35話 二つ目の妖怪道(2)
あの人、もしかして獣人ってやつだったのかな。まだ見たことがない獣の特徴を持った種族で、耳も良く身体能力は人族を遥かに凌駕するっていう……。
それでも、人族は知恵と勇気でそんな獣人を奴隷にした時代があった。戦争に勝って得た自分達よりも力に富んだ獣人。長命なこともあって、獣人の奴隷制度は今でも風習が残っている所もあるらしい。
あの人の態度からして、奴隷経験があるとは思えないけれど、確かに可哀想とは思った。
いや、違うか。あのままにしておくことに罪悪感を抱いただけだ。助けられないと決めつけて背中を見せようとしたら突然身体が震えた。
僕が他人を助けようとするなんてあまりに行き過ぎた考えなんだ。僕にできることなんてたかが知れてる。
よし、もうあそこには行かないようにしよう! なにも聞かなかったことにしよう! もし本当に伯爵が悪者だったなら、きっと誰かが気付いてるはずだ。武蔵野くんもいるんだし、彼が気づかないならきっともうそれは大丈夫だってことだよ!
「キミィ……」
皆のいる広間まで戻る廊下でのこと。背後から不気味な声で呼び掛けられた。
背筋が凍るような視線が後ろから突き刺さる。声のトーンが今迄のそれじゃない。
振り返ると、目をギラギラさせた伯爵が作り笑顔で立っていた。
オールバックの髪の男が大きい眼をぎらつかせている。高身長で一見紳士だけれど、黒いマントを羽織って怪しさを漂わせていた。
は、伯爵……!!?
さっきの女性の話もあり、挙動不審気味に後退った。
すると、伯爵は「ん?」と首を傾げる。
「あ、いや……えっと……なん、ですか……?」
ここには僕しかいない。もし僕が伯爵を怪しんでいると知れたら――あの人の言うことが本当なら、伯爵は僕を……。
ゴクリと生唾を飲んだ。
値踏みするような視線と暫くの沈黙が不安を増幅させるが、僕から何かを言うことはできなかった。
「…………いやあ、一人だけでいるのは珍しいと思ってね。屋敷の中には高価な物も多い。気を付けてくれたまえ」
柔和な口調。話し声だけは安心できるのに、目の前にいるというだけでこれだけの迫力があるから警戒してしまう。
「……は、はい。勿論です……」
そう言って、僕は再び伯爵に背中を見せた。
あの視線があると思うと直ぐには安心できなかったけれど、また一つ怪しさが増した。
伯爵は何か僕達に気付かれたくない隠し事がある。それが彼女なのか、彼女の言っている事なのかはまだわからない。
情報を共有した方がいい。僕一人じゃどうにもならないよ……。
◇◇◇
次の日――。
「え!? グラエラ伯爵が悪者かもしれないだって……?」
僕は、武蔵野くんにあの女性から聞いたことを話した。
武蔵野くん一人だけに言ったのは、僕の言う事を皆が信じてくれる自信がなかったからだ。こういうのは一番偉い人に報告するのがいい。全員に話すのはその人にやって貰う。僕達の中で一番強くてリーダーシップがあるのは武蔵野くんだ。皆の信頼も厚い。
昼食の時間、いつも早めに食べ終わる武蔵野くんを捕まえた。
一応外に出て、屋敷裏にある池の傍で二人だけで話すことにした。
あまり長話すると怪しまれるかもしれない為、率直に話したけれど、武蔵野くんは怪訝な様子だ。「うーん」と唸っている。
「キミの言う女性は信じられるのかい?」
「だから、不確かな情報なんだって……。僕も確かに怪しいとは思ってたから、信じてるまでは言わないけど……できれば、早いうちにここを離れたいんだ」
「……そうだね。それはその話がなくともそうしたいけれど、直ぐには移動できそうにないんだ。まだ負傷者が……」
そうだ。今、まだ先日の傷が癒えていない負傷者がいる。いや、正しくは身体的な傷じゃない。精神的な負傷者。
武蔵野くんは、優しいからその名前を出さないが……その人のことは皆知っているし、頭を悩ませる要員の一つになっている。
佐草美鈴さん。僕と同じで、スキルを買われてこっちのグループに来た女子。
本来は戦いなんて不向き。彼女のスキルもそれとは対照的なものだ。守られる存在でありながら、あの時はそんな余裕もなかった。元から心が強くなかった彼女は、案の定山賊相手に精神をやられた。
