち不安だったけど……。

 あ。

 アメルと目があった。

 満面の笑みを浮かべるアメルに、私は思わず脱力しそうになる。

 うむむ……。

 私は軽く息を吐いて、気持ちを切り替えた。

「……これに伴って、私たちの部隊にも出撃命令が下りる事になりました。私たちは第2大隊主力に同道して北上。主戦場と目されている北部国境ブランツ峠へと向かいます。私たちの隊の役割は、帝国軍の魔素攪乱弾の迎撃と発射元の殲滅です。遊撃部隊として、主力部隊を援護します」

 私はぐっと手に力を込めた。

 ……魔素攪乱幕をいかに使用させないか、活用させないかで、味方の被害数が変わってくる。

 やるべき事は以前の戦いと変わらないけど、今回は単独で動いていた時とは違って部隊としての動きが求められる。本隊との連携にも注意しなければならないし、色々と大変かもしれないが……。

 頑張らなければ!

 ここが、エーレスタの平和を守る為の正念場だ。

 私はうむっと決意を新たにする。

「……セナ」

 そこに、オレットさんの小さな声が響いた。

 オレットさんが、じっと私を見つめていた。

 ……そうだった!

 戦いに赴くみんなに激励の言葉を掛けるようにと、事前にオレットさんに言われていたんだった。

「えっと、今回が私たちの部隊としての初任務になります。みんなで力を合わせて、帝国軍を撃退しましょう。そして、エーレスタに平穏を取り戻しましょう。えっと、その、私も全力で戦いたいと思います! どうか、みなさんの力も貸してください! よろしくお願いします!」

 私は精一杯お腹から声を出すと、ばっと頭を下げた。

 頭の上のアーフィリルが空中に退避し、私が顔を上げるとまたぽすっと元の位置に戻って来た。

 私の言葉を聞いたみんなが、ざわざわとし始める。

 う。

 私、なんか変な事を言ってしまっただろうか……。

 私は思わずひらひらスカートの裾をぎゅっと握りしめると、きゅっと眉をひそめてキョロキョロと周囲を見回した。

 しかし隊のみんなは、混乱しているとか不満を表しているという様子ではなかった。

 みんなこそこそと何か話しながら、ニヤニヤと笑みを浮かべて私を見ている。まるで、何か微笑ましいものを見るみたいに……。

 いつも喧嘩しているアメルとマリアちゃんも、今は2人同時にうんうんと頷きながら私に微笑みかけていた。

 ……激励の台詞、机の上に置いたアーフィリルを相手に何回も練習してみたんだけど、ダメ、だっただろうか。

 不安に顔を曇らせる私に、オレットさんが歩み寄って来た。

「セナ。悪くない挨拶だったが、部隊指揮官というのは偉そうにどんっと構えておくもんだ。頭を下げたりせずにな」

 オレットさんが、そこでふっと笑った。

「まぁ、みんなは今のセナのままでいいみたいだけどな」

 オレットさんは、ぽんっと私の肩を叩いた。

 うーん……。

 指揮官というのは、難しい……。

 小さくため息を吐く私の隣に並んだオレットさんが、隊員のみんなに向き直った。

「まぁ、我が隊の方針は、今竜騎士さまが伝えた通りだ。皆、竜騎士さまが泣いてしまわない様に、全力を尽くせ!」

「「了解!」」

 オレットさんの良く通る声に、みんなの声が重なって響いた。

 一斉にみんなが姿勢を正す。空気がピリっと引き締まった気がする。何だか私の時とは大違いだ。

 でも。

 ……私、そんなに簡単に泣いたりしないもん。

 私はむうっと隣を睨み上げるが、オレットさんは構わずみんなに向かって話を始めていた。

 ローデント大公さまご臨席の軍議で伝えられた、現在のオルギスラ帝国を取り巻く状況についての話だ。

 サン・ラブール条約同盟国各国に派遣された竜騎士さまや味方部隊から得られた情報によると、オルギスラ帝国軍の侵攻は、帝国と国境を対する条約同盟国東側全域において発生しているらしい。

