第374話:秋晴れの球技大会と、庭先の神聖パス練習
抜けるような秋晴れの青空が広がる、水曜日の午前十時。
都立高校のグラウンドには、色とりどりのクラスTシャツに身を包んだ生徒たちの歓声と、ピピーッという甲高い審判の笛の音が響き渡っていた。
本日は全校生徒が熱狂する秋の恒例行事――『部活動・委員会対抗球技大会』の開催日である。
グラウンドの中央、サッカーコートのセンターサークル付近で、青い背番号十番のビブスを着た如月拓也が、両膝に手を当てて小さく息を整えていた。
昨夜はザイオンたちの「完全防音」のおかげで針一本落ちる音すらしない極上の睡眠を取れたため、身体のキレは驚くほど軽い。
「よし……前半戦は一対一の同点か。
相手のクラス、サッカー部のレギュラーが二人もいるから攻めが速ぇな……」
拓也は首をコキコキと鳴らし、右足のスパイクで軽くグラウンドの土を踏みしめた。
少年の右眼に宿る『深層言語・限定解析』が無意識に働き、ピッチ全体の風向き、ボールの回転数、対戦相手の重心の移動軌道をコンマ秒単位で演算していく。
「後半は俺がトップ下に入るか。
あんまり力いっぱい蹴ると、ボールが体育館のガラスを突き破って弁償になりそうだしな……。
足首の力を抜いて、カーブをキュッと掛けてゴール隅に流し込むイメージでいくか……」
何気ない、ただの「学校行事で負けたくない男子高校生の戦術イメージ」。
しかし、そんな少年がピッチで軽くステップを踏んだその瞬間、ポケットの学生証に組み込まれていた微弱なバイタルセンサーが、新宿の防衛本部へと超次元の波動をリアルタイムで送信していた。
一方――午前十時半、練馬区の如月邸。
ぽかぽかと温かい木漏れ日が降り注ぐ庭先で、お父さんのお下がりであるグレーのパーカーを着こなした銀髪狼獣人の青年・ザイオンが、真剣そのものの面持ちで縁側に立っていた。
首元には、純プラチナの鑑札プレートと、拓也の赤ドット柄バンダナ、そして『特級不可侵Fランク』の金ピカプレートが眩しく輝いている。
その足元には、黄色いダッフルコートを着た猫耳少女・ルルが、両手で大事そうに一つの丸い物体を抱え持っていた。
それは、拓也が昔使っていた、少し空気の抜けた懐かしい白黒のサッカーボールであった。
「ザイオン! 拓也、いま学校でサッカーの試合を頑張ってる頃なのにゃ!」
ルルが、クリクリとした大きな瞳を見上げて尻尾をパタパタと揺らした。
「うむ」
ザイオンが、凛々しい美声で静かに頷いた。
「今朝、拓也様は仰せられたのだ。『今日は球技大会のサッカー、絶対勝ってくる』とな。
我ら如月家の眷属たる者、主の出陣に際し、ただ怠惰に寝そべっているわけにはいかん。
ルル、ポチ。我らもこの庭先において、主の勝利を祈念する【球体制御の調律演習】を執り行うぞ」
「キュピィッ!(我ノ【極微小とろ火推力】ニヨリ、ボールノ滞空時間ヲミリ秒単位デ制御イタシマス!)」
換気扇の枠から舞い降りた白銀のミニドラゴン・ポチが、毛糸のミニマフラーをたなびかせて胸を張った。
「よし、ルル。まずはパス回しからだ。
拓也様から教わった【至高の脱力】を忘れず、ボールの縫い目を破らぬよう、羽毛のように優しく蹴り出せ」
「りょうかいなのにゃ! えーいっ!」
ルルは、がま口財布を抱きしめたまま、右足のピンク色の肉球で、サッカーボールを【ぽふっ】と優しく押し出した。
少女にとっては、公園で幼児が転がすような、無害極まりない極小のパスであった。
しかし――。
シュルルルルルルルッ……!
