プロローグ
彼女が生まれたのは、雪の降る寒い夜だった。
「王女殿下の誕生です!」
取り上げた医師の弾んだ声は、しかし続くはずの「おめでとうございます!」を発しない。響く産声と共に、産婦である王妃の周囲にいた人間がバタバタと倒れていったからだ。
その光景を見た王妃の侍女は「ひぃっ」と息を呑んで逃げるように後ずさるが、やはりその場で意識を失ってしまう。
「わたくしの、可愛い……」
赤子を産んだ王妃は気丈に振る舞ってはいたが言葉を最後まで紡ぐことができず、国を挙げて待望の第四子を祝福するムードは一転――『王家に呪いの子が生まれた』と言われるようになってしまった。
これが誕生した王女――第二王女システィナ・リールラルグの始まりの日。
***
「私の弟か妹が生まれたんでしょう? どうして会ったらいけないの? それに、母上とも話したいし――……泣いてるの?」
「……すみません。ラーレリアン様は、しばらくお部屋でお待ちください」
ラーレリアンと呼ばれた少年は、システィナの兄にあたる一一歳の第二王子だ。弟か妹が生まれるのを今か今かと待ち望んでいたのだが、自分の元へ足を運んできた王妃の侍女は泣いて首を振るだけで。
「…………」
いつも明るく穏やかで、不穏なんて言葉とは無縁なラーレリアンでも、聞いてはいけないことが起きてしまったのだということはすぐにわかった。しかし、わからないからこそ……より一層心配になってしまう。
ラーレリアンは侍女の背中を優しく撫でて、「大丈夫だよ、落ち着いて」とゆっくり呼吸をするように促す。すると、しばらくして侍女は呼吸が落ち着いたようで、無理やり作ったものではあるが笑顔を見せてくれた。
「もう、大丈夫でございます。我が国の月のお手を煩わせてしまい、大変申し訳ございません」
「私は平気だよ。……そういえば、オーレリアンは、どうしてるの?」
ふと気になったのは、ほかの兄妹たちのことだ。自分のところに泣いている侍女が来たのだから、双子の兄と幼い妹も大変なことになっているかもしれない。
侍女はハンカチで涙をぬぐってから、「お二人は……」と現状をラーレリアンに教えてくれた。
「オーレリアン様は、今日は陛下とご一緒されているはずです。レイラシア姫様は、乳母とお昼寝をしている時間かと」
「ありがとう」
オーレリアンはラーレリアンの双子の兄で、レイラシアは四歳の妹だ。
「父上と一緒ならオーレは大丈夫だと思うけど、ちょっと様子を見てくるよ。父上たちのところになら、行っても大丈夫でしょう?」
「はい。わたくしが付き添います」
ラーレリアンは頷いて、待機していた二人の護衛騎士と侍女を連れて王の執務室へ様子を見に行くことにした。
執務室の前にいる王の近衛騎士に取り次ぎを頼むと、ラーレリアンはすぐ部屋へ入ることを許可された。
豪華絢爛というよりは機能的な面を重視した執務室は落ち着いた色合いで整えられていて、大きな窓には厚い深緑色のカーテンが。部屋の奥にある執務机があり、ほとんどの壁は書棚になっている。部屋の中央には打合せができるようテーブルとソファが備え付けられていて、ラーレリアンが求めた人物はそこにいた。
「オーレ! 父上!」
「すまないな、ラーレリアン。不安だろう」
ラーレリアンの声に返事をしたのは、父親であり、ここリールラルグ王国の国王であるラングスト・リールラルグだ。ラーレリアンが最初に声をかけた双子の兄オーレリアンは、俯いていて言葉を返してはくれなかった。その憔悴した様子が、ひどく心配になる。
「私は、大丈夫です……。オーレは……父上も、大丈夫ですか?」
「……ああ」
ラングストは、力無いながらも、息子に心配をかけてはいけないと思ったのか優しく目を細めて頷いてくれた。が、その目はわずかに赤くなっている。
しかし、耐えきれなくなったオーレリアンが声を荒らげた。
「どうして二人ともそんな風にしてられるんだ! 母上は死んでしまったのに……!」
「……っ!」
オーレリアンから告げられた、はっきりとした『死』という言葉にラーレリアンは拳をグッと握りしめた。
きっと母は出産で死んでしまったのだろうということは、侍女の様子からは明らかだった。けれどラーレリアンは、心のどこかではまだ母が生きているのでは……とも思っていたのだ。
自分たちを慈しみ、大切に育ててくれた笑顔の絶えなかった人。ときに厳しく、だけどとことん甘やかしてもくれて……。
ラーレリアンはオーレリアンをぎゅっと抱きしめた。
「平気なわけじゃないよ」
「ラーレ……」
オーレリアンはここで初めて、ラーレリアンも同じ気持ちだということに気付いた。自分を抱きしめるラーレリアンの体が小刻みに震えていたからだ。必死に自分の感情を押し殺して気丈に振る舞っているのだろうということが、わかった。
「ごめん、当たるようなことを言って」
すぐに出たオーレリアンの謝罪に、ラーレリアンは「大丈夫だよ」と背中を優しく撫でた。そしてすぐに、オーレリアンの肩口に顔を埋める。
「………………もう、母上には会えないんだね」
「……ああ。もっともっと、話をしたかったな」
「うん……」
ラーレリアンとオーレリアンの間に僅かに沈黙が流れた後、ゆっくりと体を離す。見れば、お互い顔が涙でぐちゃぐちゃになっている。その顔を見て、どちらからともなく笑ってしまった。
「すごい顔だぞ、ラーレ」
「オーレだって」