 この一連の戦いの端緒となった北部の国アーテニアでは、そちらに展開するエーレスタ騎士公国第1大隊の奮戦によって辛うじて帝国を跳ね返している様だが、エーレスタ騎士団が派遣されていない国や電撃的に帝国の侵攻を受けてしまった地域では、既に帝国軍に占領されてしまっている場所もあるそうだ。

 私たちがメルズポートで戦っている間、別の地域ではオルギスラ帝国軍が快進撃を続け、既にサン・ラブール条約同盟国の領域の3割ほどの地域が敵の手に落ちてしまっているらしい。

 多方面から各国の不意を突いた電撃的な侵攻を行うオルギスラ帝国軍に、サン・ラブール条約同盟国は翻弄され、組織的な反抗が出来ていないというのが現在の状況だった。

 こんな作戦を展開出来るだけの大兵力。それに、各国軍隊に多大な損害を与えている帝国の新兵器……。

 オルギスラ帝国はかなり前からこの戦争への準備を進めていたのだろうが、それに対してサン・ラブール条約同盟国側は完全に後手に回ってしまっていた。

 オルギスラ帝国側にある私の故郷、ハロルド伯爵領の事が心配だったけど、あそこは重要性など何もない山の中の田舎だ。それこそ、帝国に追われたガラード神聖王国の残党が逃げ込む様な辺境なのだ。

 無事だと信じたいけど……。

 私は小さく頭を振る。

 ……今は、目の前の状況に集中しなければならない。

 オレットさんの話は、サン・ラブール条約同盟国全体から、このエーレスタ近辺の地域に移っていく。

 エーレスタ騎士公国の隣国にしているサン・ラブール条約同盟国最大の国であるウェリスタ王国も、既に東側国境付近で帝国軍と交戦状態に突入しているみたいだ。

 私たちが今回迎撃に向かうエーレスタ北の帝国軍は、そのウェリスタとエーレスタ、そして北東のカルザ王国と国境を接する地域に布陣していた。

 東部戦線で手一杯のウェリスタには、こちら側の敵に対応している余裕がない様だった。さらに小国のカルザには、帝国軍を相手にする様な力はない。

 ここは私たちエーレスタが帝国軍を倒さなければならないのだ。

 戦火は、日に日にどんどん拡大している様だった。

 今回の戦いに勝てば、エーレスタ領内には平和は戻るかもしれないけど、サン・ラブール条約同盟国全体では、まだまだどうなるか状況が読めない状態が続くだろう。

 オレットさんの話を聞いた隊員のみんなの間に、微かなどよめきが起こった。

 今まで自分たちの、エーレスタの事で手一杯で外に目を向ける余裕などなかったけど、実は世界中が酷いことになっていると知れば動揺するのは当たり前だ。

 私も、ローデント大公さまの会議室でこの話を聞いた時は、目を見開いて言葉を失ってしまった。足元がぐらぐら揺れて、床に沈み込んでしまう様な感覚に襲われてしまった。

 私は顔をしかめて、ぎゅむっと唇を噛み締める。

「さらに現在確認中の情報ではあるが、カルザ王国とその西、ノルトハーフェンが陥落したという話がある」

 オレットさんが低い声で告げる。

 みんなから、今までで一番大きなどよめきが上がった。

 私は目を細めて床を睨んだ。

 ノルトハーフェンは、サン・ラブール条約同盟に加盟する小さな都市国家だ。領土などは殆ど持たないが、サン・ラブール条約同盟国内でも最大規模の港を擁する海上交通の要衝となる国だった。

