第17幕
長い夏の日が傾き始めると、お屋敷の中にも魔晶石の明かりが灯り始めた。
鈍く光る手入れの行き届いた廊下や、小さな花柄があしらわれた壁紙が、淡い光に照らし出される。
窓の外の林は、もうすっかり闇に沈んでいた。耳を澄ませると、微かに宵の虫の音が聞こえてくる。
ローデント大公さまから与えられお屋敷の中を見回っていた私は、2階の廊下から窓の外に目をやりながらふいっと息を吐いた。
……そろそろオレットさんたちのところに戻ろうかな。
ふっと目の焦点を変えると、曇り1つなく綺麗に磨き上げられた窓ガラスに、頭の上に白いふわふわのアーフィリルを乗せた私の顔が映り込んでいた。
茶色の髪をポニーテールにまとめた少女が、大きな緑の瞳でじっとこちらを見つめていた。身長が低いせいで、窓にはあまり起伏のない胸までしか映り込んでいない。
……こんな私がエーレスタの竜騎士さまだなんて、自分でも何だか信じられない。
ディンドルフ大隊長や他のみんなに竜騎士さまと呼ばれても、今まではオルギスラ帝国軍と戦うので精一杯で深く考える余裕がなかった。
でも、エーレスタに戻ってローデント大公さまとお話して、お屋敷とか領地とか自分の部隊などと言われれば、否が応にでも自分が竜騎士になるんだという事を実感せずにはいられなかった。
うむむむ……。
私は窓から目を逸らし、みんなが待っている一階の居間を目指して歩き出した。
「アーフィリル」
『何か?』
私は、頭上のアーフィリルにそっと手をやった。
「……アーフィリルは竜、でいいんだよね」
思わず、そんな下らない事を聞いてしまう。
『うむ。少なくとも犬ころではないな』
アーフィリルがぱたぱたと振った尻尾が、私の束ねた髪に当たる。
私はそうだよねと小さく呟きながら、ゆっくりと階段を降りた。
竜であるアーフィリルと契約した私は、やはり竜騎士という事になるのだと思うけど……。
私はポンポンと階段を下りながら、周囲を見回した。
……こんなお屋敷に住む事になるなんて、思ってもみなかった。
このお屋敷の中については、既に概ね確認済みだった。それほど複雑な作りではなかったけれど、やはり私1人が住むには広すぎると思う。
2階には客間の様な部屋が沢山あって、どの部屋も今すぐ使える様に整えてあった。1階にもやはり複数の部屋の他に、立派な居間や台所、それに広いお風呂もあった。
……お風呂については、なかなか魅惑的だけど。
なんだか故郷のハロルド伯爵邸よりも、立派なお屋敷だ。
この間まではアメルと同室の寮の部屋が私の家だった訳で、やはり時間が経てば経つほど、この状況の変化が信じられなくなってくる。
『セナよ。我からも尋ねてよいか』
スカートをふわふわと揺らしてたんッと1階に降りたところで、アーフィリルの声が響いた。
「何?」
『うむ。昼間セナが会っていた者は、身分の高い者なのか?』
アーフィリルが言っているのは、ローデント大公さまの事だろうか。
私は、コクリと頷いた。
「この国で一番偉い人だよ。竜騎士と竜をも統べる騎士公さま」
答えながら、私はむむむっと眉をひそめた。
そういえば、大公さまが晩餐を一緒にとかおっしゃっていたが、まさか本当に……。
『竜を統べる、か。ふむ。しかし、彼の者には証がある様には見受けられなかったがな』
アーフィリルが、ぶつぶつと難しい事を言っている。
私たちにはエーレスタ騎士公国を統べる方でも、アーフィリルにとっては何か違う捉え方があるのだろうか。
大公さまとお話ししている間私の膝の上でお座りしているだけだと思っていたアーフィリルも、色々と周囲を観察していた様だ。
「証って何?」
『うむ。それは、かつて我ら竜種が創造されたおり、我らが主になる者が所有する認証鍵として生み出されたのだ』
「竜たちの伝説の宝物、みたいな感じかな」
『然り。しかし我らにとってのというより、世界にとってのという方が正しいかもしれぬ』
アーフィリルとぶつぶつお喋りをしているうちに1階の居間の前まで辿り着いた私は、その扉をガチャリと開いた。
廊下よりも明るい光が、パッと溢れた。
開け放たれた窓から流れ込む気持ちのいい夜風が、居心地の良さそうなこぢんまりした居間を満たしていた。
微かに、夏の夕方の匂いがする。
「お、戻ったか、セナ」
大公さまの執務室程ではないけど十分立派な作りのソファーにぐたりともたれ掛かっていたオレットさんが、頭だけを動かして私を見た。
「探検はどうだった?」
ニタリと意地の悪そうな笑みを浮かべるオレットさん。
……何だかからかわれている気がする。
私は小走りに部屋を横断すると、オレットさんから離れた位置のソファーにぽすっと腰掛けた。
「サリアさんは?」
アーフィリルを隣に下ろしてからオレットさんを見る。
「ああ、あの秘書官と話してる。今晩の晩餐会の件でな」
……うっ。
オレットさんの言葉に、私は思わずうぐっと顔をしかめた。
やっぱり本当にあるんだ、晩餐会……。
私が竜騎士に相応しいのかとか、こんな大きなお屋敷に住んでもいいのかという様な悩みよりも、取り敢えず眼前に大きな課題があったのだ。
私は肩を落として、小さく溜め息を吐いた。
今から既に、お腹がきゅっとする……。
