第三話。邂逅
厄介な者を見つけてしまった。
レイン・ウィンディは細長い枝で倒れた人のような者をツンツン突っつき、反応を見る。ぴくぴくと、獣の耳と尻尾が動く。どうやら生きているようだ。黒い全身タイツに身を包み込んだソイツは獣の耳と猫のような尻尾を持ち、髪の毛は茶色で肩で切りそろえられている。その髪は小枝やら葉などで装飾されており、古きよき時代の生け花を彷彿とさせる。よく燃えそうだ。
「………さて、帰るか」
「ちょいっとまちなよ少年。それは余りにもあんまりじゃないかな?」
全身タイツの怪しい人物がガバッと足に抱き付き、懇願するかのような眼でレインを見る。明るい茶色の瞳はやんちゃそうな印象を抱かせる。容姿も整っており、レインよりは数才上のように思える。16か18位だろうか。こっちに来てからのレインはアウローラしか眼にしておらず、前の世界では幼く見られる人種だったため外見で判断する事が難しい。
「怪しい格好をした痴女は相手にしては駄目だと母の教えでして」
「うっ。た、確かに怪しい格好はしているけど痴女じゃないから!!」
「でも怪しい格好してるのでお近づきになりたくないです。離してください変態が移るっ」
「移ってたまるかそんなもの!! 君は可愛い見た目してる癖に口が悪いね!!」
「貴女は主に態度が悪いですけどね」
ムキャー!! と野生じみた奇声を発する獣耳の少女から三歩距離をとる。すると少女が立ち上がったので全身がよく見えた。身長はレインより高く160センチ位。全体的に細い体は華奢な雰囲気ではなく、しなやかな筋肉を付けた獣のようである。しかし、どうにも全身黒タイツなため変態にしか見えない。そう、ざっと全身を眺めたのに気付いた少女は口角をあげ、ニヤニヤと笑った。
「おや? おやおや何だい少年。そんなにじろじろ見て。変態だの痴女だの言っておきながら私の身体で劣情を催したのかい? くふふ。まったく、少年と言うのは気難しいね。好きな子にはついついつっけんどんな態度をとりたがる年頃なのかな?」
「だまれ貧乳」
「貴様は全貧乳を敵にした!!」
今までで一番気合いが入ったツッコミだった。耳と尻尾がピンと立ち、シャーフシャーと威嚇している。気にしていたらしい身体的特徴を言ってしまったレインは少々申し訳ないなと思ってフォローを入れようと思う。自分ではどうしようもないことを言われるのは酷く傷つくものだ。レインの眼差しは敬虔な使徒の如く慈愛に満ちて。
「うん、きっとこれから育つよ。希望を捨ててはいけない。諦めたら成長は止まってしまうんだよ」
「やめて!! 変な期待持たせないで!! そういわれ続けて早二年っ、微塵もそんな気配ないんだからっ」
「………何も泣かなくても」
さめざめと泣く少女に、レインは何となく面倒くさくなってきた。もう帰って良いかな? 適当に相手してあげたし、そろそろ昼食の時間だ。母さんを待たせるのも悪い。
そう考えて、結局よく解らなかった少女に背を向けて家に向かう。話のネタが出来た、そんなことを考えながら。
◆
レイン・ウィンディとアウローラ・ウィンディの住む家は森の中心付近であり、川に比較的近いところにたっている。木造の平屋で二人で生活する分には割と余裕がある広さがあり、自給自足でも豊かに暮らしていける。町に向かうのは主にアウローラで、それも偶に、服や小麦粉、調味料を買いに行く程度だ。どこからその資金が出るかと言えば、森に生えている薬草等を売っているようである。要は広さがあり、蓄えがある。と言うことだ。
「おっかえりーレー君!! 今日も怪我してない?」
レインが玄関を開けるとアウローラが奥から出迎え、有無をいわさず抱擁し、全身に怪我がないか確認する。この森はそれほど大きな獣は生息しておらず、既にこの森一番の獣は狩っているのだが、子煩悩というか心配症というか、つい世話を妬きたがるのだ。
「ただいまお母さん。何時も言ってるけど、油断せずにしっかりやってるんだから大丈夫だよ」
ずいぶんと背が伸びたレインはアウローラに抱きつかれると胸に顔を埋める形になってしまうので、少しばかり照れてしまう。それでも心配してくれるのは嬉しいので素直に抱かれ、笑みを浮かべる。アウローラは傷が無いことを確認すると微笑み、額と頬、唇にキスをすると不意に開きっぱなしの玄関を見た。より正確に言うなら、玄関に立つ全身黒タイツの獣耳の顔を赤くした少女を見た。
「………。レー君、彼女は誰?」
「変態で痴女な貧乳」
「こらっ、そんな人と関わったら駄目って言ったでしょ」
「うん、ごめんなさい」
「はい。良くできました。えーと、それで貧乳さんでしたっけ? 帰っていただけます? レー君の情緒教育に芳しくないので」
「あんたら親子は本当に言いたい放題だな!! 貧乳貧乳うるさいよっ」
「唾を飛ばさないで下さい。貧乳が移ってしまいますっ」
「あんたは知らないだろうけどこのやり取り二回目だよ!! むしろあんたは積極的に移れ!! 無駄な母性出し過ぎなんだよ!!」