 その為ノルトハーフェンには、強力な海軍が存在する。さらには、ノルトハーフェンを母港にして各国の軍船が集まり、条約同盟国の連合艦隊を形成していた。

 そのノルトハーフェンがあるのは、サン・ラブール条約同盟国の西の端。

 さすがにオルギスラ帝国軍がそこまで侵攻しているという事はない。

 しかしそのノルトハーフェンが落ちたとなれば、考えられるのは帝国軍が海上から侵攻を仕掛けて来たという事態だ。

 メルズポート北会戦で私たちが対したあの黒い船を思い出す。

 確かに鋼鉄で覆われたあの巨大な船が艦隊を組んで押し寄せれば、サン・ラブール連合艦隊も分が悪いかもしれないけど……。

 それにしても、味方の海上戦力がそうも簡単に敗れるとはなかなか考えられない。

 いや。

 信じたくない……。

「さらに、カルザ王国とも連絡が取れないとなると、オルギスラ帝国軍が西側から侵攻を仕掛けて来ているという可能性がさらに高くなってしまう」

 オレットさんの声は低く平板だった。最悪の事態を、淡々と告げているという感じだ。

 サン・ラブール条約同盟国の西側は、大洋が広がっているだけ。

 海の先には何もない。

 大陸沿岸部に商船航路はあるけれど、まさかそちら側からオルギスラ帝国軍が侵攻して来るとは、誰も想定していないだろう。

 ……この推測が確かなら、危険な状況だ。

 そしてその推察を裏付けているのが、エーレスタ北部国境に未だに留まっている帝国軍の動きなのだ。

 これは政務卿さまや軍令卿さまも指摘していた事だけど……。

 敵が公都攻略に失敗しながらも未だにエーレスタ領内に留まり続けているのは、援軍を待っているから。それもオルギスラ帝国本国がある東に逃れる事なく中途半端な位置にいるのは、ノルトハーフェンから侵攻して来る帝国の援軍を待っているからではないか、というのだ。

 確かにそれなら、現在の状況と良く符合していると思うけど……。

「今回の作戦では、そうした敵の援軍にも備えておかなければならない。皆、気を引き締めて欲しい」

 オレットさんの言葉に、隊の全員が姿勢を正すのがわかった。

 居並ぶフェルトくんや女性騎士のみんなの目がギラりと光る。

 こんな厳しい状況下でも、みんな闘志を失っていない。

 私はそんなみんなを見回しながら、力を込めて小さく頷いた。

「俺が世界情勢について話をしたのは、皆にエーレスタ領内の戦闘だけでなく、その後の展開についても考えておいてもらいたいからだ」

 状況説明はこれで終わりだと思っていた私は、さらに続けて口を開いたオレットさんを、はっとして見上げた。

「今までの様に一般部隊であるなら、目の前の敵と対するだけで良かっただろう。しかし竜騎士付きとなった今は、それだけでは不足だ」

 オレットさんが食堂内を見回してから、私を見た。

「これから俺たちは、竜騎士セナと共にいる限り、世界の動きに合わせて戦って行く事になるだろう。竜騎士の力とは、存在とは、それ程に大きいものだからだ。これは、騎士としては大きな名誉だ。しかし、世界の動きや時勢というものには、時として国であっても抗えない残酷さがある。そういったものと対さなければならないのも、竜騎士隊の宿命だと思っていてくれ」