そこに、軽やかなノックが響き渡る。
「失礼致します」
良く通る低い声が響く。
きっちりと黒のフロックコートを着こなしたレイランドさんが、優雅な所作ですっと居間に入って来ると私に一礼した。
政務卿から私の秘書官に任じられたレイランドさんは、眼鏡の奥の鋭い眼光を私に向ける。
「アーフィリルさま。そろそろ晩餐会の準備をお願い致します。大公さまをお待たせする様な事があってはなりませんので」
私はびくりと肩を震わせる。
そして一瞬の間の後、ぎゅっと唇を引き結んで立ち上がった。
「セナさま。こちらへ。私がお手伝い致しますから」
レイランドさんの後から、今度はサリアさんが現れた。
短くまとめた金髪を揺らしながら微笑む女性騎士のサリアさんは、戦闘中の凛とした顔とは対照的に何だか楽しげな表情だった。
もともとはそういう明るい人なのかもしれないけど……。
私はもう一度深く溜め息を吐きながら、とぼとぼとサリアさんとレイランドさんのところへ向かった。
その私の足元を、とてとてと足を動かすアーフィリルが付いてきた。
「……まぁ、頑張れ」
背後から、オレットさんの軽薄な声が響く。
私はキッとオレットさんを睨んでから、居間を出た。
何をお話したのか、何を食べたのかよく覚えていないローデント大公さまとの晩餐会の後。
お屋敷に戻った私を、第2大隊駐屯地から呼び寄せられたフェルトくんやマリアちゃん、それにオーズさんや他の女性騎士の皆さんが待ち受けていた。
オレットさんが、私の護衛隊の隊員として呼び寄せたそうだ。
もちろん、ディンドル大隊長の許可の下で。
ノースリーブの白い上等な生地に青い花飾りがあしらわれたドレスを身に着け、髪も青い花のリボンで結い上げていた私は、挨拶をするよりも前にそんなみんなに揉みくちゃにされてしまった。
可愛い可愛いと言ってもらえるのは嬉しいけど、頭を撫で続けるのはやめて欲しい。こんな時に限ってアーフィリルは頭の上にいてくれないし……。
特にマリアちゃんは、必死で私に手を伸ばしていた。少し怖かった。
そんな事もあり、私は護衛隊のみんなへの挨拶もそこそこに、自室に定められた部屋に逃げ込んでしまった。そしてそのまま、ベッドに倒れ込んでしまった。
緊張続きで、もうくたくただったのだ。
精神的に……。
アーフィリルが何故か背中に乗っているのがわかったけど、私はそのまますうっと眠りに落ちてしまった。
その次の日も、私には様々な仕事が待ち受けていた。
女性騎士さんの1人が用意してくれた朝食を終えると、書斎の大きな執務机に向かって数々の書類作成を命じられる。
もちろん、秘書官のレイランドさんからだ。
しかし元々隊務管理課にいた私にとっては、所属部隊異動や転居の書類などを揃えるのはそれほど苦にはならなかった。どれも見たことのある書類ばっかりだったからだ。
昨日変な寝方をしてしまった為に、ぴょこんと髪が跳ねる寝癖が付いてしまった私は、髪を気にしながらもさらさらと書類を仕上げてしまう。
まだエーレスタに帰還して2日目だというのに、第3大隊基幹中隊派遣隊務管理課付きだった私が、統帥部直轄竜騎士隊所属竜騎士セナ・アーフィリルに身分変更する書類の一式が、既に全て用意されていた。
その上その書類は、殆どが私の署名欄以外は既に完璧に整えられた。
驚くべき早さだと思う。
こういう書類仕事は、大概実態よりもかなり遅れた事後作業になる事が多いんだけど……。
「ふむ。書類は完璧ですね。大したものだ」
私の執務机の前に仁王立ちし、作成したばかりの種類をチェックするレイランドさんが、眼鏡を押し上げて私を見下ろした。
私は安堵の微笑みを浮かべる。
しかし。
「では10分後に出発致します。ご準備を」
レイランドさんが優雅に一礼し、書斎を出て行く。
……問題は、この後のスケジュールだった。
次の私の仕事は、竜騎士隊司令部や公都在留の竜騎士さま。それに統帥部の幹部のみなさんなどへの挨拶回りになっていた。
昨日のローデント大公さまとの会見に続き、偉い人たちに沢山会わなければいけないのは、単純に私にとって気の重い仕事だった。
精神的に……。
それでもレイランドさんは、事前に取り決めたタイムテーブルに基づいて、次々と予定を消化していく。私はただただその後にパタパタとついて行くだけだった。
うう……。
そうして一通り挨拶回りを終えた時には、既に夕方になってしまっていた。
お屋敷に帰り着いた時には、私はまたもやくたくたになってしまっていた。アーフィリルと融合して戦場に出た訳でもないのに。
……激務だった。
竜騎士のお仕事が、こんなにも愛想笑いが必要なものだなんて思いもしなかった。
「お疲れ様です。本日の予定はこれにて終了致しました」
書斎の執務机でレイランドさんの報告を聞いた私は、ほうっと深く安堵の息を吐いた。
レイランドさんが執務室を出て行くと、私はぽすっと広い机の上に突っ伏した。
「うう……」
ぐでんと力を抜きながら、もう一度深く息を吐く。
『人間とは、実に多種多様な者がいるのだな。実に興味深い』
色々な立場の色々な人たちと出会えて、アーフィリルはご機嫌だった。
机に突っ伏す私の頭を、ぽんぽんと前足で叩くアーフィリル。
