33話 妖へと続く道(1)
朝方、最近では日課になりつつある山の巡回――もとい朝の準備運動をしていた。
スミレとの修行までの軽い運動だ。山は足下もおぼつかない道が多いからジョギングするにはもってこいだ。以前入った時もそう思って、最近ここに来るのが習慣になっている。
ここの妖怪も俺の存在に気付くと出てこなくなった。俺には敵わないと理解したんだろうが。
もう取って食おうなんて気はさらさらない。あれ以来、妖玉にして食うというのはこの山ではなやっていないのだ。
妖力は必要だけど、悪くない奴を倒して奪うのは俺の心が痛む。そんな事はしたくない。
スミレには甘いって言われそうだから、言わないであるけど。
朝日が昇って来た。
「そろそろスミレが山の近くに来る頃だな……戻るか」
そうして山の山頂付近から引き返そうとした時だった。
誰かの息遣いに気付く。息を切らして荒々しく、焦燥に駆られた息遣いだ。足下に落ちている枝や葉を踏みしめる音も聞こえる。
そんなに遠くない。けど、俺、こんなに耳よかったっけ……?
近くにその誰かが見えるわけではないというのに、俺の耳はまるですぐそこにいるみたいな音量で聞いている。しかし、その距離感も明瞭でおおよどれくらい遠くにいるかが判る。
ああ……そうか。この山が俺にそいつを助けろと言っているのか。
ゼラが言っていたことだが、山も森も一つの生き物らしい。疑問になるような考えだが、この山は妖怪が住まうちょっと特殊な場所だ。有り得ないとは言い切れない。
この山も俺を認めてくれたのかもしれない。
「こっちか……!」
足音からして二人。距離が近いってことは、この二人は少なくとも知り合いで誰かから逃げるように走ってる。
――やっぱりもう一人いたか。こいつがその二人を追ってるみたいだな。
追われてる二人とは違ってこっちは余裕の走りだ。しかも速い。まずいな、このスピードなら今から行っても間に合わないかもしれない。
せめて見える位置まで辿り着く!
妖気でバレるだろうが、警戒して速度落としてくれるのならありがたい。
「【黒衣武装】!!!」
右拳を握り、その拳から溢れるように出てくる黒い妖力が腕を黒く染めていく。
それと同時に全身に昂る力が走れと俺に叫んだ。この躍動に染まらなければどうにかなってしまいそうなほどで、まだ妖力と俺の感覚との共有はできていない。
足を踏みしめ、逃げる者達と追跡者の両者の間がある中間地点が見える位置。そこを目指して突っ走る。
山を下るようなルート。しかも道という道ではなく、一歩踏み外せば転がってタイムロスになるだろう人間にとっては過酷な道だ。
しかし、今の俺はゼラの妖力によって強化され、一歩一歩着実に下る必要はない。少し跳ぶように、階段を一段飛ばしで下るようなイメージで坂を下る。遮蔽物である木立を鮮やかに躱しながら時に鋭角に、時に直線的に進む。
直ぐに逃亡者と追跡者の三人が見える位置に着いた。上から見下ろす形となり、左手に追跡者、右手に逃亡者という構図だ。
追跡者の方は、俺に気付いているようだ。追跡は続行中だが、俺に「わかっている」というような視線を向けている。来れば襲うと警告の意味もあるのだろう。
あれはなんだ……獣? それとも妖怪か?
遠いし太陽光と木とその影のせいで容姿は今一つわからない。けれど、四足歩行で狩りをするライオンくらいのスピードだ。落ち葉や枝が散乱した凹凸のある荒れた大地をなりふり構わず走り抜けている。あと二、三分で二人は追いつかれてしまうだろう。
距離にして二、三百メートルってところか。相手は邪魔してくるかどうか見定めているってところだろう。この距離じゃ俺にはなにもできないと踏んで。
「面倒くさいな……うだうだ考えるよりもさっさと行動した方が早い!
