39話 人間の病を治す妖しい集団(1)
俺達のいた庭のある東側の和室からリルルのいる簡易的な寝室へは、中央の広間を隔てて東の温泉側に向かう必要がある。居間には狐達がたむろしているはずなので、わざわざ玄関へと戻りつつ屋敷の端を回らなくてはならない。
屋敷は無駄に広く、中央をぶった切って行けないのは意外にも不便だ。今度屋敷の中心に廊下を作って北と南に分けられないか相談してみよう。
そうこう考えているうちにリルルのいる和室前に到着する。
すると、襖の奥から咳き込む音が聞こえてきた。リルルが今も苦しんでいるのだ。
どうやら波があるらしく、いつもこうということはないのだが、今はその波が来ている。
しかし、リルルには悪いが、これで説明を省くことができたはずだ。
「もしかして……」
「この奥に俺がお前に頼みたい相手がいる。知り合いによれば、肺炎だそうだ」
佐草は俯いた。それまでの元気が消沈し、のっぺりとした顔になっている。
「……正直自信無いよ。一度、植物に似た魔物の毒に侵されたクルクルのは治したことあるけど、それっきりだし、病気なんて……」
「そうだな。でも、とりあえずやってみて欲しい。無理なら別な方法を探すさ。もう少し時間はあるみたいだし、気楽にやってくれればいい」
「……わかった」
佐草は尚も調子が戻らなかった。
真面目にやって欲しいのでいいのだが、責任を押し付けているようでなんとも言い難い罪悪感がある。
襖を開けて入ると、彼女が横になって咳き込んでいる最中だった。
部屋は畳の敷かれた六畳一間。布団が一式と端に行燈があるのみの簡素な部屋だ。なるべく開放的な方がいいというハクの提案でこの部屋を使って貰っている。
寝返りをうってずれたのか、掛け布団がやや捲れて白い着物に包まれた背中が見える。その背中が咳き込む度に揺れ、痛々しく思えた。
幼い少女が苦しそうに悶える姿はこちらも苦して堪らない。
リルルは、こんな姿を見せたくなくて体調が悪い時は姿を見せてくれなかったんだろう。他人の気持ちに配慮し、己を気遣わせまいとするその精神は王女たる資質の一つなのかもしれない。
ここ数日、体調の良いはあった。こんな姿が嘘のように子供らしい姿で、お茶目で笑顔が愛らしい普通の少女だった。揶揄ってくる意地悪さには敵わなくて、懐深い優しさには心温まる。
リオネルもそうだが、王の下に生まれてくるからといって皆が皆このように辛抱強く他を想う心が強いわけがない。実際、リーテベルクは一度道を踏み外した。
とても苦しいはずだ。しかし、それを悟らせまいとし泣き言一つ零さない。尋常じゃない。
佐草は絶句していた。
想像していなかった、といったところか。俺もここに連れてくるまで隠していたし、その余地を与えなかった。
肩が震えている。これまでの苦痛を思い起こし始めているのかもしれない。
肩を抱き寄せ、小声で囁く。
「大丈夫だ。いつもこうってわけじゃない」
「……その声は、アカヒト様……ですね」
小声だというのに声色で判ったようだ。リルルが少し首をこちら側へと返している。
「ごめんな。俺の友人を連れてきたんだが、もしかしたらお前の病気を治せるかもしれないんだ。邪魔してもいいか?」
「げほっ、えほっ! …………もうっ……いけない人ですね。あまりアカヒト様には見られたくないのですが……。わたしの為にして頂けるのであれば、仕方ありませんね」
了承を得た所で、佐草とゆっくり近づく。
リルルの布団を少し捲り、背中に触れやすいよう調節した。ゆっくりと息をするのが身体の揺れでわかる。
その後、佐草に「頼む」という意志を込めて視線を送る。
しかし、佐草は自分の手と指をさするのに夢中で気付いていない。