確かに沢山の人たちに会ったのだが、その殆どの方々の私に対する反応は、あまり芳しいものではなかった。
私は頭だけを横に向けて、お座りをするアーフィリルをツンツンとつついた。
緊張はしていたけど、私も一生懸命挨拶したのだ。
これから精一杯頑張りますと決意表明を行ったつもりだったけど、相手側は微妙な表情をする方ばかりだった。
ぴょこんと跳ねた寝癖を直しきれなかったのがいけないのかと思ったけど……。
どうやら皆さん、私が小さいのと、子犬みたいなアーフィリルの姿に不安を抱いていらっしゃる様だった。
こんなのが、新鋭の竜騎士で良いのかと……。
私は、ゆっくりと体を起こした。
私自身が、まだ自分がエーレスタの竜騎士になったと実感出来ていないのだ。
……皆さんが不安を覚えるのも、当然かもしれない。
私は少しだけ目を瞑って、深く息を吐いた。
竜騎士として相応しくあろうとするならば、やっぱり今の私ではまだまだ力不足だと思う。
もっと頑張らなければ……。
私は椅子をずらして立ち上がる。そして、うんっと伸びをした。
オレットさんかフェルトくんに剣の稽古を付けてもらいたい気分だったけど、やっと得られた自由時間なのだ。
私には、昨日から機会を窺っている大事な用事があった。
スカートをふわふわ揺らして、私はレイランドさんの秘書室に向かう。
秘書室の扉をノックすると、低い返事が聞こえた。
私は静かに扉を開き、中を窺う。
「レイランドさん。少し外出して来てもいいですか?」
執務机に向かっていたレイランドさんが、ドアから顔を覗かせる私を鋭い目で見た。
「構いませんが、護衛はお連れ下さい」
「あ、はい!」
私は勢い良くコクリと頷いた。
足元では、私と同じ格好でアーフィリルが室内を覗いていた。
「どちらに行かれるのですか?」
レイランドさんがくいっと眼鏡を押し上げる。
「えっと、その、女子寮に一度戻りたいと思うんです。荷物もありますし……」
私はそこでふっと微笑んだ。
それだけではなく、アメルにも会って色々話をしておきたかったのだ。
……何せアメルは、私がエーレスタに来てからずっと一緒に暮らしている友達だったから。
きちんと帰還報告をしないと、きっと今も心配してくれているに違いないし。
「そうですか。お気を付けて。明日も色々と予定がございます。なるべく早くお帰り下さい」
平板な口調でそう告げたレイランドさんにもう一度はいっと元気よく返事を返してから、私は秘書室のドアを閉じた。
ファレス・ライト城の敷地の中なのだから護衛なんて必要ないと思うけど、付き添いはマリアちゃんにお願いしようかなと思う。ついでに、アメルにマリアちゃんを紹介しよう。
私は足元のアーフィリルを抱き上げて、ぱたぱたと駆け出した。
オレットさんやフェルトくんなど私の護衛隊に入ってくれる事になったみんなの一部は、お屋敷裏手の別館で生活する事になっていた。
しかしマリアちゃんは、オレットさんから私の身の回りの世話も依頼されていたので、このお屋敷の1階の部屋を使う事になっていた。
マリアちゃんは、「別にいいけど」とぶっきらぼうにその任を引き受けてくれた。
私としては、年下のマリアちゃんに色々と迷惑をかけるのは嫌だったけど、でも近くにマリアちゃんがいてくれるならまぁいいかなと思っていた。
……家族も故郷の村も失ったマリアちゃんが、ここで静かに暮らしてくれれば私も嬉しい。
メルズポートに残った他の村人の人も元気にしているだろうか。
この戦いが落ち着いたら、アーフィリルに乗って様子を見に行ってみようかと思う。
そんな事を考えながら、私はひらひらとスカートを揺らしてマリアちゃんの部屋へと向かった。
お日様が沈み、黒いシルエットになり始めた巨大なファレス・ライト城の脇を、私とオレットさんは並んで歩いていた。
等間隔に魔晶石の明かりが並ぶ石畳の街路には、昼間の名残の夏の風が未だに微かに吹いていた。
髪がふわりと揺れる。
開けた場所だとまだぼんやりと明るいけれど、下り坂になっている道の先はもう真っ暗になってしまっていた。
何か匂うのか、頭の上のアーフィリルがふしゅっと鼻を鳴らすのが聞こえた。
私たちが歩く道の左手には、木製の手すりの向こうに明かりが灯り始めた公都エーレスタの夜景を望む事が出来た。その向こうには、お城と同じ様に黒い影になった山々が連なり、群青の宵の空に向かって夏らしい雲がもくもくと湧き上がっているのが見えた。
この景色を、マリアちゃんにも見せてあげたかったなと思う。
女子寮まで一緒に行こうと誘うつもりだったけど、残念ながらマリアちゃんは、お屋敷の片付けと今日の晩御飯の準備で忙しいみたいだった。
忙しそうに動き回っているマリアちゃんに声を掛けるタイミングを失い、台所の入り口から中を覗いていた私に、オレットさんが声を掛けてくれたのだ。
それで結局、女子寮への付き添いはオレットさんになってしまったのだけれど……。
今は護衛隊のみんなで順番にこなしているけど、食事の準備や大きなお屋敷の維持管理をこなせる様な人が必要だなと思う。そういう人をもらえないだろか。
……一度、レイランドさんに相談しなければ。
「私用なのに、付き合ってもらってすみません」