アウローラは変態からレインを護るように抱きしめ、少女はその覆しようがない事実の口撃に激怒する。この親にしてこの子あり。とはよく言ったものだと思う。似通った美しい容姿に言動、少女にとって二人は強敵だった。
「はぁ………。もう、何でも良いから、今日泊めて貰えないかな? ちょっと森で迷っちゃって、出れそうにないの」
「ふっ、獣人が森で迷子ですか。それはとても皮肉でおもしろい冗談ですね」
「うぐっ。そ、そんないい笑顔で言われると倍傷つく……」
ニヤニヤと笑みを浮かべるアウローラに、引きつった笑みを浮かべる少女。レインは置いてけぼりにされた気がして、なんだか楽しくない。それにお腹も空いてきた。
「ねぇお母さん、どうする? 女の人だからお母さんに危害は加えないと思うよ?」
「うふふ。ありがとねレー君。私は貴女の方が危害を加えられそうで心配なのだけれどね」
アウローラはレインの細く長く、傷み一つ無いような髪に指を通し、少女を見る。眼がバッチリあった少女は一瞬呻き、恭しく頷く。カタカタと指先がふるえ、選択を間違ったかもと、今更ながら思った。
(こ、恐すぎる。手を出せば殺す色目で見たら殺す誘惑しても殺すとか、ほ、本気なんだろうな)
少女は粘っこい唾を飲み込み、出来る限り友好的な笑みを浮かべる。今鏡を見たら大変可笑しな顔が見れただろう気がする。
「ごほん。え、えっと。一日だけだろうけど、宜しく。私の名前はミルシャ・リルム。ミルシャって呼んで欲しい」
「えぇ、宜しくミルシャ。私はアウル・フロイト。こちらは息子のレスト・フロイトよ」
「宜しくミルシャ。そろそろ変な顔やめたらどう?」
そんなに酷い顔なのだろうか。落ち込みつつも少し見てみたいミルシャだった。
◆◆◆
「それで、やっぱりミルシャは猫舌なの?」
昼食後、舌をこれでもかと出して手で風を当てているミルシャにレインが話しかける。初めて見る人、それも獣人ときて色々と興味が尽きない様子だ。ミルシャはそんな眼がキラキラしたレインに何だか感じる物があるが、何処までが鬼神の許容範囲か解らないので内心ビクビクしながら、
「うん。私だけじゃなくて獣人はだいたい猫舌だね。やっぱそこは獣というか、舌が少し敏感なんだよね」
「へー。殆ど人みたいなのに変だね。尻尾とか耳も敏感なの?」
「そうでもないよ。手足みたいに触られたら分かるし、怪我したら痛いけど、それもやっぱり手足に怪我を負うのと同じ程度だね」
「………生やしてる意味有るの?」
「んー……生やしてるんじゃなくて消えないんだよ。耳とか尻尾とか、獣の一部はまんま生活の支えとか、武器になってるしね。そう言った理由から消えないんじゃないかな? 学者じゃないから詳しく解らないけどね」
それに可愛いでしょ? とニヤリと笑い、先が白い茶色の細い尻尾を振るミルシャは確かに可愛いとレインは思った。ある趣向を持つ人にはたまらないだろう。怪しい人に捕まらないのを祈るばかりである。
「ふーん……不思議だね」
「私は貴方達が不思議だけどね。なんだってこんな森に住んでるの?」
「この森の守護者なのだ」
「わー嘘くさすぎていっそ信じちゃいそー」
あながち嘘じゃないんだけどなー。と困った笑みを浮かべつつ、かといって本当のことは話せないので、話題転換する。お互いの年齢や好きな物、事、人。得意な魔法、苦手な魔法。殆どレインから話しかけたが話題は尽きることなく、その日は結局眠るまで賑やかな時間を過ごした。
そして翌日。別れの日。
「それではお二人共。お世話になりました」
礼を欠かさずしっかりとお辞儀をするミルシャに、レインとアウローラは少しばかり面食らう。一日過ごしただけだがこれほど殊勝な態度をとる人だとは思えなかった。ぽかんとしている間にミルシャは顔を上げていた。笑顔である。
「私、お二人のこと忘れませんから」
「そんな大袈裟な……」
「こら。そんなこと言わないの。忘れるってことはその人を殺すってことなのよ? ミルシャに私達を殺させてあげないの」
めっ。と叱るアウローラにレインは素直に謝る。でもその言葉もやはり大袈裟だと思ったことは内緒にしておいた方がいいだろうと口を噤んだ。
「さようならミルシャ。今度は森に迷わないようにね」
「ふふん。もう大丈夫よ。今度は迷わないわ。それじゃ、グズグズしてると別れづらくなるから此処でおしまい。さようなら!!」
小さく手を振り、玄関から出て行くミルシャ。耳と尻尾がピンと立ち、凛とした姿を最後に見せようとしているようで、レインは思わず、馬鹿だなぁと言い、つい、笑ってしまった。
「お母さん。ミルシャは無事迷子になると思う?」
「んー。しっかり着くんじゃないかしら? あれでも獣人だものね。レー君、今日は忙しくなるわよ」
「やっぱり? 嫌だなー。どうせお母さん手伝ってくれないんでしょ?」
「うふふ。さぁ、どうかしら」