ある少女の記録。
この世界は閉ざされている。そう少女は考えていた。
一面、堅牢な白の壁。そこにはめ込まれた分厚い硝子の向こうには、白衣を着た、皆別々の顔を持つ外の世界の住人が、こちらを見ている。
この施設の外側も、そうらしい。らしいというのは、少女が施設の外に出たことがないからだ。国の境界上には分厚く高い壁があり、それは人ならざる怪物が住む広大な森があるのだと、本で読んだ。
外の世界への羨望は、昔からあった。今でもそうだ。しかし、わかっていた。自分は外に出られないことを。一生このまま、白い世界で生きるであろうことを、誰に言われた訳でもなくわかっていた。
そうしてずっと、同じ顔を持つ他人と殺し合うのだと、そう思っていた。
しかし、四〇一八人目の自分と同じ顔をした少女を殺した次の日に、無精髭を生やし、黒髪を短く刈った中年の男が部屋に来た。
その男を少女は知っている。所長、と白衣を着た人々に呼ばれている人物だ。そして、少女がお父さまと呼ぶ人間でもある。
「おめでとう、愛しの娘よ。お前は選ばれた」
初めは何のことだかわからなかった。
少女はお父さまを硝子の向こう側にいるのを見たことがあっても、こうして直に会い、言葉をかけられるのは初めてだ。その彼に娘といきなり呼ばれても、何の実感も湧かなかった。それは、おかしなことだろうか。
「お前は外に出られる権利を得た。ぴったりな名前も考えてある」
その言葉に、驚いた。何故、という戸惑いもあった。同時に、嬉しかった。夢ではないかと疑ったほどだ。
そうして名前、と少女は呟く。名前とは、人や事物を他の人や事物と区別して表すために付けるものだ。しかし、名前にはそれだけでなく、親が希望を込めて愛する子に付けるものだということも、少女は本から得た知識で知っている。
今まで少女は、三六号と呼ばれていた。期待と呼べるものを、初めて自らの胸に抱いた。
「お前がよく読んでいる本からとったものだ。お前の名前は今日からジャバウォックだ」
彼の言葉を聞いて浮かんだ気持ちは落胆だろうか。しかし表情には出さない。感情とは不必要なものだと、少女は教えられていたからだ。
そうして怪物の名を与えられた、それに相応しい力を持つ少女は、三人とも同じ黒い服を着た違う顔の男女に、白の車に乗せられて施設の外へと連れ出された。
外は明るい。車の時計を見ると、夕方と呼ばれる時間帯だった。この季節、高緯度にあるこの国では夜でも明るいのだと本に書いてあった。
そして、おそらくはあれが海だろう。そちらを見ると、遠くにあるはずなのに、やけにはっきりと、高い壁が見える。
何もかも、本に書いてある通りだった。