私は短く息を吐いてから、隣を歩くオレットさんを上目遣いに見上げた。
「ああ、構わないさ。我らの姫騎士さまを1人でうろうろさせる訳にはいかないからな」
横目で私を見下ろし、ふっと笑うオレットさん。
「それに、荷物持ちはいた方がいいだろう?」
オレットさんはニヤニヤしながら、チラリと後ろを見た。
「……何で俺が」
私たちから少し離れて歩くフェルトくんが、憮然として呟いた。
何だかんだで、オレットさんがフェルトくんも連れて来てしまったのだ。
私もフェルトくんを見てから、再びオレットさんを見上げる。
少し、眉をひそめながら……。
「オレットさんもフェルトくんも、本当によかったんですか?」
私の言葉に、オレットさんが怪訝な顔をした。
オレットさんから視線を逸らすと、私は目を伏せた。
「その、荷物運びじゃなくて、第2大隊から私の護衛隊に異動してもらった件なんですけど……」
私はぼそぼそと小さな声で呟いた。
マリアちゃんやサリアさんたちもそうだが、昨日からあれよあれよという間に色々な手続きが進んでしまい、オレットさんたちの転属手続きも私が挨拶回りをしている間に済んでしまったみたいなのだ。
これで竜騎士アーフィリル隊の最低限の体裁が整ってしまった訳だけど……。
果たしてみんなは、それで良かったのだろうかと考えてしまう。
私自身の自覚や頑張りの話なら、私が力を尽くせばいいだけなのだけど……。
「何だ、そんな事を気にしていたのか」
オレットさんが、ふっと噴出しながら笑った。
「一介の騎士が、竜騎士さま直属になるんだ。大出世だよ。文句を言う奴なんているもんか。階級は据え置きだが、待遇やら何やら大違いだからな。竜騎士専属といえば、経歴にも箔が付くし」
おどけた様なオレットさんの声。
私は、バッと顔を上げてオレットさんを見た。
「そ、そういう事ではなくて、私なんかが皆さんの竜騎士さまでいいのかなって……!」
私は、むんっと眉をひそめた。
思わず昨日からずっと考えていた事が口から飛び出してしまう。
「まぁ、一般論は別にしてもな」
すっと笑みを消したオレットさんが、目を細めた。
「俺は、お前の事を認めているつもりだ。お前が俺たちの先頭に立って戦ったのは、紛れもない事実だからな。そしてお前は、俺たちに勝利をもたらしてくれた。そんなセナについて行くのも、俺は悪くないと思ったんだぞ」
私は目を丸くして、オレットさんの顔をまじまじと見つめる。
じわじわと胸が熱くなってくる。
そして少し遅れて、顔がカッと熱くなった。
うぐぐぐ……。
「恐らく他の奴らも同じだと思う。お前は、戦友として俺たちの信頼を勝ち得ているんだ。堂々としておけ。それに転属の話は、別に強制した訳じゃないんだ。誰も文句は言わなかったしな」
表情を崩し、ニヤリと悪戯っぽく笑うオレットさん。
「それに普段はこんなにちんまいセナを、放っておけないしな。なぁ、フェルト」
オレットさんが後ろのフェルトくんに話を振るが、フェルトくんはふんっと短く息を吐くだけだった。
……ちんまい。
一部を除いてオレットさんの言葉は嬉しかったけど、やはり胸の中に渦巻く漠然とした不安を忘れる事は出来なかった。
私は唇を尖らせながら、少し俯く。
「……ディンドルフ大隊長からも、直々にセナの事を頼むと依頼されてるんだ。あの方も、お前の戦い振りを認めているんだぞ」
オレットさんが、ぽんと私の肩に手を置いた。
……あのディンドルフ大隊長が。
「あの武人の権化みたいな人が、孫娘と話してるみたいだったって笑ってたんだからな。大したもんだよ、セナは」
オレットさんは、はははっと軽く笑った。
私の護衛隊が近衛騎士になりかけた時も、オレットさんたちを推挙してくれたのはディンドルフ大隊長だった。
気に掛けてもらえるのは、純粋に嬉しい。
その期待に応えられるためにも、転属までしてくれたみんなに応えられる為にも、私は頑張るしかないんだ……。
私は顔を上げる。
そして手をぐっと握り締め、夕日の最後の光を受けてその輪郭を淡く茜に染める雲の塊を見上げた。
「……私、みなさんから竜騎士だと認めてもらえる様に頑張ります!」
私は両手を胸の前に掲げて、力を込めてオレットさんを見上げた。
オレットさんはニヤニヤ笑いながら、私の頭に手を乗せる。
しかしそこには、既にアーフィリルがいた。
オレットさんの手を、ばちんと犬パンチで弾き返すアーフィリル。
「おっ」
オレットさんが目を丸くした。
『我を撫でようとは、不遜な輩だ。セナ、抗議せよ』
アーフィリルがぐるぐると可愛らしく唸った。
その様子が何だか面白くて、私は思わずふふっと笑ってしまう。
オレットさんも笑う。
アーフィリルは、不満そうにパタパタと翼を動かしていたけれど。
少し気持ちが軽くなって、私は大きく手を振りながら女子寮への道を駆ける。
「セナ」
その私を引き留める様に、背後からオレットさんの声が低く響いた。
先ほどまでとは違う真剣な声の調子に、少し先行してしまっていた私は立ち止まり、振り返る。
フェルトくんを伴ったオレットさんは足を止め、渋い顔で私を見ていた。
ふっと息を吐いてから、ガシガシと頭を掻くオレットさん。
「……お前には俺たちが付いてるが、しかし油断はするな」
ん?
