第六十九話
薄暗い部屋に、静かな風が障子を揺らしていた。 春日山城の一室。 その空気は、戦の喧騒が嘘のように穏やかだった。
河野がゆっくりと瞼を開ける。 視界に入ったのは、柔らかな光に包まれた経丸の姿だった。
「あぁ、あぁ~目覚めましたか」
その声は、まるで春の陽だまりのように優しく、河野の心をそっと包み込んだ。
「ここは…どこですか⁉ 戦は…!」
河野は慌てて身を起こそうとするが、左わき腹に鋭い痛みが走り、呻き声を漏らす。
「まだ、起き上がっちゃダメですよ。安静にしてください。戦は終わりました。ここは春日山城の天羽家がお借りしてる部屋です」
経丸の声は、痛みを和らげるように穏やかだった。
「そうなんですね…!皆は‼」
経丸は少し口調を落とし、静かに答える。
「片倉さんが、まだ意識がないみたいです」
「えっ!えっ‼」
河野の顔が一気に曇る。
「片倉さん…死んじゃうんですか…?」
経丸は力強く、まるで自分にも言い聞かせるように答えた。
「大丈夫‼ 絶対に大丈夫です‼」
「そうですよね‼ 片倉さんが死ぬわけないですよ‼」
「はい」
経丸は真剣な表情で、河野の目を見つめる。
「河野さん、助けてくれてありがとうございました」
河野はぱっと表情を明るくし、声を弾ませる。
「経丸さん!怪我無かったんですね‼」
「はい、おかげさまで」
「よかったぁ~!怪我しなかったなんて最高じゃないですか‼ やっぱ経丸さんは最強だ‼」
「いや、河野さんが私を全力で守ってくれたから」
「最強なんですよ、経丸さんは。ってことは、最強の経丸さんの師匠の片倉さんは死ぬわけないですね‼」
経丸は涙をポロポロ流しながら、力強く頷いた。
「はい、もちろん」
河野はふと、思い出したように言う。
「そういえば経丸さん」
「はい?」
「ひのちゃんから、綺麗な布返してもらいましたか?」
「あっ、まだです‼」
河野は笑顔で言った。
「絶対に返してもらわないとですね」
「そうですね」
二人は、静かな部屋の中で笑い合った。 その笑いは、戦の痛みを少しずつ癒していくようだった。
士郎は全力で経丸のいる部屋へ駆け込んだ。 勢いよく戸を開け、息を切らしながら叫ぶ。
「経丸さん‼ 片倉さんが目を覚ましました‼」
「ホントですか‼」
経丸は立ち上がるや否や、士郎と共に廊下を駆け出した。 足音が廊下に響き、風のように片倉の部屋へと向かう。
経丸は勢いよく戸を開け放ち、叫んだ。
「片倉さん! 片倉さん‼」
そして、迷うことなく片倉の胸に飛び込むように抱きついた。
「と、殿……嬉しいですが……」
片倉が苦しげに声を漏らす。
「あっ、すみません‼」
経丸は慌てて身を引く。
「いや……お気持ち、すごく嬉しかったです」
その言葉に、経丸の目が潤む。
士郎は片倉を少し睨みながら、ふっと笑って言った。
「皆にも知らせてきます」
「おっ、おう」
士郎はゆっくりと戸まで歩き、静かに閉めると―― 次の瞬間、勢いよく走り出し、興奮気味に叫びながら城中を駆け回った。
「片倉さん‼ 完全復活‼」
その声に、皆が顔を上げ、次々と片倉の部屋へと集まってくる。
「片倉さん‼ やっぱり生きてたんですね‼」
「おっ! 河野君。活躍は聞いたよ‼」
凛は、目を覚ました片倉の顔を見て、思わず涙ぐむ。
「片倉さん……目を覚ましてくれて、本当に良かった」
「凛ちゃん、ひのちゃん。俺が昏睡状態の時、すごく看病してくれたんだよね。本当にありがとう」
ひのは涙をこぼしながら、声を震わせる。
「これで……天羽家の皆、無事ですね……」
片倉は苦笑しながら言った。
「俺のこの状態は、無事とは言えないけどね、ひのちゃん」
ひのは涙を拭いながら、笑顔で言い返す。
「ありがとうございます。生きてたら、それだけで無事ですよ」
片倉は優しい声で頷いた。
「おっ、そうだね。ひのちゃんがそう言うなら、無事ってことにしようか」
皆が笑った。 その笑いは、戦の痛みを少しずつ癒していくようだった。
「稲荷君、今回の最大の功労者は君だよ。情報を素早く、的確に届けてくれたおかげで、皆助かった」
稲荷は照れくさそうに頭を掻く。
「そ、そうですかね……」
士郎が勢いよく口を挟む。
「片倉さん、稲荷すげぇんだよ!」
「何が?」
「背中に矢が五本刺さってたのに、気づかなかったんだぜ‼」
「えっ? 嘘でしょ……」
稲荷は淡々とした口調で答える。
「僕、痛みに気づきづらい体質らしいんですよね」
「えっ……気づくでしょ、背中に矢が五本は……」
「気づかないですね。それくらいじゃ」
片倉は吹き出しながら言った。
「最強すぎるって……!」
皆が一斉に笑い声を上げた。 その笑いは、春日山城の静けさに溶け込み、戦の終わりを優しく包み込んでいた。
金崎たちと別れを告げ、経丸たちは館山城へと帰還した。 戦の傷はまだ癒えきらないが、空気はどこか柔らかく、春の風が城を包んでいた。
士郎は満面の笑みで経丸に駆け寄る。
「経丸さん、やっと帰って来ましたね‼」
経丸は穏やかな笑顔で頷いた。
「そうですね」
凛が大きく伸びをしながら、声を弾ませる。
「さぁ、皆無事だったし――大宴会やりますか‼」
「おっ!凛、いい案だ‼」
「でしょう、兄貴!」
凛がニヤリと笑って叫ぶ。
「じゃあ、皆さん‼ 兄貴の給料で派手にやりましょう‼」
士郎は目を見開いて焦る。
「おい!凛‼」
だが、士郎以外の全員が声を揃える。
「それめっちゃいい案です‼」
「おい、マジか!マジかよ‼」
士郎は皆の笑顔に囲まれ、肩を落としながらも笑う。
「……まぁ、いいや。 それがしの給料で、皆が食いきれないくらい派手にやろうぜ‼」
ひのが慌てて声を上げる。
「えっ!それはさすがに悪いですよ‼」
凛も笑いながら手を振る。
「兄貴、冗談だよ~」
経丸も心配そうに言う。
「そうですよ、士郎さんは安月給ですし」
士郎はすかさずツッコむ。
「それはあなたが何とかしてくれ‼」
その一言に、皆が笑い声を上げた。
士郎は拳を握り、堂々と宣言する。
「男に二言はねぇ‼ さぁ、皆好きなだけ食おうぜ‼」
片倉が大声で応える。
「おっしゃー‼ 士郎さん、いただきます‼」
河野は目を輝かせて叫ぶ。
「おっし‼ じゃあ、皆で買い出しですね‼」
チビルが士郎にそっと耳打ちする。
「後で泣くなよ」
士郎は小声で返す。
「今もう心は泣いてるよ……」
そして―― 天羽家、大宴会が始まった。
笑い声が館山城に響き渡り、戦の痛みを少しずつ癒していく。 それは、命を繋いだ者たちだけが味わえる、最高の祝福だった。