 オレットさんは、少し遠くを見る様な目をしていた。

 何かを思い出しているみたいな……。

 その視線の先には、眉をひそめているフェルトくんがいた。フェルトくんは、何の話かあまり分かっていない様な表情だった。

 世界。

 世の中の流れ……。

 竜騎士という存在……。

 私はオレットさんが伝えようとしているものの大きさに、ただ茫然とする事しか出来なかった。

「まぁ、要は気を引き締めて行けって事だ」

 オレットさんはふっと笑って私を見た。

「そう怖い顔をするな。セナはセナの思うところを信じて進め。俺たちみんなは、それに付いて行ってもいいと思ったから、ここにいるんだ」

 オレットさんはそう言うと、私の背中をぽんっと叩いた。

 隊員のみんなを見ると、サリアさんやオーズさん、それに女性騎士のみんなが、私を見て頷いてくれていた。

 マリアちゃんが小さく微笑み、アメルがぶんぶんと首を縦に振っている。

 レイランドさんは無表情だったけど、フェルトくんはガリガリと頭を掻いていた。

「……はい」

 私は大きく頷く。

「頑張ります!」

 そしてぎゅっと手を握り締めて、元気良く決意の言葉を口にした。

「はは、また指揮官の言葉じゃないなー」

 オレットさんが笑い、さらに食堂内にみんなの笑い声が満ちた。

 ……うぐぐ。

 私ははっとして唇を噛み締める。

 また、やってしまった……。

「それでは総員、装備の確認は怠るな。戦域がエーレスタの近くだ。補給は気にしなくていい。体を休め、魔素の充実に伝えておけ」

 細かい指示をてきぱきと飛ばしたオレットさんが、さらに何かあるかと私を見た。

 私は気恥ずかしさで赤くなった顔を引き締めながら、小さく首を振った。

「それでは解散。フェルトと各小隊長は残れ」

 オレットさんが敬礼をする。みんなもさっと動きを合わせて敬礼した。

 少し慌てて姿勢を正すと、私もみんなに向かってばっと敬礼した。



 出撃の当日。 

 その日はどんよりと曇っていて、少し蒸し暑かった。

 雲の間からは薄日が射していて、今すぐに雨が降りそうという訳ではなかったけれど、風もなくて何だか空気が淀んでいる様だった。

 エーレスタには珍しく湿度も高くて、いつの間にかじんわりと汗が滲んでしまう。

 さらにこの場に集まった騎士や兵士の皆さんの熱気が、そんな周囲の気温をさらに引き上げてしまっている様な気がした。

 今私たちアーフィリル隊の周囲は、公都周辺の平原を埋め尽くす様に集結した無数の軍勢で埋め尽くされていた。

 このすべてが、北部国境のオルギスラ帝国軍を撃退するための部隊なのだ。

 私たちアーフィル隊も含めたディンドルフ大隊長指揮下の2万を超える部隊が、ここ公都の正門外に集結し、出撃の時を待っていた。

「横隊3列! 遅いぞ!」

「行け、行け、行け!」

「ブラック隊はそこで止まれ!」

「点呼開始!」

「伝令が通るぞ! 道を空けろ!」

 あちこちから、怒号の様な号令や命令が聞こえて来る。

 出撃の時間を前にしても、未だ公都の城門からは、完全武装の部隊が続々と出て来ているのが見えた。

 これほどの規模の軍勢ともなれば、なかなか簡単には身動きがとれないものだ。

 しかしそうした部隊運用に慣れている筈の第2大隊が主力になっているにも関わらず、こうして出撃準備に手間取ってしまっているのは、近衛隊の一部が急遽参戦するという想定外の事態があったためらしい。

 先ほどディンドル大隊長のところに出向いた私に、第2大隊の参謀長さんが顔をしかめてそう説明してくれた。

 どうやら統帥部やサン・ラブール条約同盟国の一部から出ている批判を収める為に、政務卿さまの助言を受け入れたローデント大公さまが、近衛隊の参戦を命じたらしい。

 公都防衛に成功した後、味方の損害を恐れて即座に帝国軍を追撃しなかった事や、その後も撤退や降伏の勧告などを行い、残存する帝国軍を駆逐しなかった大公さまの判断が、ウェリスタ王国やエーレスタ内の一部強硬派の反発を招いている様なのだ。

 穏健派と言われているローデント大公さまの慎重な姿勢が、今回はエーレスタの対応の遅さと見なされている、という事なのだろう。

 しかし結果的に討伐軍の派遣が決まってしまった現状においては、近衛も動員して早急に事態を収めたいというのがローデント大公さまのお考えの様だった。

 やはり政治というか、偉い人の立場というのは、何かと大変だなと思う。

 私は整列したみんなを見回しながら、ほっと小さくため息を吐いた。

 その時、遠くからわっと歓声が上がるのが聞こえた。

 続いて、どしんと地響きが起こる。

 そちらに目を向けると、居並ぶ軍勢の中に土煙を巻き上げる黄土色の巨大な塊が見えた。

 本体に比して少し小さめの羽がゆっくりと折り畳まれる。

 ……あれは、竜だ!