私はオレットさんの言葉に、首を傾げた。
「お前を竜騎士にしようとする動きな、少し手際が良すぎる様に思える。何から何まで手回しが良すぎる。それに騎士公も政務卿も、お前の事をすんなりと受け入れただろう?」
私はオレットさんの前まで戻ると、眉をひそめた。
……確かに、私の身長と小さなアーフィリルを見ても、普通は竜騎士さまだなんて思えないだろう。
現に今日挨拶した皆さんは、私の事を怪訝そうに見ていた。
でも昨日の面会でそんな反応を示したのは、軍令卿さまだけだった。
ローデント大公さまたちは、私の事を事前に良く知っていた……?
「統帥部や騎士公には、何らかの思惑があるのだろう。突然現れたセナという竜騎士を自分たちの側に引き込もうとしているのか、あるいは……」
オレットさんが僅かに視線を逸らし、しかし直ぐにまた私を見据えた。
「ディンドルフ大隊長も警戒されている。しかし第2大隊の保護下ならまだしも、竜騎士として独立してしまえば、大隊長も簡単にはセナを助けられなくなる。セナも、自分でも注意しておくんだぞ」
そう告げると、オレットさんはさっとマントを揺らして再び歩き出した。
フェルトくんもそれに続く。
「あの秘書官とかいう奴にも、注意はしておいた方がいい」
私の側を通り抜け様に、フェルトがぼそりと呟いた。
「あいつ、相当出来るぞ」
フェルトくんの目が、魔晶石の街灯の光を受けてギラリと輝いた。
私は、一瞬息を呑む。
……何かが、起こっているのだろうか。
私の知らないところで、私を、いや、アーフィリルの力を巡って、何らかの思惑が交錯しているのか。オルギスラ帝国軍の侵攻という異常事態だけでなく、もっと複雑に見えない力が絡まりあって……。
ドクリと一際大きく鳴った胸の鼓動が、ぐらりと全身を揺らした様な気がした。
何だか急に心細くなって、私はぎゅっと唇を噛み締めた。
「行くぞ、セナ」
オレットさんが振り返る。
私は小さく頭を降って、浅く息を吐いた。そして、小走りにオレットさんたちを追い掛けた。
ふと見上げた宵の空には、先ほどより沢山の雲が浮いている様な気がした。
オレットさんとフェルトくんには表で待機してもらい、私はエーレスタ騎士団の女子寮に入った。
煌々と灯りの灯った寮内は、女の子の集団が作り出す独特のざわざわとした活気が満ちていた。
時間帯的に、ちょうど今日の日勤業務を終えた人たちが帰って来て、ほっと一息吐いている頃だろう。
使い込まれた飴色の板張りの床をギシっと鳴らして廊下に足を踏み入れると、何だか懐かしさが一気に込み上げて来た。
「お疲れ様です!」
「……お疲れ様です?」
私は私服姿の女性騎士さんに挨拶しながら、とととっとリズミカルに階段を駆け上がる。真っ直ぐに、小走りに、私とアメルの部屋に向かう。
すれ違う先輩方が不思議そうに私を見ているのは、頭の上のアーフィリルとひらひらと揺れるこの短いスカートのせいだろう。
アーフィリルが用意してくれたこの服は、エーレスタ騎士団の制服に似ていたけれど、やはり細部は違っていた。鎧を着こんだ完全武装の第2大隊と行動を共にしていた際にはあまり気にならなかったけど、制服に胸当ての軽装姿の騎士が多いファレス・ライト城の中では、やはり目立ってしまう様だった。
特に短いスカートがいけない。
サリアさんは、可愛いですよと褒めてくれたけど……。
「あら、セナちゃんじゃない」
不意に背後から声を掛けられる。
振り返ると、顔馴染みの先輩騎士さんが部屋から出てくるところだった。
「お久しぶりです」
私はぺこりと頭を下げた。
「任務に出たって聞いたけど、無事だったんだね。アメルも喜ぶよ」
先輩はニヤリと笑った。
「さっき帰って来てたみたいだから、顔を見せてあげて」
「はい!」
私は大きく返事してもう一度先輩に頭を下げると、黒のリボンで結った髪を揺らして自分の部屋に向かって走った。
アメル、いるんだ。
やっと会える……!