様子がおかしい。咳がある程度落ち着いている今では、佐草の方が心配になるほどだ。
彼女はボソボソと何かを呟いていた。
「大丈夫、大丈夫……あたしは大丈夫。なにがあっても、あたしじゃない。これはあたしの力じゃない……あたしのせいじゃ…………。
……ダメ、あたしにはできない! 無理だよ!」
追い詰められたような表情をした佐草は、畳の上にある俺の手を掴んできた。
やめさせて、という言外が聞こえてくるかのようだ。リルルの手前、それを口に出すことはできない。押し殺すように出てきた訴えに俺は呆気にとられた。
「ご、降魔く――…………」
後ろにいる七瀬がおずおずと声を掛けようとしていた。
無理強いはダメだ。そう言いたかったのだろうが、その言葉は飲み込まれる。
七瀬も目の前の少女の姿を見て、何も言えなくなっていた。
俺もなにを言えばいいかはわからなかった。嘘吐きなこの口も頭も、こういう時に限ってだんまりだ。気の利いた科白はなにも思い浮かばない。
いや、正直になれば、もっと簡単に言えることはある。けれど、それは全て佐草を傷付けるようなもので、押し付けるようなもので、現状の打開においては意味ないことを理解している。
例え気の利いた言葉があったとして、俺は佐草を言いくるめる。もしくはやる気にさせることはできないという感覚があった。
人知れずに俺達はこの世界で心の何処かに壁や闇を持っている。後ろめたさや、傷や、孤独、不安、焦燥。それぞれ見えないところで鬱憤を晴らそうとしているが、それは叶わない。なぜなら常に背後にあるようなものだ、きっかけがなければどうにもならない。
接点すら綻び程度にしかない俺と佐草の関係において、そのきっかけができるとは思えない。
畏れは、その者を委縮させ、身動きをとれなくする。
佐草は、結果を決めつけてその先に待つ絵図に畏れを抱いている。不可能だったとして、俺は佐草を追い詰めない。だが、例えそうなったとして、他人の考えなどわからない。きっとこの人はこう思っている、と思い込んだ瞬間からその人は自分を悪くする他者へと成り下がり、自分を孤独にさせてしまう。
…………一旦戻ろう。ここへ来るにはまだ早すぎた。
「――わたし、治らなくていいですよ」
「へ……」
リルルが疲れ切った体を起こし、こちらを向いて笑顔で言った。
「この体でも生きていけないわけじゃありませんもの。少し疲れる時があるだけ、だからわたしの為に誰かに無理をさせるなんてことはしたくありません。
アカヒト様、わたしは大丈夫です。昨日も元気だったでしょう? このくらい我慢できる範疇です。わたしが王女だからといって、特別扱いする必要はないのです。お姉さんにも話が大きく伝わっていたみたいでごめんなさい」
――強がりだ。ただの強がりだ。
『生きていけないわけじゃない』で済むわけがない。そんな問題じゃないんだ。肺炎は十分死因になり得る病気だ、まだ症状が進んでいないだけで放置するなんて有り得ない! そんな諦めるような言葉が聞きたくて、やってきたことじゃないんだ……!
そう叱咤しようかと足が動く。けれど、俺が立ち上がるよりも早く彼女の声がせき止めた。
「――ダメッ!!」
奥底に眠っていた言葉が表に噴出されたようだった。全身に力が入り、拳が握られている。
「ダメだよ……そうじゃないよ。キミが言うべきは、そんな言葉じゃないでしょ。そんなことじゃなくて、どうして…………あたしにはその力があるかもしれないのに……! 怖気づいて試そうともしない臆病者なんだよ。自分の事ばかり考えて、他人なんかどうでもいい。自分が独りになりたくないからって、嫌われたくないからって線を引いて、そこより先には進んじゃいけないって思いこんでるバカな女なんだよあたしは!!