その様子を見ていたラングストは、二人にもうある程度の気持ちの整理がついていることに驚いた。双子という半身のような相手だからこそ、なのかもしれない。しかし同時に、ラングスト自身はまだ相当時間がかかるだろうなと苦笑した。
「あ、そういえば!」
ラーレリアンはハッとして、慌てて袖口で乱雑に涙を拭う。しかしすぐにオーレリアンが「擦るな」と叱咤して、ハンカチでラーレリアンの目元を押さえた。
「生まれた子は、どうなったの……?」
そう問いかけの言葉を口にするも、ラーレリアンはきっと死産だっただろうと思っていた。母体が助からなかった場合、赤子の死亡率も高い。この国はあまり医療が発展していないので、酷なことではあるが――出産というもの自体が危険だということは、幼い子供でも知っている。
その問いに答えたのは、ラングストだ。
「ああ、そうだったな……。生まれたのは、第二王女システィナ。ラーレリアン、お前の妹だ」
「――無事に、生まれたのですか」
先ほどとは違う涙がラーレリアンの目頭を熱くする。
「すぐ、すぐに会いに行きましょう! きっと、妹は不安がっているはずです。私たちが早く顔を見せて、大丈夫だよって声をかけて――」
「何を言っているんだ、ラーレ」
「オーレ?」
はやる気持ちを抑えながらも声をあげていたラーレリアンを、オーレリアンの低く冷たい声が続きを許さなかった。
「わかっているのか? 生まれた子は、母上を殺したんだぞ?」
「え……」
オーレリアンの言葉に、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。確かに母は亡くなったけれど、別に妹が意図的に殺したわけではない。その言い方はあんまりではないかと、ラーレリアンは思わずオーレリアンから一歩離れた。
ラーレリアンは、オーレリアンの睨むような表情と声から自分を守るように、両手で自分の腕を抱く。
「オーレだって、出産の危険は知っているだろう? どうしようもないことだってあるんだ。私たちは、妹が無事だったことを喜ぶべきだろう?」
正論のようなそのラーレリアンの言葉は、しかしオーレリアンの心には届かなかった。
「違う」
「何が!」
「そうか、ラーレはまだ報告を受けていないのか……」
瞬間、ラーレリアンの体をぶわっと嫌な感覚が走る。いったい何を言おうとしているのだろうか。気付けば、背中が汗で濡れていた。
そんなラーレリアンに構わず、オーレリアンは報告された出産時の様子を口にする。
「母上だけじゃない。その場にいた全員が倒れて、今は意識不明だ。幸い、母上以外は命に別状はなかったが」
「……? は、意味が……なん、で…………そんなこと、意味が……わからない」
「私だって、そうだ。……嘘だと言ってほしい」
しかしオーレリアンの表情から、それが嘘ではなく紛れもない事実だということ嫌でも自覚させられる。双子なんだ、それくらいわかる。
原因はわからないが、自分たちの妹が母親殺しなのだということを……無理やりだがラーレリアンは理解はした。心ではわからないが、その事実があることはわかった。
「でも、だからこそ……私たちが妹を支えないといけないだろう?」
「妹じゃない、母上を殺した殺人鬼だ」
「オーレ! そんな悲しいことを言わないでよ……」
「事実だろう」
自分にたくさん愛情を注いでくれた母の代わりとまではいかないかもしれないけれど、同じくらいの愛を妹に与えたいとラーレリアンは思ったのだ。
「事実でもそんな風に言ったら駄目だよ、オーレ。きっと、私たちの妹は一人で不安がってるよ。寂しくて、泣いているかもしれない」
だから一緒に妹に会いに行こう――そう思い、ラーレリアンはオーレリアンに手を伸ばす。が、オーレリアンに届く前に振り払われ拒絶された。
「――オーレ?」
オーレリアンがラーレリアンを拒絶したのは、初めてだ。
「第二王女は、誰にも合わせることはしないと決定している。ラーレでもだ。これは国王陛下の決定で、異を唱えることは許されない」
「なんで! 妹なのに!!」
ラーレリアンがそんなの絶対に駄目だと声をあげるが、オーレリアンはそれよりさらに大きな声で叫ぶ。
「わかってるのか!? 会ったら死ぬかもしれないんだぞ、ラーレ!!」
「――っ!!」
ラーレリアンを、生まれた妹を、突き放していたのだと思っていたオーレリアンの言葉。しかしその実、誰よりもラーレリアンを心配していたことがわかった。
しかし、だからといってラーレリアンが妹を受け入れない理由にはできない。
「……でも、死なないかもしれない! 現に、母上以外は死んでいない。なら、一目顔を見るくらいならきっと――」
しかし続けたかったラーレリアンの言葉は、口から出ることは叶わなかった。目の前に立つオーレリアンから、表情がごっそり抜け落ちていたからだ。
「いい子だからいうことを聞け、ラーレリアン。生まれた第二王女は、塔に入れることがもう決まっている」
「なんで……っ!」
ラーレリアンはあり得ないと、問い詰めるようにオーレリアンの腕を掴む。無遠慮に力いっぱい掴んだせいで、オーレリアンの顔がゆがむ。が、今のラーレリアンにそれを配慮する余裕はない。
「そこまでだ。落ち着きなさい、ラーレリアン」
二人を止めたのは、ラングストだ。
「あ……ち、ちちうえ……」
「塔へ入れることを決めたのは、私だ。生まれたばかりゆえすぐではないが……これも、みなを守るためだと理解できるだろう?」
「ラーレ……」
ひどく冷たく聞こえたラングストとオーレリアンの声だけが、ずっと、ずうっと、ラーレリアンの耳に残った。




