第83話:地上に落ちた10年前の欠片と、異端の迷宮学者
その日の夕方。
第23層の探索を終え、自作のポータルを使ってあっという間に帰宅した如月三月は、自室のベッドの上で二つの金属プレートを指先で弄んでいた。
『東京都 新宿区』
『丸ノ内線 霞ヶ関』
物理法則の崩壊した浮遊廃都と、猛毒の瘴気に沈む侵食樹海。それぞれから持ち帰った、この迷宮がかつての「日本の首都」を飲み込んでいるという絶対的な証拠だ。
「……霞ヶ関の方は流石に生々しすぎるわね。でも、こっちの新宿のプレートなら……」
三月は『新宿区』と刻まれたプレートをタオルで綺麗に拭き上げると、意を決して立ち上がり、隣の部屋のドアをノックした。
「拓也、入っていい?」
「うん、開いてるよ姉ちゃん」
部屋に入ると、拓也は机に向かって分厚い迷宮学の専門書と睨み合っていた。三月は彼の机の端に、コトリ、と錆びついたそのプレートを置いた。
「これ……お土産。今日、知り合いのベテラン探索者さんから譲ってもらったの。下層の奥深くで拾ったガラクタらしいんだけど、拓也の勉強の足しになるかと思って」
三月がそう嘘をついて微笑むと、プレートを見た拓也の目が、信じられないものを見るように限界まで見開かれた。
「えっ……これ!? 嘘だろ、本当に日本語で地名が……っ!!」
拓也は震える手でプレートを手に取り、食い入るように見つめた。
「姉ちゃん、これすごいよ! 10年前、ダンジョンが発生した時の大陥没事故で『完全に消滅した』って言われてる旧都市の残骸だ! 迷宮が文明を飲み込んで成長しているっていう『都市捕食説』を裏付ける、とんでもない第一級のアーティファクトだよ!……あ、ありがとう! 僕、ちょっとこれ知り合いに見てもらってくる!!」
拓也は興奮冷めやらぬ様子でプレートを鞄に押し込むと、上着を羽織って弾かれたように部屋を飛び出していった。
その無邪気な後ろ姿を見送って、三月は小さく息を吐く。
「……あんなに喜んでくれるなら、持って帰ってきた甲斐があったわ」
自分が深層でバケモノを素手で引き裂いて持ち帰ってきたとは絶対に言えないが、弟の夢の力になれたのならそれでいい。三月は満足げにリビングへと戻っていった。
同刻。迷宮都市の裏路地。
表通りからは完全に隔離されたような薄暗い雑居ビルの一角に、その場所はあった。
『東雲古書堂 兼 迷宮学私立研究所』
拓也が勢いよくその古びた木扉を開けると、カウベルが気の抜けた音を鳴らした。壁一面を埋め尽くす大量の文献と、タバコの煙とコーヒーの匂いが混ざり合った独特の空気。
「……先生! 東雲先生、いますか!」
「うるさいな、少年。もう少し静かにドアを開けられないのかい。貴重な古書に埃が舞う」
部屋の奥、本の山に埋もれるようにして座っていた一人の男が、気怠げに顔を上げた。
東雲 慧。
年齢は20代後半。ボサボサの黒髪に、丸いアンティーク調の眼鏡。そしてヨレよれの白衣を羽織った、どこか退廃的な色気を持つ青年だ。
彼はかつて、探索者協会の研究機関において「最高の天才」と謳われた迷宮学者だった。しかし、10年前の大陥没について『街は破壊されたのではなく、迷宮に飲み込まれて今も内部に存在している』という「都市捕食説」を提唱したことで異端視され、半ば追放される形でこの地下に引き篭もっている。拓也にとって彼は、迷宮の真実を追うための師とも呼べる存在だった。
「すみません。でも、これを見てください! 姉ちゃんが知り合いから貰ってきてくれたんです!」
拓也が興奮気味に『新宿区』のプレートを机に置く。それを一瞥した東雲は、最初は「ふん、よくできたレプリカじゃないか」と鼻で笑おうとした。
だが――次の瞬間。東雲の目の色が変わった。気怠げだった雰囲気が一変し、鋭い刃物のような眼光がプレートを射抜く。
「……少年。ちょっと離れていなさい」
東雲はタバコを灰皿に押し付けると、机の引き出しから仰々しい計器を取り出した。『魔素濃度測定器』。探索者が持ち帰った素材の価値や、危険度を測るための精密機器だ。
東雲がそのスキャナーを、錆びついたプレートにかざした瞬間だった。
『ピィィィィィィィィィィィッ!!』
突如として、測定器が悲鳴のような警告音を鳴らし、メーターの針が振り切れて、バチッという音と共に基盤から煙を吹いてショートした。
「……っ!?」
拓也が驚いて一歩後ずさる。
「……あり得ない」
東雲はショートした測定器を放り投げ、震える指先で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「少年。君のお姉さんは、これを『下層』で拾ったと言ったね?」
「は、はい。下層の奥深くを潜っているベテランから譲ってもらったって……」
「嘘だね」