先日、負傷者の迎えに来てくれた月紫さん達にも付いていかなかったし、相当なトラウマになっているんだろう。
佐草さんは言う――もう二度と外へは出ない。
「手は尽くしているんだが、まだ時間が必要だ」
「じゃあせめて、その時間を有効活用したい。手伝って欲しいんだ」
「本気なのかい」
あの人が言っていることは間違ってはいない。全てとは言いきれないけれど、確かめる必要があるのは同意見だ。
死にたくない……。この警戒心はこの世界では必須、それを徐々に理解し始めてる。
今の僕の役目は、皆に警戒心を植え付けることにある。
「僕一人じゃ何も掴めない。そもそも信じて貰えないんだ」
「そんなことはないと思うけど…………わかった。
だけど、まだ話は僕とキミの二人だけのものにしよう。ここを離れられない以上、事を荒立てることはできないからね」
「ありがとう。そうだ、一つ貸してもらいたい物があるんだけどいいかな?」
「ん、なにかな?」
流石は武蔵野くんだ。冷静で話が早い。
それに、少し気が楽になれた気がする。一人で考えてると、気が重くなる。話せてよかった。
「水野くん……」
ほっと胸をなでおろしていると、武蔵野くんは神妙な面持ちでいた。
なにか気になることがあるのかな……。
「キミは、白金くんとは仲がよかったかな」
「……いや…………」
「そうか」
武蔵野くんは、安心するようにして返答した。仲がよくなくて良かったとでも言いたげに。
正直に言っても、あまり関わりがない。けれど、僕は白金くんが苦手だ。
苦手になったのは最近、こっちの世界に来てからだ。あの不気味な笑顔を見てからだ。
こっちに来て直ぐの頃。そう、降魔くんが居なくなった時だ。あの身の毛のよだつ顔は忘れられない。
◇
『降魔が居なくなったらしい! 見つかったのは月紫だけだったんだ!』
森の中で月紫さんが見つかった報告が来た時、白金くんは僕の隣にいた。
僕は怖くて城の中にいたけれど、彼は違う様子だった。まるで水を得た魚。城の中をワクワク顔で見て回っていて、置かれていた魔道具なんかも直ぐに使い方がわかるようだった。おかげで魔物が出た時も気づいていなかったらしい。
報告を耳にした時、彼は食いつくように訊ねていた。
『アカヒトがいなかっただって? その場で他になにかなかったか』
『え? いや、知らねーよ。ただ……月紫は、降魔が居なくなったって言ってるらしいんだ』
『へえ……興味深いね。居なくなったとこの数分で決めつけるなんて、ね』
それまでの子供のようなワクワク顔が一転、狂ったようなあの笑みが印象的過ぎた。
前までは寡黙でも、僕と同じソーシャルゲームをやってるらしいところも見た。でも、僕から話を掛けることはなくて、他の人と同じ距離感を保っていたから特別気にすることも無かった。ただ、僕と同じ雰囲気の人だと思っていたのに、こっちに来たら全くの別人だった。
◇◇◇
武蔵野くんには言えたけれど、僕自身動かないわけにはいかない。なにより、不安で仕方なくなってきている。夜寝るのも怖いくらいだ。
既に噂になってるけど、伯爵は夜にいつも皆が食事をする広間でなにかしているらしい。パーティ会場のように広いあの場所で、笑い声を聞いた人がいた。他にも、一人でブツブツと誰かと話しているかのような声もあったという。
伯爵は夜型で、趣味を興じてるんだろうと言う人がいるけど。そんな怪しい噂をそれで解決するにはあまりにもお粗末だ。
確認しないといけないんだ。じゃないと、僕は誰を信じていいか分からない。
僕は、皆が寝静まった深夜に一人でこっそり抜け出した。
僕達が寝泊まりしているのは、基本的に三階建てになっている館の二階。男子と少人数の女子で別々の部屋で眠っている。一部負傷者――今では佐草さんだけだけど。それともう一人を加えた二人だけはまた別の部屋だ。
この前舞島さんと畠中さんと一緒に来て、梶ケ谷さんだけがここに残った。
こっちに来る前までは金髪や制服を着崩していることもあって、ギャルでどうせ独りよがりをしているんだろうと思っていたけれど、そんなイメージはもうない。友達想いで、佐草さんを慰めているのを何度も見た。相変わらず身だしなみはアレだけど、ああいうのがこっちの世界では長生きするんだろうと皆が思っている。
