第123話:深淵を繋ぐ門、そして温もりの帰郷
第二層の主『ルイン・センチネル』が光の粒子となって消滅した広間には、驚くほど純度の高い、巨大な魔石だけが転がっていた。
拓也はその魔石を拾い上げ、リュックへと収める。
限界を超えて脳をフル回転させた『深層言語・限定解析』の反動で、こめかみのあたりがズキズキと熱を持っていたが、少年の胸には確かな達成感が満ちていた。
「よし、これで第2層の安全は確保されたな。一度地上へ戻って、鉄山のおっさんに報告といくか」
風間蓮が長槍を背中に戻し、晴れやかな顔で拓也の肩を叩いた。
「ええ。拓也殿の脳への負担も考慮せねばなりません。すぐに帰還しましょう」
神宮寺蒼太の言葉に、瀬戸玲奈も深く頷く。
彼らは再び防魔隔壁をくぐり、新宿の地下から地上へと這い出て、隠れ家である『黒鉄堂』へと向かった。
重厚な鉄の扉を押し開けると、炉の熱気とともに、待ち構えていた鉄山厳の巨躯が出迎えてくれた。
作業台の上には、いつもの武器や防具ではなく、何やら複雑な幾何学模様が刻まれた、巨大な青銅の円環が二つ並べられている。
「戻ったか、坊主ども。第2層のボスを無傷で片付けたそうじゃねえか」
鉄山は、拓也が差し出した巨大な魔石を一瞥もせず、不敵な笑みを浮かべてその青銅の円環を指さした。
「鉄山さん、それは一体……? 鍛冶の道具には見えませんが」
拓也が不思議そうに尋ねると、鉄山は自慢げに鼻を鳴らした。
「これか? 驚くなよ、これはお前の姉ちゃん――三月がかつて迷宮内で無意識に使っていやがった『空間転移』の術式を、俺が独自に解析して作り上げた代物だ」
「姉ちゃんの、テレポート……?」
「そうだ。あいつが使っていた武具には、移動する際に生じる空間魔力の残滓がびっしりとこびりついていた。それを俺の技術で抽出し、この円環に固定化(デバイス化)することに成功したのさ。名付けて『階層接続門』だ」
鉄山の言葉に、プロである神宮寺たちまでもが息を呑んだ。
「空間転移の魔導具だと……!? 鉄山殿、それは国家予算を注ぎ込んでも実用化できていない、文字通りのオーパーツだぞ」
神宮寺が取り乱すのも無理はなかった。迷宮の探索において、最もリスクが高いのは「一度踏破した浅層を、毎回徒歩で往復する時間と体力のロス」だからだ。
「フン、国家の有象無象と一緒にすんじゃねえ。……だが、空間の維持には莫大な魔力の安定供給が必要でな。本来なら俺の工房の魔力炉を全開にしても、数分繋ぐのが限界のはずだった。……だが、今の俺たちには『最高の頭脳』がいるだろうが」
鉄山がニヤリと拓也を見つめる。
「拓也。お前の『深層言語・限定解析』の目で、この円環の魔力回路を見てみろ。迷宮のシステムと、この工房を最短経路で『断線させずに繋ぐ』最適のポイントが、お前なら分かるはずだ」
「……やってみます」
拓也は一歩前に出ると、青銅の円環に右手をかざし、意識の奥底にある解析スキルを起動した。
視界が一変する。円環から伸びる無数の魔力の光の糸が、新宿の地下深くに眠る迷宮の、第2層のボスの広間へと真っ直ぐに伸びているのが「コード」として鮮明に見えた。
(空間の歪み、魔力の摩擦係数……ここだ。ここの術式を僅かに右へ傾ければ、空間の抵抗はゼロになる!)