放たれたサッカーボールの周囲の大気が、突如として青白い光の螺旋を描いて渦を巻き始めた。
拓也の『爪先調律』によって神聖化されたルルの肉球が触れたことで、ボール内部の気圧が完全な絶対真空へと反転し、空気抵抗ゼロの【因果律誘導スピン】がボール全体を包み込んだのだ。
「見事だ、ルル!」
ザイオンは優雅に右足をスッと引き、回転するボールの軌道にスニーカーのつま先を吸い付くように滑り込ませた。
衝撃音は完全ゼロ。
ボールは、まるで綿飴の上に落ちたかのようにピタリと停止した。
そして、ザイオンはしなやかな四肢のバネを使い、弧を描くようにインサイドキックでポチへとふわりとリフティングを上げた。
ポチが空中で翼を羽ばたかせ、頭突きでボールの軌道を直角に曲げてルルへとパスを戻す。
ポン、ポフッ、シュルル……。
庭の芝生の上で、小鳥が戯れるように繰り返される、三匹の無邪気なパス回し。
だが――その小さなボールが描く放物線の軌跡は、如月邸のブロック塀を突き抜け、成層圏を越え、地球規模の高次元エーテルネットを完全に掌握しつつあった。
その頃――東京・新宿の日本探索者協会本部、最上階作戦統括室。
『――観測班、並びに極東全域の重力波レーダーより超特大エマージェンシー入電ッッッ!!!!』
オペレーターのクロエ・アーヴィングが、両耳のヘッドセットを手で強く押さえ、椅子を跳ね飛ばして絶叫した。
メインスクリーンには、都立高校のグラウンドと、練馬区の如月邸を結ぶ巨大な黄金の因果律ラインが投影されている。
『た、拓也様による【現世神聖球体親征】が開幕いたしましたッ!!
さらに! 如月邸の庭先において、神獣ザイオン様、ルル様、ポチ様による【全天球霊核連動調律】が同時展開されておりますッ!!』
「な、何だとォッ!?」
日本探索者協会本部長・神宮寺蒼太が、氷の長刀を床に突き立てて身を乗り出した。
その隣で、アメリカ最強のSランク探索者「雷帝」レオン・カーターが、額に青筋を浮かべて咆哮する。
「クロエ殿! 指揮官様は、一体どのような神託を下されたのだ!?」
「音声記録、並びに生体波形を再生します!」
スピーカーから、グラウンドで息を整える拓也の呟きが厳かに響き渡った。
『……あんまり力いっぱい蹴ると、体育館のガラスを突き破って弁償になりそうだしな。足首の力を抜いて、カーブをキュッと掛けてゴール隅に流し込むイメージでいくか……』
「…………ッ!!」
神宮寺とレオンが、息を呑んで目を見張った。
「『体育館のガラス(現世の天球結界)を突き破るな』……『カーブを掛けて隅に流し込め』……だと……!?」
レオンが顎をガクガクと震わせる。
「ええ、そうです!」
クロエが、狂信の光に両目を燃え上がらせながら断言した。
「拓也様は仰せなのです!
全力の一撃を放てば、この地球の次元構造など瞬時に粉砕されてしまう!
ゆえに、神獣たちと連動して空間の歪みを極小のカーブを描く軌道へと調律し、現世の器を傷つけることなく、世界の隙間に潜む悪意のみをピンポイントで射抜く【絶対調和の流星弾】を放て、とッ!!」
「なんという壮大なる現世調律の儀式……ッ!!」
神宮寺が、戦慄のあまりその場に崩れ落ちそうになった。
「レオン殿! 直ちに極星、並びに衛星軌道防衛軍へ緊急回線を繋げ!
あのお方がピッチ上でボールを蹴られるその瞬間、全天の障害物は完全に排除されていなければならん!