自分の部屋が近づいてくると、私はドキドキする胸の鼓動を抑える様に少し歩調を落として進んだ。
そして、とうとう私とアメルの部屋に辿り着く。
扉の前で軽く深呼吸してから、私はそっとノックした。
扉を開ける。
見慣れた私とアメルの部屋が、目の前に現れる。
しかし、部屋の中にアメルはいなかった。
明かりは点けっぱなしだし、テーブルの上にはカップが1つ置かれていた。椅子の様子からしても、今席を立ちましたといった感じだ。
きっとお風呂かご飯が、ちょっと出ているだけだろう。
私はふうっと息を吐き、久し振りの我が部屋へと足を踏み入れた。
扉を閉めてアーフィリルを床に下ろし、私は二段ベッドの下段の、私のベッドにぽすっと腰を下した。
大きく息を吸い込み、ふうっと吐く。
慣れ親しんだ部屋の匂いがした。
改めて室内を見回して見ると、私が出て行った時と何も変わっていない様だった。
少し、散らかっているだろうか。
それと、きちんと片付けていった筈の私のベッドが乱れているのは何故だろう……。
「……帰って、来たんだ」
もう一度深く息を吐いてから、私はぽつりと呟いた。
エーレスタの街に入った時もやっと戻って来れたんだと思ったけれど、やはりこうして自分の部屋の自分のベッドに落ち着いて初めて、心の底からエーレスタに帰って来れたんだという事が実感出来た。
私が竜騎士さまになるという事も、オレットさんに指摘された一部の怪しい動きも、どこか遠い場所での出来事の様に思えてしまう。
『セナの匂いがするな』
くりくりした目で周囲を見回すアーフィリル。
「それはだって、私の部屋だから」
私はふふっと微笑む。
自分でも今、上機嫌だなっと思ってしまう。
『別の人間の匂いもする』
アーフィリルは私の足元で上を見上げると、パタパタと翼を動かして飛び上がった。そして、二段ベッドの上段を覗き込んだ。
「こら、ダメだよ」
『むう』
私はぴょんと立ち上がり、アーフィリルを抱き上げると再び床に下ろした。
そちらはアメルの場所だ。
立ち上がった勢いのまま、私はクローゼットに向かった。アメルが戻る前に、さっさと引っ越しの荷造りをしてしまおうと思う。
このままベッドに腰掛けていては、気が抜け過ぎて動けなくなってしまうだろう。
オレットさんやフェルトくんを待たせるのは、申し訳ない。
私は狭い収納から大きな鞄を引っ張り出すと、私物を詰め込み始めた。
この鞄は、私が故郷のハロルド領からエーレスタ騎士公国にやって来た時に持って来たものだ。何だか懐かしい。
もともと私の荷物はそれ程多くない。鞄の中にぎゅっぎゅっと衣類を詰め込むと、殆どの準備はそれで完了してしまう。
他にも何かあったかなと私が室内を見回していたその時。
不意に背後で、ぎっと扉が開く音が聞こえた。
振り返ると、お風呂上がりなのか、濡れた長い金髪にタオルを巻いたアメルが、部屋の入り口に立っていた。
アメルが私を見る。
私と目が合う。
私たちは、しばらくの間じっと見つめ合った。
私は、 ふわりと微笑んだ。
アメルが、徐々に目を丸くする。
大きく見開かれたアメルの目に、じわりと涙が滲んだ。
「……ただいま、アメル」
私はアメルの方に向き直り、ぽつりと呟いた。目を細め、ふわりと微笑みながら。
「セナ……」
アメルも、ぽつりと呟いた。
そして次の瞬間。
タオルを落としてばっと駆け出したアメルが、勢い良く私に抱き付いて来た。
「わぷっ!」
抱き付くというよりも、突撃だ。
そのアメルの勢いに、私はそのまま押し倒されてしまう。
私とアメルは、もつれ合いながらベッドに倒れ込んでしまった。
お風呂上がりのアメルの甘い香りと柔らかな感触に包まれる。
「セナ! 本当にセナだ! 帰って来たんだ! 帰って来てくれたんだっ!」
アメルが声を震わせる。
「うん、帰って来たよ、アメル……!」
私もアメルを抱き締めた。少し恥ずかしくて、頬を熱くしながら。
やっぱり声が少し震えてしまった。
今まで抱えていた色々な思いが一気に溢れて来て、堪えきれなくて、じわりと涙が滲んでしまう。
「セナ! よかったよっ! セナ、うううっ、よかったようっ!」
アメルが大きな声を上げながら、ぎゅっと力を込めて私を抱き締めた。
私は、大きなアメルの胸にぎゅむぎゅむと押し潰されてしまう。
その体勢のまま、しばらく経ってもアメルは力を緩めてくれなかった。それどころか、益々力を込めて、私を抱きしめる。
……だんだんと苦しくなって来る。
う……。
ううう……?
