1-3 ボンビックス子爵毒殺事件
あっという間に掃除を終えた愁は掃除道具を片付けて、改めてヘルメスに指示を仰ぐ。
「今回の事件は毒殺疑惑があるんですよね? 医学持ってた方が良いですかね?」
「そうだね。今回はモズくんも一緒に着いて来てもらうから、戦闘技能は必要無いよ」
「じゃあ他の技能は探索特化かなー。洞察ー……より交渉が優先かな、うん」
愁は脳内で色々とこねくり回す途中で、じとりとヘルメスを見据える。上司である彼の交渉技術を一切信用していないのである。
先のマルベリーへの余計な一言からして当然だろう。
「それじゃあ……【ダイスロール】!」
愁がそう唱えると、彼女が身につけているブレスレットが輝き、同時に空中に青く半透明なサイコロがいくつも浮かび上がる。どこからともなく、カラランッと小石を転がしたような軽い音が鳴った。
サイコロは数秒程高速回転していたが、また違う質感の違う、指を鳴らしたような音が鳴ると同時にピタリと止まる。サイコロの面に書かれた数字の一つが白く光ると、本体は煙のように消え、白く光る数字だけが浮かび上がる。
宙に残った数字の数々は、愁の体を取り囲むように周囲をくるくると浮遊したかと思うと、そのまま彼女の体へと吸い込まれて消えていった。
「今のは……」
「企業秘密だよ。まあ、調査前のちょっとした準備といったところかな」
マルベリーは呪文という魔法が存在する世界で暮らしていたが、このような術は見た事が無い。どのような効果のある魔法かなんて見当も付かなかった。
全てのサイコロが愁の体に吸い込まれ、僅かに体からオーラのような光を発したと思ったら、愁の表情が固まる。
ギギギ、と金属が軋むような音を出しそうな動作で振り返ると、彼女は悲痛な声を上げた。
「大変です所長!」
「どうしたんだい?」
「今回の私……体力が! すっごく貧弱です! 下手したら週三の六時間労働で過労死するレベル! ついでに足もめっちゃ遅いです!」
「ああうん、それで知性は?」
「そっちは80あります」
「なら充分だろう。体力は……うん、こまめに休憩を取るようにしようか」
「お願いしますよ、本当」
ヘルメスに疑わしそうな視線を向けつつ、愁は自身の目の前に、空中に浮かぶ青いスクリーンを出現させる。先程愁が口にしていた「洞察」や「交渉」「医学」といった技能が並んでおり、技能の名称の隣にある数値を指先でいじると、技能値が上下する。
スクリーンの上部にはHPや筋力といった能力値が並んでいるが、先程のサイコロの出目がそれぞれのステータスになっている。彼女が言っていたように、体力の値、それと俊敏の数値が他に比べて非常に低い。他が少なくとも50はある中で25しかない。それに体力の値に比例したようにHPの数値も非常に低かった。
「そうだ、忘れるところだった。レディ・マルベリー、君の居た時代はアルバーテル歴何年だったかな」
「1586年ですが……何故そんなことを聞くのですか?」
「ほら、僕やモズくんならともかく、彼女の格好は君達にとってかなり異質だろう?」
彼の言う通り、愁はふわりと広がる丈の短いパステルブルーのキュロットパンツを履いており、生脚を露出している。
これはマルベリーの価値観からすればかなり、いや、娼婦並にはしたない格好だと言えた。彼女の居た世界では、女性は脚が性的な部位とされていたからだ。生脚を晒すなんて以ての外だ。
彼女が今の今まで見て見ぬ振りをしていたのは、この場所が異世界のような場所で、そこに生きている人種だから、そういう格好をする文化があってもおかしくないと思っていたからだ。
技能値の割り振りをしながらも彼らの会話を聞いていたのだろう。愁は顔を上げ、ヘルメスに問いかける。
「ロング丈のスカートに着替えましょうか?」
「いや、その必要は無いよ。認識阻害の発動さえ忘れなければね」