指揮官様の放たれる神聖カーブの軌道上に、埃一つ、衛星の破片一つ残すことは許されんのだァァァッ!!」
しかし――その、まさに神聖なる調印の瞬間を狙っていた影があった。
都立高校から二キロメートル上空の成層圏。
光学迷彩によって姿を隠した超巨大空中戦艦――国際生体兵器カルテル【アラクネ機関】の極東戦略母艦『アビス・スパイダー』が、静かに滞空していた。
昨夜、最高執行部隊『ブラッディ・ファング』を完全無音で消去されたカルテル最高評議会が、ついに業を煮やし、最終兵器を直接投入したのだ。
「……昨夜の部隊すら一瞬で消されるとはな。あの高校生、ただの無能力者ではない」
艦橋の玉座で、アラクネ機関の総司令官・ギルバート卿が、冷酷な眼光でモニターの拓也をロックオンしていた。
「だが、無防備にも学校のグラウンドという開けた場所に出てきたのが貴様の命運の尽きだ。
我が空中要塞の主砲【超高密度陽電子反物質砲:ネガ・インフェルノ】を最大出力で励起せよ。
目標、グラウンド中央の少年指揮官!
周囲の生徒ごと、半径五百メートルを焦土と化し、あのフェンリルとキャットの所有権を強制剥奪するのだ!」
『主砲エネルギー充填率、九十八パーセント! 発射まで、あと五秒!』
艦内に、甲高い破滅のサイレンが鳴り響く。
メガトン級の熱線が、秋晴れの青空を焼き尽くさんと銃口を開いた――。
その、まさにコンマ一秒前であった。
都立高校のグラウンド。
「拓也! パスッ!!」
味方の生徒が、右サイドからグラウンドを転がる絶妙なクロスボールを中央へと放り込んできた。
「おし、ナイスパス!」
拓也はゴール前二十五メートルの位置で、転がってきたボールへと走り込んだ。
相手のディフェンダー二名が、必死の形相でスライディングを仕掛けてくる。
しかし、拓也の右足は、すでに美しく後方へと振り上げられていた。
(力を抜け……。インサイドで、優しく擦り上げるように……キュッと曲げる……!)
パコォォォォンッ!!
秋晴れの空に、澄み切ったミート音が響き渡った。
拓也の右足のインサイドが、ボールの右下を優しく撫でるように捉えたのだ。
その瞬間――。
如月邸の庭先で、ザイオンがルルからのパスをボレーで【ポン】と跳ね上げた。
ポチが鼻先から放った極小の温風が、ボールに黄金の回転力を付与した。
カチリ。
世界中の因果の歯車が、完璧に噛み合った。
拓也がグラウンドで蹴り出した白黒のサッカーボールは、常識的な物理法則を遥かに超越した、美しい【黄金の螺旋放物線】を描いて急上昇を始めたのだ!
「なっ……!? 曲がった……!?」
相手キーパーが目を見張る。
ボールは、ディフェンダーの頭上を越え、ゴールポストの右隅へと向かうと見せかけて――急激な空気抵抗の反転により、ぐぐぐっと左側へと鋭角にカーブした!
まるで生き物のようにゴールネットの左上隅、キーパーの指先が絶対に届かない【絶対の死角】へと吸い込まれていく。
しかし――そのボールが放った微細な『神聖カーブの風圧余波』は、グラウンドの芝生を揺らすだけに留まらなかった。
ヒュババババババッッッ!!!!
成層圏へと突き抜けた見えない重力スピンの余波が、二キロメートル上空で主砲を発射しようとしていたアラクネ機関の戦略空中戦艦『アビス・スパイダー』を、横合いから真横に薙ぎ払ったのだ!
「な……何が起きたァァァッ!?」
ギルバート卿が、計器の火花の中で絶叫した。
『超重力の螺旋気流が直撃!
主砲の発射口が外側からねじ曲げられ、反物質エネルギーが内部で逆流しています!