とりあえず、お前は一端追うのやめとけ!!」
近くに落ちている石を妖力を込めた右手で投げる。
石は、追跡者の眼前を通り過ぎて奥にある木の幹を突き抜けた。
すると、追跡者は前足を上げ、後ろ足で急ブレーキをかける。
その前足が地面に付く頃、俺は五十メートルほど距離を取って追跡者の前に出た。
犯人が俺だとわかると、再びその屈強な筋肉を携えた脚を動かした。俺が来たとわかっても足を動かしたのは警戒心が薄いのか。
前に出て初めて追跡者の姿がはっきりする。
相手は妖怪ではなく、魔物だった。いや、おそらく魔物だろう。妖気は感じないし、理性の感じない獣そのものだ。本当に狩りの真っ最中という感じだ。
顔はヤギ、角はトナカイ、両肩には人間の着ける甲冑があって、上半身は虎で下半身は馬。魔物というかキメラの方が適当な名称かもしれない。
正直言ってキモイ……けど、
「虫とは違って触れないわけじゃない!」
キメラは、角を前に出してきた。距離感が判らなくなるほどのスピードの中、紙一重で角を躱す。
ギリギリ体重を残せた。そのまま前足に足を掛け、上がった後ろ足を持って空中に跳び上がりながら放り投げる。
キメラの体は、大きな杉の木にぶつかった。
すると、ずるりと地面に落下し、目を回して動かなくなった。
馬と虎の体が合体したような腹が動いているので呼吸はある。死んではないようだが、当分はこのまま動かないはずだ。
「妖怪の山でも魔物って出るんだな。これはちょっと特殊な奴だとは思うけどな……異世界に来て初めて出会った魔物とは大分毛色が違うし。
まあ別に、焼いて食っても美味そうじゃないからな……虎だし。いやでも、馬刺しってのがあるんだっけ。食ったことないけど、美味いのか……? ヤギも本来食うことあるんだっけ?」
「あ、あの!」
どうやら逃亡者が今のを見て戻ってきたようだ。
肩で息をする息遣いが漸くこの二人のものだと納得した。
二人の女性を見て、俺は目を見開いた。
妖艶な風貌は、露出狂かと疑うほどに布地の薄い服を着ている。大きめの木の葉で作られた衣装は胸などの局部のみを隠し、白い手足や肩、お腹周りは空いていた。
二人共似た恰好で、似た顔立ちだ。どちらも緑色の髪で翡翠色の目だ。だが、双子かと言えば違う、どちらかと言えば姉妹だ。背丈が高い方が雰囲気が大人っぽく色っぽい。おそらく二十歳中盤から後半といったところ。
もう一人の小さい方は、中学生かそれ以下だろう。警戒心が強く、必要以上に距離を詰めてこないあたりはこっちの方が”わかっている”かもしれない。
多少スレンダーだが、二人共美麗でうちの連中に負けずとも劣らない。学校にいたなら、当然のように男子達の視線を釘付けにしただろう眉目秀麗な容姿だ。
気になるのは、その体が緑色に発光しているところだ。まったく眩しくはないが、ただ存在というか気配が薄い要因な気がしてならない。ここにいるのに、ふとした瞬間いなくなってしまいそうな儚さを思わせる。
「違っていたらすみません……。もしかしてあなたは、九尾様のお知り合いなのでしょうか……?」
背丈の高い方――教師になろうものなら女子生徒に疎まれる存在になるであろう純粋そうな女性がおどおどしながら訊ねてくる。緊張しているようだ。
「――・――・――」
すると、小さい方が口を開いた。何語かわからないし、何を言っているのかもわからない。ただあの子は俺を警戒して、注意を促しているように思える。
お姉さんの方はその意見に反論しているようだ。説得しているのがなんとなく伝わってくる。
とりあえず待った方がいいのか……?
『九尾様』って言ってたけど、ゼラの知り合いか。それともゼラを訪ねてきたのか。
とりあえず助けちまったけど、よかったのかな……。
「すみません、私はドライアドのフロンティアと言います」
「あ、ああ……」
小会議は終わったのか。
「俺は――」
名前どうすっかな。こいつが妖怪に精通するなら、紅葛と名乗った方が早いとは思うが、どれくらい周知されてる名前かもわからないしな。だとしたらレッドだが、ヴァルファロスト王国を経由してあらぬ噂を耳にして来たのなら面倒だ。
俺が考え込んでいる間にフロンティアは小首を傾げた。
「……アカヒトだ。さっきはそいつに襲われてたみたいだが、なにかあったのか? 見慣れない魔物だけど」
「あれは…………わたし達には敵がいるんです! その者達が差し向けてきたのでしょう……」
「敵って……?」
「先程の妖力か察するに、九尾様のお知り合いだと思ったのでお訊ねします。あなたは九尾様の居場所を知っていないでしょうか!!」
ゼラに用があるのか……。質問に答えてくれるわけじゃないのはまあ、言いたくないこともあるって納得してやるとして、とりあえず連れてってみるか。後はあいつに全部任せちまえばいいってことだよな! うんうん、俺に用事があるわけじゃないんだし、少なくとも嘘はないからな。
「付いて来いよ」
「っ――ありがとうございます!!」
女性は、目の色を変えて喜んだ。相当早く逢いたい様子だ。