手首をトントンと叩き、ヘルメスは愁が身につけているブレスレットを示唆する。
彼女が身につけているブレスレットは、ただ異世界における彼女のステータスを決めるだけの代物ではない。
様々な機能がついている、世界にたった一つしかない魔法のアイテム――アーティファクトなのだ。他者から見られた際に印象をぼやけさせる認識阻害機能も、数ある便利機能の一つだ。
素直に返事をした愁はマルベリーの方を見ると、にかっと笑って「もうちょっとだけ待ってくださいね!」と言い、再びスクリーンとの睨めっこに戻った。
愁が技能割り振りを終える頃に、モズが戻ってくる。
先程とあまり変わらない格好だが汚れの無い服に着替えている。だがまだしっとりと濡れている髪はカラスの羽のように照明を青く照り返しており、濡れた髪がうざったいからか、毛先は出ているがお団子状に髪をまとめていた。
「ちゃんと髪乾かさないと風邪引くよ」
「放っとけ」
ぶっきらぼうな返事だが、愁にとってはいつもの事だ。最早慣れきってしまった塩対応に腹を立てるでもなく、ふーん、と彼女も適当に流した。
「モズくん、帰ってきて早々だけど、彼女の依頼に同行してもらうよ。構わないかな?」
「おう」
「愁くんも準備は良いかい?」
「バッチリです!」
「待たせたね。それじゃあ行こうか、レディ・マルベリー」
そう言って、彼はマルベリーが入ってきた扉の前に立つ。臆する様子は微塵も無く、むしろ慣れた様子で扉を開けると、そこにはマルベリーにとって見覚えのある部屋に繋がっていた。
天蓋付きの大きなベッドに、華やかなカーペットやカーテン。家具についている金具の細工は職人の技術の高さを表しており、照明のシャンデリアには良質且つ大粒の魔石が使われている。
「ここは……私の部屋……?」
彼女の記憶と照らし合わせると、その場所はボンビックス子爵家のマルベリーの部屋に間違いなかった。位置的に、ウォークインクローゼットに繋がる扉と繋がっている。
彼女はてっきりあの酒場に出るのだろうと思っていたらしい。まさか自分の部屋と繋がるなんて考えもしなかったのか、目を丸くしていた。
「こちらから出向く時は比較的自由が利くんだ。しかし、たまたま繋がったとはいえ、レディの部屋に異性が入るのは些か問題になるかな?」
「……いえ。なりふり構っていられる場合ではありませんから」
「では失礼するよ」
最初にヘルメス、次いでマルベリーが入り、三番手で愁が扉を跨ぎ――その瞬間、彼女の体ががくりと崩れた。
後ろに居たモズが彼女の服の襟を引っ掴んで引き上げたおかげで辛うじて倒れることはなかったが、先程の健康そうな様子はどこへやら、顔色は真っ青で今にも気絶しそうな様相に見える。
大丈夫かとマルベリーが声をかけるより先に、愁が力の無い悲鳴を上げた。
「体がだるぅい……節々の関節が軋むぅ……なんか頭も痛ぁい……体力と俊敏25の世界辛いよぉ……!」
「今回のステータスはモヤシになったか」
「モヤシどころかトイペレベルだよぉ……」
「足引っ張るんじゃなか」
「引っ張りたくてこうなったわけじゃないよ!」
いつもの調子で反論した愁だったが、自分の声が頭に響くらしい。眉間の皺をより一層深くして気の抜けた呻き声を上げた。
何とか無事に自分の足で立ったものの、明らかに具合が悪そうに見える。
「あの、具合が悪いのでしたら休まれては……」
「だ、大丈夫です! しばらくすれば慣れるので、えぇぇ……うう、頭痛薬だけ飲んどこ……」
愁が腕のブレスレットに触れると、何も無い所から500mlペットボトルの水とPTPシートに入った錠剤が現れる。
マルベリーが驚いている間に、愁は慣れた様子で錠剤を二粒出して口に入れ、水で流し込む。そして再びブレスレットに触れると、ペットボトルと錠剤は最初からそこに無かったかのように消えてしまった。
アイテムボックス機能。これも、ブレスレットの便利機能の一つである。