艦体装甲、耐えきれません! 崩壊しますッ――!!』
ボゴォォォォォォンッッッ!!!!
全長五百メートルの巨大空中戦艦が、主砲の自爆エネルギーによって内側から一瞬で圧縮され、空中でひと塊の十センチ四方の「綺麗な鉄クズブロック」へとペシャンコに潰れた。
そこへ、成層圏に待機していた不知火凛率いる八咫烏の飛行部隊が音もなく飛来し、ちりとりでその金属塊をサッと回収して影の底へと消去していった。
青空には、秋の白い雲がふわりと浮かんでいるだけ。
メガトン級の空中要塞の襲来は、少年の「ちょっとカーブを掛けたシュート」の余波だけで、一秒で完全消滅させられたのである。
バサァッッッ!!
グラウンドのゴールネットが、心地よい音を立てて揺れた。
白黒のサッカーボールが、ポストの左上隅に突き刺さり、地面へと転がり落ちる。
ピピィィィィィッーーーー!!
審判の体育教師が、両手をセンターサークルへ突き出して笛を吹き鳴らした。
「ゴォォォォォルッ!! 二対一、勝ち越しィィッ!!」
「うおおおおおおおおっ!! 拓也、すっげぇぇぇぇぇっ!!」
「なんだあのカーブ!? プロのフリーキックかよ!!」
クラスメイトたちが怒涛の勢いで拓也へと駆け寄り、少年の背中をバンバンと叩いて歓喜の輪を作った。
「へへっ、うまくいったわ!」
拓也は額の汗を拭い、照れくさそうに笑った。
(体育館のガラスも割れなかったし、完璧だな!)
その頃――新宿・防衛本部作戦統括室。
『――観測成功ッ!! 目標ネットを完全に貫通いたしましたッ!!』
クロエが、涙で濡れた両手を高々と突き上げて絶叫した。
作戦スクリーンには、成層圏で消滅したアラクネ機関の戦略母艦の残骸ゼロデータと、拓也のゴールシーンが並んで投影されている。
『拓也様の放たれし【神聖カーブ流星弾】により、成層圏に潜伏していた悪徳カルテルの空中要塞が完全消滅!
日本列島、並びに極東の上空制空権が、百パーセント神聖不可侵領域へと固定されましたッ!!』
「ハッハァ! 見たか世界よ! これが俺たちの少年指揮官のゴールだぜ!」
レオンがデスクをバンバンと叩いて大笑いする。
「うむ……! 実に見事な調律劇であった!」
神宮寺蒼太が、深く満足そうに頷いた。
「全軍へ通達! 球技大会の全日程が終了するまで、都立高校周辺の完全警護を維持せよ!
指揮官様のクラスの優勝を妨げるいかなる悪因果も、すべて事前に刈り取るのだァァァッ!!」
午後一時――如月家・台所。
「ふぅー! パス練習、楽しかったねー!」
三月が、麦茶を飲み干した神獣たちを連れて台所へと戻ってきた。
「拓也、きっと試合でかっこいいゴール決めてるよね!
今日のお昼ごはんは、拓也が帰ってきたらすぐにお祝いできるように、みんなで大好物の準備をしよう!」
台所のテーブルの上には、下町の精肉店で買ってきた新鮮な鶏もも肉が、山のように積まれていた。
ニンニクと生姜、そして特選醤油のタレがボウルに用意されている。
「キャンッ!(はっ、主の凱旋を祝す神饌の仕込み、全力でお手伝いいたします!)」
銀髪青年獣人のザイオンがエプロンをきりりと締め、ルルが片栗粉の袋を抱きかかえ、ポチが揚げる油の温度を最適化すべくコンロの換気扇へスタンバイした。
学校で大活躍する少年と、その帰りを心待ちにする温かな家族。
秋の澄み切った青空の下、如月家の平和な一日は、香ばしい醤油と生姜の香りと共に、さらなる大団円へと向かって進んでいくのであった。
(第375話へ続く)
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