とある屋敷にて。
轟音が、天を裂いて大気を震わせた。音の正体は咆哮であり、それは獣のものというにはあまりにも獰猛過ぎた。
咆哮の主は二本足で立つ巨躯だ。それは夜闇の中に溶けそうな黒の甲殻に全身を覆われており、金の双眸が炯々と辺りを見回している。全身に纏わり付いた液体は大量の血液で、それは全て他人のものだった。
豪雨の中に雷鳴が轟き。光が瞬いた。そして、照明の破壊された室内が刹那の間照らされる。雷光は廊下に続く開いた扉から漏れる明かりと合わさって、部屋の全貌を一瞬だけ明らかにした。
そこは、血の臭いに溢れた死の世界。壁には二つの死体が悪趣味なインテリアのように並んで張り付いている。どちらも体の正面が酷く欠損していて、個人の特定は出来そうにない。
窓硝子は全て割れてしまっていて、そこから烈風に煽られた大量の雨粒が規則的な音を伴って室内に侵入してきている。
そして黒の甲殻に金の瞳を持つ化物の下には、体が真っ二つに裂かれた女の屍が横たわっていた。血溜まりに沈む彼女の金色の眼に光はなく、ただ溢れる血涙を床に落としている。
部屋の様相に、入口で立ち尽くす二人の男は文字通り言葉を失っていた。一様に表情を引き攣らせ、固まったまま動かない。脚が床に縫い付けられたように。
その内の一人、黒髪を真ん中で分けたヘクター・ロックハートはただ唖然としている訳ではなく、眼前の光景に打ちひしがれていた。
今日は、彼の倅の出産日だった。そして同時に、彼の家が代々研究してきた事柄の集大成を確認する日でもあった。
そして、目の前の怪物が産まれた。怪物の正体は産まれたばかりの彼の息子であり、彼らの研究の成果だ。
落雷。
耳をつんざく轟音と光の中で、怪物の足元に倒れる妻と目が合った。
金の瞳と、癖のある同色の髪。十代の頃、各国を旅している時に出会い、それ以降ずっと一緒だった彼女は、骸に成り果ててしまった。
激しい後悔と罪悪感が、ヘクターの心を蝕む。先祖から引き継がれた研究に囚われ、妻を死なせ、息子をあんな姿にしてしまった自身を恥じ、深く憎悪した。
「は…ははっ。これが俺たちの望んだ人類の進化か。すげぇじゃねぇか。なぁ、兄貴?」
隣で笑う弟のベネディクトがこちらに語りかけてくる。しかし、それに構う余裕は彼には無かった。
胎内の子を検体にするよう打診したのは他ならぬヘクターだ。妻のシェリーはその時困ったように笑い、熱弁を振るう彼に最後は折れてくれた。
その結果が、これだ。出産に立ち会った両親は死に、妻も無残に屍へと変わった。そして息子は怪物へと姿を変えたのだ。
道を誤ったのはどこからだ。自問するが、答えは幾つも出ては消える。思考の渦にヘクターは飲まれていた。
彼が狼狽の最中にいる時、明確な殺意を持って黒い風が走った。暴風の進む先は入口で立ち尽くす二人だ。風は唸り声を上げながら、血に濡れた爪を振りかぶる。
しかし、それは二人を飲み込むことは出来なかった。堅牢な甲殻を持つ巨躯が吹き飛び、その勢いを殺すために床へと突き立てた鋭利な爪が歪な音を撒き散らしながら五本の線を敷物の上へと残した。
――自分を責めるのは後だ。
化物の一撃をすんでの所で防いだヘクターは纏わり付く後悔を振り払う。緑の瞳を真っ直ぐに暗闇の中で光る金の瞳の化物へと向ける。その視線は強く、厳しかった。
「どうやら奴は我々も手に掛けるつもりらしいぞ、ベネディクト。貴様は愉悦のままに死ぬか?」
「冗談じゃねぇ。しかし兄貴、あれをどうする? まさか処分するつもりじゃねぇだろうな?」
隣に立つ弟へと皮肉を投げると、彼は笑いを止めて悪態を吐いた。それに苦笑を浮かべ、問いに答えた。思考するまでもない。既に答えは決まっている。
「おそらく、出生のショックで術が暴発しているだけだ。しかし収まるまで凌いでいては媒介となっている息子が保たん。猛攻をかけてあの装甲を剥がす」
答えを聞いて、ベネディクトは鼻で笑った。
「安心したよ。物騒な言葉を聞かなくてな。俺たちの研究成果がどれだけのもんか、実際にやり合って確かめるか」
軽く告げる弟が、この時ばかりは頼もしかった。
「奴さんも本気だな」
既に体勢を立て直した化物は、窺うようにこちらを見ていた。初撃を防がれ警戒しているのだ。
化物からは、死の濁流が迸っていた。こちらに死を感じさせる重圧と共に、自発的な死への欲動を如実にヘクターは感じた。
「まさかこれほどとはな。我々が造り出したものとはいえ、恐ろしい。飲み込まれるなよ、ベネディクト」
「開けてびっくりパンドラの箱、ってな。その台詞、そっくり返すぜ」
挑発に、笑う。もはや迷いは一点もない。
濃密な死の気配を抱く化物が、再び突っ込んできた。迎撃の動きを取りながら、ヘクターは呟く。今は亡き妻と二人で決めた息子の名前を。
「すぐに助けてやる。待っていろ、イーサン……!」