「ア、アメル……?」
「セナだよう! 本当のセナだよう!」
アメルはわんわんと声を上げて、私をぐりぐりと抱き締める。
そ、そろそろ、本当に苦しくなって来た……。
『やめよ、娘よ』
アーフィリルもぺしぺしとアメルの頭を前足で叩いてくれる。しかし子供みたいに泣きじゃくり始めたアメルは、全くアーフィリルに気が付いていない様だった。
……しょうがない、か。
私は何とかもぞもぞともがいて、呼吸だけは確保する。そしてそのままこちらからもぎゅっと抱き締めて、アメルが落ち着いてくれるのをじっと待つ事にした。
そうして、どれくらいその体勢のままだっただろうか。
ひとしきり泣いたアメルは、ゆっくりと私を離してくれた。
私は、ほうっと大きく息を吐いた。
私とアメルは、ベッドの上に並んで腰掛ける。
アメルは、真っ赤になった目で私をじっと見詰めていた。
「セナ、今までどうしてたの? 迷子になってたの? いつまでも何の連絡もこなし、エーレスタも大変な事になるし、私、心配してたんだから……」
アメルがずいっと体を寄せてくる。
私は、はははっと苦笑しながら膝の上にアーフィリルを乗せた。そして、アメルに見送られてエーレスタを出た後の事を話し始めた。
アメルはアーフィリルの事を気にしながらも、じっと私の話を聞いてくれた。
「そうやって私は、この子、アーフィリルに出会ったんだ。それで今は、竜騎士って事になってて……」
アメルに自分が竜騎士だと名乗るのが恥ずかしくて、私はごにょごにょと言葉を濁した。
アーフィリルがこくこくと頷いている。
アメルがきょとんとしながら、私とアーフィリルを交互に見た。
それから第2大隊と協力し、オルギスラ帝国軍との戦争にも参加して、やっと昨日このエーレスタに帰って来れたのだと早口に説明する。
「……だから私、竜騎士として、お屋敷に住まなければいけない事になったの。だから、今日は荷物、取りに来た」
私は、ちらりと床に置いたままの鞄を一瞥した。
「何言ってるの?」
アメルは頬に金色の髪を張り付けたまま、首を傾げた。
「……セナ、帰って来てくれたんだよね。また一緒なんだよね?」
アメルが潤んだ瞳で、私の目を覗き込んで来た。
「それ、子犬でしょ? 羽生えてるけど、竜だなんて……。竜騎士とか、どういう事なの?」
アメルが、ぎゅっと眉をひそめた。
……そうだ。
今日挨拶をして回った偉い人たちと同じ様に、アメルのこの反応が普通なのだと思う。
アーフィリルの力を借りた私がみんなの讃えてくれる竜騎士セナ・アーフィリルであって、普段の私は、今までのセナ・カーライルと何ら変わりはないのだから。
私はアーフィリルを抱き締めながら、すくっと立ち上がった。
……アメルには、やはり見てもらった方がいいと思う。
私が戦う為の姿を。
竜騎士となる私の姿を。
「セナ?」
アメルが、怪訝そうに私を見上げた。
「アーフィリル。悪いけど、お願いしていい? あの姿になるだけで構わないから」
私は、アーフィリルを抱く手に少しだけ力を込めた。
『無論だ。セナの望むままに』
アーフィリルが頷いた瞬間、私とアメルの狭い部屋が眩い白光に満たされた。
体の奥にアーフィリルを感じる。
全身に魔素の強大な力が走る。
何も違和感や異常はない。ただ力が溢れてくる。
以前の戦闘で無理した後遺症は、どうやら完全に治癒してくれた様だ。
これであれば、今すぐにでも戦えるだろう。
全力で。
きっと帝国軍を撃滅出来るだろう。
白の光が収まると、私はカツっと白のブーツの踵で床を踏みしめ、足を開いた。白いドレスの裾を揺らして腰に手を当てると、すっと目を細めてアメルを見下ろした。
「これが私の姿だ。理解したか、アメル?」
私は薄く笑いながら、光り輝く白く長い髪をさっと揺らした。
カーテンの開いたままの窓には、白いドレスを身にまとったスラリとした少女の姿が映し出されていた。
長い髪を揺らし、強い光を宿した鋭い目でこちらを見ている。
アーフィリルの判断か、今は白い鎧は形成されていなかったので、大きな胸から続く女性的な優美な体のラインが良く見て取れた。
我ながら、もとの姿とは全く違うものだなと思ってしまう。
私は、さっと周囲を見回した。
ふむ。
体が大きくなり身長が伸びると、同じ部屋の中も狭く見えるものだ。
目を戻すと、アメルが口を開いたままぽかんと私を見上げていた。
「……セナ、なの?」
アメルも立ち上がり、私を見つめる。
アーフィリルと融合した私は、アメルよりも少しだけ背が高かった。
「アメル・ファルツ。私には、果たさなければならない務めがある。この力で成すべき事が、な」
私は目を細めてアメルを見た。
「生活の場や立場は変わるかもしれないが、そんなものは些末な事だ。私は変わらない。アメルの友人であるという事もな。だから私の決意を、受け入れてくれないか?」
私は微笑みながら、すっと差し出した手でアメルの頬に触れた。
アメルの目を見つめながら、小さく頷き掛ける。
そうだ。
周囲の思惑や竜騎士としての立場など関係ない。
どんな立場になろうとも、他者からどう評されようとも、私は私の信じるものの為に戦うのだ。
そこに、悩むことなどあるだろうか?