 黄岩竜ドラストと、竜騎士サルートさまが、今到着したのだろう。

 ドラストとサルートさまは、今回の作戦において私の他に参戦するもう一組の竜騎士さまだ。

 黄岩竜ドラストは、その二つ名が示す通り岩の様な体躯を誇る巨大な竜だ。その巨体は飛行にはあまり向かないみたいだけど、分厚い鱗は鉄壁の防御力を誇り、その突進力は要塞の城壁も易々と突き破るらしい。

「あちらの竜騎士さんも出てきたな。セナ。こっちも出してやれ」

 隣に立つオレットさんが、ちらりと私を見た。

「……はい!」

 私はこくりと頷くと、頭の上のアーフィリルを抱き上げる。そしてふわふわのその白い竜を、前方に掲げた。

「お願い、アーフィリル!」

『うむ』

 私の声に、アーフィリルが重々しく頷いてくれた。

 そして周囲に、パッと白の閃光が走った。

 次の瞬間。

 私の手の中から、アーフィリルの感触が消える。

 ふわりと風が巻き起こり、私の髪を揺らした。

 白の光が消えた私の眼前で、純白の大きな翼が広がった。長く伸びた尾が、ゆっくりと波打つ様に揺れる。

 私の目の前に、一瞬にして白の竜が現れる。

 緑の大きな目を細めたアーフィリルが、元の立派な竜の姿で私を見下ろしていた。

 アーフィリルが、大きな頭を私に擦り寄せて来る。

 私は、その鼻梁をぽんぽんと叩いた。

「うおおお!」

「白の竜だ!」

「白花の竜騎士さまだっ!」

「すげぇ!」

「これなら、帝国軍だって敵じゃないな!」

 アーフィリルを見上げる周囲の騎士や兵士の皆さんが、口々に喝采を上げた。

 特にエーレスタから新たに合流した部隊の人たちは、目を輝かせながらまじまじとアーフィリルを見つめていた。

 竜騎士が同道する部隊の出撃に際しては、こうして竜の姿を示すのがエーレスタ騎士団の慣例になっているらしい。

 もちろん、最強の存在である竜の姿を示し、部隊の士気を高める為だ。

 他の部隊だけでなくサリアさんやフェルトくんたち私の隊のみんなも、じっとアーフィリルを見上げていた。

「……アーフィリル、また力を貸してね」

 ……どうかみんなを守り、敵を撃退するための力を。

 私は小さく呟きながら、アーフィリルの頭を撫でた。

 やがて号令のラッパが響き渡り、各級指揮官さんの号令や馬の嘶きがあちこちで上がり始めた。大地を埋め尽くしている軍勢が、ゆっくりと動き始める。

 それはさながら、大地そのものが動き出したかの様な光景だった。

「出陣!」

「進め!」

 私たちの周囲でも、徐々に部隊が動き始める。

 ……戦いが始まる。

 私はドキドキする胸にそっと手を当てた。

 アーフィリルがばさりと大きく翼を動かした。

 その勢いで巻き上げられた空気が、アーフィリル隊の旗を大きく揺らした。

 今回の出撃に際してローデント大公さまが送って下さった、竜と白い花が意匠化された私たちの部隊の旗だ。

 私はオレットさんに手伝ってもらいながら、もぞもぞとアーフィリルに騎乗した。

「それでは、私たちも出ます!」

 私は隊のみんなを見渡しながら、声を張り上げた。

 そして私たちは、一路北を目指す。

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