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白眉

京都大学は若手育成事業として白眉プロジェクトというのをやっているが私はそのプロジェクトの助教にはなりたくないなと思う。三國志蜀書九によると馬良字季常は襄陽は宜城の人である。彼の五人兄弟はみな才名があったらしいがその中でも良が最も優れており郷里の人は「馬氏五常白眉最良」とよく言ったらしい。良は眉毛の中に白毛があったらしく、白眉は良のことを指している。蜀の先主が荊州に入ると従事に取り立てた。先主が蜀を攻める際、諸葛亮はこれに従ったが良は荊州に留め置かれた。その際に亮の雒城攻略を祝う手紙などを送っていたが、その後左將軍掾となった。孫呉との間にあった荊州の領有問題が再燃すると良は親善の使者として自分を用いるように諸葛亮に提案する。諸葛亮は試しに良に親善の文章を書かせた。その文章が素晴らしかったため孫権は良を厚遇した。その後、良は侍中となる。しかしながら結局のところ荊州の問題は収まらず孫呉が荊州を奪取し敗れた関羽は斬られた。先主は呉への東征をはじめる。良はこれに従い、武陵へと赴き五溪蠻夷を説得する。すべてが良の手筈通りに進み蠻夷の首領たちは蜀の印號を受け取った。しかし孫桓らの奮戦と陸遜の采配によって先主は敗走し、多くの蜀将がこの際に戦死した。良はこのうちに含まれる、三十六だったという。

現代の学者というのはおおよそ多くの人が二十七で博士号を取る。学位取得後十年は若手として扱われることが多いがこの三十六というのは若手の終わりの時期といえる。若き頃から才名を揚げ三十六までにいくらかの功があったが若くして死ぬことになった、しかも諸葛尚や夏侯栄のように華々しく散った訳でもない人物の綽名を若手育成事業の名につけるのは縁起がいいとは言えないだろう。

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