「瀬戸さん、円環の右側面に、純粋な魔力供給を! 神宮寺さんは左側の出力を固定してください!」
「はいッ!」
「承知した!」
二人のプロが拓也の指示通りに動いた瞬間、青銅の円環の内側が、眩いばかりの純白の光で満たされた。
光の向こう側に見えるのは、つい先ほどまで自分たちが立っていた、第2層の主の広間だった。
空間が、完全に固定された。
向こう側の冷たい空気が、この黒鉄堂の鍛冶場へと流れ込んでくる。
「信じられねえ……。本当に繋がりやがった。これで、毎回1層や2層を歩いて昇り降りする必要がなくなったわけか」
風間が唖然とした声を漏らす。拓也の解析によって魔力のロスが完璧に排除されたため、ポータルは驚くほど静かに、そして安定して空間を維持し続けていた。
「よくやった、拓也。お前の頭脳のおかげで、この門の維持魔力は想定の百分の一以下で済んでる。……これで、お前の探索効率は爆発的に上がるぞ」
鉄山は拓也の細い肩を力強く叩き、優しい目で少年を見つめた。
「ボスの討伐、そしてポータルの開通。大仕事は終わりだ。……坊主、今日はもう店仕舞いだ。一度家に帰って、家族に顔を見せてこい。三月の眠る施設へも、この工房の裏から車ですぐに行けるように手配してある」
鉄山の不器用な気遣いに、拓也の胸が熱くなった。
「……はい。ありがとうございます」
神宮寺たちに挨拶を済ませ、拓也は数日ぶりに新宿の地上へと出た。
夕暮れの街並み。行き交う人々は、地下で命懸けの戦闘が行われていたことなど知る由もない、普通の日常を送っている。
その光景を見て、拓也は自分が「そちら側の世界」へ片足を突っ込んだのだと、改めて実感していた。
電車を乗り継ぎ、懐かしい実家の玄関の前に立つ。
ポケットから鍵を取り出し、回す。ガチャリ、という金属音が、妙に静かに響いた。
「ただいま……」
ドアを開けると、奥の廊下から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「拓也!? 拓也なのね!」
現れたのは、エプロン姿の母・由美子だった。その顔には、隠しきれない心配と、無事に戻ってきたことへの安堵が入り混じっていた。
「お母さん。……ただいま」
「まぁ、本当に……怪我はない? どこも痛むところはないの?」
由美子が拓也の身体を両手で触り、必死に確かめる。その温かい手の感触に、迷宮の冷気が完全に溶かされていくようだった。
「大丈夫だよ、お母さん。凄く強い人たちが守ってくれてるから、傷一つないよ」
「そう……よかった、本当によかった……」
由美子が涙を浮かべて微笑む後ろから、がっしりとした体躯の父・昭雄が姿を現した。
かつての大病から完全に回復した昭雄は、力強い足取りで拓也に近づくと、その大きな手で少年の頭を乱暴に、しかし愛おしそうに撫で回した。
「よく帰った、拓也。男が一度決めた道だ、心配はせんと言いたいところだが……さすがに母親をこれ以上ハラハラさせるなよ」
「うん。お父さん、ごめんね。でも、俺は大丈夫だから」
健康を取り戻した父親の、毅然とした佇まい。それを見るだけで、拓也は自分が探索者になった選択が間違っていなかったと確信できた。もし三月が倒れ、この平穏が協会に壊されていたら、この父親の笑顔も二度と見られなかったはずなのだから。
その日の夕食は、由美子が拓也の大好物を並べた、賑やかで温かいものだった。
他愛のない学校の話(形だけ籍は残してある)や、日常の会話。
拓也は自分が地下深くで蜘蛛や巨人を切り裂いていたことなど一言も口にせず、ただの「息子」として、その温もりを全身で受け止めていた。
夕食の後、拓也は両親に断りを入れ、鉄山が手配してくれた車に乗って、三月が眠る探索者専門の裏の医療施設へと向かった。
厳重なセキュリティで守られた静かな個室。
医療機器の微かな電子音だけが響く部屋の中央で、姉・三月は、一週間前と変わらぬ穏やかな顔で眠りについていた。
拓也はベッドの脇の椅子に座り、三月の白く細い手を両手でそっと包み込んだ。
「姉ちゃん。……俺、第2層のボスを倒したよ」
静寂が、拓也の言葉を飲み込んでいく。
「鉄山さんがね、姉ちゃんのテレポートを解析して、凄い門を作ってくれたんだ。……姉ちゃんがどれだけ凄い場所にいたのか、どれだけ強い存在だったのか、少しずつ分かってきたよ」
拓也は、眠る姉の顔を見つめながら、拳を強く握り締めた。
三月が『魂喰い』を覚醒させるために、どれほどの血反吐を吐き、死の淵を彷徨ったのか、その本当の地獄の苦労を拓也は未だに知らない。姉を「最初から完璧だった無敵の天才」だと神格化している。
(天才の姉ちゃんが、何かの拍子で足元をすくわれるほどの深淵……。凡人の俺がそこへ行くには、もっと、もっと強くならなきゃいけない)
「待っててね、姉ちゃん。俺が必ず、この迷宮のシステムを全部暴いて、姉ちゃんの魂の座標を見つけ出して……絶対に、ここに連れ戻すから」
繋いだ手に、ほんの少しだけ力を込める。
姉の温もりは確かにそこにあった。それは、拓也が深淵の恐怖に立ち向かうための、何よりも強固な心の拠り所だった。
施設を後にし、夜の新宿を見上げる拓也の瞳には、もう迷いなど一切なかった。
黒鉄堂に戻れば、第2層と繋がったポータルが待っている。
明日からは、さらに理不尽な魔物が跋扈する、未知の『第三層』への突入が始まる。
少年の探索者としての覚悟は、家族の温もりをその血肉に変えて、より一層深く、鋭く研ぎ澄まされていくのだった。
第123話をお読みいただきありがとうございました!
三月のテレポート残滓を元にしたポータルの開通、そして過酷な死線を越えた拓也が実家へ戻り、回復した父・昭雄や母・由美子の温もりに触れる帰郷のドラマを描写いたしました。背後の憂いを無くし、絆を再確認した拓也は、いよいよ次回から難所である第三層へと挑みます!
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