東雲の低い声が、地下室に響いた。
「この金属プレートに染み付いている異常な魔素の濃度、探知を阻害するほどに変質した物質の構造……。ダンジョンが発生してからのこのたった10年で、下層程度の環境で物質がここまで変容することなど絶対にあり得ない。重力や大気すら崩壊した、文字通りの『地獄』のような超高濃度の魔素の底に落ちていないと、10年でこんな数値にはならないんだ」
東雲はプレートをピンセットで慎重に摘み上げながら、確信に満ちた目で言った。
「人類の生存限界領域……第21層以降の『深層』。このプレートは、そこから直接持ち帰られた正真正銘の『本物』だ。私の提唱した都市捕食説が正しかったという、絶対の証明だよ」
「し、深層!? 嘘でしょ……だって、深層なんてSランクのトップパーティが命懸けで挑んでも帰ってこられない場所だって……!」
「ああ。だからこそ、異常なんだよ。……なぁ、少年。君は気づいているかい?」
東雲は椅子の背もたれに深く体重を預け、天井を見上げながら不敵に笑った。
「君の家――如月家の周囲が、異常なほどガッチリとプロの連中に守られていることにさ」
「え……? 守られてるって、何がですか?」
きょとんとする拓也に対し、東雲は眼鏡の奥の目を細めて続けた。
「君の姉さんはただのFランク探索者、お父さんは大病を患う療養中の身だ。失礼ながら、本来ならそんな厳重な警護がつくような家じゃない。だがね、裏の情報を洗ってみればすぐにわかる。君の家を裏から監視し、蟻を這い出させる隙もなく守っているあの警護組織――『護民の盾』。あれはね、迷宮都市の裏路地で武器屋を営んでいるあの偏屈な凄腕鍛冶師――鉄山厳が、かつて自ら作り上げた組織なんだよ」
「護民の盾……!? それが、鉄山さんが作った組織……!? 鉄山さんって、あのいつも姉ちゃんがお世話になってる、武器屋のおじさん……?」
拓也の脳裏に、ぶっきらぼうだが三月に良くしてくれる大柄な鍛冶師の姿が浮かぶ。斎藤というボディガードが家を護ってくれていることは知っていたが、それが鉄山の組織だったとは夢にも思わなかった。
「そうさ。あの鉄山が、なぜ一介のFランク探索者に過ぎない如月三月の家族を、自分が興した『護民の盾』総出で守らせている? それだけじゃない。そんな背景を持つ君の姉さんが、どこからともなく『深層の遺物』を自宅へ持ち帰ってくる……」
東雲は机の上のプレートを指先でトントンと叩き、楽しげに目を輝かせた。
「点と点が繋がりすぎる。協会も把握していないようなバケモノ探索者の正体が君の姉さん自身なのか、あるいは君の姉さんがそのバケモノと深く繋がっていて、鉄山もそれを知った上で組織を動かしているのか……。どちらにせよ、如月三月の周辺には、私の求めている迷宮の真実が全て転がっていそうだ」
拓也はごくりと唾を飲み込んだ。姉がいつも話してくれる「安全な荷物持ちの仕事」の裏に、どれほど途方もない世界と、鉄山や『護民の盾』をも巻き込んだ巨大な思惑が広がっているのか。彼はその一片に触れ、深い畏怖の念を抱いていた。
「(……姉ちゃん、一体裏で何が起きているんだろう)」
拓也が驚愕と戸惑いで立ち尽くしている横で、東雲はタバコに火をつけ、満足げに紫煙を燻らせた。
「(……面白くなってきたじゃないか。鉄山が作った『護民の盾』に守られている、謎だらけのFランク探索者。如月三月、お前の正体をじっくりと剥ぎ取らせてもらうよ)」
地上で静かに、しかし確実に、三月と鉄山の繋がりに気づき、その異常性へと知恵の牙を剥こうとする東雲慧。
一方その頃。
当の如月三月は、自宅のリビングで由美子の作った夕食の唐揚げを頬張りながら、「明日はどこの階層を潰そうかな」と、のんきにテレビのバラエティ番組を見て笑っていた。
深層を蹂躙する規格外の姉と、迷宮の真実に知恵で迫る学者。二つの歯車が、鉄山と『護民の盾』という存在を介して、より深く、おぞましく噛み合い始めていた。
今回は、第21層以降の「深層」が、10年前の大陥没で消滅した旧都市を飲み込み、高濃度の魔素で変質させた空間であるという、ダンジョンの真実に迫るエピソードでした。
さらに地上では、迷宮学の異端児である新キャラクター『東雲 慧』が登場しました。拓也が純粋な気持ちで持ち込んだ「10年前の欠片」をきっかけに、東雲の知略が三月の異常性、そして如月家を護る『護民の盾』と鉄山の繋がりにまで一気に到達しています。
深層を圧倒的な力で蹂躙する三月と、地上で彼女の正体へと知略で迫ろうとする東雲。
ここから地上の人間関係や思惑がどう交差していくのか、物語は新たな局面へと動き出します!
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