二人だけは、一階の治療室で寝ている。頑なに動こうとしない佐草さんの事情もあってだけれど、現状二人だけにするのが最適だと判断した。
僕は、二階から一階の広間を目指した。部屋を出て直ぐに見える大階段を下り、静かに一階へと到達する。
普段、夜になると一階へは降りてこないから新鮮な感じだ。月明かりが差して映る一階の木造建築が神秘的に思える。
トイレは各階に設置してあるし、水を飲むのも二階でできる。皆も寝てから僕のように一階に戻るということはほとんど無いはずだ。
噂が出ていたのは負傷者がここにもっといたもう三日以上も前の話。彼らは一階にいたから、広間の前を通ることもあったんだろう。
――今もいるか…………。
そろりそろりと身を潜めながら広間の扉前まで来た。
すると、広間の中から小さな声が扉越しに聞こえてくる。
誰かいる……。伯爵か、それともまた別の人か。
深夜に部屋を出るのは原則禁止となっている。それが伯爵の決めたルールで、初めに警戒した理由だった。でも、今でもそれを守り、僕達が広間に来るということはない。もしいるとすれば、伯爵かその従者達の誰か。
ゆっくりだ。ゆっくり静かに扉を開けよう。
大丈夫。あれほど広い部屋だ、こちらを見ているなんてことはないはず。
よし、音は出てない。隙間くらいなら、気付かないはず。
一体なにをしているんだ……。
扉の隙間から屈んで覗き込むと、部屋の中央に佇むテーブルの向こうで伯爵の顔を見つけた。
誰かと話しているようだ。窓から射す月明かりが丁度伯爵を照らして、良く見える。向こう側の一点を注視し、真剣な眼差しを向けていた。
視線はやや斜め下へと向いており、相手は伯爵よりも小さいと思える。
表情は影ってよく見えないが、声のトーンから厳かに対応しているのがわかる。
昼間聞けないこの声だけで、僕達の見れない顔があるのは明らかだった。
「見つけられたか」
少々聞こえにくいけれど、ギリギリ意味がわかる程度には相手の声も聞こえる。
「いや…………しかし、いずれここに更に多くの子供達がやってくる。それからでも遅くはない」
『多くの子供達がやってくる』というのは、おそらく舞島さん達のことだ。およそ三週間後、彼女達は療養を終えた皆と一緒にここを訪れる予定だ。
セーリジュリア公国で得られる情報にも限りがある。一カ月を期限に場所を移動するという意見があって、その時に僕達も合流してここを去るという予定だった。
あの人の言葉から彼女達のことだ、と直感したのは勘違いじゃないだろう。
「彼らが別の世界から来たという話、初めは眉唾と思っていたが、聞けば本当らしい。あなたの言っていたことは間違っていなかったようだ」
「当然だ、俺様は既にその一人と拳を交えた。だが、おそらくそっちにいる奴等はそいつよりも実力は下だろう。妖力は一切感じられないのだろう?」
「ああ、やろうと思えばいつでもやれる。私もあなたと戦ったという妖混じりの人間と是非逢ってみたいものだ」
「……くれぐれも逃がすなどということはやめてくれよ。今回キミのやり方に任せてはいるが、仕事を失敗させるなんて馬鹿な真似、俺様は許さないからな。本当なら、子供の一部を別行動させたくはなかったんだ」
「本当に彼等の中にいるのか。全ての状態を治す――術が使えなくなった者を使えるようにすることができる稀有な才能を持つ子供が」
「この付近でその才能を持つ確率の高いのが異世界人だ。奴等は、時折こちらの世界にやってきては珍しい魔法を使う。中には状態異常回復ができる者がいてもおかしくはない」
状態異常回復――毒や麻痺といった状態異常を即座に癒すことのできる回復手段だ。
そういえば伯爵は、偶に僕達に話し掛ける時、『キミは何ができるんだい』と関心のあるように訊ねていた。あの時は特になにも思わなかったけれど、あれは状態異常回復魔法が持つ者を探していたのか……!
――まずい!
ここにはそれができる人が――…………あれ、声が止んだ……?