「……可愛いセナが、お姉さまになっちゃった」
アメルが、ぽおっとしたままぶつぶつと呟いている。
私はもう一度ふわりと微笑むと、さっと私物を詰めた鞄を手に取った。
「アメル。私はもう行かねばならない。またゆっくりと話をしよう」
いつまでもオレットたちを待たせる訳にもいかないしな。
私はゆっくりと優しくそう告げると、しばらくじっとアメルと視線を絡めた。
アメルが、こくこくと小さく頷いた。
それを見て、私はふっと微笑む。そして白のドレスと長い髪をひるがえすと、さっと踵を返した。
扉を開く。
「……セナ!」
はっとした様にアメルが声を上げた。
私は顔だけで振り返り、手を上げる。
そのまま自室を出ると、私はドレスの裾を揺らしながら女子寮の玄関へと向かった。
この姿のまま歩くのもいいものだ。何だか風景が違って見える。
すれ違う女騎士たちが、はっとした様に私に道を譲ってくれた。
「ありがとう」
視線を送りながら私が礼を告げると、先輩の女騎士はびくりと身をすくませてこくこくと頷いていた。
女子寮の玄関まで戻ると、そこには小さな人だかりが出来ていた。
寮の入り口で暇そうにしているオレットとフェルトを、数人の女騎士たちが遠巻きに見ている様だった。
きゃあきゃあと黄色い声が聞こえる。
そういえば、オレットは女騎士の間でも人気があったか。
よく見れば、オレットたちの他にもう1人いる様だった。
「ったく、セナめ。遅すぎるだろう」
フェルトがぶつぶつと呟いている。
「申し訳ないな、使者殿」
オレットがもう1人の騎士に話し掛ける。
使者と呼ばれたのは、近衛の騎士の様だった。
大公から用事だろうか。
「待たせたな」
私はオレットたちに声を掛けながら女子寮を出た。
涼やかな夜風かふわりと髪を揺らす。
「セナ、おま……」
私を見たフェルトが固まる。目を見開いて私を見た後、恥ずかしそうに顔を強張らせ、慌てて視線を逸らしてしまった。
「オレット。何かあったのか?」
とりあえずフェルトは放置し、私は煙草をくわえたオレットを見た。そして、その隣の近衛騎士にちらりと視線を送った。
「いや、な」
オレットも少し驚いている様だった。
近衛騎士も、緊張した様に姿勢を正していた。
「これが、新たな竜騎士さま……」
近衛騎士が、ポツリと呟くのが聞こえた。
「用件を聞こう」
私はその近衛騎士に向き直り、すっと目を細めた。
女子寮にまでやって来た近衛騎士さまが伝えてくれたのは、ローデント大公さまも出席される軍議に参加せよという軍令卿からの指示だった。
エーレスタ北部に布陣しているオルギスラ帝国軍に不穏な動きが見られるため、緊急にその対策を話し合うための軍議が開かれたのだ。
私はアーフィリルとの融合を解除して夜遅くから開かれたその軍議に参加したけど、その場で決まったのは、第2大隊を主力とした迎撃部隊を整え、緊急の出撃に備えるという内容だけだった。
どうやら大公さまは、こちらから打って出る事にあまり積極的ではないらしい。
しかし出撃の際には、私にも出撃命令が出るだろうと軍令卿さまが言っていた。良く備えておくようにと怖い顔で言われてしまった。
取り敢えずその後、それ以上の動きはなかった。
あの軍議が開かれてから、既に3日が経過しようとしている。
私は大きな執務机に向かって、毎日書類仕事に追われていた。
竜騎士としてだけではなく、オレットさん以下を率いる部隊長の立場にもなってしまった私には、様々な仕事があった。
秘書官のレイランドさんが、1つの仕事が終わったタイミングでまた新しい仕事を持って来るのだ。
まるで私の仕事をどこかで監視しているみたいな……。
むむむ……。
そしてその日もやっと得られた休憩時間。私が膝の上に乗せたアーフィリルを撫でているところに、ノックの音が響いた。
「ど、どうぞ」
少しびくりとしながら返事をすると、やはりレイランドさんが入って来た。
驚いた事にその厳しい秘書官さんの後に、さらに3人のメイドさんと軽装姿の騎士が1人、続いて私の執務室に入って来た。
「セナさま。兼ねてからご要望のありました、屋敷の管理を任せる使用人をご用意致しました」
レイランドさんが眼鏡を押し上げながら、メイドさんたちを紹介してくれる。
1人ずつ丁寧に挨拶してくれるメイドさんたち。
しかし私は、それどころではなかった。
ぽかんと口を開け、呆気に取られながら、私はメイドさんたちと一緒に並ぶ騎士から目が離せなくなっていた。
金髪の綺麗な髪を背中に流したその少女騎士は……。
「では最後に、護衛隊への新たな志願者が来ております。第3大隊所属の……」
「……アメル!」
私はそこでやっと、声を上げる事が出来た。
私の友達のアメルが、ぱっと眩しい笑みを浮かべる。
「来ちゃったよ、セナ! これでまた一緒だよ!」
ぶんぶんと手を振るアメルを、私は目を見開いて呆然と見つめる事しか出来なかった。
その私の膝の上で立ち上がり、机に手を掛けたアーフィリルが、不思議そうに私とアメルの顔を交互に見ていた。