……攻めなよ。じゃなきゃ、苦しいのに……助けてって、どうしてどっちも言わないの……?」
「苦しくないですよ」
鮮やかにも可憐な即答だった。俺には、苦しいとは一瞬たりとも思わせないような決意の表れに思えてならない。
佐草はなにも返せていない。リルルの凄まじい強がりに絶句している。
「言っておくけど、俺はやめないからな」
「アカヒト様……」
「リルルが俺に頑張ってほしくなくても、そんなの関係無い。頑張るのには理由があるんだ。簡単に諦めきれることじゃないなら、それはきっといつまでも続く。俺はそう思う。
俺は、お前がそれと向き合っているうちは、絶対にやめない……!」
「どうして……そこまでして頂けるのでしょう。わたしは、あなたに何もしてあげられていないのに」
「ある人に言われた。関わっちまったんだ、最後まで面倒見なきゃ夢見が悪いだろ」
「それだけのために……?」
「それだけ、か……。こういうのは案外後になって後悔するものなんだ。今の俺は、元気になったリルルの姿を見れないとどうにかなっちまいそうって感じなだけだ」
リルルは、布団の端を掴み顔を隠した。
耳まで赤くなった彼女を見て、少しは伝わってくれたと思える。
もう今しかない。強情な子だ、後になればまた抵抗されるかもしれない。
無理矢理はダメだ。だけど、もう今はお前の希望に懸けるしかないんだよ……佐草美鈴。
佐草を見ると、彼女は先程とは違って神妙な面持ちとなっていた。
それはまるで一皮剝けた勇士の表情に酷似しており、俺は固唾をのむ。
――確証ならある。
佐草は、以前毒状態になった梶ヶ谷をこのスキルで治したことがあると言った。つまり、彼女の持つ《ありのままの姿》というのは、文字通りに素の状態に戻す効果があるということ。肺炎は、素の人間には常設されていない病だ。
このスキルなら、と俺のは――確証ではなく、願いなのかもしれないな。
「……この子は、キミにとって大切な人かい」
急になんだ、と思ってしまうほど突然の質問だった。
「怖いか」
佐草は、無言で小さく頷いた。
佐草はつい先日、賊の襲撃に遭ってトラウマを植え付けられた。自分の無力さを思い知ったはずだ。友人が倒れていく姿にこの世界の恐ろしさを味わい、搾取される絶望を痛感しただろう。
今回とは状況が違うが、同じなのは、失望されてしまうのではないかという思い込みが発生する可能性があるという点だ。
戦闘ではなんの役にも立たない限定的シチュエーションの回復役。今回、もしスキルが通用しなかった場合、同様の立場になってしまう。
もう自分は自分に失望したくないし、他人からも失望されたくないのだ。
「俺、こっちに来て友達が何人かできたんだ」
「――え?」
「何の話だ」と言いたげな表情だ。
「珍しいだろ。嘘吐きの俺がこっちじゃ変わり者に恵まれたんだ。だけど、この世界って本当にふざけててさ……友人を一人失った」
「……」
「俺、何もできなかった。あいつに何もしてやれなかったんだ……。
助けたかったのに、俺にはどうにもできなくて。現実って奴がどれだけ難しくて苦しいかわかっていたはずなのにな。
――もう二度と同じことを繰り返したくないんだ。あれっきりにするって決めたんだ。たとえお前ができなくても、他に治す手立てを考える。探す。百通りの道があるなら、俺はその百通り全部の道に挑む!
これはただの一歩だ。リルルを救うことは、俺にとって贖罪の一つ。これが失敗しても俺の足は止まらないから大丈夫だ!」
佐草の目に涙が潤んでいた。
「……凄いねキミは。いや、キミ達は、か。
あたしは、自分になにもできないんだって知って、それから何もできてない。足を止めたんだ。
なのに、キミはそこから這い上がって新しい道を探す努力をしている。こうしてあたしを見つけて、ここに連れて来て、一つ一つ挑戦してる。凄いよ、眩しいくらいだよ」
「お前は確かに足を止めたのかもしれない。でも、まだ生きてるじゃないか。足だってある。
だったら、お前の足はまた動かせる。まだできないと認めちゃダメだ。この先、もう一度チャンスを求めて努力すれば、お前は何も出来ていない自分から這い出せる! 足を止めたのは、これからできることを増やす過程だ。その為に必要だったんだ! お前はまだ無能と決められちゃいない。それを、俺はそれを認めない。お前にはお前にしかできないことがあるんだ!!」
俺は、変わった。自分にできなかったことを嘆いて終わりじゃなく、次にできることを探した。
カクシが俺にキリリンを残してくれた。俺はまだ戦える。
あいつが俺に預けてくれた分、それに報いなければならない。俺はそれを自分で探し続けていくんだ。走り続けて道を探す。
もっと強くなって、俺の存在証明を成し遂げてみせる!!
「佐草美鈴、改めて頼む。こっからまた足を踏み出してくれ。お前の力が必要なんだ!」
「……キミは、途方もなくカッコいいな。惚れてしまったよ」
「……」
こんな時に、そんな言葉を聞ける。呆れてしまうけれど、いつになくいつも通りの佐草の言葉だった。
「わかった……これ以上、我儘は無しだ。あたしがこの子を救うところ、ちゃんと見ててよ。今度はあたしが皆を惚れさせる番!!」
「ああ」
表情が変わった。血の気が戻って、挑戦する眼差しになっていた。




